ブタがいた教室のレビュー・感想・評価
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途中から見たんだけど…
途中からみたので、前半の流れはわからないが、後半の『ブタ処遇をどうすか』についての議論は、絶品で鳥肌もの。
飼っていたブタを『ドナドナするか』、『3年生に育ててもらうか』で議論を交わすのだが、あまりにもブタへの愛情が強すぎて、途中から生徒全員の目に涙が! 演技を超えた、白熱の議論に、観る側も思わず涙がこぼれる。
邦画にはこういう魅力があるんだね。命について考えさせられる、最高の映画でした。
完全なゆとり映画(笑)
正直ゆとり社会がこんなに怖いと思わされる映画だとは思いませんでした。
これは「ペットを可愛がる」がテーマの映画なのでしょうか?
そもそも初めから教育指導をする上で大切なことを子供達に説明も無くただ動物を育てようってだけの教育者までもがゆとり脳みそで描いたらこのような駄作になって当然だと思います。
劇中で「飼育」や「育てる」という言葉を使っていますが授業として行うのであれば「養豚」という言葉で子供達に「食す」事を前提とした授業であることを説明しなければなりません。
若さ故の演出なのか分かりませんが、いただきますもろくに言えない子供が…と言うセリフは正にお前自身だろと言ってやりたいくらいの主張の弱さ(笑)
校長が賛成派として推してくれたから行えただけであってあんなプレゼンで企画が通る企業なんてあるのか?と思わせてくれるようなゆとり教師の設定で何をやるのかと始まりから駄作の臭いがプンプンです。
名前を付けるにしてもこれは食用だから1号と数字で呼びますとはっきり「ペット」と「食用」の境界も引けない大人に子供の多数決で名前を付けられるって指導者としての威厳がありません。
養豚を開始した時点で教室に「卒業式に豚を食べるまで後○日」というカウントダウンを最初から行うべきです。
ダラダラとした無駄な飼育、挙句には子供達に任せたって投げやりな態度。
子供はそういう大人を見て成長するので、当然最終投票に教師もクラスの一員だから票を入れるべきだと問題を投げ出す始末。
同数票である以上後一票で決議するなら、これは全員の意見を無視して一人の人間に判断を丸投げする意味だとバカでも分かります。
途中の論争でもそうですが、そもそも論点が間違っています。
3年生に引き継いで飼育してもらうか食用センターに引き取ってもらうか…生徒達は当然のように長く生きて欲しいから3年生にと言いますがどちらも丸投げの話ですよね?
卒業しても面倒を見に来ると主張する生徒もいますが、教師なら説明すべきでしょう。
卒業後に面倒を見に来ると言う事は放課後チラっと覗きに来ることは面倒を見るとは言わないと。
何故論争で、自分が引き取って家で飼育します!や、卒業後進学する中学校で飼育出来ないか交渉してきます!って主張が無いのでしょうか?
面倒を見ることは人に押し付けることだと小学校から認識させたままの教育に驚きです。
誰が豚の食料を購入するのでしょうか?
誰が豚の飼育スペースを確保するのでしょうか?
自分達が生かしたい、育てたいと主張する意見を守るのであれば、土地を買うなり飼育スペースを作ること、食費を自分で稼ぎ餌を調達してくること…そういった事を教えなければ子供は与えられた物でしか何とかしようとしませんし、当然そういった責任が生まれることすら考えてもいません。
ナメてるとしか思えません。
綺麗事だけじゃ豚は買えないってことを教えること、最後は泣かしてでも食わせることがこの授業の完了以外に無いと思います。
世界には雑草すら食べられない子供達がいます。
どれだけ自分達が恵まれているのか、その上で自分達が育てた物を食物として食べることにどんな意味があるのか。
それがテーマであるはずです。
映画としてはいい話だと思います。
感情が生まれるのも事実だし、命は大事だと思います。
しかし、これは何を問題とした話なのかさっぱり分かりません。
食卓に出たご飯は食べられるけど、「ペット」は食べられない(笑)
そういう話にしか聞こえません。
さぁ明日はうちの猫を食べましょう♪
なんてならないのは当たり前です(笑)
豚を飼う家庭は少ないから食べられるかもしれない…そんな甘い考えで出来た話だとしか思えません。
昔、チャウチャウは食用犬として食べられてきました。
今は犬は「ペット」としか見られないですが、どうせならチャウチャウは食べられるから食用として育てようという題材であれば始めから「食べる」か「食べない」かの論争から始まったのでは無いでしょうか?
食べる前提で飼育を始めれば、まさか最後になって「この犬は食べたくない」とは言わないでしょう(笑)
そもそも犬を食べる前提で飼育する所から始まるんですから(笑)
教育者がいかにぬるいか、ゆとり社会はこれだけ問題なんだと訴えることがテーマである映画なら納得のいく内容ですが、まさかの結末や世間の評価の高さに嘆きしか感じない映画です。
当然ここまでの話に仕上げれば問題作になるでしょうが、残酷さがあるからこそ理解や学び取れる感情や知識、考えさせられる物では無いでしょうか?
子供達が考え意見した発言に対し、そこから起こりうる問題などの説明を教師が行わず何が教育でしょうか?
言うだけなら簡単です。
実行に移せるのかどうか、それについての責任を教えないなら始めからこんな授業は行うべきではありませんね。
あまりに楽観的で堕落した話のため、綺麗に話を終わらせようとして無意味に警察や食用センターの方々、挙句3年の生徒や担任まで巻き込んだ茶番劇。
子供達と一緒になって数多くの人を振り回した教師含め生徒達には謝罪してもらいたいです。
始めから計画性の無いことを無責任に行えば、このような自分達では解決・決断出来ない事項が必ず生まれる…と、そういうことを教えるための教訓話としては大成功でしょう。
最後に、自分が育てた物が食えないなんて農家の人に謝れと言いたい(笑)
世の中には無理矢理食わされて三大珍味とか言われている家畜どころか鬼畜な飼育方もあるくらいなのに可愛がられて食べられるってどんなに幸せか(笑)
綺麗事だけ並べて論点をすり替える最低の映画で虫唾が走ります。
「食べること」と「殺すこと」は同じじゃない
映画「ブタがいた教室」(前田哲監督)から。
クラスのみんなで育てたブタを、最後はどうするか、
「食べる」「食べない」で白熱するデイベートは、
このシーン以外では、仲良しなのだろうか?といらぬ心配をしながらも、
監督はこの作品で私たちに、そして実際に行なわれた先生は子どもたちに、
なにを伝えたかったのか・・と考えながら、最後まで観てしまった。
「食」をテーマにした作品は、何作も観ているが、
90分ほど淡々と映像だけが流れる映画「いのちの食べ方」同様、
その評価は、観る側の私たちに委ねられている気がした。
彼らの主張をメモしながら、自分だったら、彼らのどの意見に近いのか、
どんな台詞に、私のアンテナは引っ掛かったのか、考えてみた。
鑑賞後、乱雑に書きなぐったメモを整理すると、
「『食べること』と『殺すこと』は同じじゃない」という台詞が、
場面を変えて、2度書かれていたことに気付く。
これは単なる偶然ではなく、明らかに私の意見と近いということだろう。
「どう違うんですか?」と問いつめる女の子に「殺すのはただ命を奪うことで、
食べるのはその殺した動物の命を受け継ぐことなんだよ」と言い切る男の子。
だからこそ、給食なども好き嫌いで残してはいけない、と気付かせられれば、
「いのち」を扱う授業としては、もっとよかったのに、とも感じた。
そう言えば、この「ブタ」を飼うという体験で、子どもたちの意識が変わり、
魚嫌いの子どもが食べるようになった、とお父さんが話すシーンがある。
その教えは「魚の身がしまっているのは、頑張って生きていたからだ。
頑張って生きたことを無駄にするな」らしい。(なるほど・・)
作品としては、評価が分かれるだろうなぁ、きっと。
本当の”責任の取り方”とは?
“命と向き合うこと”を主題にしている作品だが、それ以上に“責任を取る”とはどういうことか?この点についてのほうがより考えさせられる。
期限が迫ってくる中で
・より良い形で自分の行いを引き継ぐこと
・批判を浴びようとも自分が最後までやりきること
どちらが本当の意味での責任の取り方なのか、どちらが正しいのか。
今まさにどこぞの国の政治家や、権力者たちが悩みに悩んで結論を先延ばしにしているような難題に、卒業を控えた小6の子供達が真正面からぶつかる。
台本や演技を極力排除し、子供達の自然体を写す手法は「パリ20区 僕たちのクラス」に共通するが、テーマがより単純で身近なため、解りやすく、感情移入しやすい。
正解が無いテーマであるため、子供達は自分の考えや感情をストレートに出しながらも、大人の考え・自分とは異なる意見に戸惑い、悩む。
子供らしい単純で極端な、発想や物言いは時にイラッとさえするものの、羨ましくもある。
そしてひとりひとりの考えからは大きな可能性も感じられ、「きっと自分もあのぐらいの時には・・・」なんてことも考えて何だかしんみりしてしまう。
まあとにかくいろんな意味でストレートすぎるほどのこの作品、子供の素晴らしさと危うさもとても良く表現されているのだが、あえて文句をつけるなら、「あそこまで見せるなら、食べるシーンもあっても良かった」といったところか。
いい題材なのになんてこと…
子供たちで話し合うシーンはおそらくアドリブだ。噛んだりしたのをあえてカットしない所が現実味が出ていい効果を出している。
サウンドトラックもいい。トランペットの部分とピアノの部分があり全く逆の雰囲気の音楽を振り分けていて、効果抜群。
そして最後のブタとのお別れのシーンは素晴らしい。トラックの中から撮る撮影方法には感心した。さらに言うと本当に最後の最後で生徒の叫びが入っている。このまま終わりかと思ったら不意を付くような挿入でこれもまた感心。
しかし、もったいない。
こんなにいい題材があるのだから、勝負に出ていいと思った。というのは全て完結してしまうのだから。アカデミー賞撮れたいい題材を無駄にしてしまった感はあった。それかアカデミー賞に興味がなかったのか。それなら納得だが。
教育としては良い
動物を飼うことを決めた時点でこういう結末が予想されなかった場合は、失敗体験でしょう。
こういう体験をしたら軽い気持ちでペットを捨てたりしないでしょう。
学校で見せる教育ビデオとして活用して欲しい
全く命に向き合ってない。ひどい駄作。
駄作。全く命に向き合ってない。
結局ラストは「処分してくれる他人」に任せ、
ペットを捨てる者となんら変わりない。
処分業者や警察や大人は悪者のまま。
「他のクラスに」「処分業者に」
選択肢が両方とも逃げの結論では議論の価値も無い。
教師も失格。
最後まできちんと計画性をもって関わるべきで、
「子供まかせ」では、ただの残酷なネグレクトだ。
~以下妄想補完END~
「食べない」に傾いたときに、
教師は、「なら他の豚と交換してきて食べるか?」と提案、
それぞれが家庭で話をし、
食肉店のお父さんの視点や、
料理をし子供を育むお母さんの視点で助言をもらい、
それぞれ大人になった子供たちが、
「食べる」の結論を出し、泣きながらもPちゃんをちゃんと食べる。
辛いのに、やはりうまいと感じる。
そして、全員が残さず食べて、命のバトンタッチを学ぶ。
こんなのを期待していたのに。
深いか?
ちょっと大人向けな感じがします。難しいテーマですけど純粋には観れません。大半が食えばいいやんって思いますって!子供が観るべき映画だと思いますね~アニメで作るべきでしたね。冷めた感じで観れるんが大人になったてことでしょうか。
素直に命に向き合う
ドキュメンタリー映画です。
結果はわかっており、大人にはもどかしいかもしれないが、
子供には是非見せたい作品。
ブタの命に関してだけでなく、子供たちの卒業や成長にも触れられる!
妻夫木の演技は何を考えているかわからない……
迫力も厳しさも足りない
原作『豚のPちゃんと32人の小学生』とそのビデオよりも劣る作品。主演の妻夫木聡には、少なくとも実践した黒田先生ほどの迫力すら感じられなかった。せっかくの3年生の申し出を無にする姿勢も許せないと感じた。1つ評価できることは、1人の子どもの父親が、子どもの頃、豚を捌く大人に違和感を感じたが、むだなくいただくことが命を大切にすることだ、と諭す場面だった。そこをもっと前面に出せば、原作自体の限界さえも越えたかもしれない。原作のビデオも、NHKのプロデューサーから、「結論もわからずに始めてしまって、挙句の果てに子どもたちにこんな辛い思いをさせる教師は、教育者ではない」と言われ、放映を断られている。原作者が範とした鳥山敏子氏(『いのちに触れる』太郎次郎社、1985年刊)は、豚にしても鶏にしても、泣いている子どもの前に頑として死骸をつきつけ、むだなくいただき、命をいただくことの厳しさを学ばせたものであった。そうした厳しさを描こうとした対極的なドラマとして、期せずして大杉漣がどちらにも出演していた『牛に願いを』(2007年7-9月放映)があったのではないか。大学生と小学生という年代の差はあれ、育てた動物への愛着を断ち切らなければ生計が成り立たないという厳しさを教えるというテーマは、どの年代にとっても重大なものであるだろう。また、それはドラマであったが、実話としてNNNドキュメントで2003年6月25日に放映された『いのち だきしめて 牛飼いナオキと育子さん』も同じように、畜産農家の厳しさを小学生に伝えるものであり、必ずしも学校で飼育することよりも適した形態があることを教えてくれるものと言えよう。
考えることには成功だけど
確かに命や食に対して子どもたちに考えさせる、という意味ではアリだと思いますが、私は「ブタを飼って食べよう」という提案自体にえ?と思ってしまいました。農場とかで何匹もの動物達を食用に飼うのとは違うじゃないですか。小学校で1匹の動物を飼う=ペットのような存在になってしまうのはわかりきっているじゃないですか。ブタを飼おうというだけだったらまだわかるんですよ。だけど飼って食べようという提案をすること自体がねぇ。やっぱりちょっと残酷。
子どもたちがPちゃんと名づけた時も、星先生は一応反対します。それは先生は名前をつけちゃったら愛情がわいてしまうのがわかっていたから。だけど結局子どもたちに押されてPちゃんと名づけてしまうんですよ。この先生の中途半端さがどうにも納得いかなかったんです。このブタは最後には食べるんだから、食用なんだから、ということをちゃんと子どもたちにわからせてあげられてないじゃんって。
そして起きる「食べる」「食べない」論争。
このディベートシーンは、確かに言わされた台詞なわけではなく、子どもたちが自分達の言葉でしゃべっていることがわかります。うまくしゃべれていなかったり、何を言ってるのかよくわからなかったりもするのですが、逆にそこがよかったりもするんですよね。そしてPちゃんを食べる、食べない論争は白熱して、泣いちゃう子がいたり、つかみ合いの喧嘩が始まったり。Pちゃんを食べるなんて信じられない、可哀想という子もいれば、Pちゃんを飼い出してから豚肉が食べれなくなってしまった子がいたりもするし、どこで育ったかわからない豚肉は食べられるけど、Pちゃんの肉は食べられないという子もいます。
その間先生はずっと冷静でただ見守っているだけです。意見を述べることもない。ディベートにも参加しない。子どもたちに考えさせます。確かに子どもたちに考えさせるということは成功したかもしれない。でもこの先生がどこまで考えてブタを飼育して食べようと提案したのだろうか?と考えてしまいました。飼育して食べると言っておきながら、どうするかは子どもたちに結論を委ねるって、無責任じゃない?
それだったら、飼う時にきちんとみんなにちゃんと説明して、最後には食べることになるけどいいか、ということを全員にわからせた上で、みんなが理解してそれでも飼いたいと言ったら飼うべきじゃなかったのかなぁ。実際少なくとも半分の子はPちゃんを食用のブタではなくて、ペットとしてみちゃっていたわけだし。
そしてPちゃんを「食べる」「食べない」論争は、Pちゃんの面倒をみたいという3年生に引き継ぐか、食肉センターに送るか、という論争に変わっていきます。つまり「食べる」にしても食肉センターに送るという方法が取られるわけ。もうこの時点で最初に先生が提案した「育てて自分達で食べよう」というのからは離れちゃってますよね。
そして二分されたままの意見の最後の一票は星先生。この先生が1日考えた、というのも矛盾してるような気が。だって最初から先生は「食べる」って言ってたんだから、3年生に引き継ぐか、食肉センターか、だったら、考えるまでもなく食肉センターでしょ。なのになんで1日迷うわけ?結局先生の方針がしっかりしてなかったってことですよね。そして最後に先生が出した結論も、なんでそういう結論を出したのか説明するべきだったはず。少なくとも半数は先生の意見とは反対の意見を、持っていたわけでしょ。だったら先生がどうしてその結論を出したのか、ちゃんと説明してあげないと。先生が始めたことなんだから、それを教える義務があるはずなんじゃないかなぁ。
「食べる」「食べない」論争ですが、私は食用として飼うことを決めて飼いだしたなら「食べる」派です。でも何せこの場合、飼い出す時に子どもたちの意見をきちんと聞いているわけではないし、先生は食べるって言ってるけどそんなことしないんじゃないかと思って、ペットとして飼おうと思った子もいるじゃないかな、と思うんですよ。一度でもペットとして考えちゃったら、そりゃあ食べられないわな。たっぷり愛情注いで育てちゃったらそりゃ無理ですよ。そう思ってる子にこのブタを「食べる」というのはかなり酷な気がします。
子どもたちに真剣に「命」や「食」について考えさせることには成功したかもしれないけれども、ペットとしてPちゃんのことを見ていた子供の心は傷つけてしまっていたのではないかと心配になりました。子どもたちが、『人間が生きる為に、こうやって他の動物の大切な命をもらってるんだよ』、ということを素直に理解できていれば良いですが・・・。
そしてそれを理解した上でPちゃんを食べるというのが本当は一番良かったんではないかと思いますけどね。というか、先生はそういうことを教えたかったはずなんですよね。先生の方針がしっかりしていないから結局それをきちんと教えきれなかったような気がします。大切なブタの命をもらうんだから、わずかな肉も無駄にしてはいけないんだよ、ということを。
映画が面白いとかよかったとかそういうことを考える以前に、そうやっていろいろ考えてしまう映画でした。少なくとも感動作ではなかったですね。
ドラマなのに、素でつかみ合いのケンカをするほど白熱したガチンコ激論は見応えがあり。しかし、演出しない映画手法に疑問。
いのちはなぜ尊いか?
道徳教育を否定し続けてきた現在の学校教育では、こんな簡単で教育の根源的テーマに答えられません。だから、いじめや自殺、果てはDVやら無差別殺人につながっていると思います。
そういう点で手放しでお勧めしませんが、実話に基づく問題作として考えていただきたい一本です。
ある小6のクラス担任が子供たちに命について考えさせるため、ブタを1年間飼って食べようという″授業″を行います。この授業の是非はさておき、映画の中で子供たちが涙ながらに交わす「食べる」「食べない」のガチンコ激論は見応えがありました。星先生の情熱と、子どもたちが自ら考えて真剣に事態に向き合う姿に心を打たれることでしょう。 本作の元になったドキュメンタリーがテレビ放送されたときも、視聴者からの反応は「残酷だ」、「それは教育ではない」という批判的な声が多かったようです。
人間が生き物を食べずに生きられないのは残酷なことです。でも、宗教的に見れば動植物にとって生まれもった肉体は、今世いのちを差し出す修行でもあり、人間には感謝の心で生をまっとうする義務があります。もし食べることが悪であれば、食べられないような味になっていたことでしょう。そうなれば食事は、いのちを維持する難行苦行となっていたはずです。
だから食事は、いのちを戴く大事な教育の場であると思います。教える側にそんな観点があれば、こうした話題になっても子供たちの心に割り切れない疑問や傷を残さずに済むはずです。
けれども星先生は、あくまで子供達に自由にディスカッションさせて、自らは一言もいのちの尊さを語ろうとしませんでした。というよりも、本人もどう答えるか分からなかったようなのです。星先生の戸惑う姿に、宗教的バックボーンのない「命の教育」の限界を痛感させられました。
教育現場で、道徳を教えようとすると直ぐ、大人の価値観を押しつけてはならないという批判が父兄や労組から帰ってきます。しかし、大人がきちんと善悪やいのちの尊さを教えないと、子供達だけでは分からないと思います。
いじめ問題でも、先生が介入を避けて、この映画のように加害者の子供と被害者の子供を話し合いさせようとするから、解決しないのです。
日教組は、給食で『いただきます』と手を合わせることすら、宗教的と否定します。食べ物に宿るいのちについての宗教的観点があれば、子供達に感謝の大切さを深く教えられることでしょう。
本作は製作手法も映画づくりのあり方について、問いかける作品です。
あくまで脚本のあるフィクションであるのに、出演した子供達に自由に語らせたドキュメンタリーでもあるのです。手渡された脚本は白紙(^^ゞ結末が記されていない脚本だったのです。だから、Pちゃんとふれあう子供達は素のまんま。オーディションからの180日間、実際にブタの飼育をしながら自分たちが撮影で飼っているブタをどうすべきか討論していったのです。そのため子供達は、撮影している「Pちゃん」に感情移入してしまい、思いや意見をカメラにぶつけたのです。演出でなく子供達の意見は「食べる13人、食べない13人」の真二つに別れ、時には議論が白熱して大粒の涙を流し、つかみ合いのケンカをしたこともあったそうです。そのシーンは演出ではなかったのです。
撮影を通して役を演じる子どもたちもまた、この授業を追体験したのでした。
演技でないぶん、みんな本物の表情で語るのですが、それが映画としては手抜きではないかという疑問も残りました。
実家が居酒屋をやっていて、常に肉料理に触れている子供。また晩ご飯にトンカツが出てきて食べられなく子供のシーンなどありましたが、その後が描かれませんでした。もっとお肉が食べられなくなった子供たちの葛藤を描いてほしかったです。
あと『コドモのコドモ』で出産を経験する甘利はるなを転校生役に投入したものの、Pちゃんの飼育を通じて彼女がクラスメートに打ち解けていく過程も不十分でした。天才的演技力のはるなちゃんだけにもったいないと思います。
カメラが回っていない時でも「星先生」と慕われくらい妻夫木聡は教師役がはまっていました。教師役は初挑戦だそうです。撮影現場では子どもたちに優しく、時に厳しく「先生」として接したとか。子供が好きなんでしょうね。
最後に、校庭をのっしのっしわが物顔で遁走したり、子供達と巧みにサッカーに興じたりするPちゃんは、なかなか芸達者でお尻がキュートでした。思わず小地蔵も感情移入してしまい、こんなかわいいブタを食べられてしまうのがかわいそうになったほどです。
一心同体って、究極
映画を見た次の日、あたしは生姜焼き定食を食べました。
「自分の体で咀嚼することは命を継いでいくこと」
子供のときじゃ無理だったと思うけど、今は「食べる」選択を理解できます。
今も昔もこうゆうことを考えるのはずっと大事なことだと思う。
映画の目的としては素晴らしかった
クラスで一生懸命飼育したブタを食べるか、食べないかなんて、決めれない。
だって情がうつってしまった以上それは酷なことだからです。
でも倫理観としては、人間は他の生き物の命を頂いているということから眼を背けては行けないし、殺した以上食べなければならないという責任がある。だから食べないというのもおかしい。
こんな矛盾をあえて投げかけた星先生はすごいことしたなとおもいます。
「食べる」か「食べないか」に正しい答えはありません。
これは子供が自分で考える力を育むには素晴らしい授業だと思いますが、あまりにリスクが高いというか、ブタである必要は少なかったのではないかと思えてしかたがありません。そう思うくらい子どもたちがかわいそうでした。
これが原因で心に傷をもってしまった生徒もいるのではないでしょうか。
でも、それだけ観ている人に訴えるもののある映画でした。
命の大切さを教える授業なのか、食育なのか、考える力を育てるのかなど
複数の目的のある授業なためもっと目的を絞れば、こうした苦しみは与えずにすんだのではなかったかと思います。
ただ、昔に話題となった実話を、いま再びピックアップして映画化したことには大きな意味があるとおもいます。食べ物の大切さを忘れがちな僕らは、この映画を観て、それがDVDになっていつまでも残っていって、この映画を目にする度に食の大切さを考えることの出来る良い授業としてこの映画はとても素晴らしい試みだと思います。
ブタかわいいね。
ブタは、かわいいっすよ。最高だね。
僕は、豚が全滅しないか心配してるんですよ。
だって食われまくりじゃないですか。松屋だの吉野家だの居酒屋だの一日何匹食ってんだよ。みたいな。豚丼ってメニューが出たときは、豚社会騒然だったと思うわけですよ。
でも、足りてるということは、食われる勢いよりも生まれてくる勢いの方がすげぇんだな。
ブタの繁殖能力すげぇんだな。
なにげに食ってる豚のありがたみを知りなさい。
そもそも...
そもそも 子供達は、
動物を食べなくても人間は生きていけるし、
世界には動物を食べないことを選んでいる人達もいる。
そういう人達も健康に生きていたし、生きている。
そして、子供達自身も自分の食生活を自分で選択することができる。
ということを教えられていない。
こういうことを事前に教えられていなければ、子供達が苦しむのは当たり前だ。
私達は、教えられたことにとても影響を受ける。
親に愛されて育つ中で、私達は命の大切さや他を尊重する大切さについて学ぶ。しかし一方で、嫌がる生き物の命や気持ちを尊重せずに殺している。子供が精神的なストレスをかかえて苦しむのも無理はない。
そして多くの人が、「植物だって生きているじゃないか。」とか「動物を食べなければ生きていけないんだ。」とか、肉食が正しい生き方のように教え込まれる。
映画に出て来た子達は、どんな教育を受けていたのか。大人の言う事にすぐ影響を受ける子は、大人に教えてもらったようなのコメントをしたのかもしれない。でも、自分で感じたことを大切にした子は、周りとの関係や教えられてきたこととの葛藤に苦しむのだと思う。
自分のそばにおいて飼っていた動物なら、コミュニケーションがある分、他の動物よりも強い繋がりができてしまうのは当然のこと。
でも本当は、「家畜」と「愛玩動物」の違いは、人間の頭の中でしている区別で、動物側からしたら、どちらも同じ。家畜も、愛玩動物と同じように人と親しくなり、楽しい時間を共有できる可能性を持った命。
命とは何かについて自分で感じたことを大切にしていいということ、
自分の食生活は自分で選べるということについて教えられなければ、子供達は苦しむ。
命は大切だが、感謝すれば食べてもいいのだという初めから決まった先生の考えの授業を、「何か欠けている授業」と感じる。
ある意味、今年1番の問題作。
ある小学校で行なわれた“実践教育”の実話をベースにした映画化。う~ん、こんな映画やったンや。いやあ、こりゃあ色々考えさせられますな~。
『生徒役の子供たちには、白紙の台本が渡された』とか、『リアルに討論させた』とかいう事前情報は耳に入れていたんですが、いざそれを見てみますと、これは結構ヘビーに考えさせられます。この映画のテーマは、今まさに叫ばれている“食育”や“いのちの授業”といった教育内容に合致していると思います。それを子供たちが真剣に討論する。本当に真剣でリアルな様が、スクリーン越しに観ている我々にも、ダイレクトに伝わってきます。それはそれで素晴らしいですし、子供たちにも意義のあることだなあ、とは思います。ただ凄く真剣で、ともすれば掴みあいを始めんばかりの勢いでしたので、『あんな討論(相当、感情の入った“言い合い”)したら、結構クラス仲にひびが入ったりするんちゃうの?ましてや卒業直前の時期に、下手すれば感情のしこりが残って、メチャクチャ後味悪いことになりかねんがな』と、そんな事を考えながら観ておったのですが、意外やその辺りは、アッサリと描かれています。『後腐れ無し!』って感じで。そんなモンなんですかね?最近の子供って。
それから、先生!幾らなんでも子供に任せすぎじゃないか~?もう少し、討論に加わって、道筋を作ってあげてもいいんじゃないでしょうか。そもそも最初にブタを連れてきたのは、アンタだよ!子供たちに大切なことを学ばせたいっていう気持ちはわかるけど、あまりにも子供たちを混乱させるのは、良くないでしょうに。その辺りが、少々無責任にも見えました。まあ、それもこれも子供たちが一生懸命に取り組んでいるのを見せられたから、そういう風に感じるのだとは思うのですが。
まあ、『“Pちゃん”と他のブタは違う』って言っても、ブタはブタな訳で。そりゃ『可愛がったペットを食えるか?』って聞かれたら、誰だって躊躇するわなあ。それでも『食べる』って答えた子達がいる事に、吾輩素直に驚きました。子供達の方が、よっぽどそういうことを理解してるんだなあと感心させられました。
生徒役の子供たちは、本当に頑張ってます。討論のシーンなんて、殆んどドキュメンタリーみたいです(ソレを狙った演出だと言ってしまえば、実もフタもないのですが)。信じられんことに、吾輩何度か泣きそうになりました。自分でも理解出来なかったのですが、知らぬ間に感情が昂っていたようです。子供たちの討論に入り込んでいってたんでしょうね。それだけ真に迫った演技だったと思います。そして、その子供たちの演技(?)を受けて立つ妻夫木クンも、頑張ってますね。“新任教師”久しぶりに爽やかで一生懸命な役の彼を見させていただきました。ココンとこ、結構インパクトのある役が多かったような気がするので…。あと、校長役の原田美枝子さんが、イイ感じで映画全体を優しく締めてくれています。このキャスティングは、正解でしょう。
実際に、この“実践教育”が行なわれたのは、今から18年前(1990年)だそうです。“モンスターペアレント”なる種族(?)が跋扈する現在の学校では、恐らくこんな授業はムリだろうな~。
Pちゃんも豚肉も。
試写会にて。
1990年に大阪の小学校で実際に行われたこの授業。
TVでドキュメンタリー放映され、
その時も大反響を巻き起こしたんだそうだ。
…この話を私はぜんぜん知らなかった。恥ずかしい^^;
でも、だいたいの内容は分かっていたので、
これから観られる方も、多分予想通りの展開だと思う。
取り立てて大事件が起こるというわけではなく、
「食べる」目的で飼い始めた豚の「Pちゃん」が
どんどん大きくなり、6年生の卒業が近づいてきて、
「食べるか」「食べないか」の論争が起こるのである。
これは「家畜」を「愛玩動物」として飼ってしまったなら
当然沸き起こる「情」だと思う。仕方のないことだ。
というよりむしろ、何の感情も沸かない方が問題であって、
(でも中には動物が嫌いな子もいたんだろうな^^;)
その「情」と「責任」の狭間で子供たちは悩み苦しむのだ。
私はこの授業を、別段素晴らしいとは思わなかったけど、
かといって、下らないとも、けしからんとも思わなかった。
新任教師の授業内容の是非を問うているのではなく、
子供たちが真剣に「命」と「食」の関係に向き合い、悩み、
苦しみ、成長していく様子を描いた普通のドラマだと思った。
もっといえば、まだまだ力不足の先生の方も、校長や父兄、
子供たちの熱意にたくさんのことを教えられたはずである。
特にあの校長先生は、よくぞの決断だったなと思う。
唯一、とにかく酷なことは、彼らがこの豚をペットとして
愛してしまったのち、捕食者としての責任を問われることだ。
拾ってきた子犬を「捨てる」約束で飼い始めても捨てられない、
それは豚も同じことで、子供にしたらごく普通の感情だと思う。
でも豚は、基本は家畜、いずれ豚肉にされる動物なのだ。
可哀想だろうが、残酷だろうが、それも本当のことである。
子供ながらに「責任」を全うするため「食べる」という子供。
誰かに頼んで世話をしてもらい、長生きさせたいと願う子供。
自分の身体の一部になってくれたら嬉しいよ、と訴える子供。
よくそんな残酷なことが言える!と相手をなじり怒鳴る子供。
連れてきた先生はどうなんだ?どうするつもりかと聞く子供。
しまいには、みんなでワンワン泣いて…ホントは悲しいという。
でも、こんな光景は日本(先進国)ならではかもしれない。。
どこかの国では、お祝いの席で動物の首をひねって切落し、
その場で皮を剥いで臓を裂き、吊るして丸焼きにするのを
子供たちは大喜びで眺めているのだから。
…ご馳走だ!と日本人が思えないのは、多くの子供たちが、
そんな光景を目の当たりにして、動物を食べていないからだ。
だからこそ「ありがたい」なんて思うことができず
「かわいそうだ」「残酷だ」という方向へ流れてしまうのだ。
「他の豚なら食べられるのに、Pちゃんだけ食べられない
なんて、おかしくないですか?」…うんうん、そうだよね^^;
なんてごもっともな意見なんでしょう。。。
ちなみに私の実家の近くには鶏工場があり、
そこでは毎日たくさんの鶏たちが精肉加工されていた。
毎朝彼らの「クワーっ!クワクァーっ!」という叫び声を
聞きながら登校していたが、今でも鶏肉は大好きだ(爆)
…そして家では当時「インコ」を飼っていた。
もちろん食用ではない^^;それを猫に捕られ死ぬほど泣いた。
あー。私にも矛盾する過去がいっぱいあったのだ。
Pちゃん、教えてくれてありがとう。
(ごめんなさい。ありがとう。いただきます。ごちそうさま。)
ついつい手を挙げたくなる、ほのぼのした風景
実際にあった話のドキュメンタリーを映画にしたお話。
観る前から「ブタを食べるの?」「食べないの?」という難しくて答えの出ない課題を突きつけられます。
学級の風景が時々、ドキュメンタリーチックな映像になり、その映像効果がどのくらい影響あるのかがわかりませんが、小学生がブタについて議論をしているシーンにはついつい自分も意見を言いたくなってしまいます。
とにかくブタの演技が可愛いです!萌えますw
そして、ほのぼのとした光景にはうっすらと涙が流れてきます。
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