「彼岸の概念をとり入れた、ひと味違うファミリームービー」ラブリーボーン こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)
彼岸の概念をとり入れた、ひと味違うファミリームービー
主人公の少女が、殺されたあとにやってくるあの世のシーンを見て、思わず「こりゃ丹波先生の大霊界か」とつぶやいてしまった。それくらい、あまりに美しく描いている天国の世界は、どことなく蓮の華が咲き誇る仏教的なあの世を見せているのが、この作品の大きな特徴だ。
他にもお盆の迎え火を連想させるシーンなど、仏教色が漂うこの作品で、最もそれを感じるのは突然に殺された主人公の少女の立ち位置だ。美しい天国が目の前にあるのに少女はそこにとどまらず、自分を失った家族たち、自分を殺した犯人のその後が気になって、この世が見える場所を常に意識している。その場所とは、この世とあの世の境目、彼岸を連想させるものだ。
今までのアメリカ映画ならば、この世を気にする死人は、幽霊や守護霊のようになって愛する者に限りなく近づくくらいに立ち戻ってきていたものだが、この作品ではそこまで近づこうとはあまりせず、殺された少女の魂が彼岸でさまよっているような演出をしている。ジャクソン監督が、チベット仏教に感化された人なのかどうかは知らないのだが、少なくとも仏教的な死生観でこの作品を撮っていることは間違いないと思う。撮影期間中、監督と撮影スタッフが天国の世界の描き方をめぐってもめていたらしいが、それは、宗教的な考え方の違いが埋められなかったからだろう。
死人の魂に少し距離感がある家族たちは、亡くなった娘の思いを感じながらも、次第に空中分解するように絆が切れていく(その様子をアル中の祖母を上手く演じたスーザン・サランドンによって描いてみせている)。その様子に、死んでしまった自分の責任のように感じる少女の姿が、とても切ないところが観る者の胸をしめつける。昨今のアメリカ映画は、とかくファミリーの絆を描きたがってはいたが、失った者からのやや離れた視点でファミリーの存在価値を問い直しているこの作品は、ある意味、本物の絆というものを表現しているように感じられた。
少し天国の演出がしつこくて、家族の描き方が薄いようにも思えるのだが、それは彼岸の位置に監督がかなりこだわったからだろう。日本人的な死生観で見ると、この作品はけっこう見どころが多いのではないかと思う。