久方ぶりの望月六郎の映画に期待して劇場に足を運んだが、彼のエロスへの執念はいささかも衰えていなかった。日本では数少ないスタイリッシュなエロスのミューズ杉本彩の、生々しいほどにエロスの精気が迸るすばらしい姿態を満喫させてもらった。
ストーリーは、吉への永遠の愛を懐に抱いた阿部定が、時空を超えて、吉の生まれ変わりであるカメラマン・イシダ(中山一也)を掌中に招き入れ、吉への愛を完遂するというだけの話。その過程に登場する、ヌードモデル(好演!!)、定の夫を名乗る老人オオミヤ(内田裕也)、突然登場する裁判官(江守徹)、検察官(村松利史)などは、すべて狂言回しにすぎない。とにかく、ひたすら求め合い、愛し合う定と吉の情欲、情炎、情痴こそが、この映画のすべてだといっていい。その意味では、望月六郎の演出は間違ってはいないし、ある意味成功していると思う。しかしながら、時にかなり退屈であくびさえ出てしまうのは、即物的なエロスの描写とは対極にある、人間の業というべき情欲の観念を強引に押し出そうとする脚本の凡庸さにほかならない。
時空を超えた愛と情欲の観念がエロスを支配するという武知鎮典の脚本は、かつて「IZO」で彼が試みたのと同様のパターンを踏襲するものだ。武知は、「IZO」で果たせなかった自らの観念論の映像化に、ここで再び挑戦したのかもしれない。はたまた、武智鉄二への献身的なオマージュなのか。しかしながら、それらは完全に失敗に終わっている。やたら意味もなく登場する白塗りの黒子たちは、完全に映像の流れを断ち切ってしまっているし、内田裕也演じるオオミヤ老人の口から発せられる観念論はスベリまくるというか、うざったいというしかない。それにしても、今回も完全に棒読みの台詞が痛々しいロッケン爺い、なんとかならないのか。
女優にとって最も厄介な羞恥心というものを小気味良いくらいに捨て去った杉本彩の定は、もう一度観てみたいと思えるほどの好演だ。こんな定なら、シリーズ化して何度でもよみがえらせればいいんじゃないかと思う。
最後に、軽妙な立ち回りと魅力的な肢体が印象に残るヌードモデル役の女優さんの名前が、公式ホームページやチラシのキャスト欄にないのはなぜなのだろう。実に不思議だと言っておきたい。