脳内ニューヨークのレビュー・感想・評価
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00年代の重要作にも位置付けられる奇妙奇天烈すぎる一作
天才脚本家チャーリー・カウフマンが、スパイク・ジョーンズのために執筆した脚本でありながら、彼が他の企画に時間を取られなかなか身が空かず、「そんなら俺がやろう!」とチャーリー自らが監督業に乗り出した記念すべき作品がこれだ。
地味で真面目ながらも「00年代で最も重要な作品のひとつ」と評されるほどどこまでも中身が濃い、そして深い。ポストモダンという一言では決して片付けられず、むしろ「誰かが誰かの役を演じる」ことを通じて、没入したり、俯瞰したり、はたまた視点をガラリと変えながら、どこまでも不可思議な演劇実験を繰り広げていくという内容である。
一度に理解できなくても構わない。観るごとに気になるポイントや、受け止め方も変わる。これほど本作のことが好きなのに、奇妙なことに未だに全く掴みきれてないどころか、掴める気配すら微塵も感じない。それが人生。それでいいのだと、力んだ体をふっと緩めてくれる作品だ。
物語らない、そういう物語です、は駄目だ。
そういう構造の話しにする意図は分かるが、
ベースの物語が凡庸で悲痛で面白くない。
話しの構造が面白いでしょ?だけでは映画にならない。
都市生活者の悲喜交々ならWアレンの味わいが欲しいが無理な願いか。
物語を定められないから物語らない、そういう物語です、は駄目だ。
NY無間地獄
虚構と虚構の間に一瞬だけ浮かび上がったリアリティさえも次の瞬間には虚構の一部となって色褪せていくやるせなさ。少しでもものを創ろうとしたことのある者であれば身に覚えがあるはずだ。
何をしても行為そのものばかりが、そこに込めた思いばかりが拒食症患者の骨格のように浮かび上がるあの無力感。自分がやっていることはあくまで人形遊びの範疇を出ず、そこに他者との生き生きとした交感などというものは存在しないのではないか。そう考えると途端にすべてが虚しく思えてきて、何もかも手につかなくなる。
メタ描写なんてのは一番の悪手だ。メタを重ねれば重ねるほどリアリティは遠のいていく。でも仕方がない。できることはそれしかないのだから。ケイデンはメタを重ねるごとに芸術者としての価値を減じていく。いや、これは彼なりの、ある種の自己破壊だったのかもしれない。リアリティを史上の価値とする芸術なるものからの脱却、そのための自己破壊。
しかしそれもうまくはいかない。どれだけ自我崩壊の断崖をふらついても、ケイデンはそれすらも結局のところ新たなる脚本のアイデアとしてメタ化してしまう。まさに無間地獄。永遠に逃れられない円環。もちろんそこには他者の温かみなどない。
この不毛なる堂々巡りから脱却できる手段は一つ。ケイデン役の老人がそうしたようにすればいい。つまりビルから一思いに飛び降りる。つまり死ぬ。
まあ、誰もが簡単にそう決意できるのであれば、わざわざこんな映画撮らないんだけどね…という死ねなかった臆病者の視点から綴られる痛切な創作苦悩論。
頭が痛くなる映画(褒め言葉)
すごく好きな映画の一つ。
舞台監督の主人公が、ニューヨークそのものを舞台に描こうとする物語。
日常ニューヨークで起こったこと、見かけた人物などをどんどん舞台に反映していく。
ついには主人公役の俳優まで用意して、主人公が作った作り物のニューヨークの中で作り物のニューヨークを作る主人公役の俳優という非常にややこしい物が出来上がる。とても頭が痛い展開。
この混乱が心地良い。レンタル屋に行くとコメディコーナーに置いてあることが多いが全くもってコメディでは無いです。
お脳の中身拝見します。
ハゲでおデブなのに、なぜかサマンサ・モートンやミシェル・ウィリアムズにモテモテな
フィリップ・シーモア・ホフマンが自分の人生を舞台化しようとし
NYの街とソックリな舞台装置を巨大なドームの中に作るという途方もない話。
劇中劇につぐ劇中劇で、メタりまくり、途中でわけがわからなくなりますが、
とにかく切迫感がすさまじく、息がつまりそうでした。
おそらく、もっと若い時に見たら理解できなかったと思います。
脚本家の初監督作品だからか、時系列の混乱とちぐはぐなつながりは
好みがわかれそうですね。
しかし、まさにそれこそが不条理な人生そのものでは?
83点。
どうもKaufmanは好きになれない
「マルコヴィッチの穴」、「エターナル・サンシャイン」は比較的わかりやすくて好きなのだが、「アダプテーション」ももう何がしたいのか全然わからなくて、僕にとってKaufmanとJonzeは当たり外れが大きい。これは外れとまではいかなくても全然魅力がわからない。入れ子構造になっていくというところは面白い。
受け止められる人、受け止められない人
この映画はストーリーを追いかけようとしてはいけない。起承転結も整合性も現実と妄想の堺も気にせず、ただただ、演技とセリフを追いかけていけばいい。
前半の主人公が苦悩し悩むプロットは見ていて辛い。でも舞台を作り始めてからは、主人公の(監督と脚本家の)脳内から作品への発露が起きる。後は演技とセリフを受け止め、そこで自分にわき起こる感情を1つ1つ積み上げていけば、最後に何かが心に残るはず。もう一度観ればまた別の何かが残るかもしれない。
この作品は、各所のレビューを見ても賛否両論が激しい印象を受ける。作家系の人のほうが内容を受け止めやすいと思うので、それが原因なのかも。
予感的中・・・
嫌な予感がしてたんです… でも観てみたんです… そして予感は的中なのです…
これは残念ながら映画として成立してるとは思えなかったですよ。不自然さを際立たせた脚本や演出は意図的なもので、その不自然さ自体が表したいことなのでしょうけども、それによって得られたものはほとんどなかったように思います。後半に各役者に語らせている内容が伝えたいことなのだとしたら、こんな演出は必要ないし、そもそも語らせる必要さえなかったように感じてしまいました。
あまり、こういう感じの映画が流行ってほしくないなぁ…
紡がれる人生の糸
噂に聞くチャーリー・カウフマンの世界観を初めて体感した。
第一印象は、エンディングの技量の高さだ。
一見すれば脈絡の無い映像群を1つに集約し、前向きなメッセージを残し締めくくる。
この映画のあらすじを語れと言われたらそれはとても難しいことだ。
しかし、観終えた後には映画を観たという感覚が残る。
それは、このエンディングの巧みさ、脚本技術の上手さがあるからだ。
"人生"を大局に捉えるその主観でも客観でも無い視点は理由は分からずとも自然と引き込まれていく。
"人生は誕生"、"人生は成長"、"人生は苦難"、"人生は喜び"、そして"人生は死"。
紡ぎ出される個人個人の人生の欠片はやがて溶け合い1つに還る。
例外は無いのだと作品は語る。
全ての人間の"不偏"というテーマに対して敢えて演劇のセットや摩天楼、人工の産物で挑んだところにカウフマンの挑戦を感じる。
ビデオ屋でなぜかコメディ扱いのこの作品
Synecdoche, New York
エターナル・サンシャインのCharlie Kaufman初監督作品×Spike Jonze制作
きっとこれは好き嫌いがはっきりわかれる映画だと思う
頭の中がこんがらかってしまってうまく言葉で言い表せない
あれこれ語るよりは見てもらってそれぞれで考えてほしい
ただちょっといまのわたしには難しすぎたみたい
もう少し大人になったらもう1度みてみたい映画
― この世界にはたくさんの人がいて、その誰一人もエキストラではなく
それぞれの人生の主役だ
―誰もわたしの悲劇に耳を貸さないのは
みんなも悲劇のなかにいるから
監督の自己満足の世界観。
いわゆる映画通、知的単館系の好きな方なら高評価なんだろうが・・・
はっきり言って映像化された世界観は監督の脳内で完結されており、第三者として(観客として)観た場合は完全に取り残される。
これは、私がアホだからか?
時折差し込まれる映像はシュールではあるが、映画的な面白さがあるかといわれれば、無い。
「マルコヴィッチの穴」のほうが数十倍、映画としては魅力があった。
この作品は、なんだか映画通を気取る方々が「なんか良い映画ない?」って聞かれたときに気取った感じで「脳内ニューヨーク」って答えそうな作品だ。薦めた張本人たちも理解してない。
薦められた方々も、ちっとも面白くないのに「良かったよ」なんて気取って答える映画。
そんなのは、はっきり言って偽善だ、欺瞞だ、最低だ。
出演陣は豪華布陣だけど、個人的にはアウト。
久しぶりに地雷を踏みました。
現実と虚構、メビウスの輪
理解できたかと聞かれると困るけど、どうにも好きな感じでした。
主人公ケイデンは、表側のしんどい現実と裏側の現実にそっくりな虚構を、メビウスの輪みたいにくっつけ取り込まれてしまったのかも知れません。
表も裏も人々に踏み荒らされ繋ぎ目が曖昧になり、でも時々は純粋な現実が突きつけられ、それはすぐさま虚構の世界ににじんで…。
静かに混沌が広がって、裏側だけになったのでしょうか。
ある種の芸術家の頭の中って、こんななのでしょうか。
おおげさだけど、映像化不可能と言われる類の文学がいきなり脚本として現れ、才能の結集でフィルムにその姿を残したんだと思いました。
中毒性がありそうな危険な気配、気をつけないと。
面白いわね、女なんて面倒なのに
映画「脳内ニューヨーク」
(チャーリー・カウフマン監督)から。
正直、映画自体は、よくわからなかった。(汗)
最後まで、何を伝えたかったのかすら・・。
ストーリーと関係ないけれど、面白いシーンはあった。
主人公は、妻と子どもに別れを告げられ、
精神的に参っていたのはわかるけれど、
「女になれれば楽なのになぁ・・」的なことを口にする。
それを聞いていた、ある女性。(役柄も忘れたけど)
「女に?」と訊き直す。
「向いているかもしれない」と弱気になっている。
そこに、変わったものをみる目で呟く台詞。
「面白いわね、女なんて面倒なのに」
このフレーズが面白くてメモをした。
「女は弱いもの・楽に生きている」と決め付けて、
男は、よくこんな台詞を使うけれど、大間違いらしい。
こんな面倒な生き物「女」なんて、やだやだ・・
そんな嘆きが聞こえてきそうだが。(笑)
でも、不思議なことに、生まれ変わるとしたら、
「男になりたい」と思う女性は少ないらしい。
女なんて面倒だけど、男はもっと面倒みたいだな、と
どこかで気付いているようだ。
それにしても、よくわからなかった・・ふぅ~。
理解しようとする方が難題かも。。。
フィリップ・シーモア・ホフマンに期待しつつ、観てみましたが、思ったより難解な作り。。。
単純に考えれば、そうでもないストーリーだけど、深く入り込んでみる、というより、半分絵画を観るような感覚で、流しながら観るといいかも、です。
もやっと感は残りますが、秋にちょうど良いかもw
混沌と深い闇、そして救い
見終わった直後の感想は
複雑・寂しい・悲しい・・だったが
しばらくして、じんわりと気持ちが温かくなっていくのを感じる
この映画は筋を追う事には、あまり意味が無いのかもしれない。
いつかは死が訪れるという恐怖
愛する人と別れなければならない悲しさ
人生が徒労の連続と知る空しさ
求めても得られない苦しさ
そして、無常観・・
心の奥底にかかえている闇が露わにされていき
収拾がつかなくなってきたところに、
チャーリー・カウフマンからのメッセージが
仏陀の対機説法のように様々な言葉で届けられる
ゆがんで見えなくなってしまった自分の心と対峙したくなった時に
またこの映画を見たくなるのかもしれない
頭がぐるぐるぐる…「カウフマンの穴」にこそ入ってみたい
『マルコヴィッチの穴」の脚本家カウフマンの監督デビュー作!ということで期待大だったのですが…
ちょっと期待しすぎたかなあ、と。
いえ、もちろん、決してつまらないというわけではありません。
むしろ、マルコヴィッチやエターナル・サンシャインで描かれていた、
人間の脳の中で展開される大妄想大会の純度がMAXまで高まって面白いのですが、
「ついていくのに疲れた…」という感じです。
主人公は劇作家で演出家のコタード。
マッカーサー・フェロー賞で得た莫大な賞金を元に、
彼は前代未聞の演劇プロジェクトを思いつきます。
それは、NYの巨大は倉庫にNYの街を再現し、
そこで、自分自身の生活を細部まで演劇化するというもの。
とはいえ、コタード自身が舞台に立つわけではないので、
コタードの生活を演じる役者がいて、その役者に演出しているコタードを演じる役者もいる…
そして、この舞台がいったいどこから始まって、どこで終わればいいのか、コタード自身にもわからなくなり、
やがてリアルな生活そのものが虚構の舞台に飲み込まれていき、
気づけば上演されないまま、みんな年老いて…
と、こう思い出して書いているだけで、頭がぐるぐるぐる。
ほんとに悪い夢に入り込んでしまったような、、、
笑いとしてはかなりダークですが、その分、チャーリー・カウフマンのねじくれきった感性(←いちおう誉め言葉)と
頭のよさをいやと言うほど堪能できます。
こんなストーリーを考えつく「カウフマンの穴」にこそ、入ってみたいですよ、、
絶妙のバランス感覚
チャーリー・カウフマンとスパイク・ジョーンズ。そしてフィリップ・シーモア・ホフマンが出ていて、面白くないわけがないでしょ。と思ってみたら、案の定、ずっぽりつぼにはまりました。
メインストーリーの発想もすごいけど、それよりも演出にうなりました。途中、意味もなく出てくるギミック。意図的に混乱させるような時間軸。劇中、ちりばめられたアートな映像。そんなシュールなディテールに反して、死生観を描写しつつ、最後は愛だなんていう古臭い使い古されたメッセージ。そのバランス感覚がすばらしかった。
見る人を選ぶかもしれないけど、マルコビッチの穴が好きで、デビッド・リンチを愛する人なら幸せになれる映画です。5000円
全26件中、1~20件目を表示