マン・オブ・スティールのレビュー・感想・評価
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期待ほどじゃなかった
アマゾンで非常に評価が高かったので期待して見たのですが、ちょっと期待しすぎだったみたいです。
アメコミのスーパーマンはアニメでちょっと見たことがある程度で、基本的な知識があっただけでした。
勧善懲悪ものなのかと思いきやそうでもなく、地球をとるか故郷クリプトンをとるかで苦悩する青年の話という訳でもなく。なんだかちょっと中途半端な印象。
SFとしての設定も、もう少し煮詰めたものにしてほしかった。。。言語の壁をどうしたかとか。クリプトン人を撃退する方法とかもイマイチぴんとこない説明だった。
あとスーパーマンもクリプトン人も強靱すぎるので、もう少し弱点みたいなものを設定してほしかったかも。そしたらスーパーマンじゃなくなっちゃうのかもしれないけど・・・
ゾット将軍の自分を信念をまげない姿勢、自分の種族再建の方が絶対優先なので、その辺スーパーマンにもう少し理解する気持ちがあって欲しかったなぁ。
産みの親と育ての親
スーパーマンは特に好きではなかったのですがこの作品は何度か観ていて別格です。
本作は単にヒーローではなく、クラークの葛藤や内面、子供から大人までの成長過程を短い時間の中で上手く凝縮し描いているのが良い。
産みの親も育ての親も生き様が素敵だった、中でも竜巻でクラークを制止する姿は身を持って教える父の偉大さを感じます。
戦闘シーンも迫力満点で、ちょっと色々壊し過ぎな感じもありますが、これまでのスーパーマンとは一味も二味も違った映像だったと思います。
テーマ曲も新しくなり静かなテンポからだんだん盛り上がっていく曲調がたまらなく良かったです。
破壊はかい
スーパーマンシリーズを観たことがなく、今回初めて見ました。
今まで見てきたヒーローものの中でも破壊力が卓越してる気がします。
人間あんな生き物にどんな武器を使っても勝てないよ、、。
クラークの幼少期の話は、入り込めます。
そして、今回戦う相手は悪に染まった敵という訳けではなく、自らの星を守るために起きた戦いなんですね。
クリプトン人の喧嘩?でビルが何体も壊れるこわれる。あれだけ、街、建物が破壊されれば見ていてハラハラしますね。
まさに、ハリウッド映画!俳優陣も豪華です!
映画館で見たかったなぁーと思います。
あと、ヒロイン ロイス役のエイミー・アダムス可愛いです!が、
戦闘シーン中にいるのに傷もほとんどなくキレイすぎではないかな~。
救世主
見事にスーパーマンが蘇りました。
制作陣にクリストファー・ノーラン、デビッド・S・ゴイヤー、ハンス・ジマーを入れたことにより、従来のシリーズよりも本作の質は格段にupしています。
クリストファー・ノーランとデビッド・S・ゴイヤーにより、今まで神のような存在だったスーパーマンは人間味あふれる、リアルで感情移入しやすいキャラクターへとシフトチェンジ。
自分の力に戸惑い、苦悩するクラーク・ケントを観るのは新鮮だった。
また、自分の力を受け入れる(スーパーマンとして立ち上がる)までがしっかりと丁寧に作られていてスゴく良かった。
クラークを良い方向へ導こうとするまわりの人間をはじめ、クラークを取り巻くまわりのキャラクターも魅力的だ。まずキャスティングがぴったりで違和感がない。役者の演技もとても自然で、感情移入しやすくなっている。
自分が特に気に入っているのがヒロインのロイス・レインだ。従来のロイスはただ単にスーパーマンに守られるプリンセス的存在だったが、本作のロイスは保護者ようで、スーパーマンの理解者的立場になっていた。今までのロイス・レインのなかで、一番魅力的なヒロインになってのではないかと思う。
また、ケビン・コスナー演じる、クラークの育ての父も素晴らしい存在だった。
本作は物語の壮大さだけでなく、随所に流れる音楽も壮大で、心揺さぶるいいものばかりだ。『ダークナイト』シリーズのときような暗く、悲しい感じとは違い、今回ハンス・ジマーが手がけた音楽は優しく始まり、そこからだんだんと力強く、壮大なものへと変わる素晴らしい音楽だった。
脚本、音楽も最高級のものだったが、監督のザック・スナイダーのこだわりにより、映像もとてつもないものになっていた。『300』で名を轟かせたザック・スナイダーの売りは、変態的なまでの映像へのこだわりだ。
建物の破壊をはじめとする各シーンのCGも目を疑うほどリアルで、細かいところまで描かれていた。
また、スーパーマンが飛び立つ時の砂や雪の振動や地面の割れ方、衝撃波なども細かく作られていて映像面も圧巻だった。
アクションシーンは今まで見たことないような凄まじいもので、終始画面に釘付けとなった。ストーリーはリアルテイストでありながら、壮大なものになっていて物語の流れも自然に。
『ダークナイト』シリーズに匹敵する、最高傑作になっている。
予想のちょっと下
まず最初に出てくる何とか国でなぜ英語が話されているのか…そこで萎えてしまった。単にアクションとして見るなら映像・爽快感はまあまあでした。期待したよりちょっと下でした。
期待しすぎたせいなのか
正直あまり面白くなかったというのが観た直後の印象。
なぜ面白くなかったのか考えてみるけど、どこかも思いつかないんだけど、それはやはり全体的なストーリーの完成度が微妙だったということではないだろうか。
クリプトンが破壊されたのに反逆者は野放しになって生き残ってるし、戦闘シーンがつまらないのが問題。超人的な殴り合いばかりなので、イメージも湧きにくいし凄さも伝わりにくいのかなと思った。(アベンジャーズは特殊能力があったり、ダークナイトは戦闘がトリッキーであったり)
クリストファー・ノーランの作品のなかで一番微妙な作品だったイメージになったが、続編があるのなら期待したい。結局は監督の力量で細かいところが決まってしまうから彼ではどうしようもなかったとは思うが…
映像はすごいですが
どれもどこかで観たようなシーン
マトリックスとプレデターとスパイダーマンとドラゴンボールを足して割ったような感じ
実の父がラッセルクロウ、養父母がケビンコスナーとダイアンレインと豪華な配役ですが、若い人にはわからないかな。
前シリーズでは描かれていない時代がテーマでそれなりに楽しめたものの、どうもスーパーマンっぽくなくて何の映画観ているのかを上映中に何度も確認していたような気がします。
最後の入社シーンは後でよく考えるとあれだけいろいろあった街がずいぶんと早く復旧しましたね…と思ったりして。
続編はありかな。。
ビミョー?
ダークナイトシリーズが大好きなので
ずっと前から楽しみにしていた作品
いざ劇場で鑑賞しました
なんか物足りないような感じでした
ストーリーはまぁいいかなって感じだけど
バトルシーンが^^;
最初はおー!すげー!っとスピード感に圧倒されてたけど後半になると慣れてきて
逆に少し目が痛くなってきた…
あとかなりビル壊してたなー
パンフレット見ると原作でも初期は人を殺した事もあるらしいけどスーパーマンだからあんまり迷惑かけないように宇宙行って戦えばいいのにななんて思ったり
正直、良くも悪くもない感じです
次回作を期待します
お前は世界を変える
「マン・オブ・スティール」は言わずもがな誰もが一度はその名を聞いたことであろうアメリカのDCコミック創刊のスーパーヒーロー「スーパーマン(1978)」のリブート作品であり、それを「300」や「ウォッチメン」の監督ザック・スナイダーが撮り、「ダークナイト」、「インセプション」の監督クリスト・ファー・ノーランの制作・原案で映画化されたものである。
本作は主人公であるクラーク・ケントの出生の秘密が語られ何故超人的な力を有することになったのかが分かるストーリになっている。そのため、スーパーマンを全く知らない人が観ても一から内容にのめり込むことができる。
この映画は単に善悪を語るのではない。なぜなら、地球とクリプトン人の未来を託されその運命を受け入れるクーラクとクリプトン人の種を絶やさない使命(主に軍事担当ですが)を持って生まれたゾッド将軍は互いに本質的には善でも悪でもなく、この両者の違いは種を残すことに関して「共存」を望むか望まないかの違いである(色んなメタファーがあると思いますが・・・)
自分的には自己の異端な能力と出生の秘密に葛藤し続ける主人公について異端な能力を持つ者は嫌われ恐れられる存在になり孤独になるかも知れないと案じていたがいつかこの子が世界を変える(特別な)存在になると願ったクリプトン人と地球人の両親の心情が良く表現されてて良かった。(両親の配役が良すぎるの一つ)
アクションシーンに関しては高速アクションで迫力もあって良かったが、ただ早すぎて目で追えない・・・
字幕だとなお目でどっちを追えばいい状態になる(笑)
それにふっとばしシーンばかりではなく組手などを多用して欲しかったけど恐らく何も習得していない主人公にはそっちの方がリアルなのかな?
あと、ここまで派手にやって、最後の首捻じりオチはない(笑)(原作は読んでいないのですが)
正直、結局地球はクリプトン人の民族争いに巻き込まれてだけじゃんとかヒロインがいつの間にクラークの大切な人の一人になってどこでも登場するとか(最後の美術館?とか)、みんな避難するの遅いだろ(編集長など)とか正直突っ込みどころが多いですが総じて観ればアクション映画としては面白いです
ただ、ゾッド将軍一派は終始全員黒い鎧で戦って欲しかったと思う
せっかくめちゃくちゃカッコいいのに顔が透明になるのは自分的には微妙だしゾッド将軍にあのスーツは似合わない
スーパーマンは小さい頃、テレビの洋画劇場などで映画版を観たぐらいでほとんど覚えてない域ですがまた見直したくなりましたねー
公開してから、1か月くらい経つので気になる方は早めに観に行った方がいいですし、アクション映画はやはり映画館で観るにつきます!!
ノーランはいらない。
なかなか観る時間が無かったのですが、昨日ようやく観ることができました。
『ダークナイト』シリーズのノーランが総指揮ということで、相変わらず理屈くさいのと序盤の展開が遅いことは覚悟していましたが、今作ではヒーローなるまでは割りと早かったですね。
そんな本作ですが、大きな欠点が二つあります。
一つは変身シーンが無いこと。ヒーロースーツが出てきたと思ったら次のシーンでは着ていて、どうやって着たのか最後まで不明なまま、主人公の変身シーンはヒーロー映画のお約束にして見せ場の一つなのですから、しっかりと見せて欲しかったです。これまでのシリーズのようなマンガチックなものは無理だったとしてもなにかしらの方法は考えるべきだったでしょう。
二つ目はスーパーマンが街を破壊しまくること。地球人を守る為に戦いを躊躇しておきながら、いざ戦いが始まると街中で大暴れします。せめて人の居ない場所で戦えよと思いました。『アベンジャーズ』や『パシフィック・リム』よりも被害出していると思います。
最後のゾッド将軍との戦いなんて宇宙に飛び出して戦った方が人的被害も無い上に、映像としてのスケールも断然良くなったと思いますけど、宇宙での戦いは次作の為にとっておいたのでしょうか?
他にもゾッド将軍の殺し方とか、色々ツッコみたい部分はたくさんありました。ノーラン即品は全編に渡って理屈くさいだけに、どうしても粗が目立ったちゃうんですよね~。次回作も決まったそうですが、ノーラン外して痛快ヒーロー劇にして欲しいものです。
どこかで見たようなシーン
スーパーマンは、映画版のクリストファー・リーブの頃から見ていたんですが、今回のはどこかで見たようなシーンがあったと気づいたら『マトリックス・レボリューション』でした。
ゾッド将軍とケントが激突してビルも破壊されるシーン、あれはマトリックス・レボリューションにも出ていた。
でも、惑星クリプトンのシーンや宇宙船の質感が向上しており、映像技術の進歩を痛感せざるを得ませんでした。
物足りない
画面からほどばしる臨場感。今年の作品の中ではトップクラスであろう。
しかし、私はこの主人公にあまり魅力を感じることは出来なかった。
使命だからってなぜ人類を助けるの?そこに自分の意思は無いのか?と主人公に問いかけた。
使命を探すのが僕の生きがいという感じだったが、いざ見つけたとき、はいそうですかと安々と引き受ける主人公が分からなかったのだ。感情は普通の人間と変わりない。これから救世主ですと言われたら普通は戸惑う。スーパーマンが振るう拳がちょっと安っぽく感じてしまったのだ。映像の威力だけではなく、鉄拳振りかざすヒーローの覚悟やら口上が欲しかった。たとえいかしたスーツを着ても私の中ではまだヒーローになる前のケントンだった。
悩んでないで飛んで行け。
まずは、おめでとう。良かったねぇ~!H・カヴィル。
スーパーマンの続編が監督交代でB・シンガーになった後、
007やら、白塗りヴァンパイアやら、候補に上がったのに、
やれ若い、やれ歳をとってる、とタイミングが合わないまま
辛酸を舐め続けた彼が、よ~やく満を持してスーパーマンに。
長かったよねぇ…本人としては(T_T)
今作で悩みに悩むクラーク・ケントですが、カヴィルの悩みも
それに匹敵する長さ&辛さだったでしょう。
で。そのカヴィル。
う~ん、顔も身体もなかなか。かなり鍛えた感がアリアリv
確かにちょっと背が低いか…?今までのスーパーマンよりは。
まぁでもそんな、細かいことは許してあげましょう。
待って、待って、やっと正体が明かせたクラークさんですから。
いやしかし、街が壊れすぎ(爆)といっても過言ではないほど、
よくもぶっ壊してくれたな~!感もかなりあるんですけどね^^;
(どうして地球外でやらなかったの)
初代シリーズ~前回リターンズ~は、コミカル色アリですが、
75年も経つと世界的に様々な諸事情が変わってきてるようで、
今回のはまったく新しい(そう言ってたけど)スーパーマンです。
ダークなのね~。
C・ノーランとZ・スナイダー感、全開大放出!という感じで。
今回のクラークはものすごく苦悩していて、可哀想なくらい。
こないだも感想でちょろっと書いたけど、
今や世界的にヒーローは苦悩するんですねぇ、昔とは違うのね。
悩んで悩んで成長し、それを乗り越えて自らの使命に目覚める…
それまで観客はずっと待つのね、ひたすら待つんだ、親のように。
ゴメンね、母さんはちょっと前半で眠たくなってきちゃって(汗)
これじゃあ生みの親にも育ての親にもなれないわねxx
しかし暗いながらも親心は全開してましたね。
(殺されても)何度も登場してくる生みの親ジョーのR・クロウ。
いや~良かったです。彼が出てきて説明してくれないと、カルが
自らの使命について、さらに先まで悩んでしまうところでした。
滅びゆくクリプトン星から息子だけでもと救い出すのは正に親心。
そして育ての親ジョナサンのK・コスナー、久々に見たけれど
あんまり変わってない(歳とったのにね)相変らず農場が似合うし。
奥さんマーサのD・レインなんか、どんどん婆さんになっちゃって
(年数が経つから仕方ないんだけど)うわぁ~って感じだったのに。
しかしどちらもクラークを想うという意味で親心全開。
う~。でもな~。お父ちゃん助けてあげて欲しかったぞ、心では。
最近の日本もあの光景は他人事ではなくなってきてますからね。
結局のちに正体もバレるんだし、街は大破壊されちゃうんだし、
もっと早い時期に「僕スーパーマンです!」って名乗り出るとか。
あ、Sじゃないんだ。でもあそこは感情で動いて欲しかったなぁ。
まぁ普通の暮らしをさせてあげたいのも、正に親心であるわけで。
バランス良く見守ってるのが、ロイスのA・アダムスでしょうかね。
けっこう窮地に立たされて、今回はメタボロになりながらも、
しっかり最後までクラークを信じて守り抜き(守られたほうなのか)
次回の伏線(良かったよね~最後の自己紹介)へと繋がっていき…
スタイル変われど、スーパーマン精神に則って作られた新生作品。
次回に(あるわよね、当然)期待しましょう。
しかし、映像は画期的というか超高速で街をぶっ壊していくんで、
いやそれだけは…もうやめてくれと(ないと思うけど)、東京も7年後
にはオリンピックが決まったことだし、平和を守りぬいてくれと、
スーパーマンのこれから。を寝ないで見守りたい母親なのでした。
次回は若干、冗談言ってるクラーク。も見てみたい。
(A・アダムス、役柄もあるけど今回もピチピチムチムチ服。何で^^;)
現代の神話、ひとつの答え。
スーパーマンほど有名で、シンプルなアイコンもあるまい。胸に頭文字を付けるだけで彼の亜流たり得る。歴史が浅く、固有の神話を持たないかの国にとって、唯一無二の神話と言える。日本で言えば古事記の映画化のようなものか。いや、これは明らかに、桃太郎の実写化なのである。
桃が流れてきた川上には桃源郷がある。この映画はその桃源郷を、CGを駆使して描き出して見せる。もっともその設定の多くは、原作コミックで後付けされたものに則っている。日本では目新しく感じるが、アメリカでは周知の事で、いかにそれらしく見せるかに力を注ぐ。
おじいさんとお婆さんに拾われた桃太郎は村で評判の美丈夫になる。前半のハイライトである桃の拾得シーンをこの映画は一切描かない。これは周知の場面だからである。
代わりに、桃太郎では一行で済んでしまう主人公の成長を、この映画は丁寧に描く。それもよく知られた二重生活の姿でなく、超人として思い悩む一人物としてである。ここに現代的な新解釈がある 。おじいさんは仲間外れにならないためにその力を隠せと言う。そのためには犠牲を払っても構わないと言い残して、おじいさんは竜巻に呑まれてしまう。この辺りも映画のオリジナルで、ストーリーの根幹を占めている。
残された桃太郎に危機が訪れる。桃太郎と同じ力を持つ鬼の侵略。桃太郎は犬と猿とキジでなく桃源郷の父から授けられた装甲服をまとって退治に出る。
お供も仲間もいない桃太郎は肉弾戦を強いられる。相手も同じく超人であるから、描くには当然CGがいる。但しあくまで人物の格闘である。
ここで製作者は、一度通常人の格闘を振付け、それをCGで拡大するという手法を取る。アニメでよくある「早すぎて見えない」表現は使わない。物理的に、神とも言える能力を持った超人同士の死闘が描かれる。その前には、我々人間たちが作った建造物など、蟻の巣ほどの脆さに等しい。
長い闘いの末、桃太郎は鬼を降参させる事ができず、首を折って殺してしまう。ここにも現代的な解釈があり、最も賛否を呼ぶ所だろう。原作コミックでもスーパーマンはゾッドを殺してしまい、精神を病むという描写がある。
あの時はこうするしかなかったが、本当にこれで良かったのか?恐らく続編が作られる中で、何がしかの答えが現れてくるのだろう。現代の桃太郎は、鬼たちがいなくなってメデタシメデタシとはいかない。或いはこれはリブートの緒編であり、三部作が終わればメデタシになるのだろうか。
バットマンは伝説であり、スーパーマンは神話である。神話を現代的なリアリティで描く事は、伝説のそれより難しい。バットマンコミックの方が、スーパーマンコミックより圧倒的に多い事がそれを物語っている。
75年も描かれ続けた物語なのだから、いろいろ後付け設定がある。曰く、弱点はクリプトナイト。北極には孤独の要塞。そう言ったものを極力排除し、製作者は現代的な英雄神話の復活に専念してみせる。設定に囚われて、最後に子供ができるという逸脱を犯した、前作の反省もあるだろう。78年版を企画した時「現代の神話を作ろう」と言った作り手の精神が、この作品には息づいている。トリビュートやオマージュでは本質は継げないのである。
78年の公開の時、私はアニメ好きの中学生だった。今、50に手が届く年齢になってこの作品を見て、あの時と同じ感想を持った。あの頃の自分と同じ、私の子供と同年齢の人に、特に見て欲しい。きっとこう思うだろう。
“日本ではアニメしかやっていない事を、アメリカでは実写でやってる!”と。
追伸:より深く理解するために、スーパーマンコミックを二つあげておきたい。『スーパーマン:アースワン』と『スーパーマン:ラストエピソード』。『アースワン』は映画にかなり近い内容で、そっくりの場面も出てくる。『ラストエピソード』は映画の最後の“ゴキッ!うぉー!”の意味がよくわかります。
あ、それと、何処かの出版社で、“Man of Steel : Inside the Legendary World of Superman”邦訳してくれないかなあ…
映像が凄い
ラッセルクロウ目当てで鑑賞。やっぱり存在感あって格好良かった。
主役の彼もたまにすごく老けて見えたりするけどイケメンでした。
他の映画で見たことある俳優さんが何人かいたけど何だったか思い出せない。
とにかく映像が凄い!今のところ一番凄いかも。アベンジャーズ以上だった。
宇宙船や宇宙の機械が凄い。
ビルが壊れる倒れる!
町も破壊される。
最初は主人公に同情したけどあれだけビルやらなんやら破壊されると敵をおびき寄せてしまった元凶だよなあと思ってしまった。
主人公の幼少時代の子役が可愛い。そしてまさかのケビンコスナーが父役とは!なんかお腹出てたし老けたけどやっぱり印象に残った。ちょっとウルウルくるのは彼との家族愛のシーン。
ハリウッドのCG見ちゃうと日本のが物足りなくなる。
ストーリーにはあまり入り込めなかった。ずっとシリアスだったのに最後はお笑いぽかった。
最後がちと…。
ノーランが制作に回るとどうなるかが楽しみであった。
ザック・シュナイダーはヴィジュアルに特に定評があるが、ウォッチメンは中身もあったわりといい作品だと思ってる。
この二人の監督がタッグを組むと…。
あ、こうなるのね(笑)
ノーランらしさ
・人物描写に焦点を当てる
・タイトルをラストに持ってくる
・時間軸を前後させる
これを最初に持ってきて、あとはザック爆発(笑)!
田舎のアクションシーンまでは良かったんだけど、
ラストが…。
街中、壊しすぎでしょ?ビル投げ倒し過ぎで、そのなかで死んじゃう人もいるでしょ…。
将軍との戦いも海とかにして、守るようにしないと。
それとそのあと、どうやって街が回復?
ほぼ更地になってたのに…。
で、あれだけ顔ばれして、メガネかけてなんとか?
そりゃ無理あるんじゃないすか?ザックさーん。
うーん、150分もやったわりに最後の一時間がぐちゃぐちゃ。
このあとは対バットマンでしょ?
どう考えてもスーパーマンのほうがつよいんですが…。
惜しいなぁ。
これなら、ノーランが監督でしっかり作った方が良かったかな。
特撮技術はこの映画の為に!見える現実世界と見えない心の内側
今から35年前の78年に制作された「スーパーマン」も当時の映画撮影技術の総力を結集した、最先端技術に因る大迫力シーンをスクリーンに蘇らせる事に成功した作品だ。
そして、今作を今観て思うのは、映画の特撮技術とは、やはりこの「マン・オブ・スティール」の様な作品制作の為にこそある技術だと実感する。
だから、出来るならこの迫力の画面は絶対に、ドデカイスクリーンで、3Dで観なくては勿体無い!と思う。少々高くても、決して損はしない筈だ。そして、くれぐれもDVDが出る迄なんて、待ってはもったいない映画なのだ。
映画は、やはり魅せ物だ。ストーリー抜きに、先ずは映像その物の迫力や、美しさや、力強さなどのあるスピード感、その物を体感する事も映画を観る魅力の一つだ。
文学が言葉その物を駆使する事によって、その言葉の持つ世界感を深く描き出すのと違って、映像は、そのシーンの画面を観るだけで、作者の制作意図の総てを一瞬にして理解させ、伝える力を持つ。これぞ、映画の醍醐味と言う物です。魅せる楽しさ、スクリーンに幻想の世界を映し出す面白さの原点がこの作品には絶対有ると思うのです。
映画のストーリーは、今から80年以上も前に生れたアメコミの代表作だから、今迄にも色々とスクリーンに登場しているので、大まかなストーリーを知らない人もいないだろう。
だから、本作にとっては、ストーリーそのものは余り重要では無く、何処まで迫力のある映像を魅せてくれるのか、その楽しみに尽きると思う。
その点今作は、申し分無く楽しめる作品だった。
そうは言っても、クリストファー・リーヴの「スーパーマン」大好きだった私には、2作品の違いが気になり、78年の作品の細かい所は忘れているので、この映画を観る前に再度DVDでチェックして観た。
クラーク・ケントが学生時代に学校で、仲間外れにされていたシーンなどは完全に失念していた。そして、デイリープラネット社で新人記者として働くクラーク・ケントのボケとスーパーマンに変身した時のシャープで粋な振る舞いの、そのギャップの楽しさがある作品で、見直すと、映画館で観た当時の思い出も同時に蘇って来て、個人的にはもの凄く楽しかった。
今回の「マン・オブ・スティール」ではより、このクラーク・ケントが自己のアイデンティティーに悩める様が深く描かれている。そして、自己の秘密を理解したその後の彼が、水を得た魚の様に、力試しをするシーンの彼の表情が何か、凄く嬉しそうで、胸が一杯になった。更に、育ての父ジョナサンをケヴィン・コスナーが演じ、この父子の心の絆もより更に印象深いシーンで感動的だった。
ところで、世界恐慌後の希望として、30年代に「スーパーマン」は誕生し、70年代後期にヴェトナム戦争で行き詰まったアメリカが、新しいヒーローを渇望して「スーパーマン」は生れた。
ならば、今アメリカは自己のアイデンティティーに苦しんでいるのかも知れない。
劇中、クリプトンで反逆を企んだメンバーが、エル(クラーク・ケント)を地球迄追って来た時に、進化した物が生き残るのだと言う。確かに自然界は厳しく、進化の波の中で巧く泳ぎ抜き、生き残るのは至難の業だ。そして自然界に於いては、生き残った者が生きる権利を有すると言う事も納得出来るのだ。しかし、事人間界に限って言うならば、何を持ってして進化と呼ぶのかは、神のみぞ知る事ではなかろうか?
進化している筈と考えている人間の文明も実は、結果として退化を促進させているだけなのかも知れない。
人間の進化や、退化なども、遠い未来の人間が過去の現実をどう捉えるのかで、決定するのではないだろうか?
期待外れ
期待して楽しみにして見に行きましたが、色々腑におちません。
というかストーリーや構成に無理がある。詰め込み過ぎたのではないでしょうか・・・
■特によくわからないのは、
ヒロインとどこで恋に落ちたのかまったくわからないのに、キスシーンがある。
いつどこで彼女は特別な存在になったのでしょうか?
まったくそんなシーンはありませんでしたが、なぜかスーパーマンの大切な人のポジションにいつの間にかすっぽり。その辺り全く描写ないんですけど…?
スーパーマンを引き渡せという時もなぜ彼女を連れてく必要があったのか劇中で意味がわかりませんでした。
彼女を幽閉した部屋になぜ鍵があったのかも謎。おかしくないですか?
■スーパーマンはそもそももっと謙虚でしたが、あらゆるものを壊し、進んで破壊していました。ある時は市民を建物の中にと言っていましたが、その建物さえも破壊。明らかに人間を無駄に殺している。前後の行為が矛盾しています。
なのに、人間は「彼は敵じゃない」と言い始めるのですが、普通に考えればその前に、彼が地球に来てなければこんなことにならなかった!迷惑と考えるはずです。
終始おかしいなと思い、物語が超冷めになってしまいました。
他にも母星で父が近代的な乗り物に乗らず、ドラゴンに乗っていたり、
よくわかりません。
今までで一番破壊してますね。少々詰め込み過ぎの内容欠落の作品に思えます。
これ面白いって言ってる人は、この辺り何も疑問に思わなかったのでしょうか
不思議でなりません。
期待していただけに残念です。
全55件中、21~40件目を表示