ツリー・オブ・ライフ : 映画評論・批評
2011年8月9日更新
2011年8月12日より丸の内ルーブルほかにてロードショー
切実な叫びへの共鳴を分かつのは、観る者が抱く絶望の深さだ
物語ることさえ放棄し、ただ生きづらさを共有して、混迷する現状から脱出するべく、のたうち回るような映像詩だ。時間軸を往き来する視点に幻惑されつつも、家族の肖像が浮かび上がる。輝かしき頃のアメリカに育ち、無機質な現代をさまよう男の悔恨に満ちた追憶である。
いくつもの相反する価値観が衝突している。世俗的な父と神の恩寵で包む母。富と貧、現在と過去、生と死。そして、審美的な映像を喪失感が貫く。テレンス・マリックは煩悶している。たゆたうキャメラワークと目まぐるしいカット割りは、瞬きが増えた作り手の動揺そのものだ。
唐突なまでに、宇宙開闢(かいびゃく)と生命誕生の瞬間へと連れ去られる。ただ事ではない。自然を写し取ることに執着してきたマリックが、特撮を駆使してまで、家族史と地球史を過激に融合させたのだ。読み解く手掛かりは、冒頭で引用される旧約聖書「ヨブ記」。理不尽な試練に耐えかねたヨブの申し立てに対し、神が沈黙を破る書だ。始原への遡行(そこう)は、思い悩む人間さえも創造の一部にすぎず、人は等しく災いから逃れられないとする神の回答を思わせる。
しかし天地創造の光景が「2001年宇宙の旅」と同様に、神話的空想ではないことに気づかねばならない。キューブリックが言うところの「科学的に定義された神」と対峙し、救いなき今を生き抜く決意こそが真骨頂だ。父の世代が体現する独善的で欲望にまみれた20世紀から逃避し、新たな地平を目指す。そこはあらゆる対立が融け合う彼岸。今世紀を射抜く本作への向き合い方こそが、若者達の未来を照らし出すのだ。祈りにも似たこの切実な叫びへの共鳴を分かつのは、観る者が抱く絶望の深さに他ならない。
(清水節)