「東京に映る我々」TOKYO! 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
東京に映る我々
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①東京という空間は、ある意味においては優しく、そしてまたある意味においては暴力的に、あらゆる人間を等価な記号として街の雑踏に還元する。もしこの自浄作用を押しのけて「個人」を取り戻したいのならばそれ相応の力が要る。この街で我々が代替のきかない我々であるためには、我々は何者かにならなければいけない。周囲に対して何らかの価値を示し続けなければいけない。映画監督でも、画家でも、音楽家でも、あるいはバス停のイスでも。
②高度経済成長の中で人々の意識の中から徐々に後退していった戦争責任を今一度呼び覚ます。その契機となったものが赤毛の白人男性によるテロリズムであったことからは、もはや「反省」は我々日本人の内部からは起こり得ないだろうという乾いた諦観を感じた。しかし本当にそうなのだろうか?疑問が残る。
③何もかもが電話一本で事足りてしまう時代、人々はいかにして他者と関係を構築していくべきなんだろうか。殊に個人主義があらゆるところに張り巡らされた東京の街にあっては、引きこもりという態度を否定してくれるものは何もない。ピザ屋の配達をしていた可愛い女の子に恋をし、住所を探り出して一方的に部屋のドアを叩き続ける元・引きこもりの主人公の行動は、法や倫理に照らし合わせてみればもちろん許されるものではないが、この強引さこそが人と人を再び繋ぎ直す唯一の手段なのだ、という悲壮な切迫性を感じざるを得なかった。
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