「【98.7】バック・トゥ・ザ・フューチャー 映画レビュー」バック・トゥ・ザ・フューチャー honeyさんの映画レビュー(感想・評価)
【98.7】バック・トゥ・ザ・フューチャー 映画レビュー
映画史という長大な時間の流れにおいて、エンターテインメント映画の「完全な形態」を一つ挙げるとすれば、本作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』こそがその筆頭に位置する作品であることは論を俟たない。1985年の公開から数十年が経過した現在においても、その輝きは一切失われることがなく、むしろ現代の複雑化したブロックバスター映画群と比較することで、その構造的な美しさと純粋な娯楽性は際立っている。本作は単なるタイムトラベルもののSF映画ではなく、完璧に計算された脚本、演出、そして俳優陣の魅力が奇跡的なバランスで融合した、映画製作における教科書ごとき金字塔である。
作品の完成度について深く考察するならば、特筆すべきはその「脚本の建築的堅牢さ」にある。ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルによって紡がれた物語は、伏線と回収の芸術である。冒頭の数分間に提示される些細な情報、例えば時計台のチラシ、寄付を募る女性、あるいは市長の選挙カーといった要素が、過去のパートにおいてすべて必然性を持ち、クライマックスのカタルシスへと収束していく様は圧巻だ。無駄なシーンが1秒たりとも存在しない。また、SFというジャンルでありながら、物語の核にあるのは普遍的な家族の再生と成長である点も重要だ。主人公が若き日の両親と出会い、彼らを人間として理解し、その上で自身の存在を肯定するというプロセスは、世代を超えて共感を呼ぶ普遍的なテーマである。タイムパラドックスという複雑になりがちな概念を、視覚的かつ直感的に理解させつつ、コメディとサスペンス、そしてロマンスを見事に調和させた本作の完成度は、映画史における一つの到達点と言えるだろう。
監督・演出・編集の観点において、ロバート・ゼメキスの手腕は冴え渡っている。スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮の下、ゼメキスは観客の感情をコントロールすることに長けている。特にクライマックスの時計台のシーンにおけるサスペンスの構築は秀逸だ。編集のリズムが物語のテンポを加速させ、ドクがケーブルを繋ぐ物理的なアクションと、マーティがデロリアンを走らせるスピード感、そして迫り来る雷というタイムリミットが並行して描かれるモンタージュは、映画的興奮の極致である。また、1985年と1955年の対比を、色彩や画面構成の変化によって視覚的に演出しており、観客をスムーズに過去の世界へと誘う演出力も高く評価されるべきである。
キャスティングおよび役者の演技については、本作の成功を決定づけた最大の要因の一つである。
主演のマイケル・J・フォックス(マーティ・マクフライ役)の演技は、まさにこの映画の心臓部である。当初のエリック・ストルツからの配役変更劇は有名な逸話だが、フォックスがもたらしたのは、深刻な状況ですら軽妙なユーモアに変える圧倒的な陽性のエネルギーと、観客が感情移入せずにはいられない親しみやすさであった。彼は「80年代の典型的なティーンエイジャー」を体現しながらも、母親に恋されるという倒錯的な状況における困惑や、ギターを手にした時のロックスターごとき振る舞いなど、身体全体を使った表現力が際立っている。スケートボードでのチェイスシーンにおける躍動感や、ドクとの掛け合いにおける絶妙な間の取り方は、彼がコメディアンとしてだけでなく、アクション俳優としての才覚も持ち合わせていたことを証明しており、本作を不朽のものとした最大の功労者と言える。
助演のクリストファー・ロイド(エメット・ブラウン博士/ドク役)は、映画史に残るマッドサイエンティスト像を確立した。白髪を振り乱し、眼を見開いて早口でまくし立てるその演技は、一歩間違えればカリカチュアに陥る危険性を孕んでいるが、ロイドはそこに深い知性とマーティへの純粋な友情を滲ませることで、愛すべきキャラクターへと昇華させた。彼の存在が、荒唐無稽なタイムトラベルという設定に説得力を与えている。
リー・トンプソン(ロレイン・ベインズ・マクフライ役)の演技の幅も特筆に値する。冒頭でのアルコールに溺れる疲れ切った中年女性から、過去のパートにおける恋に恋する可憐な少女への演じ分けは見事であり、特殊メイクの助けを借りつつも、声のトーンや姿勢の変化でその年齢差を表現しきった。彼女が醸し出す無垢な色気が、物語に緊張感とユーモアをもたらしている。
クリスピン・グローヴァー(ジョージ・マクフライ役)は、この映画の影のMVPとも呼べる存在である。極度の弱虫であり、挙動不審な父親像を、独特の身体表現とイントネーションで怪演した。観客に不安すら抱かせるその奇抜な演技が、後半でビフを殴り倒すシーンでのカタルシスを倍増させており、彼の成長物語としての側面を強固なものにしている。
最後にトーマス・F・ウィルソン(ビフ・タネン役)についても触れねばならない。彼は典型的な「いじめっ子」としての悪役を見事に演じきった。威圧的な体躯と粗暴な振る舞いは、マーティやジョージの立ちはだかる壁として機能し、物語の対立構造を明確にした。彼の単純明快な悪役ぶりがあってこそ、ヒーローの活躍が際立つのである。
脚本・ストーリーに関しては、前述の完成度の項でも触れたが、サイエンス・フィクションの設定を借りたヒューマンドラマとしての構成が秀逸である。「親もまた、かつては悩める若者であった」という視点の転換は、家族観に新たな光を当てた。また、タイムトラベルのルール設定(写真から人物が消えていく描写など)が視覚的に分かりやすく、SF初心者でも置いてきぼりにしない配慮が行き届いている。歴史改変の面白さと、元の鞘に収まる安堵感のバランスは、シナリオライティングの最高峰に位置する。
映像・美術衣装については、1950年代のアメリカへのノスタルジーと、1980年代の現代的な空気感の対比が見事である。プロダクション・デザイナーのローレンス・G・パウエルによるヒル・バレーのセットは、時代の変遷を雄弁に物語っている。特にタイムマシンの「デロリアン」のデザインは、ガルウィングのドアやステンレスの質感を含め、映画史上最もアイコニックなビークルの一つとして、その後のポップカルチャーに多大な影響を与えた。衣装においても、マーティのダウンベストが過去で救命胴衣に間違われるような、時代錯誤を笑いに変える小道具としての機能も果たしている。
音楽においては、アラン・シルヴェストリによるスコアが、映画の高揚感を最大限に引き上げている。冒険心を煽るファンファーレのようなテーマ曲は、聴く者の記憶に深く刻まれている。また、主題歌であるヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースの『The Power of Love(パワー・オブ・ラブ)』は、80年代の楽天的な空気を象徴する楽曲であり、映画の疾走感と完璧にマッチし、大ヒットを記録した。劇中のダンスパーティーでの演奏シーンも含め、音楽が物語の一部として有機的に機能している。
受賞歴に関しては、第58回アカデミー賞において音響効果編集賞を受賞している。また、脚本賞、録音賞、主題歌賞(『The Power of Love』)にもノミネートされた。これらの評価は、本作が単なるアイドル映画や子供向け映画ではなく、映画技術の側面からも極めて高いクオリティを持っていたことを裏付けている。
総じて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、映画が持ち得るあらゆる快楽を詰め込んだ奇跡の一作である。時代を超えて愛され続ける理由は、その完璧な構造と、そこに宿る普遍的な人間愛にある。批評家の視点から見ても、これほど欠点を見つけることが困難な作品は稀有であり、映画史における永遠のスタンダードとして、今後も語り継がれていくことだろう。
作品[Back to the Future]
主演
評価対象: マイケル・J・フォックス
適用評価点: 30
(評価点 S10 × 3 = 30)
助演
評価対象: クリストファー・ロイド、リー・トンプソン、クリスピン・グローヴァー、トーマス・F・ウィルソン
適用評価点: 9
(評価点平均 9.25 [S10, A9, A9, A9] → 切り捨て 9 × 1 = 9)
脚本・ストーリー
評価対象: ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル
適用評価点: 70
(評価点 S10 × 7 = 70)
撮影・映像
評価対象: ディーン・カンディ
適用評価点: 9
(評価点 A9 × 1 = 9)
美術・衣装
評価対象: ローレンス・G・パウエル
適用評価点: 10
(評価点 S10 × 1 = 10)
音楽
評価対象: アラン・シルヴェストリ
適用評価点: 10
(評価点 S10 × 1 = 10)
編集(減点)
評価対象: アーサー・シュミット、ハリー・ケラミダス
適用評価点: -0
(減点なし)
監督(最終評価)
評価対象: ロバート・ゼメキス
総合スコア:[98.7]
(合計 138 × 0.715 = 98.67 → 98.7)
映画に対する愛に溢れた、読んでいて気持ちが温かくなる、本当に素晴らしいレビュー。バック・トゥ・ザ・フューチャーの魅力をこんなに見事に言語化できるのか、と感動。honeyさんの他のレビューも読んでみよう。

