ぐるりのこと。のレビュー・感想・評価
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法廷をこうやってみせるとは
タイトルは知っていましたが、初めて見ました。
2000年代の事件の法廷を、名前を微妙に変えて表現しているのは、なるほどと思えた。
木村多江が主演賞をとるだけの素晴らしい演技だったと思う。
ほとんどのキャストは今も活躍を続ける方々で、伝説の映画となっているのも頷ける。
全く共感できず。
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ある夫婦が子供が出来て喜んでたら、中絶するハメに。
これで嫁はんの鬱病が悪化してくが、ダンナが優しかったので持ち直した。
それだけ。
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生真面目に何でも背負い込んで生きてる妻と、いい加減な夫。
その夫婦愛を描いた作品。
おれの嫌いなパターン、ダラダラと目的なく日常が流れるだけの映画。
現実世界の日常が平凡なんで、何かを求めて映画を見てるってのに、
そこで平凡な人間の平凡な日常を見せられるほど退屈なものはない。
異論はあろうが、これが映画を暇つぶしと位置づけるおれの見解。
こういったタイプの映画を「徘徊型」と名付けることにした。
徘徊型でも主人公に共感できれば面白いんやけどね。
でもこの映画は主人公の価値観やポリシーが曖昧なんで退屈だった。
それからとにかく下品なのが嫌。
下ネタが多いし、人を食った話とか、飲食店でツバ入れた物出したりとか。
主人公のオッサンが汚いケツを出すシーンまであったし。
飯食いながら見てたんで、ホンマにやめてくれ思ったわ。
あとようわからんのが、主人公が法廷画家になったために、
頭のおかしい被疑者が悪態をつきまくったりするシーンを何度も目撃する。
それらがが一体何を表現しとるんかがようわからん。
嫁曰く、色々な人がいるってことが言いたいねん、らしいけど、ホンマかい。
夫婦の何気ない日常の中にも色々な起伏がある。結婚生活に夢見ている人...
夫婦の何気ない日常の中にも色々な起伏がある。結婚生活に夢見ている人はこの映画を見てから良く考えた方が良い。
子供を失って、夫が赤ちゃんの絵を描いていたのを見つけて「嬉しかったんだ。言ってくれれば良いのに。」この言葉に色々詰まっていると思った。妻は夫に共有して欲しいと思っている。嬉しいとか、楽しみだねとか。
絶望した先に夫婦で寄り添い合える幸せを感じられる。 多くを語らない夫の、妻への寄り添い方に共感する。
ぐるりといろんな物を見て、ぐるりと心を一回転させて、ぐるりと二人の距離も変化して、そんな10年をぐるりと振り返った映画です。
前を向いたり、後ろを向いたり、上を向いたり、下を向いたり、横を向いたり、大きな感情の変化と気持ちの向かい先が変わっていく中で最後に夫婦が前を向いていることが心地よい映画でした。
ラストの間近で出来上がった天井画を見上げて笑い合う夫婦。
つがいのように二人でいることが当たり前の存在になった安心感があり、これまでの絶望を見ていただけに滲み出る幸福感を感慨深く感じるシーンでした。
と同時に、このシーンを描くための映画だったのかな?とも思いました。
「人の心の中は判らない」でも、判らないからそれでも構わないと、言葉はなくても素のままで居心地の良さを感じられる二人になる。
そんな当たり前の夫婦の幸せを伝えてくれる、そんな純粋さをしみじみと感じさせてくれる映画だったように思います。
「人の心の中は判らない」と言って、夫が待ち続ける姿勢を受け入れられるか?というのは、この映画の好き嫌いにも影響する部分かと思います。
自分は、ひたすら待つ夫に、夫の生き方故の強さを感じました。
もし夫が妻と同じ気持ちを持とうとして、感情の起伏を同調してしまったら?長く先の見えない療養の中で上手く行かなくなる度に苛立ちを感じたら?
きっと妻にとって夫は重荷になり、その先に回復があったとしても夫に対しての劣等感が生まれるように思います。
夫が求めていたのは昔の通りのまっすぐな心で妻が戻ってくることで、帰ってくる場所であり続ける為に、変わらない自分であり続ける事。逃げ出したい思いを伝えずにそれを続けていたように思いました。
それは、何も言わずに憎まれ続けていてくれた父親とも繋がるように思いました。
何も話さないという事は夫が抱えている辛さも背負わされないという事で、そのことにどれだけ守られていたか。
夫が「人の心の中は判らない。」と伝えた意味が、夫自身の苦悩にも妻は気付けていなかったでしょ?と、改めてここで問いかけているように感じました。
楽しいシーンも、重く深く自分を抉るようなシーンも、軽やかに心を取り戻していくシーンも感情豊かに描かれる映画でした。
夫の後押しもあって天井絵の制作に打ち込む妻の姿を描いたシーンは特に秀逸に感じました。
雪の重ね撮りの冬から始まる映像は、穏やかに高揚感のある音楽もあって、時間と心が動き出す流れがテンポよく見る側にも安寧を感じさせる心地さでした。
心無い裁判の数々、夫婦の何気ない会話、書き続けられ溜まっていく絵、そして最後に妻の寝顔を描く夫の姿で終わる事が、変わらない日々の中で穏やかさを取り戻していく夫婦の変化を巧みに表現していたように思います。
思えば夏のシーンが多い映画だったように思います。
夫婦に付き纏う重苦しい感情を夏場の汗や体温みたいなものや、熱っぽい長回しや接写と一緒にして映画の中に入れたかったのかな?と思いました。
でも、この流れるような映像の中では冬から始まる乾燥した澄やかさと共に、妻の暑苦しさの抜けた軽やかな気持ちを描いていたように感じ、そのことがより鬱屈からの解放を感じさせるものでした。
ラスト、どれだけ夫婦が心を回復させても、変わらずに狂気的な事件は続き、痛ましい憎しみがぶつけられていく日々。
それを淡々と伝えることに意味を見出した夫の心境の変化で静かに締める姿が心地良く、この先も続く二人の生活が穏やかである事を感じさせるものでした。
※思うことの多かった映画で、ブログの方では更に色々と思うことを書いています。
※興味を持って頂けたら、プロフィールからブログの方も見て頂けると嬉しいです。
これを観たら、自分を褒めてあげたくなってきた、かな
取り乱す木村多江とやさしいリリーフランキーの再生物語。
裁判傍聴記+。
まあ、食事の気持悪さが先に立つんですけど、とんかつと味噌汁とカレーがたべられなくなっちゃった。
木村多江なら、優しく出来るかな、安藤なつとかだったら首締めてるかも。
なんだかんだで、一期一会とうことでしょうか、出会いは大事ですね。
それと不幸自慢はみっともないな、上には上がいるからね、それは感じた。
新井浩文は演技じゃなくて、地だったんだね。
食事のシーンだけとばしてみたら、多分、名作だと思いますよ、多分。
本作は長く結婚生活をおくった人向けのR40のような映画ではないと思います これから結婚しようという人にこそ見て欲しいと思うのです
裁判は写真を写せません
だからスケッチします
しかし絵には写真には出てこない、対象の内面を感じとった絵描きの解釈があるのです
だからその人物の本質が、時に写真よりも写実的な場合があります
カナオは裁判で「ぐるり」と法廷内を見渡します
描くべき対象人物と様々な関係のある人物が目に入ってきます
描くべき対象人物と、目に入った人物の間にはどのような見えない感情があるのか?
自ずと観察はするどくなり、彼は人間の理解について毎日訓練を積んでいったのも同然なのです
そして劇中では子供の死に関係する裁判が多いのです
それが、彼の脳裏に子供を喪うことがどれほどのダメージを受ける事なのかを刻みつけた裁判だったということです
そしてその心をさらに傷つける事の残酷さも学んだのです
この夫婦は結婚式を挙げていません
かなり前から同棲していたようです
妊娠したので籍を入れて夫婦になっただけのようです
では赤ちゃんを喪ったとき、二人を繋ぐものは一体何なのでしょう?
二人で結婚生活を続けていく、夫婦として一緒にいる意味は何なの?
突然見失ってしまったように翔子は感じたと思うのです
もしカナオが法廷画家になっていなければ、どうなっていたでしょうか?
きっと冒頭のカナオのあの調子なら、たちまちこの夫婦は崩壊していたのだと思うのです
人って、変わるんだなあって思った
あの台詞は実はカナオのことでもあったです
カナオは法廷画家をする事で人間として成長し、翔子の苦しみを自分のものにできたのだと思います
彼女に寄り添える夫になれたのです
だから彼女を救い出せたのだと思います
名古屋のホテルで二人は、たまたま結婚式終わりの光景に出くわします
翔子は何故だか足が止まりずっーと見てしまいます
それに気がついてカナオは「あんなんやりたいか?」と聞きますが、翔子はううんと否定して行こうかと受け流しました
でも、後のシーンでは二人の家にはその直後に撮った写真が飾ってありました
カナオは気がついたのだと思います
二人の結婚式が必要だったんだと
結婚した証が何か形として目に見える形で残さないとならないのだと
それが無いから不安で彼女は苦しみ続けているのだと
法廷画は主観的なもので、後には残らないものです
写真は客観的で後に残るものなのです
だから結婚式の写真が二人には必要なんだと
金屏風を背にして、あの時に誰かに撮ってもらったのです
それが二人の結婚式になったのです
今の世の中、同棲カップルは多いです
そのまま籍を入れるだけで済まして夫婦になるカップルも、あなたのぐるりを見渡せばきっといるはずです
でもそれだと同棲と結婚かシームレスです
何を持って夫婦になったと心のけじめがついているのでしょうか?
婚姻届だけなら、離婚届けもハンコだけです
いつでもはかなく消えてなくなってもおかしくないように感じてしまわないでしょうか?
何か心の中に結婚したのだと納得できるものが必要なのだと思うのです
それはやはり子供が一番でしょう
でも、欲しいのに子供ができなかったり、本作のように不幸があったときに、一体何が二人が夫婦であると証明してくれるのでしょうか?
自分の周囲で結婚式をしないでおこうと考えていると相談を受けたとき、こうアドバイスしています
小さくて良いし、安くて良いから式だけは挙げた方がいい、最低写真館で写真を残すだけはして欲しいと
結婚式とか結婚写真とか形式そのものです
でもそれが二人の心の中で碇となって、安心と安定を生み出すのでは無いでしょうか?
一緒に暮らしているから?
週三回しているから?
それでは結婚と同棲の境目にならないと思います
心の中の碇みたいなもの
お互いに流れ去ってしまわないためのもの
それがいるのだと思うのです
もちろん互いの気遣い
一緒にいてほしい気持ちがあってこそです
序盤に登場したカレンダーには整然と並んだ赤い×印がありました
それが週三回すると決めた日なのです
定期的にそうしないと、夫婦である証があやふやになると翔子は無意識に思い込んでいたのではないでしょうか?
決めた通りにしないと不安でたまらなかったのです
だから男性器を暗喩するバナナを食べているのです
妊娠していてもしようとするのです
愛に規則なんかあるわけないのです
愛に規則を作るから苦しいのです
規則のある愛なんて、そんなもの愛ではありません
カナオがいう口紅はそういう意味なのです
考えてみれば翔子の父は女性を作って家族を捨てた人でした
彼女はそのせいで週三回を規則にして、完全実施していかないと、きっと父のようになってしまうと不安だったのです
それが「大丈夫、私がちゃんとしていれば」という意味だったのです
子供を亡くしてからは当然する気にもなれなくなります
カレンダーにはもう赤い×印は無くなってしまいました
それでも無理にしてみようとしたのだと思います
でもしたい気持ちがないのに、そんなことをすれば心を病むばかりです
研ぎかけのお米を捨てるのは中絶の暗喩です
せっかく妊娠したのに、また喪うことが怖くて中絶してしまうのです
きちんと産んで育てる自信がないのです
無限地獄です
カナオも承諾の署名捺印をしています
あの日が手術であると知っていました
ムンクの叫びの缶バッジのシーン
叫びたいのはカナオだったのです
安田さんを見舞いったとき、彼の言葉でカナオは自分は翔子の苦しみから逃げていたことに気がつきます
蜘蛛を殺すのを翔子が怒るのは、子を無くしたことの記憶を攻撃されているような気がするのです
引っ越しの日でも、台風の夜でもそうでした
彼女が無限地獄に落ちてしまったことにやっとカナオは気がついたのです
この夫婦は子供を亡くしてしまいましたが、お寺の天井画という子供を作ろうと決意してから、登場するカレンダーの赤い×印がまた登場を始めました
今度は不定期で、 回数も格段に少なくなっています
もうあんな規則は必要無くなったのです
お互いの気持ちが盛り上がった時だけで良いのです
トマトのスケッチは受胎です
伊藤若冲の図録を見直し、下書きを始めるシーンはお腹が大きくなる過程です
ひまわりの花が描かれます
ひまわりと言えばゴッホを思い出します
翔子の描くひまわりは元気に溢れ太陽の光をいっぱいに浴びているようです
炊飯器のごはんはふっくらと炊き上がったようです
翔子は美味しそうな匂いを吸い込んでいます
この夫婦は子供を亡くしてしまいましたが、天井画という二人の子供が産まれました
翔子の両親の離婚の本当の原因は、実は父の浮気ではなかったのです
「裏切ったのは私」と母が家族会議のあと打ち明けます
だから母は新興宗教にすがって心の安定を得ようとしていたのです
自分にはとても叶わないほど夫を愛する女性がついていて、夫も幸せであることを母はカナオから知らされました
そして母はカナオから夫の話を聞くうちに、翔子を苦しめていた根本は、娘に父の不倫が原因だと自分が思わせていたからだと思い至ったのです
そのことが、子供の死をきっかけに娘を無限地獄に突き落としたのだということにとも
そう気づいた時、もう新興宗教の高額そうな大きな壺が割れ、神の水が流れ出しても、そんなことはもうどうでも良くなったのです
そして娘を救い出してくれたカナオの誠実な夫ぶりに気づかされたのです
だから「翔子のことよろしくお願いします」と深々とアタマをさげて感謝したのです
そのとき翔子は泣きます
彼女も自分の夫がどれほど素晴らしい人であったことを、今更ながらに実感したのです
自分もまたそこで涙腺が決壊しました
人、人、人
行き交う人それぞれに人生があり、何を考えているのかは、親子であっても、夫婦であってもわからない
カナオの父は、自殺しています
結局なんで父が死んだのかはまだ誰も知らないままです
「人の心の中は分からんのよ、誰もね」
それでも夫婦だけは分かる努力をしないいけないのではないでしょうか?
それがラストシーンの意味だったと思います
本作は長く結婚生活をおくった人向けのR40のような映画ではないと思います
これから結婚しようという人にこそ見て欲しいと思うのです
そしてまた、本作を観て何もできていない自分自身に気付かされました
自分は全然成長してないなあと情けなく思いました
タイトルなし
①最初の数シーンを観ただけで「あっ、この監督は演出力あるな」と思った。②木く村多江熱演。きちんとしたい人間ほど一回のつまづきでも罪悪感を他に転嫁できず自分を責めて責めて「死」しか今の苦しみから逃れられないと判断力を失ってしまう。そんな鬱状態に苦しむヒロインを演じきった。対峙するリリー・フランキー扮する夫が逆にテキトーながら懐の深い男にしてあるのが絶妙な設定。③夫を法廷画家にした設定も巧い。映画に登場する法廷シーンは大半が児童に関する事件である。子供を失くしたことで自分を責めて追い詰めて苦しむ妻に対峙する夫が法廷で対峙するのは、子供を殺した人間達、子供を殺された親達。子供に恵まれなかった悲しみ・苦しみの中で共に歩む夫婦の数年間の並景として、これらのシーンを挿入したのは映画的にとても効果的に働いていたと思う。④
夫婦の10年間をほどよく、そして無駄なく描いていてよかった。結構リ...
夫婦の10年間をほどよく、そして無駄なく描いていてよかった。結構リアルなやりとりとか、少しドキッとしてハッとさせられた。最終的には夫婦はこういたいということをおしえてくれる良い作品だった。
木村多江さんの熱演が光る
今更ながらこの作品を鑑賞。全く前知識なく観たが、映画初主演の木村多江の演技が殊の外素晴らしい。
立ち直るきっかけとなった泣きじゃくるシーンは、どこで研究したのか、まさに心を病んでしまっている女性そのものだと感じた。
全体を通じてストーリーにもまとまりがあり、良い作品だと思う。
生きる技術
そういや自分も結婚して10年以上経ってた。
結婚した頃に思い描いてたこと、大して何も出来てない。
何か具体的に思い描いていたのか、それすら定かでない。
冒頭、結婚する木村多江が、浮気性な夫(リリーフランキー)を思い、
「私がしっかりすれば、大丈夫」と自分に言い聞かせる。
自分ではしっかりしてると思ってるのに、
実際の自分はそうではなくなってきてる。
でもしっかりしてないと思ってた人(ここではリリー)は、
意外としっかりしていて、自分(木村)より強かった。
そして愛してくれていた。
しっかりしてなくても、理想を追いかけなくても、
何かを達成できなくても、
10年一緒にいたということが、結果的にそうであっても、
未来を生きていく糧になる。
生きる技術になる。
「生きることも技術なんです」という台詞が浸みた。
リリーの台詞も良かった。
「(死んだ人は)また思い出してあげればいいじゃん」
木村の身内(母、兄)も、根性悪い役で登場するが、
結局最後には、みんなお互いを好きだったんだと分かる。
それが分かるだけで、この一家は幸せなんだと気付かされる。
めんどうくさいけど、いとおしい。
いろいろあるけど、一緒にいたい。
しんどさ
仕事でも家事でも出産でも完璧を求められる世の中はしんどい。生きていると病気になったり子供が死んだりだってあるんだよ。世の中に呼応して病んでしまう真面目な妻と女好きの飄々とした夫。この夫婦や裁判の裁判の傍聴シーンを観ていると、私ちょっとだけ楽に生きてみるか~という気になります。人生自分じゃどうしようもできない事があるのだから。
人との関わりが人を変えるんだな。
最初実態のないクラゲのような夫のラストの顔。なんて自信に満ち溢れ輝いているんだろう。
その性格から、自分を、他人を追いつめがちだった妻の顔もなんて優しくゆるやかになっていく。
夫は、法廷画家として様々な事件・同じ法廷画家・記者に囲まれ、否が応でも”人間”と関わっていく。依頼されても描けない事件もある。感じていないように見えても、心の奥底では激しく動くもの。
この夫婦、兄夫婦、母とのよくある日常を描きながら、
法廷画家として関わる事件の裁判所での人間スケッチを織り交ぜながら描いていく。
ラストの場面で夫が呟く「人人ひと」そしてエンディングは花模様。静かだけど力に溢れたエンディングに心に光が射してくるような気がする。
役者が秀逸。夫婦・兄夫婦・母、記者・法廷画家は勿論のこと、
裁判に現れる被告者・証人・傍聴席の皆皆も、本当に短時間で、こちらがさもありなんという人物像を演じきる。ふだん私達が報道で知りえた情報から描くイメージを、また違った角度(指だったり、足首だったり、手首だったり)から切り取るそのすごさ。
さりげないエピソードばかりが続くのに、その場面場面の適切さ。
すごい映画があるものだ。
非常に評価の高い本作ですが、私には合いませんでした。 下世話な話か...
非常に評価の高い本作ですが、私には合いませんでした。
下世話な話からの、夫婦の穴がどうのとか、まずはそこで嫌悪感。
後は終盤まで木村多江が壊れていく姿を描いていくのだが、長い、暗い。こっちまで壊れてしまいそうです。
ちょいちょい挟んでくる実話モチーフの裁判場面、そんなつもりではないのでしょうが、私にはなんとなくふざけてる感あり。また嫌悪感。
最大の嫌悪感は中盤始めのとんかつ屋のシーン、気持ち悪くなってそれ以降素直に見ることができなくなった。
ということでこの夫婦にもあまり感情移入できず、残念です。
邦画らしい邦画
出てくる俳優がどれもこれも知った顔でびっくりした。今だとすごい豪華だぞ。
脚本はね、あまり共感しずらい。既に持ってる主演二人に対する先入観ってのもあるけど、それ以上に2人が作り出す空気に入り込めない。これはね、もう2人だけで映画が完成してる感じ。観客いらないみたいな。
久しぶりに胸糞悪い。
不安定な妻に対して、向き合わない夫。
噛み合っていない。
それでもそばに居る。居続ける。
どこにでもある、リアルな夫婦の話。
あんな寄り添う夫婦が理想?
寄り添ってないから鬱とかレスになったんじゃん。
こんな夫婦、まったく理想ではない。
延々とリアルだから、わざわざ映画で観なくても。現実でこんな夫婦の話はよくある。
脚本でグッとくる所が欲しかった。才能が今一つ足りないと感じる。
唯一、冒頭台詞の「口紅つけてよ」は印象深いと感じた。
そして役者の演技は皆、素晴らしかった。
トンカツ不味そう(笑)
公開時に映画館でも見たが、また見たくなって、アマゾン・プライムで鑑賞。夫婦の10年間を、事件と照らし合わせて進んで行く映画。よくありそうな夫婦のエピソードをリリーさんの朴訥とした演技で進んでいくが秀逸の演技。本人は演技を意識した様子がなく、天然のものなのかも知れない。特にエロ話が良い。劇中の不味そうなトンカツはどうやって作ったのだろう?
こういう夫婦になりたい。
こういう夫婦になりたい。
幸せは二倍に、悲しみは1/2に、それが付き合うということ。
自分が辛くても相手のことも支えてあげる。
自分に何の得にならなくても相手の喜ぶことをしてあげる。
一見簡単そうで、それがいかに難しいことか、この映画を見て痛感する。
そして誰もがリリーフランキーに惚れてしまうよこの映画。
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