バロンのレビュー・感想・評価
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物語と自分の狭間で
戦火に喘ぐ民衆に「必ず助ける」と大見得を切り、勝ち気な少女サリーと共に摩訶不思議な冒険の旅へ繰り出したバロン。そもそも「バロン」という名前すら自称であり、このオッサンが実際のところ何者なのかは誰にもわからない。
バロンは月や地底や大海を巡りながらかつての仲間たちを集めていくのだが、彼が無類のカリスマ性で艱難辛苦を乗り越えていくのかといえばそんなことはない。調子に乗ってピンチに陥ったり、敵の手に落ちた仲間をほっぽり出して人妻に入れ上げた過去があったり、むしろ徹底的にコメディチックだ。
それでいて不思議と人を惹きつける。別に大したことを言ってるわけでもやってるわけでもないのに、なぜか異性や仲間が集まってくる。女たらしというよりは天性の人たらしといったところ。バロンに20年間もの間置き去りにされていた例の仲間もなんだかんだで彼を許してしまうのだから相当なものだ。
バロンに同行するサリーもまた彼の魅力に引き寄せられた一人ではあるんだけど、ただ単に彼を礼賛するんじゃない。良いことはいい、悪いことは悪いとその都度自己判断を下している。バロンが美しい人妻といい感じになるたびに「ハッ(笑)」という乾いた笑いを浮かべるの、アレすごいよかったな。
おそらくバロンは物語そのものなんじゃないかと思う。どこまでも自由に、際限なく広がっていく物語。その前途洋々たる雰囲気が人を惹きつけてやまないのだろう。
しかし物語というものは時に危険だ。常に都合のいい方向に転がろうとするわけだから、ほんの弾みで人道を逸れることだってある。だから外部からの眼差しが要る。物語を善い方向へと軌道調整するための善良なる読み手が要る。
その役割を果たしているのがサリーだ。バロンという物語に飛び込みながらも、確固たる自己を持ち、時に尊敬を、時に軽蔑を向ける。そういうある種の「批評」を行うことでバロンが悪しき道に足を踏み入れないよう促す。
バロンは物語そのものであるから、冷たく苦しい現実との接点をできる限り無視しようとする。「街は平和だ」「医者は要らない」といった彼の口癖からもわかるように。けれどもそのような現実に足をつけて生きているのがサリーだ。
サリーは物語のすごさをよく理解している。物語には人を生かす力があるのだと。そして一方で人を殺す力もあるのだと。そう信じているからこそ、現実との接点から目を逸らすバロンを強く咎めるのだ。
サリーに鼓舞されながら、バロンは仲間と共に街を襲うトルコ軍を壊滅に追い込んだ。しかし記念式典の最中、バロンは不意の凶弾によって命を落とす。
前作の『未来世紀ブラジル』よろしく結局のところ物語は強大なシステムには敵わないということなのだろうか…と思いきや大どんでん返しが!
なんとここまでの冒険譚はすべて自称「バロン」のオッサンが劇場の中で聴衆に向かって開陳した物語だったのだ。つまり心躍るような冒険もトルコ軍の壊滅もみんなバロンの作り話で、実際には何一つ解決していない。
しかしそれはあくまで自然科学的な、あるいは物理学的な意味においてだ。バロンの壮大な物語に魅せられた民衆たちは敵軍に降参する意図を固め、バロンとともに街の門を開く。そして戦いが終わる。オッサンのただのホラ話が、本当に現実を変えてしまったのだ。
ここには「「現実を変える物語」に魅せられた人々が現実を変える物語」という入れ子構造がある。もっと言えばこの構造はスクリーンの外側、つまり我々にも繋がっている。
要するにこの映画に対して我々は「「「現実を変える物語」に魅せられた人々が現実を変える物語」に魅せられた人々」なわけだ。物語の力は現実世界の我々の手に渡り、そしてこれからも続いていくのだ。
それはともすれば『未来世紀ブラジル』のような悲惨な結末を招くかもしれないし、あるいはこの映画のように次なる物語へと希望を繋いでいくかもしれない。その匙加減は我々の手に委ねられている。
物語の力を信じながら、同時に自分のことも信じること。それが何よりも大切だ。
すごくよかった
大学の時に見て、長い間好きな映画1位だった。ずいぶん久しぶりに見たらやっぱりすごく面白かった。イマジネーションや才気のほとばしる感じが圧倒的だった。よく最後まで高いテンションで作り上げたものだ。
おじいさんと娘のコンビがとても微笑ましい。セックスではない別のエロチシズムを感じる。
今見ると、鯨のお腹の中で小人が「もう若くないから無理だ」と弱音を吐く場面が心にしみた。娘に「お前が弱音を吐いちゃいかん」というセリフもよかった。
ただ、心から震えるほど感動があるわけではなく、大学生当時一体何に感動していたのか思い出せない。作りこんだものが好きだったし、当時としては最高峰の映像だったのは確かだ。
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