怒りのキューバ
劇場公開日:1968年2月13日
解説
ソビエトの詩人エフゲニー・エフトゥシェンコの長編叙事詩『私はキューバ』を、エフトゥシェンコ自身とキューバの作家エンリッケ・ピネダ・バルネットが共同で脚色、「戦争と貞操」のミハイル・カラトーゾフが監督にあたった。撮影はセルゲイ・ウルセフスキー、音楽はカルロス・ファキニヤスが担当している。出演はセルヒオ・コリエッリ、サリヴァドル・ウッド、ホセ・ガリアルド、ルス・マリア・ラーソなど。
1964年製作/ソ連・キューバ合作
原題または英題:Soy Cuba
配給:日本ヘラルド映画
劇場公開日:1968年2月13日
ストーリー
○(わたしはキューバ、アメリカ人よ!)高層ビルとスラムが同居し、街は毒々しいネオンに彩られ、賭博場と夜の女が氾濫し、キューバの首都ハバナは、キューバ人のものではなく、支配者のものだった。マリアは、その歓楽街のクラブで、生活のため身を売っていた。ある日、アメリカ人観光客の一人がマリアに目をとめ名前をきいた。マリアは店で呼ばれている名前「ベティ」と答えた。その夜、アメリカ人はマリアの貧しい小屋にとまった。翌朝、アメリカ人は早々に身仕度をすますとマリアの十字架を買いたいと言った。その時、マリアの恋人で果物行商をしているルネが入ってきた。彼はそこではじめてマリアの職業を知った。「さよなら、ベティ」アメリカ人は逃げるようにして去っていった。屈辱と悲しみをかみしめるようにルネは呟いた。「ベティ?……俺は君のことをマリアだと思っていた」と。○(だれがこたえる、これらの涙に)働いても働いても借金がふえ、いつの間にか士地は全部地主のものになりペドロはすっかり老いこんでしまった。それでも老人は砂糖キビ畑で働いていた。灼熱の太陽の下で汗をながして働く時だけ悲しみを忘れることができた。ある日、地主の使いが、「この土地はアメリカ人に売り渡した。すぐに出て行け!」という、不意な、そして残酷な命令を持ってきた。老人は、心をこめて育てた畑に、住みなれた小屋に、火を放った。炎と黒煙は老人の絶望を嘲笑するかのように天に立ちのぼっていった。○(革命の書はインキで書かれない)ハバナ大学の学生運動家エンリケは警視総監暗殺を計画した。だが、家族と食事をする善良そうな、あまりにも平和な警視総監の姿に、ライフルの引金を引くことができなかった。しかし、家庭から一歩足をふみだし、施政者となった警視総監は一変した。アジビラを印刷していた学生を警官隊が急襲し、捕えられながら叫ぶ学生を、警視総監は、顔色一つ変えず射殺した。「闘わなければ!」エンリケは立ちあがり、校庭で集会を開いた。そしてその集会は、警察の威嚇射撃が、一羽の白い鳩を殺したことから、怒りのデモに変った。激しいデモの人垣に向つて、ホースの水が飛び、射撃の音が響き、その中でエンリケは警視総監のピストルに射殺された。しかし、革命は死ななかった。○(マノロよ、あなたの来ることを私は知っていた)貧しい暮しではあったが、妻と子供たちにかこまれ、マノロは農民として、ささやかながら幸せな生活を送っていた。ある日、銃を待った男が、マノロの家に立ちよった。恐らく、その男はシエラ・マエストラに立ちこもったカストロのゲリラ部隊に加わるために長い道を歩いてきたものらしかった。銃を持った男の嫌いなマノロは食物を与えると、その男をすぐに追い出した。男が去って間もなく、政府軍の飛行機が現われ、爆撃を開始、マノロの家は破壊され子供は殺された。ここで初めてマノロは敵を知り、戦いの必要をさとった。彼はカストロのゲリラの一員に加わるためにシエラ・マエストラに向った。
スタッフ・キャスト
- 監督
- ミハイル・カラトーゾフ
- 脚色
- エフゲニー・エフトゥシェンコ
- エンリッケ・ピネダ・バルネット
- 原案
- エフゲニー・エフトゥシェンコ
- 撮影
- セルゲイ・ウルセフスキー
- 音楽
- カルロス・ファキニヤス