落穂拾いのレビュー・感想・評価
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フランス人は廃棄物にまで、市場経済を持ち込んだ。さて20年経過した今、彼らは何をいているか?
『落穂拾い』をのどかな農業の風景と見るのは、日本人だけだと思う。
この日本かぶれの演出家はそれを知らなかったのだろうか?
『モッタイナイ』と言う日本語を流行らせたと言うアフリカ人が昔いた。その影響が、大いに見受けられる。
物を拾う行為は、チェルノブイリの影響で敬遠されつつある時代。『何故に?』こう言った話を演出したのか。その真意が分からない。
少なくとも、日本では、ここで語る話は通用しないし『ゴミ屋敷』を嫌う潔癖な日本人には、理解出来る訳が無い。
旧宗主国のボランティアが、元植民地のアフリカンに自国の言葉を教える。結論がそれ?
そして、いきなり、演出家は貧困を語る。へそがお茶を沸かす。
サーロインステーキに添えるものにクレソンがあるのは誰でも知っているだろう。あのクレソンは『ドカタゼリ』と日本では俗称で呼ばれ、水のきれいな日本ではどこにでも生えていた。フランスではその草をサーロインの横に添える。流石『落穂拾い』の文化だ。
差別用語になるが、あえて使用した。捨てられる言葉にはしたくないので。
えっ!!!
あの『クレオ』の監督?見直すつもりは無いが、彼女は年をとったのだろう。または、私の見間違えだったのだろう。
タイトルなし
落ちているから拾う、捨ててあるから拾う。では、他者の生き様を撮って切り取るドキュメンタリーは?/何処も同じような状況だということを知れたのはよかった。/ところで、ラプランシュとポンタリスのラプランシュが出てきてびっくり!知らなかった。
【“現代の落穂拾い”をする人々を追って、彼らの生き方を描くドキュメンタリー作品。食物大量廃棄問題などにも、思考が及ぶ。アニエス・ヴァルダ監督の視点が素晴しい作品である。】
■ある日、パリの市場で道に落ちているものを拾う人たちを目にしたヴァルダ監督は、ミレーの名画「落穂拾い」を連想する。
田舎ではまだ落穂拾いをしているのか?という疑問にかられた監督は、カメラを手にフランス各地の“現代の落穂拾い”を探す旅に出る。
◆感想
・アニエス・ヴァルダ監督の、作品発想が素晴しい。そして、その溢れんばかりの好奇心と、行動力にも・・。
・今作を見て、直ぐに思い出すのは、コンビニエンス・ストアーや、大型スーパーからの大量食物廃棄問題である。
消費期限が来たものは、スーパーの場合、値引きシールが貼られるが、少し前まではコンビニエンス・ストアーでは、即廃棄であった。店員も、持ち帰ってはイケナイルールだった。
”勿体ない”と言う言葉は日本だけかと思っていたら、フランスでも”グラヌール”(拾う人)という言葉がある事も知った。
・今作は、様々な”グラヌール”(拾う人)を捉えている。
1.サラリーマンでありながら10年以上も、グラヌールで生活をしている男性。
2.市場に落ちている野菜を食べる菜食主義者の男性。
3.ジャガイモ畑で規格外のジャガイモを大量に拾う、ジプシーの人々。
4.牡蠣の養殖場のすぐそばで、牡蠣を拾う人々・・・
面白いのは、それぞれ”グラヌール”には、規則があるという事であった。
・法的に言えば、所有権が問題になるが、基本的には廃棄した時点で、そのモノの所有者だった人の所有権は無くなり、必要な人がそれを活用する事が出来る。
だが、廃棄場所を荒らしたりすれば、法的処罰を受ける事がある事は、映画の中で描かれている通りである。
<捨てられたモノを、再利用する大切さ。
場合によっては、それは食料の大量廃棄を減らす、環境面にもプラスになる。
勿論、ルールを守ってではあるが。
そのような事に、ミレーの”落穂拾い”の絵を見て気付き、即、作品制作に動く、アニエス・ヴァルダ監督の行動力や、作品構成力には脱帽である。
ラストはアニエス・ヴァルダ監督への捨てられたモノ達からの、ご褒美だと思った作品。>
ちょっと衝撃的でした
フランス映画で、落穂拾いという絵画??
なんだろと思い。初岩波ホール。
さすが歴史あるなぁと、
他の映画館とは、チト違います。
斎藤工さんとARATAさんのトークイベントが
同日の夕方あると張り紙。☆彡
でも、すでに完売。残念。
ところで、映画は、20年前の作品でフードロス
風刺する、まさに、社会派映画でした。
わたしのイメージのフランス🇫🇷という国とのギャップ
ブランドやファッションとは、かけ離れた
側面を監督がハンディを持って突撃取材してます。
90分だったけど、真剣に見ると長く感じます。
若い方が沢山見に来てて以外でした。
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