サヨナライツカのレビュー・感想・評価
全19件を表示
見るたびに味方が変わる作品!
2回、3回見て、3者それぞれの目線で考えさせられる映画でした。
光子目線→不倫された側の苦しさ
光子の強さ
東垣内目線→社会的立場・世間体、又は愛する人を優先するか(東垣内は世間体を取ったけど愛する人を忘れられなかった)
沓子 →愛した人の夢と家族の幸せを優先させた人
最終的には、2人が25年間の愛を貫いた感じになっていますが、東垣内が自分のエゴで世間体も恋愛も取ったことと、沓子が婚約者を取ろうとしたことが悪いことは間違いないと感じました。
それから「サヨナライツカ」の詩では、愛は季節的とありますが、人生経験の少ない私には?でした。大人になれば、そんなものになっていくのかな〜🤔
映画全体では世界観や雰囲気、音楽がとても素敵な映画でした!
魔女
中山美穂さんとっても美しい。
魅力的な女性で同性から見ても
ため息が出る。
こんな人が身近にいたら恋しちゃっても
仕方ないなぁ笑
大人な恋愛を追体験したような感覚。
西島さんは役とご本人がちがうから、
どうしても、優しく見えてしまって
芝居のブレを感じる瞬間が何度かありました…
でも青年のような若い頃の西島さんも魅力的です。
ときめきある作品、ありがとうございました!
目先の誘惑に弱いアホvs美人なだけの痴女
Amazon primeにて試聴。
映画としての感想とストーリーとしての感想を述べる。
映画として
無駄なシーンが(SEXを除けば)なく、完成度の高い映画だった。
特に、序盤の野球のシーンは良い。
主人公は、チャンスでバントを指示される。
一度は抗議するものの、説き伏せられる。
にもかかわらず、ホームランを狙う。
結果論では見事ホームランを打ち、勝利するのだが、指示を聞かずに、独断で強打に踏み切る。
周囲のことを考えずに、目の前の誘惑に負けてしまうアホさが上手く描かれていた。
当然指示を無視された監督上司は怒るのだが、怒るシーンは直接は描かれない。ここも上手い。
後に色欲に溺れていく怠惰な主人公に対する監督上司の反応を主人公の同僚が次のように説明する。
「ホームランの時より怒ってた」
直接怒っているシーンを写すのではなく、言葉で怒りをイメージさせる。
映画にもこういう楽しみ方があるんだな、と感心させられた。
さらには、このシーンのホームランボールが最後の最後まで中山美穂との思い出の品になっていく。
一見なんの変哲もない野球のシーンだが、巧みに埋め込まれた重要な場面だった。
このような周到さは全体に行き届いでおり、おかげで、変なツッコミ(ストーリーの矛盾点の指摘)を入れることなく楽しめたと思う。
石田ゆり子と中山美穂のツーショット写真が詩集から出てきた時は
「…!!(その伏線だったか!石田ゆり子)こえぇ」
思わず声が出た。
ストーリー
この話で着目するべきは石田ゆり子。
なんと言っても、題名の『サヨナライツカ』は石田ゆり子の詩集のタイトルだ。
心に残るのは次の一節。
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
主人公に心から愛されてはいない(最初に詩を書いた時点では「今後、愛されないかもしれない」)ことを理解していて、
それでも淑女として夫を愛する。
ただ、「疑問点」で後述するように、愛しすぎてもいない(かもしれない)。
その姿、考え方がありありとタイトルに刻まれている。
サヨナライツカ。
この含みを噛みしめるところにこそ、本作のみどころがあると感じた。
なお、主題と思われがちな西島ひでとしと中山美穂の関係は、目先の誘惑に弱いアホと美人なだけの痴女の情事に過ぎず、みどころが(西島さんの筋肉と中山美穂の肩と背中以外に)ない。
西島さんは何一つとして面白いことやウィットに富んだことは言わない。
見た目と運だけでモテている。
中山美穂は「あなたの夢に惹かれたの」とかそれらしいことを言っているものの、その「夢」は、いきなり押しかけてパンツを脱ぎすて、SEXした後に聞いたものだ。
見た目とホームランで惹かれてるだろ。
中身がなく、目先の誘惑に弱い美男美女という点では、最高のマッチング。
最後の最後まで惹かれ合うのもよくわかる。
疑問点
2つ疑問が残った。
①最後の石田ゆり子、息子2人の写真の1番右の男性は誰か?
西島ひでとしが飾っていた写真なので、単純に考えれば西島ひでとしだ。
しかし、どうも西島さんに見えない。
さらに、あれだけ西島さんを嫌っていたバンドマンの息子が楽しそうに肩を組んでいる。
和解したのだろうか。
さらにさらに、その写真を撮ったと思われる日、石田ゆり子が男を追いかけて、外で抱きつく。
この男の顔が映らない。
「え、誰?もしかして石田ゆり子にも他に男がいたのか?」
ここで顔を映さないのは絶対にわざとだ。
製作者側の演出だ。
石田ゆり子もただ西島さんを信じて尽くしてきたわけではないのかもしれない。
愛してはいたが、愛しすぎてもいない。
その可能性を暗示していると思った。
西島さんがその写真を飾るのは、今までの家族が幸せそうで嬉しいから。そう解釈しても無理はないと思う。
②中山美穂はホテルのスタッフだったのか?
最初、中山美穂はVIPルームに住むVIPだった。
25年後、再会のシーンで中山美穂はホテルのVIP対応スタッフとして現れる。
ここで、次の仮説が立つ。
「中山美穂はVIPだったが、お金がなくなってしまった。しかし、西島さんを待つためには常にVIPルームの近くにいたい。それに、思い出の部屋だ。だから、VIPルームの接客対応としてホテルに雇ってもらうことにした。」
しかし、次の再会ではまたVIPルームを使っていた。
これはどういうことなのだろうか。
考えられるのは3つ。
1つ目。先の仮説通り、ホテルのスタッフになった。お金を貯めて、最期はVIPルームを使った。
2つ目。先の仮説通り、ホテルのスタッフになった。お金はなかったが、ホテルからの情で最期はVIPルームを使わせてもらえた。
3つ目。そもそも先の仮説が誤りで、西島さんがきた時だけ、スタッフとして対応していた。それにより、西島さんに仕事といって近づくことができた。
1つ目は、まず棄却したい。
ホテルのスタッフとして働き、いくら倹約したとしても、医療費とホテルのVIPルームの宿泊費を支払い続けるのは難しいだろう。お金があるなら、そもそもスタッフになる必要がない。
2つ目も棄却。
ナースっぽい人が西島さんに中山美穂の死を伝える時、
「ホテルの配慮」的な言葉があったと思う。
しかし、その「配慮」はVIPルームの格安での使用にまで及んでいたのかどうか。
いくら中山美穂がしばらくVIPルームを使用し、その後はホテルの従業員として献身したとしても、ホテル側が一室での療養を認め、かつ、VIPルームの使用を認めるとは考えにくい。
療養を認めるだけでも、「この部屋では死者が出た」いわく付きの部屋になりかねない大きなリスクだ。
「ホテルの配慮」は、あくまで療養を認めていただけだと考える。
となると、3つ目が濃厚か。
ただ、これも確証を持てない。
根拠が見当たらなかったからだ。
ストーリーには大きく影響はしないかもしれないが(少し気持ち悪いな、くらい。)、気になったので疑問点として挙げておく。
以上、映画としては完成度が高く、みどころもあった。SEXシーンも見れるので、欲求不満な人には男女問わずおすすめ。
ただ、ストーリーとして新たな発見や、感極まる場面はない。その点は、ストーリーを重視する人にとっては少し不満かもしれない。
以上から、映画としての完成度は☆5つ、ストーリーが☆1つ。間をとって総合☆3とする。
おわりに
お綺麗な姿の川島なお美さんをまた見ることができ、嬉しい気持ちになりました。
本当に素敵な女優さんだったと思います。
正当化は決して出来ませんが、、
2010年に初上映を鑑賞し、10年経ってなんとなく観てみました。要するに不倫をテーマにした不純恋愛物語と言ったところでしょうか?主人公は周りに迷惑をかけた上に、自己防衛の為にさらには愛した女も傷つける。ひどい男だとは思います。ただ、葛藤も強くあったのではないかな?ただ“小さい頃からの夢”を叶える為に出張に出たものの、叶えたい夢を超えてしまうものに出会ってしまった。築き上げたものを捨て切れず、時が経ち自分の息子に本当に大切な事を教わる皮肉。本当に大切だったものに気持ちを伝える事が出来なかった後悔や切なさが小説や映像では伝え切れないものではないかと思います。そんな言葉に出来ない想いは教訓でもなんでもないように思います。心から愛している人に出会えたら正解なんて無くて、ただ心から愛せる気持ちは自分だけの宝物なんじゃないか、って思うような映画でした。
無理でした。
溺れる系の恋愛ものは向かないって再認識。
ここまでロマンチストにはなれないなぁ
会話が浅い!至る所でカッコつけすぎ!
不倫がどうのというよりも俺の思う最高にカッコイイ俺って感じがどうにもダメで、出てくる女全部主人公全肯定ってどんだけ自分ワールド生きてんだよ…とまぁ見ている間ずっと文句が止まらない訳で…今年も春が近づいてキツネがルールルルルーな訳で…ぼかぁ見たのを後悔した訳で…
画面はとにかく綺麗に仕上げているのでそれで何とか最後までもったかな
″愛 ″の形を知ることができた。
豊(西島秀俊)には婚約者の光子(石田ゆり子)がいたが、豊の出張先で知り合った沓子(山中美穂)とのカラダの関係から始まったタブーの恋の物語。一昔前の恋ストーリーであり、観てる側はその世界に吸い込まれると思う。
豊と光子は決まった時間に電話をするが、沓子と関係を持つと、電話に出られなかったり、光子との電話で、『光子』のことを、『沓子』と呼んでしまったりと、ハラハラするシーンもあり、飽きずに見れた。
世間一般では、豊と光子の関係こそ純粋な愛であると言えるが、豊と沓子との関係はタブーであるけれども、豊と沓子の二人の世界ならば、それも立派な愛の形だと言えるその世界に引き込まれた。
愛された思い出、愛した思い出
映画「サヨナライツカ」(イ・ジェハン監督)から。
「辻仁成のベストセラー恋愛小説を、辻の妻・中山美穂を
主演に映画化。」のコピーにつられ鑑賞してしまった。(汗)
いくら職業が女優とはいえ、自分の妻をR15指定の映画に
出演許可する夫・辻仁成さんの気持ちが理解できないで困った。
さて、話は映画に戻るが、選んだ気になる台詞は、
「愛された思い出、愛した思い出」としてみた。
正確には「人間は死ぬ時、愛されたことを思い出す人と、
愛したことを思い出す人に分かれる」である。
さぁ、私はどっちだろう?と考えてみたが、
本音で「正直、わからない・・」としか言えない。
死ぬ時に、そんなことを考えるかどうかもわからないから。
「一所懸命愛したし、一所懸命愛された」と感じていれば、
どちらでも良いような気がしている。
結論が出ないから、もう1つご紹介。
「好青年なんてウソばっかり。
好青年はこんなことしないでしょ。」と言いつつ、
キスしてしまう台詞の方が、インパクトあったかなぁ。(笑)
軽い
原作を読んで、ちょっと映画も観てみたいと思いましたが、中山美穂が綺麗とも思わなかったし、
原作を読んでなかったら入り込めなかった。
ただの軽い不倫にしか。
25年後のキャストの姿も不思議だった。
顔だけでなく、首や手にも年齢は出るはずだし。
原作のほうが好き
なんていうか。。。
原作と違う!って思うところが結構あったのがショック。
光子のイメージというか性格がなんだか曲げられていた気がして
イチバン悲しかった。
でも、映像としてはなんだか魅せられたところがたくさんあった。
ドキドキするようなシーンもいっぱいあったし。
恋がいつ実るかなんて誰にもわからない。
それが半世紀あとでもいいと思う。
わたしは待てないけど(笑)
CM効果により感動半減
CMでの効果や、中山美穂さんという大女優出演、中島美嘉の歌、この条件から、期待は大きかったが、最後まで見た結果、意外と感動が薄かった。
先入観が無かったら、少しは評価も上がったけれど、個人的にハッピーエンドじゃないとすっきりしないのと、きれいな女性が、最後メイクで上手に老け顔になっているのが、個人的な価値観で評価ダウンになったのかも。
珍しくすっかりハマっちゃいました!
映画って、制作する立場(監督や脚本家)からすると、初期設定が一番重要なんですよね。その設定項目のひとつが、原作にとことん忠実に描くか、それともどこかを削る、あるいは足して原作に手を加えるかの決断です。この初期設定を間違えると制作途中でも至る所で迷いが生じ、結局中途半端な作品に終わってしまいます。原作に手を加える理由は、原作に忠実にしたくても映像では技術的に、あるいは出来ても制作費の限界で描けない場合と、そもそも映像では伝えられない、もしくは変えた方が原作を超越した作品に仕上げられるといったことが考えられます。『サヨナライツカ』の原作をお読みになるとお分かりの通り、映画と原作はストーリーの流れでは概ね似てはいますが、登場人物の心理背景を支える重要な要素が異なっていますから、私はこの作品も映画と原作は似て非なるものであると考えています。
例えば、突然部屋に入り込みスカートを手繰りあげて沓子が豊を誘惑するあの最も妖艶なシーンも、また、豊にアプローチした本当の理由や背景も違ってますし、中軸からの重要な意味を与える光子と沓子の面会シーンは原作にはありません。また、ラストに誘う沓子の本心をしたためた手紙も映画にはありませんし、映画では最後まで意味ありのホームランボールも空港カウンターの移設成功話や同僚を殴る喧嘩のシーンもありません。まして、沓子が豊に惹かれた理由になっている豊の夢についても原作では触れられていません。なので、よく原作を読んだ後に映画を観るとあまりに違ってがっかりするということが、この作品にも十分起こり得ると思われます。しかし、単純にどちらが良い悪いという話ではなく、作者、そして映画の制作者がそれぞれの媒体の特質とまたその限界を知って何を一番表現したいのかという感性の違いがあるのであって、あとは読んだ人、映画を観た人の受け取り方に任せられればそれで良いと思います。つまり、それぞれが別個の芸術作品と私は受け取っています。
さて、その観点を持ってこの映画を観ますと、もちろん、私は制作に関わった訳ではありませんし、直接、関係者から聞いた訳でもないので憶測の粋を出ませんが、原作と似て非なるものになった理由として・・・
1.ラストに登場する沓子からの手紙はこの物語を完結させるために重要だが映像では長過ぎて使えない。その理由から全体のストーリーを映画用に描きやすいように変えた。
2.制作側が中山美穂に対する思い入れが非常に強くて、彼女の魅力を最優先したかった、あるいはしなくてはならない背景があった。結果的に原作のストーリーによる繊細な心模様の移ろいを忠実に描かずに、主人公を如何に魅力的に映像表現するかを優先した。
3.もともと原作を忠実に描くには無理があり、映画には長過ぎた。
といったことが考えれますが、単純に制作費用が十分になかったのかも知れません。現在、日本の映画業界はシネコンのおかげで多少の復興を感じさせてはいても、映画館での集客はまだまだ足りなくて、外国に比べれば制作費はすずめの涙です。そう考えると、韓国制作だからこそ世に送り出せた背景に複雑な思いを感じながらも、この作品が完成するまでの紆余曲折を支えたスタッフに私は敬意を表しますし、そこに多少違和感を感じる部分があったとしても、この作品は映画として十分立派な出来映えと思えるのです。
私の場合、映画を最初に観て、それから原作を2回読み、そしてまた映画を観るという過程を辿ったので、今では映画も原作も似て非なるものとしながらも、それぞれの魅力にハマッています。
ちなみに、当たり前のことですが、ストーリー仕立ての自然さ、細やかな登場人物の心境の変化や人柄、そしてこの作品のファンデメンタルなテーマである「人は死ぬ時に愛されるたことを思い出すか愛したことを思い出すか」という恋愛観、いや人生観の答えに辿り着くまでの計算尽くされた読者への問いかけや作者のメッセージは、明らかに原作に軍配が上がります。この辺は辻 仁成さん、さすがです。個人的には恋愛のバイブル的な深い教訓を与えてくれる不朽の名作と呼びたい位です。
そして、映画は、日本人監督ではあり得ない大胆なカメラワークや表現方法に若干違和感はあるものの、それがこの映画の中のいくつかのハイライトシーンを際立たせているとも言えます。初回はストーリー展開と俳優の魅力に引き込まれて気がつかなかった登場人物のひとつひとつの台詞や目の動きを含めた表情や仕草、それと何気ないシーンやカットにも、2回目では、イ・ジェハン監督がこだわり抜いた数々の細やかな仕掛けを発見し、そのこだわりの妙がこの映画全体に少なからず影響を与えていると感心しました。
この作品のような恋愛の実体験のない方には、登場人物の生き方、考え方が理解出来なかったり、濃厚なラブシーンも抵抗があるかも知れません。私はそれはそれで幸せだと思います。計らずも、私には豊と似たような体験があり、豊同様、その人を愛したことに一生喜びと感謝を覚えながらも、一生それを背負って行かなくてはならない辛さがあります。けれど、ひとつだけ『サヨナライツカ』と違うのは、私はまだ彼女が生きている間に「愛してる!」と言えたことです。
恋って切ない
人は死ぬとき愛したことを思い出しますか?それとも愛されたことを思い出しますか?
この言葉がこの映画の大きなテーマとなり、見るヒトの心に問いかける。
たった3ヶ月だったが、決して結ばれない2人が激しい恋に落ち、やがてかけがえのない存在と知る。
逆にそういった障害があったほうが、愛が燃えることもあるんですが…。
25年も経ったのにお互いの気持ちが変わらないって凄いと思った。
あの時の中山美穂の演技がとても切なく、男だったら間違いなく抱きしめたくなる。(笑)
自分の夢の為なのか沓子と別れた豊だったが、夢をつかんだ頃、沓子のいない人生に虚しさを感じ、それが自分には妙に伝わって、あの時なんで別れたんだろうって後悔したんじゃないかな?
自分の気持ちに気付くのが遅すぎて男は後から後悔したりするんです。(悲)
でももし、お互いがそんなヒトに出会えたらそれだけで幸せなことですね。(願)
男ってバカだね
豊と沓子の激しくも悲しい愛を描いた作品としては、浅薄な印象が否めませんが、沓子と光子、それぞれの愛の形を描いた物語として見ると、なかなか深いものがあります。
中山美穂より石田ゆり子の方がタイプだから、というわけではありませんが、自分的には光子の愛の形に一番心を打たれました。
自分自身が「愛すること」を大切に、静かで力強い光子の愛。その強さゆえに批判も多いようですが、ほとんどスポットが当たらない豊との25年間の生活を通じて、彼の「夢」を支えたのは他ならぬ光子の愛であったはず。
片や、情熱的で、行動的で、泣いたり、けなげさを見せたりと万華鏡のように表情を変えて、それはもう男心を揺さぶって止まない沓子の愛。密かに待ち続けた豊との再会を経て「愛されたこと」を胸に抱きながら、きっと幸せな最期を迎えたことでしょう。
二人の愛の深さに優劣はつけられませんが、ある意味、どちらも女の情念の深さを思い知らされます。
それに比べて、豊を通じて描かれているのは「不倫の恋に溺れる男」ですね。
いや、確かに男は沓子のような女に弱いし、同じ男として気持ちはよくわかる。わかるだけに、ちょっとイタかった。
空港で詩集と写真を豊に手渡した光子のメッセージは「愛は儚いものだから、私は求めません。あなたを愛したことで私は十分幸せだから」だったと思うのですが、果たして「老いらくの恋」状態の彼に伝わったかどうか・・「何だよ、知ってたのかよ・・やっべーな」位か?
また、再開シーンでの「NYでも君を探したんだぞ!」なんてセリフは、いい歳してあまりにも光子の存在に対し失礼じゃないですか!
ラストシーンでリフレインされる「愛してる」も、欲しいものを手に入れ損なった子供のちっぽけな感傷としか思えません。
飛行機を飛ばす夢が、いつか社長の椅子に置き換わり、それが成就すると、今度はかつて失ったものをもう一度手に入れようとする欲深い男(だからこそ社長にまでなれたんでしょうけどね)・・「好青年」というのも皮肉ですね。
そんなヒマがあったらしっかり光子の愛に報いなさい、と言いたい。
そうすれば息子も見直してくれますよ(笑)。
ダラダラと長い。。。
不倫のお話ですよね。
基本的に不倫は好きじゃないので、こういうお話は
好き勝手なことしておいて、その行為に対して正当な理由付けしてんじゃないよ!って
思うくらいでしょうか?
そもそも、確かにミポリンは年のワリにはやっぱり綺麗でしたけど…
(原作は知らないけど)目の前にいると息が詰まるほど妖艶な女性って設定の人には見えなかったし…
(第一、そんな良い女があんな男にのめり込むのか?)
豊役の西島さんも女性の人気を独占するって程素敵な人?って感じで…
全く話に乗れなかった。
もし、当初の計画通り行定監督でやってたらどうだったんだろう?って
思いがどうしても拭えないですし…
25年後の話っていうのも必要なんだろうけど…
何だかダラダラクドイ気がして、いい加減早く終わらないかなと
思って見てました。
そう…やはり同じ人で演じる30歳くらいと25年後の姿って
かなり違和感が有りました。
女性はあんまり変化無しだし…
石田さんは若い頃のメイクがまゆ毛が短くて変だったし
男性も…特に加藤雅也が笑わせるところなの?ってくらいに変な老け方でしたよね。
それは契約上、老けるメイクは困る的な何かがあるのでしょうか?
こういうダラダラ映画って韓国の映画に有りがちな作りなのでしょうか?
消しゴムでは男優さんが良かったので泣きましたが
これは…ナシですね。
欲の出し方捉え方。
この辻仁成という作家さんが好きか嫌いかは別として^^;
なんだかいーっつも同じような展開だよなぁと感じる。
よっぽど三角関係とか、お好きなヒトなんだと思うのだが。
しかしこれだけ女心を鷲掴みにする話を書けるというのは
(皆さん物音も立てずに真剣そのもの!シーンとした劇場)
凄いなぁと思う。結局はお前が悪いんだろ!的な男性欲を
いーえ怖いのは女性の方なんですよ?と畳みかける凄さ。
だって恋愛には良いも悪いもないし、上手いも下手もない。
いつ誰を好きになってしまうかはどうしようもないことだし、
絶対。とか、永遠。とか、あり得ないから固執したがるのだ。
冒頭の詩のように、サヨナライツカという考え方を持てれば、
「あーそういうものなんだよね、確かに恋愛ってやつはさ。」
と思えるが、皆がそれだけ冷めていれば修羅場などない。
私には思ったほど嫌悪する内容でもなかったが、
自身にそういう経験がないせいか(あったらけっこう怖い^^;)
どの誰にも共感できる部分が見当たらず、しかしこんな風に
自分の想いだけで肉欲的に相手を攻める方法もあるのかと、
なんだかおかしな部分で感心してしまった(爆)
久しぶりに見る中山美穂は相変らずキレイで(かなり細いが)
彼女を撮る!?という勢いは感じられた。ただ魔性~という
感じでもないし、尽くす段に至っては案外普通の女になった。
どちらかというと石田ゆり子の方が私は怖かったんだけど^^;
自身がそんな経験のある家庭に育ったからか、妙に冷めて
描かれているのが不気味で、ラストはけっこう凍りつく感じ。
いやまぁ、自分がその立場なら辛いのは分かるんだけど…
オンナってこういう一面もあるのよ。うふふvってことなのか。
さて、西島くん…。
彼は大沢たかおの代役?的立場だったみたいだが、
モテモテ男とか好青年とか、どこか微妙に違う気がして(汗)
確かに巧い俳優なんだけど、どちらかというとマニアックな
クセのある役作りをするタイプだと、私は勝手に思っている。
なので…^^;ホント、お疲れさまでした。
そういえば最近、愛憎まみれの役どころが多いですね!?
(迷った時の選択方法。うーん。映画なら直感なんですが^^;)
きれいな映像
色がきれいな映像は韓国映画の様である。キャストは日本人ながら、音楽や色、景色は日本人ともちょっと違うアジアンテイストあふれる映画。後半の特殊メイクの仕上がりや沓子の幻の残像などは精度が低く残念な仕上がりに感じた。ストーリーは単純であるが、原作からの引用なのか、セリフが口語ではないな、と感じる箇所が何箇所かあった。
ストーリー全体を通しての映像というよりはカットカットの映像を楽しめる映画である。
ジャパンプレミア
原作を読んでないのでピュアな気持ちで観る事が出来ました!
アイドル時代の中山美穂のイメージが残っていたのでまさかここまでセクシーに魅力的な女性を演技できるとは正直思ってなかったです。
かなり濃厚なシーンから始まるのですが今の年齢(経験)だから演じられると思います。
沓子(中山)は大胆に豊(西島秀俊)に迫っていくとこから始まるのではじめは遊んでる女性と思わせながら実は一途な愛を貫き通す生き方なんですが
25年間ももう1度逢えないかと言う思いだけで愛を育んだ場所で待ち続けている沓子(中山)の気持ちは共感できました。色んな恋愛の形があると思いますが沓子(中山)みたいな愛し方をする人が今は居なくなったような気がします。最後はもう少し幸せな時を過ごして欲しかったのですが・・・
一番聞きたかった言葉
試写会にて
「その一言を言うのが、そんなに難しかったの?」
沓子(中山)の、この一言に、涙が出てしまった。
そして、原作にない沓子と光子(石田)のシーンは、
光子の言葉に、観ていて沓子が痛々しくなってしまった。
ゲームのような、火遊びのように始まった事が、
二人にとっての永遠となり、もがき苦しむ事になり・・・。
豊(西島)の身勝手態度が、本当に鼻に付く。
序盤の自信たっぷりな豊は、上手く表現してたし、
沓子に対しての突き放しっぷりは、原作よりムカついた。
25年後の3人の老けっぷりは、ちょっとビックリした。
手のシミとか細かいな~と思いました。
あと、自分は3人のどの気持ちにもなれないと思いました。
個人的には、原作より本作の方が好きなんだけど、
不要と思われるシーンが多いので、あまり興味がないと
観てられないんじゃないかな。。と思われます。
あと、やっぱり文字通りの中山美穂の「体当たり」作品。
アイドル時代など知っているファンにすると、かなり衝撃的。
以前の映画化の時は、情交シーンは、この作品に不可欠なので、
この役は中山美穂では無理と思ってました。
しかし、時が流れ、年齢や経験によって、今回の映画化。
「よくやった!」と思います。そして、沓子の心情がとても伝わりました。
絶対観てほしい!とは言いにくいけど、
ただ一人の人を会えないまま、25年思い続けることの意味を
考えられる作品だと思います。
タイに行きたい!!
西島さんのフアンで映画欠かさず見てています。ミポリンもドラマ眠れる森でそのひきつけられるような眼力がいまだに焼き付いています。今回も健在です。今までと違うのはかなりなラブシーンでしょうか?ちょつとついていけないところもあるけど
映画見てて奥さんの考えていることが一番分からなくなりました。主人公二人はあまりにれないに対して純粋なのですが、、、
今原作読んでます。
出来たらお二人の挨拶でもう一度見たいです。
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