「歌しか知らなかったけど、遂に視聴。」リトル・マーメイド(1989) alalaさんの映画レビュー(感想・評価)
歌しか知らなかったけど、遂に視聴。
歌は知ってたけど内容は一切知らない状態で早ウン十年経ってましたが、ディズニーアニメが一時落ち込んだのを持ち直した傑作と言われてるそうで。確かに良かった。
同じくイマイチだったディズニーが持ち直した『塔の上のラプンツェル』は昔に見ましたが、こちらは特にそこまで記憶に残ってない。同じくイマイチになって持ち直した『アナと雪の女王』も、話題になったのですぐに見ましたが、歌は記憶に残ってるけどストーリーは雑だった感じがしてどうも。やはり伝説のディズニーももうスターウォーズだのスパイダーマンだの色々買い占めだした頃から寿命だったんですかね。
本作はディズニーシーに行くとよくかかっているUnder the seaとかKiss the girlとか、歌はかなり有名ですが、ストーリーに関してはもう昔過ぎて、誰も話題にすることもなく。というか「知ってて当然」くらいの感じなのかもしれませんが、自分はずーっと「どんな話なんだろうな~」状態で歌だけ小耳に挟んでました。
Kiss the girlは歌詞的に「はよキスせーよ」って内容なのはわかる。王子がアリエルにキスするように野次馬が嗾けてるシーンで歌われるというのも知ってた。ただ映像で見ると、想像以上に野次馬達の雰囲気作りハンパねえ~!!笑
そして衝撃なのはアースラの歌。
「人間の男はお喋りな女は嫌い、好まれるのは黙って頷き男の後ろを歩く女」。
歌詞を書いたのが男性で、1989年に既にヴィランの歌としてこの歌詞を書けるのは、流石ディズニーと言わざるを得ない。
ディズニーは子供向けアニメとして作ってる割に、ヴィランの歌が結構シビアで好きなんですが(『モアナと伝説の海』のタマトアが歌う「シャイニー」とか)、やはりこの時代のディズニーは先見の明があったし尖ってたんだなあ。
ヴィランにこの歌を歌わせ、それが明らかに間違い(悪魔の囁き)であり、この「常識」は呪縛であると暗に見る側に伝える。そして、その歌の後にアースラが奪うのが「女性の声」というのがまた秀逸。
アリエルがあまりにも美しい声を持っているから、その一番価値のあるものを欲しがった、と取るのが普通だと思いますが(原作でもそうなんだし)、歌詞を見ると「声を奪う」をあえて「女性を黙らせる」と解釈し利用したのかなと思えます。原作では魔女はあくまで対価として人魚の声を貰うだけのはずが、ディズニー版は明らかに悪意があり、アリエルを嵌めるために声を奪うわけですから、原作の設定を利用し、わざとこの構図にしたと考えても良いのでは。
声を失うことに戸惑うアリエルに、アースラは「美しい見た目があるんだから大丈夫」と言う。
そしてラスト、アースラは魔法で美しい姿とアリエルの美しい声を装備するけど…魔法をもってしても、結局アリエルの内面の魅力に負ける。
男性を喜ばせる「モノ」としての価値しか求められてこなかった女性達が、男性に選ばれるために表面的な部分ばかりを必死に磨かなければならない、女性は外見が美しくなければ生き残れないという考え方にストップをかけようという意識を感じます(それでもアリエルも王子も見た目が美しい設定なんだけど)。
これが35年も前の作品だってよ…本作の後『アラジン』も同監督が担当したとのことで、納得。
アメリカでは女性解放運動が1960年代に始まっていたから、こういう表現が公にあっても不思議じゃないのでは?と思うかもしれませんが、本作と同じ頃か、もっと後に出たディズニー以外の有名映画を見れば、女性解放運動がどれだけ遅々として進んでいないかがわかります。
同年に出た『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』では、惚れた女が自分の父親と関係を持っていたと知ったインディが「お下がりはごめんだ」と言うシーンがあるし、2004年の『キャット・ウーマン』でも「(女のくせに)男を立てる気ないの?」とか「私は女(だから人を騙すのは当然)」とかいう台詞が平気で使われてることから考えても、こうして公に社会常識を皮肉る作品を子供向けアニメで出せるというのは、かなり勇気がある(なのに上層部はかなり人種・性差別的だというから不思議すぎる)。
現代ではまた、男性にお近づきになるために女性が声を捨てる話って何やねんと疑問を持つ人もちらほらいるようですが、2023年の実写化に際しその辺の表現は変わったのか、1989年からの更なる進歩はどんなもんなのか…期待できるのかどうかわかりませんが、いずれディズニーが再興することを祈りましょう。
ところで、ディズニープリンセスの作画がどんどん子供っぽくなっていることに関して、アメリカではだいぶ前から議論されているそうなんですが、確かに1937年の白雪姫が14歳、2013年のエルサが20歳設定だったことを考えると、かなり若返ってますね。
でも実際、現実の人間も昔の人よりかなり若い(幼い)そうなので、気にするほどのもんなのかどうか?アメリカでは、20歳といったらもうかなり大人っぽい装いをしていないと格好が付かない、といった考えがあるので、余計に受け入れがたいのかもしれません。
ちなみに1989年のアリエルは、1959年のオーロラと同じ16歳の設定だったそう。歌詞中で「私は子供じゃないのよ」と言ってるけど、未成年なのかよ。笑
でも、これからの時代求められるのはこの子供らしさなのかもなーと。何でもとにかくやってみる、よく知らないけど憧れる、リスクが高くても思い切って行動する。現代では、小さい子供でさえこんな風に自由に振る舞えないのでは。
子供のやったことに責任を取れるほど余裕のある親が今の時代どれだけいるのか。金もないし精神的な余裕もない。でも、だからといって子供を締め付けていると、子供は成長しても飛び立つ能力がないまま大人になることになる。まだ飛び立つ能力がないように見えても、子供が飛び出したがった時にやらせてやるのが良いのかも…
親の描き方も「ありがち」な親そのままで、親父のトリトンが娘の話もろくに聞かず「黙って言うことを聞け!」とか、言うこと聞かないと娘の大事にしてる所持品ぶっ壊すとか、現代人目線だと完全に毒親。愛情はあるんだけど、反省もしてるんだけど、完全に毒親。ディズニーが描く毒親、結構リアル感ありますね。『ラプンツェル』でも思ったけど。
ディズニーを持ち直したと言われる一作、流石の出来で、正直現代のディズニーアニメから遡って前作見たい気持ちになりました。
興味はあるけど昔の作品だし、わざわざ見なくてもいいか…と思っている人も、一度は見てみても良いのでは。親子で見るのもお勧めです。