ツリー・オブ・ライフのレビュー・感想・評価
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個人的な感想です
この映画は他の方も言われているように、『旧約聖書のヨブ記』が題材となっています。ですから、欧米人が当たり前のように接している旧約聖書に触れたことのない我々には、全くわからない世界感が描かれていると思います。
さらにこの監督は、聖書や神を、ただ単に原理として受け入れるのではなく、人間と宗教の関係(信仰=信じて疑わない)をかなり皮肉を込めた形でとらえていると思います。暗に批判しているからこそ、よりわかりづらいのかもしれません。
(例えば冒頭の環境ビデオのようなかなり長いシーンも、この世界は聖書に書かれているように神が一週間でチャチャッと造ったのではなく、ビッグバンから始まり何億年という、ものすごく長い年月かけて今に至ったのだ!と暗に言っているようで、実際、旧約聖書には人間の前に恐竜がいたなどとは出てきませんので、強烈な皮肉を込めた映像となっていると私は思います)
旧約聖書は、新約聖書(キリスト教)の前にあった聖書で、現在主にユダヤ人や(キリストもユダヤ人でしたが)エホバの証人の方々などが原理として信奉している書物です。「約」=約束であり、「訳」=神の言葉を訳しているというわけではありません。
天地創造から始まり、アダムとイブのエデンの園での出来事、ノアの箱舟やモーセの十戒など壮大な例え話(宗教関係の方すみません個人の感想です。)が書かれています。なんとなく聞いたことがあるという人も多いかと思います。(かくいう私も若いころ、なぜか毎週訪ねてくるエホバの方に長々旧約聖書の講義を受けたのですが…)
そして、その中で、『ヨブ記』という非常に理不尽な物語が一つあります。
それは、神を敬い正直者で、家族や使用人や家畜を愛し仲良く幸せに暮らしていた「ヨブ」に、神がその忠誠心を試すかように試練を与える物語です。
神は、ヨブの家畜を盗賊にすべて奪わせ生活の糧をなくし、愛する家族を殺し、ヨブの体にもひどい皮膚病を植え付け、「神よなぜ私を?どうか許してください」と助けを請うヨブを、非情にも何度も奈落の底に落とし痛めつけるひどい話です。
旧約聖書や「ヨブ記」がなぜ存在するに至ったのかと考えた時、それは、昔の人にとってもこの世界は、ヨブ記くらい生きるのにつらい世界だったからなのでは、と私は思うのです。
なぜ、こんなにも生きていくのはつらいのだろうか。真面目にただ一生懸命生きているだけなのに、夏は暑く冬は寒い。暮らしの糧を稼ぐのに必死で、盗みや暴力、災害や病気に日々おびえて暮らし、愛する者は死んでしまう。「なぜなのでしょうか...」
その答えを書いた書物が聖書だったのだと、私は感じます。
私たちが他の動物と違い、知恵を持ってしまったのは、アダムとイブが禁断の実を食べてしまった(=人間が進化してしまった)からだ。
知恵を持たなければ、エデンの園の真ん中に生えている「ツリー・オブ・ライフ(生命の樹)」の実を食べ永遠の命が与えられたのに(他の生きもののように煩悩(自分の心を煩わせ悩ますもの)を持たずこの楽園をただ生きて、ただ死ぬことができたのに...。)
聖書から生きる意味を見つけるとするならば、原点に戻りただ自然に沿って生き、死んで土に還り、そこから草木が生えその実を鳥や虫が食べまた自然を延々と育ててゆくだけなのだ、それが永遠(とわ)の命なのだ、とそこには書かれているのかもしれません。
でも、知恵を持ってしまった私たちにとってこの世界は違った生き方を強いられ、毎日が理不尽なことで満ちています。神にすがっても神はなにもしてくれません(神の意志に背き勝手に進化した者など知らぬとでも言いたげに...)。
この監督の「シンレッドライン」という映画でも、命をかけた戦闘シーンには、勇壮なBGMがあるわけでなく奇跡も起こらずヒーローも登場しません。ただ南の島の自然があるだけです。
日々神に「成功」を祈った敬虔なブラッドピット演ずる父親も、成功も果たせず挫折します。祈りを捧げるのは神との約束=誓い(利他や自然に対する感謝の精神)であり、自分が成功を得るためやあの世で楽園に行くためでもないのに(宗教関係の方すみません個人の意見です)
ショーンペン演ずる主人公も、邸宅を構える生活を送るようになりますが心は満たされません。敬虔ですが煩悩にまみれてしまった父親との関係がトラウマになり、愛を忘れてしまったからだと思います。(だから成功を収めることができたのかもしれませんが)
それでもショーン・ペンは最後、救いと父への赦し(愛すること)を求め神にひざまづきます。彼は父を赦し愛すると誓えたのでしょうか。そして、神の意志に沿って生き、愛を取り戻せたのなら、彼(人類)は救われるのでしょうか。
主人公が救われたのかは、あなたのこれからの生き方に、監督は問いかけていると私は思うのです...
個人的な視点で長々すみません。読んでいただきありがとうございました!
ブラッド・ピット絡みの作品なので
期待は全くしてませんでした。この人の出てる作品はだいたい意味不明でつまらないのが多い。クエンティン・タランティーノ監督が自然現象に目覚めたのかとおもった。この作品も銀河映像とか地球の自然現象とかの映像ばかり出てくるし、「主よ感謝します今日・・・」みたいな台詞ばかりでてくる。最後まで見るのは苦行でした。こんな作品を映画館まで見にいき2時間以上椅子に縛り付けられながら見てた連中が何人ぐらいいるのか考えたら笑える。
難解とはいわない、意味不明なだけ
環境ムービーか実験映画ですね。
最近流行りの「フカヨミ」好きな人向き、意味不明だから何とでも理由付けできるので、評論家なんかには使い勝手いいでしょう。
「こんなの凄いでしょ、どうよ?」みたいな自慢そうな雰囲気がイライラする。
普通の人には全く無理。ここまで訳わからないとむしろギャグ。
観ないことを自信を持ってオススメできます。
警告❓‼️これは映画ではありません‼️
紛らわしいな‼️
イメージビデオならそう言え‼️なんて思うんだよ。
ブラピ出してこれです。
ほとんど人が出ない、極彩色の絵図です。
2時間ですよ。
これでも今年の厄は果たしたと思いたい、トホホ。
ソング・トゥ・ソングにむけて
個人評価:3.5
まどろみの中、低い位置を漂い、主人公たちの人生を体感する。まるで自分があなた(神)になり、物言わず無言を通し見守る様に。
この作品を4度挑戦し、初めて寝ずに最後まで見終わる事ができた。
テレンス・マリックの作品はどれも難しく抽象的で眠たくなるが、まどろみの中で漂う様に見る事が正しい見方なのかもしれないと、勝手に独自の見方の手法を見出した。
さぁ、ソング・トゥ・ソングにむけて、他のテレンス作品も勉強するぞ。
映画を楽しみたいときには見ないでください
お金を払って見なくて良かった、と心から思った。
それですら、途中でやめようかと思った。
ブラピの演技も「詩的表現」もわかるけど、バランスが悪すぎる。
(心情描写と思われる自然界の映像等が長すぎる)
批評家受けはするのかな。
映画をエンターテイメントとして楽しむ一般人には、全く必要ない類の作品でした。
自身を重ねての心の旅
劇場公開時以来10年ぶりに鑑賞。
初見時は、台詞が少なく抽象的な表現が多いのも相まって「難解な映画」止まりの印象だった。それ以上追求する事もないまま、10年の歳月が過ぎた。
でも今回改めて見るとどうだろう。
ブラピが演じる憎むべき父親。
ショーン・ペン演じる父親を憎む長男。
どちらにも感情移入できる自分がいた。
劇場公開時から10年。
自分にも家族ができ、子供にも恵まれた。
今の自分だからこそ、ブラピとショーン・ペン双方の姿に自分たち家族の過去と未来を見た気がしたのだ。
これはとても不思議な感覚だった。
良い悪いではなく不思議としか言いようがない。
でも確かに言える事は、今このタイミングで本作を見たからこそ得られた感情だという事だ。
今から更に10年後に見たら、その時に得られる感情はまた異なった物になっているだろう。
人生の岐路を越えるたびに未来は変わっていく、木々の枝葉が分かれるように。
この映画は今後の人生の中でふとした時に見ては、自分の人生を振り返るきっかけになるのかもしれない。本作を反面教師にして軌道修正する事もあるかもしれない。
次に鑑賞した時にどんな感情が生まれるのか。それまでにどんな人生を送っているのか。
次の10年が今から楽しみだ。
願わくば、本作の親子のように憎しみ合う事のないようにしたいものだ。赦したくても赦せないジレンマを抱えての別離はあまりに辛い。それが肉親であれば尚の事そうなのだから。
父さん、あの頃の僕は あなたが嫌いだった…
2019年7月2日 ツリー・オブ・ライフ鑑賞
パルムドール受賞作と聞いて見ましたが、僕には合いませんでした。家族や人生というものと、自然の壮大さをクロスさせた作りのようですが、理解不能でした。キレたブラピの演技はさすがですが。
コピーは、父さん、あの頃の僕はあなたが嫌いだった・・・です
#ブラット・ピット#ジェシカ・チャステイン#ショーン・ペン
テレンスマリック監督が好きな方にはお勧めの映画
宗教家の母、それではいけないと現実的で厳しい父に揺れ動く心、兄弟の死、そして仕事を成功させて尊敬していた父の挫折、離職(転勤?)
・・・もしかしてテレンスマリック監督の子供時代の回想を、織り交ぜて描いているのではないかと見ていて思った。
合間に入る、ビッグバンの爆発、地球・生命の誕生の様子・・・それ以前の『地獄の逃避行』『天国の日々』などで夕焼けに染まる広大な平原を歩く人々のシルエットような自然と人間の対比をやっているのではないかと考えさせられた。
難解な作品で万人にお勧め出来る作品ではないのですが、テレンスマリックの作品が好きな方にはぜひ見ていただきたい作品
人は、悲しみを乗り越える
父親から理不尽な仕打ちを受けた長男が、父親を赦す物語です。
息子を強い男に育てたい父親。でも、その父親の弱さ、身勝手さは息子からも透けて見える。母親は、わずかに抗いながらも、守ってくれない。
やがて、弟の死。
おそらく、これらの映像すべては、父親の年齢をはるかに過ぎた長男ジャックの回想のようにも思われます。それだけではなく、最初から最後まですべての映像は、ジャックの心象なのでしょう。
なぜ、父親を赦す事ができたのか。
何の事件も、きっかけもないのです。当時の父親の年齢をとうに越え、それでも過去が心の中にくり返しよみがえり、両親へのいとおしさとない交ぜになった、悲しみや憎しみが心を支配し続ける。でも人は、あらゆる苦しみから、何とか逃れようとするものです。
それが、彼の中では、宇宙の歴史の中で自分をとらえ直してみる、という方法だったのです。壮大な歴史の流れの中の、小さな小さな存在としての自分。やがては消えゆく、はかなき存在としての自分。父親も、母親もまた、同様な存在。
そんな風に世界を解釈した時、父親から否定され続けた自分を、ようやく受け入れる事ができたのでしょう。弱きもの、はかなきものとして理解した時、心から自分を愛する事ができた。同時に、父親、母親を愛すことができた。すべての存在、すべての歴史を受け入れることができた。だから、映画のはじまりが、母親のあの独白から始まるのです。そして、映画のおわりは息子が出会ったすべての人たちが、平穏な、安息な姿で回想されるのです。
テレンス・マリック監督は、大学や大学院で哲学を学んだ人だそうです。そして、実際に2人の弟がいて、一人は音楽の道に進んでいながら自殺で命をたっている。
まさしく、監督、彼自身のための映画なのです。
きっと、監督と同じ傷を心のどこかにもった人には、この映画の評価は5でしょう。そうでない人には1もないくらい。わたしの場合は、3くらいかな。変な映像、とばしたし。
高校生のときにみてポカーン
としました。あまりにも抽象的で宗教的とも言える内容に頭の中は疑問符がたくさん……。???
結局なにが言いたかったのか もう少し崇高な精神か賢い頭を持っていれば理解出来たのでしょうか。
ただ、なんとなく記憶から消えない印象的なシーンがいくつかありました。
初めての一人映画でまさかのコレだったのですが、
前の老夫婦がスタッフロールのあと無言だったのが
なんとも言えない 思い出。
父親、母親が子供に与える影響
父親が「私のようになるな!」と思って子供をしつける行動が、子供の心を抑圧しその抑圧が子供の怒り、憎しみの感情になって蓄積されていく。
そして、破壊的、暴力的な行動になって表現されて行く。
自分の子供の頃の体験の仕組みに重なるところがあったなと感じ、それを客観的に観れ、気づきが深まりました。
失業を機に父親は自分を見つめ、子供に謝り、心を入れ替えることを決意しました。
良かった…と私も救われた思いがしました。子供は救われましたね。
過去の家族が心のわだかまりも溶けたように、又会えた喜びに共に歩く姿は心に残りました。
最初のほう環境映画!?的な映像が続いて多少げんなりしました。 観るの辞めようか…と思いましたが、肝心の内容に戻ってほっとしました。
人はその先祖や、地球、宇宙と繋がっているということは理解出来ます。
悪いけど、ここ数年で見た映画で一番最悪。星のつけようもない。 半分...
悪いけど、ここ数年で見た映画で一番最悪。星のつけようもない。
半分もいかないところで席を立つ人が数人いた。
何が言いたいのかさっぱり見えてこない。
次男が亡くなった理由は?
それを回顧する長男の心境は?
途中でジ・アース的な地球の映像は何の象徴?
次男がアタマに傷あったけど、あの意味は?
恐竜の意味は?
キリスト教の素地がないと分かりにくいのか。
ピットくんの出るのは面白い、という定説が自分の中で崩れ去った作品だった。
フィーリング映画
主人公の思考や葛藤の根深いところまでが映像によく表されていたと思います。
そして思想は違えど、父と母の紛れもない深い愛が主人公の人格を形成し、優しく包み込んでいるかのような映画でした。
何か考えさせられ、感じさせられる映画だと思います。
予告が素晴らしかった記憶
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