「Pちゃんも豚肉も。」ブタがいた教室 ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
Pちゃんも豚肉も。
試写会にて。
1990年に大阪の小学校で実際に行われたこの授業。
TVでドキュメンタリー放映され、
その時も大反響を巻き起こしたんだそうだ。
…この話を私はぜんぜん知らなかった。恥ずかしい^^;
でも、だいたいの内容は分かっていたので、
これから観られる方も、多分予想通りの展開だと思う。
取り立てて大事件が起こるというわけではなく、
「食べる」目的で飼い始めた豚の「Pちゃん」が
どんどん大きくなり、6年生の卒業が近づいてきて、
「食べるか」「食べないか」の論争が起こるのである。
これは「家畜」を「愛玩動物」として飼ってしまったなら
当然沸き起こる「情」だと思う。仕方のないことだ。
というよりむしろ、何の感情も沸かない方が問題であって、
(でも中には動物が嫌いな子もいたんだろうな^^;)
その「情」と「責任」の狭間で子供たちは悩み苦しむのだ。
私はこの授業を、別段素晴らしいとは思わなかったけど、
かといって、下らないとも、けしからんとも思わなかった。
新任教師の授業内容の是非を問うているのではなく、
子供たちが真剣に「命」と「食」の関係に向き合い、悩み、
苦しみ、成長していく様子を描いた普通のドラマだと思った。
もっといえば、まだまだ力不足の先生の方も、校長や父兄、
子供たちの熱意にたくさんのことを教えられたはずである。
特にあの校長先生は、よくぞの決断だったなと思う。
唯一、とにかく酷なことは、彼らがこの豚をペットとして
愛してしまったのち、捕食者としての責任を問われることだ。
拾ってきた子犬を「捨てる」約束で飼い始めても捨てられない、
それは豚も同じことで、子供にしたらごく普通の感情だと思う。
でも豚は、基本は家畜、いずれ豚肉にされる動物なのだ。
可哀想だろうが、残酷だろうが、それも本当のことである。
子供ながらに「責任」を全うするため「食べる」という子供。
誰かに頼んで世話をしてもらい、長生きさせたいと願う子供。
自分の身体の一部になってくれたら嬉しいよ、と訴える子供。
よくそんな残酷なことが言える!と相手をなじり怒鳴る子供。
連れてきた先生はどうなんだ?どうするつもりかと聞く子供。
しまいには、みんなでワンワン泣いて…ホントは悲しいという。
でも、こんな光景は日本(先進国)ならではかもしれない。。
どこかの国では、お祝いの席で動物の首をひねって切落し、
その場で皮を剥いで臓を裂き、吊るして丸焼きにするのを
子供たちは大喜びで眺めているのだから。
…ご馳走だ!と日本人が思えないのは、多くの子供たちが、
そんな光景を目の当たりにして、動物を食べていないからだ。
だからこそ「ありがたい」なんて思うことができず
「かわいそうだ」「残酷だ」という方向へ流れてしまうのだ。
「他の豚なら食べられるのに、Pちゃんだけ食べられない
なんて、おかしくないですか?」…うんうん、そうだよね^^;
なんてごもっともな意見なんでしょう。。。
ちなみに私の実家の近くには鶏工場があり、
そこでは毎日たくさんの鶏たちが精肉加工されていた。
毎朝彼らの「クワーっ!クワクァーっ!」という叫び声を
聞きながら登校していたが、今でも鶏肉は大好きだ(爆)
…そして家では当時「インコ」を飼っていた。
もちろん食用ではない^^;それを猫に捕られ死ぬほど泣いた。
あー。私にも矛盾する過去がいっぱいあったのだ。
Pちゃん、教えてくれてありがとう。
(ごめんなさい。ありがとう。いただきます。ごちそうさま。)