「圧巻のサーキットとユダヤの視点」ベン・ハー(1959) よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
圧巻のサーキットとユダヤの視点
ガレー船の艦隊決戦や船底での奴隷の漕ぎ手たち。そして何よりも、四頭立て戦車の壮絶な映像が圧巻。一部にはめ込み合成を用いているものの、本物の戦車をいくつもサーキット上を走らせている。一台、また一台と落伍し、落車した乗り手には恐ろしい危険が待っている。現在のような特殊効果やCGの無い時代によく映像化する気になったと思う。その意志と技術力は素晴らしい。
このサーキットのシークエンスが、「スターウォーズ エピソードⅠ」のポッドレースの元ネタであることは明らか。ジ(ェ)ダイの活躍するジダイ劇を撮ったジョージ・ルーカスが、西洋人にとってのポピュラーな時代劇であるローマ時代の作品を観ていない訳がない。
そもそも、共和国議会議長パルパティーンが巧みな計略によって銀河第一帝国初代皇帝となるスターウォーズの筋書きは、カエサルの養子ではあっても無名だった青年オクタヴィアヌスが、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスとなる歴史をなぞっているのだから。
キリストの誕生と処刑というプロローグとエピローグを持つこの作品は、もちろん東欧系ユダヤ人が支配するハリウッドの大作である。彼らの市場におけるマジョリティーであるキリスト教徒に対するサービスとしてのこの伏線は、主人公もその一人であるユダヤ教徒の冷めた視点から描かれている。
キリストの容貌と声は観客には分からないし、その「ありがたい」という話の具体的な内容にも触れられることはない。映画に出てくるキリストがやったことは、砂漠を護送中の囚人に水を差し出す慈悲の行為と、死に際に嵐を巻き起こして伝染病を消滅させるという奇蹟だけなのだ。
ここでは、極めてカリスマ性の強いユダヤ教のラビとしてキリストは描かれおり、処刑の理由すらもはっきりとは語られない。こうして、なんだかよく分からない人キリストや彼の信奉者がユダヤ人/教徒であったことをしっかりと示している。
このようにキリストと神の関係への言及を注意深く避けている繊細さを持ちながら、アラブという概念への言及は迂闊に思える。紀元1世紀の物語でありながら、「アラブ」人がユダヤ人と共にローマ帝国による支配への抵抗を叫ぶシーンに唖然とした。地理的・歴史的考証を一切欠いた、極めて大雑把なオリエンタリズムの視点が露出した瞬間に思えた。