アトランティスのこころのレビュー・感想・評価
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心にジーンとくるものがいっぱい詰まってます
どうかなと思いながら、アンソニー・ホプキンスだしって事で観ましたが、こんなに良いとは予想外で観て正解でした
この作品のアンソニー・ホプキンスの瞳は本当に優しくて、語りかける言葉も声も優しくて、羊たちの沈黙とは別人でした
ストーリーは、寂しさと未来への希望もあって心が暖かくなるラストでとっても良かったです
特に何をしたってわけでもないのにただ友達と走り回って遊ぶ、そんなキラキラした子供の頃を思い出させてくれて、それがまた良かったように思えます
少年の頃のボビーの初恋、これもまたキラキラしてて、別れの挨拶の時のキャロルがあえて素っ気なく家に入っていくのも切なくて良いのです
自分勝手な母にムカつきながらも、ドレスがどれも可愛かったです
ごしゃごしゃの子ども時代記憶
記憶の中の子ども時代はいつも夏で緑や水があってキラキラしている。仲のいい友達が一緒で、こうであったらという願望と美化に飾られている。その中に一人のおじさん=アンソニー・ホプキンスが陽炎のようにぼ~っと居る。自分を守ってくれた、励ましてくれた、お小遣い稼ぎになる仕事をくれた、悪ガキも懲らしめてくれた。何よりパパの素敵さを教えてくれた。そして早くに夫を失ったママはシングルマザーとして会社で働いていた。当時、女性が会社で働くのは並大抵のことではない!仕事や「セミナー」の為の服の量が半端ない。当時のドレス可愛いが全く可愛くない状況に置かれてるママ。息子は気がついていても何もできない、まだ子どもだから。
好きだった女の子、友達、おじさん、ママ、全部が子ども時代の宝物なんだろうけれど、それぞれが結びついているようでバラバラで残念だった。
雰囲気映画
モヤっとした作品。結局テッドは何者だったんだろう。あえての演出なんだろうけど、想像力の乏しい自分には物足りなかった。ハンニバルのイメージが強くて、悪い方向を予想してた。
子役の女の子はかわいく、淡い恋心的なところは微笑ましかった。
子供の頃はあっという間だということを改めて気づかされ、寂しさを感じてしまった映画。
評価:3.4
【人心と未来が読める善良なるアトランティスの心(子供の豊かなる心)を持ったサイコキネシストの老人と少年の交流が齎した幸を、ミステリアス要素を絡ませて描いた作品。】
■1960年、アメリカの小さな田舎町。
母と11歳のボビーが暮らす家に、テッド(アンソニー・ホプキンス)という老人が下宿することに。
目の悪い彼のために新聞を読むようなったのを機に、ふたりは心を通わすようになる。
やがて、テッドが超能力者で政府機関に追われている身であるのを知ったテッドが起こした行動を描く。
◆感想
・如何にも、スティーヴン・キングの小説を原作にしたヒューマン・ドラマである。
・ボビーや彼が好きになったキャロルを苛める苛めっ子の男の子に、テッドが囁くように言った言葉”君が、お母さんのドレスを着ている事を言ってもいいのかい・・”
ー テッドが過去も含め、真実を知っているシーンが多数描かれる。ボビーの母が悪く言っていた亡くなった父親が実は、粋な男だった事など・・。-
・ボビーの愚かしき母も、徐々に自分の事だけでなく、ボビーを大切にしていく姿。
・大人になったボビーが、且つてのガールフレンドであったキャロルの娘のモリーと出会うシーン等、少し沁みる。
モリーが言った”観覧車の人?・・。”
<アンソニー・ホプキンス演じる善良なるサイコキネシスト、テッドの姿が印象的な作品。
そして、今作は少年の心の成長物語でもある。>
ノスタルジック良きです。
Netflixで鑑賞。郷愁とあの頃の甘酸っぱさ。そしてちょっとファンタジーで、成長して大人になっていく哀愁とか。アンソニーホプキンスがめちゃかっこ良いです。こんな人と良きタイミングで出会えたら、少々辛い子ども時代でも真っ直ぐ成長期できますよね。ベリーグッドでした!
原作はスティーブン・キング
スティーブン・キングの少年時代の思い出、となると「スタンド・バイ・ミー」があるが、やはりとてもいい話が出来上がっている。
自分本意な母はシングルマザー、二階に下宿人(アンソニー・ホプキンス)を入れるが、主人公(アントン・イェルチン)の少年は興味津々。
少年から見えた不思議なおじさんは多分、普通の人だったような気がする。
つまんなかったです
一生懸命名作にしようと努力してる跡が残りすぎ。基本的に良い映画になるようなアイデアではないし引き立ったアイデアでもないし。Problem になる人物の存在もとってつけたようでどこにでもあるありきたりなキャラだし、最終的にあの処置で問題解決するわけないし。スティーブンキング原作で利益の出そうな作品を一生懸命探して名作風に仕立てたという感じがした。
謎の老人との交流を通して少年が少し大人の階段を登る物語。子供心の純...
謎の老人との交流を通して少年が少し大人の階段を登る物語。子供心の純愛と、歳の差を超えた友情に心が洗われるようなお話。世界観がすごく好きだけど、映像化するには描ききれない部分があるのが垣間見え、原作を読んでみたくなった。
思い出って凄いね
じわじわ
引き込まれて…見てしまった
最後…『じわっ』…ウルって
きた
他の作品も
子供心を上手く描いていたり
大人純粋な気持ちを描いたものが多い
人間は思い出だけで、生きていけるって聞いた事あるけど
↑この言葉を思いだした
人の心を読む超能力・・・映画の中では超能力らしくなくて、“まぐれ...
人の心を読む超能力・・・映画の中では超能力らしくなくて、“まぐれ”という言葉で片付けてしまったほうが楽だ。少年時代の抽象化した思い出と(多分)勝手な推測が含まれているんだろうなと感じたあたりから、つまらなくなってきた。『光る眼』の件やジョン・ベンソンの話(少年は放屁の話が好き)というところは良かった。
『スタンド・バイ・ミー』な少年時代を思い出すストーリーだが、年老いたテッドとの温かい交流を通して大人へと成長する過程を描いたもの。しかし、事件らしい事件といえば、母親が密告したこととキャロルが殴られたことだけだ・・・それも淡々と語られるため、感動できなかった。
あの頃の魔法は消えていない
久々も久々に、勝手にスティーヴン・キング原作映画特集その19!
そろそろネタも尽きてきたが25本前後で終わらせる予定ですのでひとつ。
今回は少しだけファンタジー風味のドラマ作『アトランティスのこころ』をご紹介。
監督は『シャイン』『ヒマラヤ杉に降る雪』のスコット・ヒックス、
主演は名優アンソニー・ホプキンスと故アントン・イェルチン。
あらすじ。
1960年の夏、ボビー少年の家に、間借り人としてテッドという老人が引っ越してくる。
ボビーを決して子ども扱いせず、色々なことを教えてくれるテッドは、
物心つく前に父を亡くしたボビーにとって大切な存在となっていく。
だがテッドにはある秘密があった。彼には様々な物事を見通す不思議な力
があり、その力を利用しようとする謎の男たちに追われる身だったのだ……
...
まずはやはりアンソニー・ホプキンスの演技。
心此処に在らずの遠い目を浮かべ、示唆に富んだ台詞の数々を噛み締めるように
語る姿や、ためらいがちながらも確かに少年への優しさが伝わる場面の数々が見事。
急逝してしまったイェルチン演じるボビーも、達者な演技で名優としっかり渡り合う演技を見せていた。
また、ホープ・デイヴィス演じるボビーの母リズも良い。
欲深く我が子を顧みない母親で憎まれ役ではあったが、女性を搾取対象と見なす人間も多かった時代、
女手ひとつで家計を支える事への焦りと、自由に生きたいという気持ちがない交ぜになった結果にも思える。
原作よりもやや優しく、ボビーとの関係も救いのある描かれ方になっていると感じた。
しかしながら、
テッドとボビーの距離が縮まっていく過程がやや駆け足に感じられるため、
いくつかの重要なシーンもややあっさりとした印象になってしまったのは残念。
また、キャロルとの初恋をめぐる描写は素敵だが
(「君の人生におけるどのキスも、到底そのキスには及ばない」)、
もう一人の親友サリーの存在感が薄い点は不満。
...
原作との差異について。
映画版では、老人テッドを追う謎の男たち(ロウ・メン)が政府の秘密機関のように描かれていたが、
原作の彼らは、キングの別作品『暗黒の塔』シリーズに登場する、別世界の邪悪な存在である。
この変更は『暗黒の塔』シリーズを知らない観客への配慮だろうが、その設定を省略した
影響で、テッドとボビーの最後のシーンの印象が弱くなってしまった感もある。
だが最大の差異はそこではない。
原作は全5部構成なのだが、映画版ではそのうち第1部と第5部のみが描かれ、
また第5部である重要なキャラクターが登場しないなどの大きな変更点がある。
映像化されなかった部分では、キャロルやサリー達が成長し、それぞれが無垢な心を
失ってゆく物語が展開され、より多層的な形で『無垢な心の喪失』が描かれる。
映画版はボビーひとりに話を絞っているので、どうしても原作の持つ深みには欠けるし、
やもすれば『スタンド・バイ・ミー』の亜種のような印象を受けてしまうのは痛い。
まあ、全部映画化すると4時間でも厳しいと思うが……。
...
それでもこの映画には心を動かすものがある。
次のセリフは原作には登場しないはずだが、原作を
ボビーの少年時代に絞って映像化したことを考えれば、
原作のエッセンスを巧く凝縮した良い台詞だと思う。
「子どものころはあまりに楽しいことばかりで、
自分がまるで魔法の国にいるように思えるだろう。
ちょうどアトランティスにいるかのように。
そして大人になると、その心は壊れてしまう。」
この映画で描かれるのは無垢な子ども時代の終わりだ。
小さい頃、世界は無邪気で楽しく、驚きに満ちた場所だった。
だがそこにある綻びに気付いた時から、世の中は少しずつ少しずつ、
初めの色鮮やかさを失ってゆく。そしていつしか、世界が、自分が、
まるで擦り切れくたびれた脱け殻のように感じるようになってしまう。
しかし、確かに、この世界に魔法は存在する。
初めてのキスは魔法だった。
旧友からの贈り物も魔法だった。
亡き父を笑顔で語る人との出会いは魔法で、
亡き母の輝くような笑顔の写真も魔法だった。
人生を変えてしまうものとの出会いはすべからく魔法だ。
世界を美しく輝かせ、その後もずっとずっと心の奥で
きらめき続けるものとの巡り合わせは、本物の魔法なのだ。
原作終盤での台詞。
「四十年は長い時間よ。人は成長する、成長して、
子ども時代の自分をあとに捨てていくものだわ」
「ほんとうに?」
(中略)
「魔法のほんの小さなひとかけらが残って、あとあとまで
ついてまわる……そんなこともあるんじゃないかな」
以上。
旧き良き時代を思い出させてくれる、優しく素敵な映画。
<了> ※2018.10初投稿
泣ける!
アンソニーホプキンスが好きなので見た映画。
予想以上に感動しました。
少年と不思議な力を持つ老人との交流を描いた作品。
アンソニーホプキンスが本当に優しくて、ステキなおじいちゃん紳士でした。
ラストは切ない。
でも、暗くはならない。 胸にジーンときて、自分の子供の頃のことを思い出してセンチメンタルな気分になったりしました笑
アンソニーホプキンスのブルーの瞳は本当に不思議な魅力があります。
吸い込まれそうになりますね。
超能力はいらない
総合65点 ( ストーリー:60点|キャスト:75点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
何の予備知識もないままに観ていたが、途中でこれはスティープン・キングの原作だろうなとわかった。「スタンド・バイ・ミー」や「グリーン・マイル」と相似性がある。
だがホプキンス演じるテッドがどんな能力を持つ人物だったのか、失踪した犬の張り紙は何なのか、わかり辛くてあまり入り込めなかった。
そもそも少年時代の不幸とささやかな幸せとを描くのに超能力者みたいなのが出てくるのは必然性があるだろうか。このような話がキングは好きなようだが、自分は何でもできる反則技のように思ってあまり好きではない。母親、友人、いじめっ子との関係を通しての少年時代の描き方が良いから、これだけで良かったのではないだろうか。主人公の少年、テッド、母親、キャロルの演技もうまくて魅力的だったが、超能力とそれにまつわる物語のわかり辛さが今一つ。名作「スタンド・バイ・ミー」には遠く及ばない。
ここでは悪役で出てくる母親だが、自分には面白い存在だった。まだまだ美しさの残る彼女は、母親というよりも女なんだろう。自分勝手で子供に犠牲を強いてそんな自分を正当化し続けるなどずるいし幼いし好きにはなれないのだが、それでも子供を捨てたり酒浸りになったりしていないだけまだましだ。決して幸福とはいえなかった彼女にしてみれば、子育てに集中するには自分の人生にやり残したことがたくさんあったんだろう。
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