ドライビング・MISS・デイジーのレビュー・感想・評価
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Dizzy, Miss Daisy. 心温まる優しい名画だが、白人の言い訳にも見えてしまい少々据わりが悪い…。
偏屈なユダヤ人の老婆デイジーと、陽気な黒人の運転手ホークの、25年にわたる交流を描いたヒューマンコメディ。
デイジーの専属ドライバーであるホーク・コバーンを演じるのは『グローリー』の、レジェンド俳優モーガン・フリーマン。
音楽は『レインマン』『ブラック・レイン』の、名匠ハンス・ジマー。
👑受賞歴👑
第62回 アカデミー賞…作品賞/脚色賞/メイクアップ・ヘアスタイリング賞/主演女優賞(ジェシカ・タンディ)!✨✨✨
第47回 ゴールデングローブ賞(ミュージカル・コメディ部門)…作品賞/主演女優賞(タンディ)/主演男優賞(フリーマン)!✨✨
制作費750万ドルに対し興行収入は1億4,500万ドル以上。興行的にも批評的にも賞レース的にも成功した大ヒット作。
ヒッチコックの『鳥』(1963)で知られるジェシカ・タンディは、本作への出演によりアカデミー賞の主演女優賞を獲得。80歳での主演女優賞受賞はオスカー史上最高齢であり、この記録は今でも破られていない。
また、本作はモーガン・フリーマンの出世作でもある。彼は1987年に上演されたオフ・ブロードウェイの舞台版でも同役を演じている。
25年間という長大な時間を扱った作品であるが、その中で起こる出来事は些細なものばかり。時間経過もこれ見よがしに演出されるわけではなく、車の車種やクリスマスカード、カレンダー、歴史的な出来事などでそれとなくわかる様になっているので、ボーッとしていると時が移り変わっているのに気がつかなかった、なんて事になってしまうかも知れない。
四半世紀という長い年月を共に過ごす2人の関係性の変化、そして40年代〜70年代のアメリカ南部を蝕む人種差別の影をさりげなくも確かなタッチで描いた良作である。
見どころはやはり、オスカーを獲得したジェシカ・タンディの圧巻の演技力。60代〜90代という年齢の変化を見事に表現しており、矍鑠とした偏屈な老人がだんだんと弱々しくなっていく、その演技のグラデーションが見事。スコセッシ作品の常連であるメイクアップアーティスト、マンリオ・ロケッティらの素晴らしい仕事と相まって、ミス・デイジーというキャラクターに生々しいほどの存在感が備わっていた。
25年をたった2時間で描くという難題に挑んだ本作。そのため少々物語運びに唐突さがあった事は否めない。さっきまでクリスマスだったのにシーンが変わったら急にサマーバケーションが始まったり、字が読めないと言っていたホークがそのすぐ後にもう字が読める様になっていたりと、テンポは良いのだがお話にタメが無さすぎる。ただ、このあっさりさが本作に独特の味わいを持たせているのも確かなので、一概に悪いとも言い切れないのだが。
淡々とした日常と、時折垣間見える暴力の闇。何気ない物語に見えて、知識階級や富裕層の抱える潜在的な差別意識、そしてアメリカに生きるドイツ系ユダヤ人という微妙な立場の存在を描き出した、卒のない名画。赤い血が通った人間なら、ラストシーンで涙を抑える事が出来ないだろう。
ただ、卒のない出来栄えすぎて少々可愛げがないと感じてしまったのも正直なところである。そして、本作の問題点…という事でもないのだけれど、ちょっと気になるのはこれが人種差別に対する白人たちの、特にハリウッドを牛耳るユダヤ系富裕層たちの言い訳に見えるという事。「ひどい黒人差別をしていたのは俺たちじゃないけど、確かにちょっと無関心だったかも。そこはゴメンね。でも、我々ユダヤ人も差別されてたんやで…」みたいな言い訳がましさをうっすらと感じてしまった。そんな言い訳、嵐の様に吹き荒んでいた黒人差別の前にはなんの意味もないじゃんね。デイジーとホークをユダヤ系富裕層と黒人の総代だとして捉えると、ちょっとこの映画の内容には厚かましさを覚えてしまう。
捻くれた見方かも知れないが、本作を鑑賞して素直に感動した後に一抹の違和感が残ったのはこの辺の事が原因なんだと思う。
ホークを取り巻く環境もちょっと『南部の唄』(1946)的というか。アトランタが人種差別のない楽園か何かの様に見えるが、40〜70年代なんだから絶対もっと色々ドス黒いものが渦巻いていたはず。
また彼のキャラクター像も、白人に都合の良い黒人のステレオタイプであり、いかにも白人目線の映画だという感じ。これ、モーガン・フリーマンを第二のシドニー・ポワチエにしようとしていたんじゃない?
と、ちょっとケチをつけてしまったが、ストレートに感動できる映画である事は否定しません。基本はコメディなので、誰にでもおすすめしやすい作品なのも良い。
「面白い映画なんかない?」なんて聞かれた時、この映画を出しておけば間違いないんじゃないでしょうか?
心温まる映画。
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元教師で清廉な性格だが、頑固で気難しい婆さんのMiss デイジー。
高齢のためか、ある日運転を失敗して車を駄目にしてしまう。
息子は会社社長で裕福であり、母のために運転手(モガちゃん)を雇った。
単なる運転手ではなく屋敷内に常駐して雑務も行う感じの役割だった。
デイジーは保守的な人間だったので、今さら使用人が増えるのを嫌がり、
モガが家の中を整理したりしても、家の中をさわるな等と冷たく言う。
とにかく辞めさせて欲しいと息子に言うが、息子はこれを拒否する。
ある日、デイジーが車を使わず電車で出かけようとしたところ、
モガが車で追いかけて来て、仕事をさせてくれと説得、しょうがなく乗車。
余計な事をぶしつけに言ったりはするが、賢く忠実で気遣いができるモガ、
これをきっかけにどんどんデイジーや息子からの信頼は高まっていくのだった。
Miss デイジーは人に心を開けない性格であり、寂しさを常に抱えていたが、
プライドが邪魔して感謝の気持ちを周囲に伝えられないのだった。
やがて10年か20年経ってみんな年を取り、ついにデイジーがボケる。
ボケた中で、あなたが一番の友達よとモガに言う。これが本音だった。
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徘徊系の映画だが、イヤにならなかった。地味に感動させる映画だった。
デイジーは善良な人だし、実はモガといる時が一番リラックスできている。
年も近く気も合うはずで、もっと早くにいい関係を築けるはずだった。
でも全てはデイジーのプライドが邪魔をしていた。
デイジー自身も歯がゆくてしょうがなかったのだと思う。
ようやく気持ちを口にできたのはボケた後だった。
モガは実に忠実な人で、婦人が入院して屋敷を引き払った後も、
デイジーの息子から恩給のような形で援助を受けていた事もあるだろうが、
病院まで会いに行ったり、デイジー家に尽くすことを忘れなかった。
必要以上に親密になれないような関係でありながらも、
長年顔を合わせて来たのだ。相手の本心だって見えるだろう。
モガも婦人の気持ちに気付き、感謝の気持ちを受け取っていたに違いない。
身分、人種の差、プライド、親友になるための阻害要因は多い。
でも2人はそれを乗り越えて、信頼関係を築き上げていたのだった。
笑い泣き
救いのない映画、残酷なだけの映画、ユーモアのない映画、は好きではない。1シーンでもいい、何度も見たくなるような印象的なシーンがあれば、それは私にとっていい映画である。文盲のホークにデイジーが字を教えたところ。字が読めないからお墓の位置がわからなかったのが、見つけられたその喜び。それと、久しぶりに再見してラストに感動した。老いたデイジーに、ホークがパイを食べさせる。ふたりの幸せそうな顔に、胸がいっぱいになり涙が出た。私の顔は泣きながら笑っていた。こういう映画が好きだ。
この映画は『おばあさんの夢』 あの『バンズラビリンス』はここから。
白人と黒人の友情を描いた話であるが、始まりが、1953年とだけで説明されているだけで、時間経過を表すものはほとんど登場しない。つまり、アメリカの歴史を語る為の出来事が極端に少ない。場面が変わると、息子の『ひたい』が広くなっている。それに気づくのが、随分経過してからで、キング牧師の逸話になってからの事。途中のテレビ番組も知らないので、時間経過が理解できない。そして、キング牧師の話。あれ!?
1950年代にキング牧師はまだいないだろう?と思い、はたと、時間の経過に気付いた次第。
さて、その位、この映画はアメリカの歴史を、無視してこの物語を紡いでいる。と僕は良心的に見た。二度見したら、カップに1966年って書いてあるね。
しかし、それでいて、アメリカの歴史をこの二人の半生で描いている。
シナゴーグが爆破された事件は、残念ながら詳しくは知らないが、その後、ホークが歌う『奇妙な果実』は胸に染みる。
ユダヤ資産家とアンクル・トムの話しだが、二人の友情を主題にして、人生の終わり方を語っているように感じた。
『変化と言うが、そんなに変化していない』知らないはずのキング牧師の話を、黒人の主人公が語る。
さて、
この映画のストーリー自体が、このおばあさんの『夢』だったのでは?と最後思えた。死ぬ間際に走馬灯の如く見る夢。そう言った意味が含められていれば良いなと思った。
美味しそうに食べさせてもらうおばあさんの笑顔に、人生の終わりを感じる。何故か涙が出た。
『what a friends of JESUS.』いい曲だ。この映画のテーマじゃないかなぁ。僕はガキの頃『輝く星座』と言う題名で合唱に参加し、この曲が大好きになった、
ありがとう、午前十時の映画祭
観ている間は面白くても観終わったらすぐに忘れてしまう映画がある(特に最近多いように思う)。
何年も、何十年も前に一度観たきりなのに、いつまでも脳裏に焼き付いているシーン、胸に響く台詞、耳に残っている音楽、、、忘れられない作品がある。
この映画はまさしく後者で、あの軽やかな旋律のテーマ曲がいつも耳に浮かんでくる。
公開時以来の鑑賞。なんとなんとまたまた音楽ハンス・ジマー。あの耳に残っていたメロディはハンス・ジマーの曲だったんですね。
ドイツ系ユダヤ人の頑固な未亡人と、その息子に雇われた黒人ドライバーの長き年月にわたる交流が淡々と描かれる。
無法松や佐吉のような献身的な愛ではない。
ホークはミス・デイジーに無神経な言葉をかけられれば言い返すし、雇い主である息子にちゃっかり交渉して給料も上げさせる。
主従関係や、人種、宗教を超えてひとりの人間として向き合っている。
大きな事件が起きる訳でもない、悲劇の結末やほっこりしたラストが待っている訳でもない。
老人介護施設で暮らすデイジーを訪ねたホークが、スプーンを取ってパイを食べさせてあげる。
ただそれだけのラストシーンに、なぜか涙が止まらない。
この涙はどういった感情から出てくるのだろう。
悲しくて、嬉しくて、怖くて、可笑しくて、興奮して、、いや違う。
まるで山頂で御来光を仰いだ時に自然と溢れてくる涙のようだ。あのラストのふたりの姿はそれほど神々しいものだった。
今、改めてこの作品を観ることができた幸せ。午前十時の映画祭、ありがとう。
アカデミー主演女優賞を受賞したジェシカ・タンディと、モーガン・フリーマンが素晴らしかったのは言うまでもないが、ダン・エイクロイドがとても良かった。
当時、コメディ作品以外で彼を見たのは初めてだった。
妻と母との板挟みになりながら愛情と理解と優しさに満ちていた。ダン・エイクロイドじゃなかったら、作品の雰囲気が違ってただろう。まさしく好演。
ゆる介護
終始穏やかな時間が流れていて最後まで幸せなおばあちゃんのお話。それにしてもおばあちゃん役の演技はお見事でした。
ただ、お話はあまりよくなかった。
アトランタで成功した実業家の家でのことであり、もっと恐ろしい現代介護を体験している身としては幸せな部分を切りつないで仕上げたスイーツ的なおとぎ話だなとしみじみ感じました。
plan75の方がグッときたというのは狂ってますかね?
キング牧師の演説に衝撃を受けた。予告編からコメディだと思ったが心暖まる物語。モーガン・フリーマン、今は老人だがこの時もヤッパシ老人。不思議 (?_?)
映画内でのキング牧師の演説より、
「最大の悲劇は悪意ある人の言葉や暴力ではなく、善良な人々の沈黙と無関心だ」 (多少違うかも)
日本公開時(1990)、この映画で初めてキング牧師の演説を聞き、悪意ある差別よりも、善意ある人々の沈黙と無関心が問題だというメッセージに衝撃を受けた。
またジェシカ・タンディもすごいと思った。当時30才の私に「老い」など分かるわけがない。それなのにデイジーの「老い」への戸惑いと哀しみが伝わってきたのはジェシカ・ダンディが上手いからで、まさに名演。ホント俳優には頭が下がる。
午前十時の映画祭12でやるのを知りずっと楽しみにしていた。
今回初めて思った感想が1つ有る。雪の日の朝、デイジーとホークが、亡くなったメイドのいれるコーヒーはもっと美味しかったとしみじみとする場面で、私もしみじみとした。
前はこの場面の記憶がないヽ(´▽`)/
警官はなぜデイジーがユダヤ人だと分かったのか? ずっと謎だった。たぶん名前から推測したのではないかと思われる。
2022/9/13(火) ☀️ city1
. 9/21(木) ☀️ ☁️ city1
沈黙する善人の友情に関する小さな物語
午前10時の映画祭にて、公開時以来の鑑賞。
言わずと知れた名作ですが、音楽のクレジットを見て驚いた。ハンス・ジマーだったんですね。マジか?なんか、半分電気的な音楽でボブ・ジェームスみたい。時代だったんですね。
ユダヤ人の老女と、黒人の老人と言う取り合わせ。舞台はジョージア。お隣がアラバマで南に下ればフロリダです。
偏見の強く残る社会世相の中、狭い狭い狭い生活圏で毎日の様に顔を突き合わせ、いつしか友情が芽生えていたと言うだけのシンプルな物語。グリーン・ブックのひな形でもあり、先生でもあり。
何で、これが良いんですかねぇ。
パンプキン・パイを食べさせている姿に、ポロポロしちゃうんでしょうか。
偏見と闘う、なんて勇ましい事は言わず。
「沈黙する善人」であった2人。
でね。今、この、キング牧師の名言の数々は、極めて攻撃的で暴力的なマイノリティにしばしば「悪用」されてます。日本・米国を見る限り、マスメディアにおけるマイノリティは、むしろ中道右翼であり、マジョリティは左翼・極左にあります。数の上ではマジョリティである側が沈黙を続けていて良いんかい?って思わずにはおられない映画でもありました。今、再見するとですけどね。
モノを過剰に言うマイノリティの陰で、依然として「沈黙する善人」は虐げられていると言う現実。成熟したマジョリティは「善人」であると言う時代にあって、きちんとものは言おうよ、って思いました。
良かった。
とっても。
ミスデイジーは偏見持ってます。
1940年代から1970年代の話らしい。
全然年代わからずみてた。1953年のクリスマスと1960年代のkkkによるシナゴーグ放火はなんとなくわかった。Wikipediaに素晴らしいあらすじが載ってるので後で復習した。
字幕翻訳が戸田奈津子。懐かしい。
パティルポーンが息子ブーリーの妻役で出てる。
現代的なユダヤワイフ面白かった。
多分モーガンフリーマンは50歳前後でこの老け役をやってるはず。
ミスデイジーが1888年に12歳だったとか言ってて、19世紀生まれなん???とびっくりした。アラバマに行った頃だから1950年代。その頃の70代なんだからそらそうなんだけど。1860年代に南北戦争があったんだから、ホークの父は奴隷だったことがある世代、だよね。
20世紀、それも第二次世界大戦以後に、親が奴隷だった人がまだまだいっぱい生きてたっていう実感が今までなくて、ほんとにびっくりした。全然【昔】じゃないんやっていうね。
2022年に午前10時の映画祭にて鑑賞。
別にそこが本筋ではないし、ミスデイジーを一点のシミもない善人とは描いてないけど、ずっとご本人はわたしは偏見なんてありません!てゆうてたやん。そこに引っかかった。
偏見のない人なんていないよ。偏見とは無知による恐れでしょ。無知による恐れを持たない人間なんていない。人間は全知全能じゃないもの。知らないことは怖い。それは避けられないけど、自分が無知であり、そのためいつでも人を傷つけ得るってことを自覚して生きることが、必要でないかい?と思いました。ミスデイジーと自分に。
堅い友情が結ばれていく過程
ホークのウッヒョッヒョみたいな笑い声と、Missデイジーの「お黙り!(don't talk to me!/Hush up!)」が好きです。
ユダヤ系で学識良識分別のあるMissデイジーすら、無意識に黒人差別の風潮がある時代。とはいえ、Missデイジーは使用人だからと言って無駄に荒く使うこともなく自由も与えていて、字を教えたりピンチでは庇ったりと、黒人のホークに1人の人として接しています。息子の嫁とは偉い違い。ホークもそんなMissデイジーの良さを理解し、誠心誠意仕えています。
シャンとして人に頼る事を嫌いしっかりしているだけに、ちょっと素直じゃなくて頑固なMissデイジーにみんなが手を焼く中、諦めずに話しかけて会話の糸口を探し、役に立とうとするホーク。Missデイジーからはしばしばキツめな発言も飛び出しますが、冗談と受け止めて軽口を叩いて返すホークの大きな器が好きです。
Missデイジーはホークを信用し、歳を重ね、長く仕えるホークを息子よりも頼るようになり、最後は25年来の友人となる。2人とも、うわべで付き合わないからうまくいったんですね。
月日を経て心情も老いもどんどん変化していくMissデイジーに対して、ほぼなにも変わらないホークが安心感を与えています。
最高の人生の見つけ方にも通じる、モーガンフリーマンの悟っているような温かみはこの頃からなんですね。
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