ドン・カミロ頑張る

劇場公開日:

解説

「陽気なドン・カミロ」の続篇として「埋れた青春」のジュリアン・デュヴィヴィエが一九五三年に監督した作品。前作同様ジョヴアンニ・グアレスキの原作からデュヴィヴィエとルネ・バルジャヴェルが脚本と台辞を執筆した。撮影は「わたしの罪ではない」のアンキーゼ・ブリッツィ、音楽は「ユリシーズ(1954)」のアレッサンドロ・チコニーニ。前作にひきつづいてフェルナンデル、ジーノ・チェルヴィ(「肉体の誘惑」)が出演するほか、「愛人ジュリエット」のエドゥアール・デルモン、「懐かしの日々」のパオロ・ストッパ、「赤と黒(1954)」のアレクサンダー・リニョオ、トミー・ブールデルなどが助演する。

1953年製作/フランス
原題:Le Retour de Don Camillo
配給:東和
劇場公開日:1955年5月13日

ストーリー

ドン・カミロ(フェルナンデル)は雪の降る山上の淋しい司祭館に落付くことになった--一方、町では洪水期を控え、ペポネ町長(ジーノ・チェルヴィ)は堤防強化を決意したが、そのため畑地を削られる地主カニョラはこれに真向から反対した。また村の老医師スピレッティは瀕死の床にありながらカミロに見取って貰えるまではと元気を取戻し、町人たちもひたすらカミロの再帰を願うのだった。カミロ自身も郷愁もだしがたく口実を設けて町のペポネに会いに来るほど。ペポネはついに司教閣下を訪れてカミロ帰還を願い出た。町に戻ったカミロは、到着早早、人民の家で開催中の拳闘試合をさらって颯爽たる腕前を示し、ヒビの入った鐘楼の修理募金に政治力を発揮、大時計までとりつけて、人民の家の時計にはり合った。そして互いに負けてはならじと時計を進めるので町の人たちは二重の時間に悩まされるのだった。カニョラは、カミロに対して一度は堤防建設を承諾したが、いざとなると取消し、このペポネ対カニョラの不和からその子供たちまで対立して争ったりするうちに、降りつゞいた雨でとうとう堤が切れて町は水びたしになってしまった。町民は右も左もそろって堤防の上に避難した。明ければ日曜日、カミロは教会で腰まで水に浸りながら町の人たちに呼びかけ、一同を元気づけた。感激した老スピレッティが力のかぎり鐘をついたので、そのあおりで鐘楼の壁が崩れ落ち、カミロは下敷きになって気絶した。そのカミロもペポネに助け出され、二人は例のごとく憎まれ口をききながら、おのおのの持場へ帰って行くのだった。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.5公共工事と立ち退き問題

2022年5月18日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

「公共工事と立ち退き問題」は、
古今東西、行政と住民を悩ませるテーマであったようですねー

成田空港の画像を見ても、いまだに滑走路・誘導路の芝生の敷地に小さな神社や農家の建物が残っています。
成田闘争のころ、農民は下肥をあたまからかぶって機動隊のごぼう抜きに抵抗したんです。

本作、
・ブトウ農家は、代々精魂込めて耕した畑を死守したい。
・村長と議会は、ポー川の氾濫を予期して村全体のためにそのブトウ畑を堤防工事用地に収用したい。
そこへ人気者のカトリック司祭やらサイケな老町医者やらが口をはさみ手をはさみと、いらん介入をするものだから 烏合の衆相まってのドタバタ喜劇なのでした。

結局、
ラストシーンは大水害という落ち。
畑も水没。村民は全員家を失う。
・・笑えない結末なのにお騒がせ者のドン・カミロが悪者として描かれていないのはモヤモヤしたエンディングでした。

「移転補償」や「工事計画の手直し」など、カミロ神父が折衷案を提案して工事を実現させていれば、彼がヒーローであることに誰も異論は唱えなかっただろうけど、
村長の心中を思うとなぁ
ホント、モヤモヤします。

若い頃畑を愛していたこともあり、またワイン工場とブドウ畑での勤めの経験もあり、管理職やキリスト教に触れたこともある僕としては、あの結末、ちょっとストレスが残ったですね。

ちなみに共産党の存在を非合法とすることの多い西欧各国の中で、フランスでは対ナチ戦線で猛然と戦った“愛国の党”として共産党は一目置かれているのだそうです。

昔の映画ですよ、昔の映画。

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きりん

4.5魂がないと思っているなら売ってくれないか?

2022年1月21日
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jarinkochie
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