ローマの休日のレビュー・感想・評価
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身分を隠した一抹の恋路
オードリー・ヘプバーンのドキュメンタリーみたので、未鑑賞のものを。
不朽の名作ですね~
彼女のドレス姿が美しいこともさることながら、身分を隠した一抹の恋路なんて最高じゃないですか。
ローマの休日の「真実」。ジョーは真実を記事にせず、二人だけの秘密にする。これは彼とアン王女の絆である。
彼らは二度と交わることはないかもしれない。けれど思い出は何度も蘇り、絆は決して断たれない。
魅了される。。。
最後に語られる"フレンドシップ(友情)"の深い意味
ヨーロッパ歴訪の過密スケジュールに辟易した某国王女アンが、こっそりとローマの街へ飛び出して、新聞記者のジョーと恋に落ちる。宮殿で主治医から投与された鎮静剤が効いてきて街角で寝こけてしまったアンを、偶然ジョーが助けたのが馴れ初めだが、当然、真実を隠したいアンと、彼女が王女と知って特ダネにしたいジョーは、互いに身分を偽ったままローマを探訪するうちに、気がつくと惹かれ合っていたというわけだ。かなり強引な展開だが、観客は少しも不自然さを感じない。ウィリアム・ワイラーの流麗な演出と、モノクロ画面に映し出されるローマの風景と、何よりも、王女の心の変化を自然体で演じるオードリー・ヘプバーンの瑞々しさが物語を引っ張っていってくれるからだ。しかし、脚本の妙こそが称えられるべきかもしれない。製作当時、ハリウッドに吹き荒れた"赤狩り"の煽りを受けて、仕事を干されたドルトン・トランボが、、本名を隠して綴った「ローマの休日」の脚本には、同じ仲間でありながら分断された映画人の心の叫びが、永遠の友情を密かに誓い合うアンとジョーを通して浮かび上がってくるからだ。終幕間際まで上質のラブロマンスとして推移する映画が、"フレンドシップ(友情)"という言葉で締め括られることの意味を、再見の際には是非感じ取って頂きたい。
格調高いロマンチックコメディ
BSにて視聴。
言わずとしれたこの名作は何度見てもため息が出るほど素晴らしい。
モノクロの画面でオードリーとグレゴリー・ペックの美しさは際立ち、ホレボレとしてしまう。
物語は小さな笑いを散りばめながら、徐々にふたりの心が近づいていく。その描写は繊細。
感情が揺れ動く表情とセリフの間合いも丁寧に描かれて、ああ、この時代の映画はいいな、と思わせられた。
名シーンが多い本作品。
当方は特に冒頭の王女が退屈して靴を脱ぐシーンと、最後の会見で写真を贈られるシーンが気に入っている。
追記
午前10時の映画祭にて鑑賞。何度目の鑑賞かわからないが今回も新鮮な気持ちで感動を味わった。
「キッチン付きの部屋に引っ越そうかな」
ラスト近くは数々の台詞がとても切ない。
ロマンティックなストーリー、台詞の掛け合いの楽しさ、演出のセンス。大人のおとぎ話のようで最高に素敵な作品。
スクリーンで見れたらいいのに・・・と思いながらDVDなどで何度も観...
スクリーンで見れたらいいのに・・・と思いながらDVDなどで何度も観てきた映画を遂に映画館で鑑賞できました。
スタートからアン王女と一緒に「わくわく、うきうき」しながらローマを旅できます。最後は切ない別れではあるものの、アン王女、ジョー、アーヴィングがそれぞれに納得した最善の結果になっているのもすがすがしい。
カラー化されたものもあるようですが、絶対白黒の方がいい。私は、観ている時に白黒であることを意識したことはありません。是非、観る人それぞれが脳内で色をつけて楽しんでもらいたいと思います。
オードリーだけでなくグレゴリー・ペックも素晴らしい
午前10時の映画祭で、「ローマの休日」を上映していたので見に行く。
小学生の頃、テレビ放映で見た記憶はあるのだが、内容はほぼ覚えていない。
というか、ストーリーとか印象的なシーンは全部ではないにせよ、しょっちゅうテレビや動画で目にしていたので、見た気になっていただけかもしれない。
で、この映画については、オードリー・ヘプバーンの発見、に尽きるのでしょう。
ハリウッドでの初主演でアカデミー賞の主演女優賞をかっ攫ってしまうのもうなづける。
監督は、オードリーを見つけた時、心の中でガッツポーズしたと思う。
今回、見て、今作がここまでロマンティック・コメディに全振りしていたことに、ちょっと驚いた。
コメディの要素が思っていた以上に大きかったからですが、それは私の変な思い込みでした。
あと、今作で、グレゴリー・ペックがアカデミー賞にノミネートされていないのには、合点がいかない。
新人のオードリーを際立たせる、グレゴリー・ペックの渋みよ。
この映画が、いまだに人々に愛されていて、今後も愛され続けるだろうと確信した鑑賞でした。
特別な一本
綺麗、美しい、可愛い…
オードリー・ヘップバーンが本当に美しい…
まだ大人になりきれないのか、お転婆という言葉が似合いそうな王女がたった一日の逃避行を経て、己の立場や現実を知り大人になる流れがどこを切り取っても美しいな…と思いました。
名作過ぎて話の流れも名場面も知っているけれどきちんと観たことはなかったこの作品。映画館で上映中と知り、大画面で観られるならと映画館へ行きました。
可愛い!美しい!腰!!!!細い!!!!!!大丈夫かな?と心配になる細さでしたが、ドレスを着る人って腰の細さ大事ですものね…それがなくとも全身から漂う気品の良さに見惚れてました。
アメリカに戻りたいらしい新聞記者のジョーは王女を使って特ダネを作ろうとするけれどそりゃ恋に落ちる。吊り橋効果とかあるけれど、そんな吊り橋なんて壊れるこわれる。仕方ない。素敵な思い出過ぎる。
最後の記者会見のシーンで種明かしをする時の、あの、周りが聞いても違和感はないけど本質はお互いにしか分からない会話というものがとても好きです。
ローマの思い出に…と写真を渡す、実はライターがカメラだったんだと見せる。種明かしの時にはアン王女も傷ついたでしょうけどその後の真意をきちんと受け取る様。
素敵だった〜…
失恋なんですけども、お互いがお互いの立場を認識してもうそうするしかなかった悲しいお話なんですけども…
ラストの廊下を一人歩くジョー。やはり私はその後ろ、アン王女が今にも現れてくれないかと睨みつけるけれど現れることもなく…
これが答えで、この後二人は出逢うことはないんでしょうけども、ハッピーエンドじゃないのになんでこんなに綺麗なんだ…
映画館で観られて良かったです。
オードリーの原点
まさに、映画史に残る不朽の名作!!
《午前十時の映画祭15》にて鑑賞。
【イントロダクション】
イタリアのローマを訪問したヨーロッパ某国の王女が、屋敷を抜け出した先で出会った新聞記者と僅か1日の儚くも美しい恋に落ちる様子を描いたラブストーリー。
映画史に燦々と煌めく永遠のヒロイン・アン王女を、同じく映画史に残る永遠の大女優オードリー・ヘプバーンが演じる。王女と恋に落ちる新聞記者、ジョー・ブラドリー役にグレゴリー・ペック。
監督に『ベン・ハー』(1959)、『おしゃれ泥棒』(1966)のウィリアム・ワイラー。脚本に『スパルタカス』(1960)、『ジョニーは戦場へ行った』(1971)のダルトン・トランボ(当時のハリウッドの赤狩りにより、イアン・マクレラン・ハンターの名義を借用)。その他脚本に、イアン・マクレラン・ハンター(トランボへの名義貸しと最終脚本を担当)、ジョン・ダイトン。
【ストーリー】
某国の王位継承者であるアン王女(オードリー・ヘプバーン)は、ヨーロッパ各国を親善訪問中であり、最後の地がイタリアのローマであった。しかし、形式的で不自由な訪問内容と、過密スケジュールによる疲労感で、不満は限界まで募っていた。ある晩、遂に王女は大使館を抜け出し、夜の街を彷徨う。
寝る直前に医師から打たれた鎮静剤の影響で、王女は意識が朦朧とした状態でベンチで眠ってしまう。そこへ偶然、アメリカン・ニュース社の新聞記者であるジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)が通り掛かり、介抱の為自宅へと招く。
翌日、前日の仲間内とのギャンブルや王女の介抱ですっかり寝坊してしまったジョーは、慌てて出社する。上司に呼び出された先で、王女は急病により予定されていた会見を延期した事を知らされる。新聞の一面に目を通すと、載せられていた王女の写真は間違いなく今現在自宅で安眠中の彼女だった。王女の独占取材による大スクープをものにしようと、ジョーはカメラマンのアーヴィング(エディ・アルバート)を電話で呼び寄せる。
目を覚ました王女は、ジョーに嘘を吐いて別れを告げると、大使館へは戻らず、ジョーから借りた金を手に市場や美容院、ジェラートを満喫する。その様子を陰から見ていたジョーは、偶然を装って彼女に近付く。ジョーは、自身を販売関係の会社員と、王女は寄宿学校から抜け出した学生だと、互いに身分を偽り、ローマ観光に乗り出す。
【感想】
金曜ロードショーの新吹き替え版で鑑賞して以降、映画館でのフル尺鑑賞を熱望していた作品。
4Kリマスターによって、フィルムの傷すらなく一切画面にノイズが入らない完璧な状態で、不朽の名作を存分に堪能する事が出来た。
私が鑑賞したTV放映版では、約25分ものシーンがカットされていた。
カットされていたのは、記憶を頼りに確認しただけでも以下のシーン。
①アン王女がパーティーの最中に窮屈なハイヒールを脱いでいたら履き戻せなくなり、それに気付いた大使の機転でダンスに移行する
②アン王女とブラドリーが出会い、タクシーで家に送り届けるまでの運転手とのやり取りの一部
③ブラドリーが遅刻の言い訳で中止になったはずの王女の記者会見をでっち上げる
④ブラドリーの部屋で入浴中のアン王女が、掃除のおばさんと鉢合わせる
⑤スペイン広場で花屋から花束を買わないかと提案されるが、金銭の持ち合わせが残り少なく一輪だけ譲り受ける
⑥アン王女がスクーターで暴走運転をして警察に逮捕された際、ブラドリーが警察官に新聞記者の正体を明かし、何となく事情を察した街の人々からアン王女が歓迎される
⑦願いの壁でアン王女とブラドリーが語り合い、アーヴィングが写真の現像の為に2人から一時的に離れる
⑧帰宅したアン王女が、眠る前のミルクとクラッカーを断る
⑨会見日にブラドリーの部屋でアーヴィングと共に撮った写真を確認するシーンだ。
特に最後の⑦〜⑨の3つは、本作をより味わい深くしてくれていた。
❼戦時中の逸話から願いを叶えると言われ、叶った願いを紙やプレートに書いて壁に立て掛ける“願いの壁”に、アン王女は“きっと叶わない夢”を願う。それはもしかすると、ブラドリーとこのまま結ばれて一庶民として平凡な生活を願っていたのかもしれない。
❽お転婆で無邪気な少女のようだった序盤に対して、ブラドリーとの水泡の恋の果てに女王としての自覚と覚悟を決め、大人の女性へと変貌したからこそミルクを断る。
❾初めは特ダネ記事と写真の為に結託していたブラドリーとアーヴィングが、アン王女の天真爛漫さと一時の楽しい思い出を汚すまいとして、写真を前に思い止まる。
映画やドラマには、時に「この人なしでは成立しなかった」と言える奇跡とも呼べる瞬間(シーン)、奇跡によって齎されたと言える作品が存在する。そして、本作のオードリー・ヘプバーンはまさしくそれである。
とにかくアン王女の純真無垢さと天真爛漫さ、それを全身で表現し切ったオードリー・ヘプバーンの演技が眩しい。まさに、映画史に残る永遠のヒロインだろう。
王女として、日々多忙な公務をこなさなければいけない窮屈さと、そこから抜け出しブラッドレーとの泡沫の恋を満喫する姿の対比が見事。
長い髪を理容室でカットし、ショートヘア姿をアップで捉えた映像の「美人は何でも似合う」という問答無用、暴力的なまでの圧倒的な美が炸裂する瞬間が凄まじい。
かと思えば、大使館を抜け出す際や、スクーターを嬉々として運転する意外とお転婆な姿は実にキュート。
しかし、やはり何と言っても、ふとした瞬間に見せる王女としての威厳溢れる凛とした表情の破壊力の凄まじさ。アップで映された瞬間の煌めきには、思わず目を焼かれたかのような衝撃を受けた。
意外にもコメディチックな話運びで、ジョーから1,000リラ(1ドル50セント)だけのお金を渡され、街を一人歩いていくシーンは、思わず「え?それでお金足りる?大丈夫?」とハラハラさせられた。
ジョー役のグレゴリー・ペックも負けず劣らず素晴らしい。
ラスト、アン王女が立ち去った後、記者達がゾロゾロと会見場を後にする中で、一人王女が消えて行った出口を見つめるジョー。その胸中は、昨晩、王女が路地の角を曲がった後を、車中で静かに見つめていたのと同じ気持ちだったのではないだろうか。
「戻ってはこないだろうか?」
しかし、2度目も同じく、王女は戻ってこない。泡沫の恋は、まさしく淡く儚く幕を閉じる。しかし、互いがあの日を忘れる事は、決してありはしないだろう。
王女が昨夜の別れ際に言ったように、「振り返らず」、静かに靴音を響かせて会見場を後にするジョーの姿が切ない。
【総評】
映画史に残る不朽の名作の名に恥じぬ堂々たる一作だった。オードリー・ヘプバーンの魅力が全編に渡って炸裂しており、その煌めきに完全に心奪われてしまった。
4Kリマスターによって細部まで細かく映し出される美術、オードリーの美しさは、これぞ劇場鑑賞の醍醐味と言える最高の映画体験を与えてくれた。
映画史に燦然と輝く傑作ラブコメ!
映画史上に残る傑作だ。
純粋に無邪気な王女役、オードリー・ヘプバーンと、一見世慣れてるが、根は純朴な記者役、グレゴリー・ペックが、実に忘れがたく魅力的だ。
特に英国では、16歳年上で離婚歴があるタウンゼント大佐と恋に落ちながら、政府や王室の猛反対に直面し、結婚しないという声明文を出すしかなかったマーガレット王女のスキャンダルと、公開時期が被ったことでも知られる。
身分違いの男女が偶然出会って惹かれあうという、極めてシンプルな現代の寓話だからこそ、ユニークなエピソードを積み重ね、コメディとロマンスを織り交ぜた脚本や演出と、主演の2人の魅力的な好演が、おおいに輝きを持っている。
物語を通じて、上品かつ洗練された雰囲気の中、コメディタッチのユーモアもあり、温かさにあふれている。ロマンティック・コメディの1つの定型を確立し、後の作品に多大な影響を与えた、映画史上に残る傑作だ。
きゅんきゅん少女漫画やないかい
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