歩いても 歩いても : インタビュー
「誰も知らない」「幻の光」「花よりもなほ」などで知られる是枝裕和監督が、自身の母親の死をきっかけにして撮りあげた温かくも哀しいホームドラマ「歩いても 歩いても」。阿部寛、夏川結衣、YOU、樹木希林、原田芳雄ら豪華キャストが出演した本作について映画評論家の森山京子氏が話を聞いた。(取材・文:森山京子)
是枝裕和監督インタビュー
「日常を切り取った映画だけど、ドラマは山ほどあるんです」
――ディテールを描く事に徹底していて、事件らしい事件は何も起こらない。こんな形の映画にしようと思ったのは何故ですか。
「最初から意図してやったわけじゃないんです。母親が亡くなった時、何もしてやれずほったらかしにしていたという後ろめたさがあったんですね。それで、母親に関連したことや母親が家にいる情景を形にして残しておきたくなったんです。一日の中で見えてくるものだけで映画にしようと思ったのは、脚本を書き始めてからです。やってみて分かったのは、こういう日常を切り取った映画だけど、ドラマは山ほどあるということです」
――なんでもないやりとりから、家族の過去が見えてくるところはサスペンスがありますよね。
「ひとつの情報をどのタイミングで出すか、あるいは出さずに粘るか。それによってどんな風に感情が波立つか。そういうことはかなり考えました。例えば良多と息子のあつしが風呂に入っている時、残った女ふたり、姑と嫁の間で微妙に緊張感が高まるとか。最初は観客がどう感じるか不安もあったけど、本読みの段階で、この俳優たちがやってくれるならちゃんと映画になると自信が持てました」
――暗い画面に野菜を刻む音が入って映画が始まるし、見えない人の声も頻繁に入って、随分音にこだわっていますね。
「ほとんどが家の中で進んでいく話だから、画面に映っていない人の声や音をオフで絡めていくことで、空間的な広がりを出そうとチャレンジしたんです。カメラ前の芝居とオフの芝居を同時に録ったので、音声さんは大変だったと思います。でもその苦労のお陰でシーンが生きました。耳を働かせて聞いてもらう映画になったと思います」
――キャスティングですが、とし子役の樹木希林さんは医者の奥さまに見えませんよね。
「そこが大事なんです。夫の恭平は妻に向ける顔と外でよその人に向ける顔が全然違う。彼女は女として愛されてこなかった。それは彼女自身も知っているんです。ふさわしくなかったかな、と。だから良多の嫁に『女はいくつになっても愛嬌が大事』なんてポンと言う。それをすごくやりたかったんです」
――希林さんは相当入れ込んでいましたか。
「気に入っていただけたのかな。この歳でこういう役をやれたのは私の人柄よって(笑)。風呂の中で入れ歯を洗うシーンも、希林さんから言い出してやってくれたんです」
――この映画では、15年前に死んだ長男の存在が、家族に大きな影を落としていますが、あなたの作品はいつも、死が大きな部分を占めていますね。
「言われるとなるほどなぁと思うけど、自分でも分からない。自然にその方向に向かっちゃう。1本目のテレビドキュメンタリーもそうでした。牛を飼って種付けをして乳搾りをしたいという小学生たちを撮っていたんですが、生まれた仔牛が死んでしまった。子供たちはわんわん泣いて、でも母牛の乳は出るから搾らなくちゃいけない。泣きながら乳搾りして、飲むと旨い(笑)。その幾層にも重なった感情を表現した詩が素晴らしく良かった。仔牛の死を経験したことで表現されたもののレベルが格段に上がったんです。野田正彰さんという精神科医が、その著作『喪の途上にて』という本で、人間は喪の途上でも創造的になりうる、その姿は美しいと書いています。僕の中にも、一度何かを失った人間が、そこから立ち上がっていく姿に惹かれる部分がありますね。逆に、とし子のように失ったことが人をゆがめることもある。彼女は失ったものの埋め方を間違ったんですよね。そういう姿にも興味はあります」