ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ : 映画評論・批評
2009年10月6日更新
2009年10月10日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
身勝手な男の破滅物語ではなく、しなやかな女性の自立物語に
黄金期の日本映画を思い出すような密度の濃い作品である。脚本の田中陽造は、太宰治が得意にしていた女性のひとり語りの短編を、うまく膨らませているなあと感心した。青春の通過儀礼のようでちょっと気恥ずかしくなるような、太宰文学のエッセンスともいえるキザなフレーズを随所に散りばめている。根岸吉太郎監督は、この脚本に血を通わせながら丁寧に映像化した。
子連れヒロインの佐知(松たか子)は貧乏のどん底にいながら、すべてを受け入れてどこかあっけらかんとしている。飲み代を踏み倒して盗みまで働く作家の夫・大谷(浅野忠信)は、マイナス思考の天才だった破滅型作家の太宰を連想させる。佐知は夫のツケを払うために飲み屋で働きながら新しい自分を発見していくのだが、身勝手な男の犠牲になるのではなくて、しなやかな女性の自立物語になったところがいい。
根岸監督は男女の愛憎や機微をさらりと描くのがうまい。警察署を訪ねた佐知が夫と心中未遂をした愛人の秋子(広末涼子)と廊下ですれ違うシーンの2人の目つきや、佐知が元恋人の弁護士に会う前に真っ赤な口紅を塗ってある決意を暗示するシーンなどが強烈な印象を残す。松たか子は品のよさがにじんでいるし、浅野忠信も魅力がある。飲み屋の夫婦を好演する伊武雅刀と室井滋も適材適所のキャスティング。終戦直後のアーケード街や飲み屋のセットもよくできている。最近の邦画では珍しく見終わったとたん、もう一度最初から見たくなった。
(垣井道弘)