ベイビー・オブ・マコン

劇場公開日:

解説

バロック最盛期の一七世紀イタリアを舞台に、ルネサンス時代の名家・メディチ家の末裔が、目前で演じられる宗教劇の舞台に乱入し、虚構(演劇)と現実(観客席)の間を往復するさまをつづた作品。監督・脚本は「プロスペローの本」のピーター・グリーナウェイ。製作は「ルーバ」のキース・カサンダー。撮影はグリーナウェイとは「ZOO」以来の全作品を手がけているサッシャ・ヴィエルニー。音楽監修はダニエル・ロイスが務め、ヘンリー・パーセル、ジローラモ・フレスコバルディなど、当時の作曲家による既成曲が使用されている。主演は「ヤング・シャーロック ピラミッドの謎」のジョナサン・レイシー。共演は「嵐が丘(1992)」のレイフ・ファインズ、「シャイニング」のフィリップ・ストーン、ジュリア・オーモンドら。

1993年製作/122分/イギリス・フランス・ドイツ合作
原題:The Baby of Macon
配給:ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画
劇場公開日:1993年12月11日

ストーリー

一六五九年、イタリアのとある町のバロック式の大劇場で「ベイビー・オブ・マコン」と題する芝居が今まさに幕を開けた。後年フィレンツェ大公となる一七歳のコシモ・デ・メディチ三世(ジョナサン・レイシー)の一行も最前列に陣取っている。芝居はこんな内容だった。世の中が飢餓に苦しむ時代に、ある一人のグロテスクな妊婦が怪物をはらんでいると予言される。だが、生まれてきたのは五体満足な美しい男の子だった。人々は奇跡の子としてあがめる。この子を利用して金儲けをしようと企む赤子の姉は、自分がこの子を生んだと言いだす。赤子はキリストの再来で、自分は処女懐胎したマリアだというのだ。彼女の主張は教会の逆鱗にふれ、対立はエスカレートしていく・・・。芝居が進むにつれて、役者と役者が演じる役との区別、観客と劇中の群衆の区別がはっきりしなくなっていく。観客のはずのコシモは舞台に上がり、彼が立ち会った劇中の出産シーンでは本物の赤子が産み落とされてしまう。コシモは娘の後をついて歩き、いつしか劇中の人物との境界があいまいになっていった。赤子は奇跡を起こし、娘は奇跡の子供の母親にふさわしくないと宣告され、赤子は教会が直接保護しはじめるとこれまで以上に金儲けに利用される。復讐に燃え赤子を殺した娘はコスモの提案で、市民軍の男たち(=芝居の観客たち)によって処女を奪われて死ぬ。赤子の葬儀がコシモの立会いで行われた。教会だけに奇跡の恩恵を受けさせてはならじと、町の人々は赤子の屍の最後の一片までをもバラバラにしていく。罪の報いとして、町に再び飢餓と不妊の災禍が訪れた。

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映画レビュー

4.0〈バロック〉と グリーナウェイ

2020年6月7日
Androidアプリから投稿

17世紀 バロック全盛のイタリア
後の大公となる少年が「宗教劇」を観劇するのだが…

劇場が ローマのコルナロ礼拝堂を連想させるかな
彼や取り巻きも劇に乱入、虚構(舞台)と現実(観客席)を往復し 映画観賞者も観客席に座っているような錯覚に陥る

劇では 奇跡の子が姉に利用され、既存宗教で更に搾取が発展し 死に至る(虐待/受難)
処女懐胎を偽装した姉は 欲望の為にその役割(聖母)を放棄しようとして、惨劇を招く

舞台に乱入した少年は 彼女に対する(倒錯した)刑を提案し、司祭も同意する
娘は死に、奇跡の子も聖餐となる(カニバリズム)

奇跡の子の実親も殺害され ベルニーニの彫像のように晒される
(後に また美しく偽装されるに違いない)

エログロを駆使して 人間のエゴや欲望の暗黒面、深さを思い知らされる
急所を突いていて グリーナウェイらしい映画なのだろう

オーモンド(娘)とファインズ(司祭の息子)が全裸で血まみれになり熱演してるが
格闘のようでもあり、よく出演したな… と思わされた

搾取、幼児虐待、カニバリズム(臓器売買を連想させる)は 現代でも継続中で
色々考えさせられる

食前、食中には お薦めできない映画

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jarinkochie
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