昼顔(1967)のレビュー・感想・評価
全28件中、21~28件目を表示
すみません。良さがわかりません。
ヴェネチア国際映画祭で最高の賞を受賞している作品。
当時としては斬新な表現だったのだろうなとか、フロイト・ユングの影響を受けていて、『8 1/2』と基本的コンセプト(夢・妄想・深層心理と現実のないまぜ)は同じなのかしらんとは思うものの、
『8 1/2』に比べて、映画の中に入り込めない。
ドヌーブさんは、ビスクドールのように美しい。胡粉もといおしろいを塗りまくっているのだろうかと注視してしまうほど。でも、初々しく柔らかみのあった『シェルブールの雨傘』に比べると、骸骨顔で今一つ。後半いろいろな表情が出てきて人間らしくなるが。
ヌードの後ろ姿は、しまるところ、豊かなところのラインに驚愕。でも、バレエ等をやっている人に比べると、筋肉が引き締まって美しくというのではなく、ちょっと垂れているところもある。それを柔らかみととるかどうかという好みに分かれるかな。
あと、ローレンさんやヘップバーンさんに比べると意外に歩く姿とかが不作法。場末の踊子みたい。あんまり”気品”を感じないのも好みの問題か。
それでも、イブサンローラン氏の服等を身にまとった姿は美しい。ギリシャ神話のアンドロメダのごとくに縛られた様や、白雪姫か眠れる森の美女をモチーフにしているのかと思うシーンとか。まるで、ドヌーブさんの動画写真集(PVとも微妙に違う)かと思いたくなるような映像が続く。
理想的な、幸せそうな美男美女のセレブカップルが壊れていく。しかも、外部からの要因ではなく、二人の関係性・欲望によって。観客のスキャンダル的な好奇心を満たす展開。
美しい妻を手に入れたことに安心し、仕事上での人間関係作りや仕事に夢中になって、妻の気持ちに無頓着な夫。
子どももおらず、家事もメイドに任せられ、享楽的に時間を持て余し、自分の存在があいまいになっていく妻。
という、二人の関係性は想像できるが、表面的にしか描かれない。二人がどうやって知り合い、恋をして結婚したのか。妻は結婚前に何をしていたのか。深窓の令嬢が親の薦めるままに結婚したような、お人形カップル。
だから、時折挟まれる妄想にも、妻の昼間の行動にも、まったく説得力がない。
だから、ついていけない。
この監督作品は初めて。いろいろな方のレビューを読むと、細部にこだわりがある作風らしい。ここで馬車?ここで猫の鳴き声?
でも『8 1/2』はくらいついて読み解くなりたくなるけれど、この映画は1回見ればいいや。
憎めない変態さんたち
彼には悲劇だが
理想的な夫婦が抱える問題を、妻が一人で背負ってしまった為に開かなくて良い扉が開かれてしまう。
ラストで彼が銃弾を受け不自由な体になる事で妻の苦悩が霧散するラストは何とも言えない
ドヌーブの服装がとてもお洒落。情夫のブーツとの対比は印象的
不感症さえ治れば、君は完璧だよ
映画「昼顔」(ルイス・ブニュエル監督)から。
女優「カトリーヌ・ドヌーヴ」の男性ファンには、
堪らない作品に違いない。
彼女の下着姿まで観られ、1967年(昭和42年)
当時としては、けっこう過激な作品だったような気がする。
さて、ストーリーだけ考えると、実はよくわからない。
「昼顔」(Bell De Jour)という作品タイトルも、
彼女が演じる娼婦の源氏名だとわかると、滑稽だった。
この作品を思い出すためにピッタリのフレーズは、
「不感症さえ治れば、君は完璧だよ」という夫の台詞。
この不感症を直すために、彼女はこんな経験をしている、
そう思っていたが「芸者クラブカード」を差し出す、
日本人(東洋人?)との行為の後、
彼女は「最高に感じたわ」と恍惚の顔を見せたし、
知人に会う可能性が高いのに、秘密クラブに出入りする。
「では、何のためにこんなことを?」という疑問は、
解けないままラストを迎え、大ドンデン返しのような結末に
監督は何を伝えたかったんだろう?とわからなくなった。
まぁ、インパクトのある作品には違いなかったが・・。(汗)
これぞフランス映画
カトリーヌ・ドヌーヴ演じる貞淑な人妻は、夫との性生活に満足を得ることができていないし、夫を満足させられないことへの罪悪感に苛まれている。この美しい人妻が娼館で客をとることで、性的な満足を得ることができるようになる。
フィルムには、夫を愛していながらも、性的には満たされない現実生活と、彼女の性的な妄想である白日夢のシークエンスが交互に現れる。白日夢では、毛嫌いしているはずの夫の友人が登場し、夫と共にサディスティックな仕打ちを彼女に行う。このことから、彼女が、夫を愛するが故の貞淑な妻としてのセルフイメージに縛られているが、心の底では、自分が男たちのむき出しの欲望の対象になることに憧れていることが分かる。
演出の上手さは、自宅で夫といる間や、妄想の中の彼女よりも、娼館で客を待つ彼女の姿のほうが美しく、エロティックであるということ。男の欲望を受け止めるためのすべてを兼ね備えたかのようなドヌーヴの肢体は、豊満な上半身と華奢な下半身を併せ持つ。
この娼婦「昼顔」にのめり込む犯罪者によって、彼女の夫との生活は破壊されてしまうのだが、このことによって夫は妻の昼間の顔を知ることになるのだ。そして、それが妻にとっては悲劇ではないところが、人の生と性との多様性である。
映画では、人々の多用な性が描かれている。中には観客の笑いを誘うようなロールプレイに耽る娼館の客もいるし、娼婦との間に「真実」愛を追い求める犯罪者もいる。皆が理知的であろうとするが、性というもの(愛ではない)へのこだわりからは自由にはなれない。こうした人間の姿を真正面からとらえようとするフィルムは、やはりフランス映画の真骨頂であろう。
全28件中、21~28件目を表示