「ボンド、ジェームズ・ボンド。」007 慰めの報酬 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
ボンド、ジェームズ・ボンド。
6代目ジェームズ・ボンド=ダニエル・クレイグの最終作がやっと公開されたので、彼の過去作を復習鑑賞(その2)。
新ボンドシリーズの2作目は、原作小説の短編「ナッソーの夜(Quantum of Solace)」からタイトルを持ってきているが、完全オリジナルストーリーだ。
手付かずの原作(短編を除いて)が残っていないのだからやむを得ないが、せっかく前作で“原作回帰”を果たしたのなら、『ダイヤモンドは永遠に』や『ムーンレイカー』などの原作から離れた作品を再映画化するのもアリではなかったか。
直接的な「続編」というシリーズ初の試みはリボーン企画として斬新で良いが、もはや『007』ではなくなっている気がする。
初期作品でよく見られた中南米ロケを大規模に敢行しているけれど、雰囲気はまるで違う。
『ゴールドフィンガー』の金粉まみれ美女をオイルまみれに置き換えて見せたりしても、特殊装備のないアストンマーティン、ウイットに欠けるボンド、強くないヴィランと、今一つ乗りきれない。
マネーペニーもQも出ないのは前作同様だが、今回は決まり台詞「My name is Bond, James Bond.」もない上に、銃口越しにボンドが拳銃を撃つトレードマーク映像がエンドロール前に置かれているという“反則”まで…。
ボンドガール=カミーユ(オルガ・キュリレンコ)とボンドは、異なる目的で共闘するのだが、お互い根底に“復讐”かあるから全体的にトーンは暗い。
Mとの確執も「困ったヤツだ」的なジョークのレベルではなくシビアだ。Mは最後にボンドを信じていたと負け惜しみのように言うが、次回作以降で「M= 母親」説が巻き起こる要因になっているかもしれない。
アバンタイトルからど迫力のカーチェイス。被写体に接近したカメラは近年のアクション描写の流行りだが、目まぐるしくカットが切り替わり、ボンドのアストンマーチンと敵のアルファロメオがどちらも黒だから区別がつかない。
足場を使ったバトルや、下水道を走ったり、屋根からバルコニーに跳び移ったりの体力戦もあり、キュリレンコが登場してからのモーターボートチェイス、プロペラ機の空中バトルと派手なアクションが連続して面白い。オペラの美術も見事だ。
クライマックスは、砂漠地帯にポツンと一軒家のガラス張りホテルを爆破炎上させるスペクタクル。
…こうしてみると、スケールがでかくて飽きさせず面白いのだが、ボンド、カミーユ、Mの人間ドラマを中途半端に挟み込んだことが破天荒なアクション映画であることを邪魔していて、しかもシビアなハードボイルドにもなりきれていない、どっちつかずな印象だ。
CIAエージェントのフィリックスも登場するが、大して役に立っていないし、上司と行動を共にしていたくせに、上司だけが降格させられて自分が出世するように仕向けた姑息な男に思えてしまう。
特筆すべきはボンドガールを演じたキュリレンコの魅力。
背中に火傷痕なのか傷が見えるのだが、映画の中では誰もそのことに触れない。背中を大きく開けているのに。
別れ際のボンドとのキスは極限状態を切り抜けたことによるシンパシーからくるものだろう。他のボンドガールたちのようなロマンスの雰囲気はない。ボンドの車に背を向けて真っ直ぐに歩いて行くタンクトップ姿のキュリレンコが凛々しい。
・・・実はこの映画、クランクイン時点で脚本が完成していなかったらしい。全米脚本家組合のストライキに当たってしまったとか。だから、脚本の完成度は今一つなのかもしれない。
さらには、以降の連作において、本作は完全に無視されている。シリーズの継子(ママコ)となってしまった⤵️