ドアーズ(1991)

劇場公開日:1991年6月8日

解説

伝説のバンド「ドアーズ」のボーカリスト、ジム・モリソンの疾風のごとき生涯と、彼を支えたパメラとの愛情をドアーズの音楽とともに描く青春映画。エグゼクティヴ・プロデューサーはマリオ・カサールとニコラス・クレイノスとブライアン・グレイザー、製作はサーシャ・ハラリとビル・グラハムとA・キットマン・ホー、監督は「7月4日に生まれて」のオリヴァー・ストーン。脚本はオリヴァー・ストーンとJ・ランダル・ジョンソン。撮影はロバート・リチャードンンが担当。音楽監督をポール・ロスチャイルドが務めている。出演はヴァル・キルマー、メグ・ライアンほか。

1991年製作/アメリカ
原題または英題:The Doors
配給:パイオニアLDC提供=東宝東和配給
劇場公開日:1991年6月8日

あらすじ

1965年、UCLA映画科の学生ジム・モリソンは、目の前を行く少女パメラに一目惚れし後を追ううち、彼女が住むヒッピーのたまり場に入り込み、風変わりな出会いをする。その頃、ジムは授業で自作の映画を上映していたが、自らのバンドを持ち、すでにLAで活躍していた学生レイ・マンザレクにより詩人としての才能を高く買われていた。ある夜パメラの寝室に忍び込んだジムは、彼女を月夜の散歩に連れ出し、愛の詩をささやき、パメラを夢心地にさせた。ジムはラブ・アンド・ピースの裏側にある暗闇や混沌を詩の世界で綴り、それがロックという音楽になった時、それは一気に時代の空気を形にした。こうしてジムをボーカルにバンド「ドアーズ」が生まれた。「ハートに火をつけて」をひっさげたドアーズは、ライブバンドとして頭角を現わし、同時にジムの人気もうなぎのぼりとなっていった。次第にドアーズは暴動を扇動するバンドと受け取られ、ジムは反逆の教祖(カリスマ)に祭り上げられていった。だが、音楽と詩によってその向こうにある何かを模索しようとするジムの行為はやがて彼の詩を理解しようともしない大衆と衝突する。コンサートのキヤンセル、ステージでの猥褻行為による逮捕、起訴とますます破壊的な色彩を濃くしていくジムは、もはや道化を演じる詩人に過ぎなかった。同じころパメラもジムの奇行に悩み、怒鳴りあい、傷つけあうが、2人の絆はそれ以上のものがあった。ジムが天才であることを知るパメラは、彼のいる高みに自らも近づこうとした。ジムも機嫌のいいときはよくこう言っていた。「俺は詩人で、パメラはミューズ(詩の女神)だ」と…。1971年7月3日。パメラと住むパリにアパートの浴室でジムは心臓発作のため27年の生涯を閉じた。その3年後、パメラも自殺。こうして2人の愛、そしてバンド「ドアーズ」は永遠の彼方へと過ぎ去っていったのであった。

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映画レビュー

4.0 時代のカリスマ

2025年11月25日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:その他

興奮

知的

驚く

当時僕が住んでた地域では(その地方一の大都会なのに)1週間しか上映されず、映画館では観逃してレンタルビデオで観た。1960年代後半から70年代初めに活躍したロックバンド・ドアーズのボーカルで、ジミ・ヘンドリクスやジャニス・ジョプリンと並ぶ時代のカリスマだったジム・モリソンの伝記映画で、1965年のドアーズ結成から71年のモリソンの死までが描かれている。

僕はこの映画がドアーズ初体験なんだが(本物ではなく伝記映画が初体験という・笑)、ヴァル・キルマーのモリソンになりきりぶりがすごく、劇中に流れるドアーズの楽曲の数々も素晴らしい。ドラッグやヒッピーに彩られた1970年前後という時代の空気も上手く表現されていたように思う。また恋人のパメラ・カーソン役がメグ・ライアンで、キーボードのレイ・マンザレク役がカイル・マクラクランていうのも、製作当時の時代を感じて今となっては懐かしい気分にさせられる。ちらっと出てきたアンディ・ウォーホル役が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で主人公の父親役だったクリスピン・グローバーだったってのもちょっとびっくり。

なかなか面白い映画だったんだが、本物のマンザレクはドキュメンタリー映画『ドアーズ/まぼろしの世界』のインタビューにおいて、劇中のモリソンの描写について大いに不満で「大嫌いな映画だ」と言っていた。まあ『ドアーズ/まぼろしの世界』を観ると、やはり本物の前では霞まざるを得ないなと思わされるのも確かではある。

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バラージ

3.5 どうしても観たくなって

2025年7月30日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

どうしても観たくなってまた観たのですが、まあまあの映画でした。

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hide1095

1.0 有名税としての商業主義的伝記映画

2024年12月11日
PCから投稿

自分たちの曲がテレビのcmソングに使われることを知ったジム・モリソンは大激怒!自分が勝手に行方不明になっていたのは棚に上げ、契約を結んだ残りのメンバーたちを罵倒します。「もうおまえらは仲間でもなんでもねえ!ただのビジネスパートナーだっ!」

商業主義を毛嫌いするジム・モリソンの純粋さと幼稚さがあらわになる象徴的なシーンです。駄々をこねて曲をcmに使わせないほど潔癖主義の彼ですが、そんな彼の人生そのものを商業映画にしてしまおうという目論見が死後20年後に公開された本作です。見事に彼の生涯を矮小化して見せてくれます。体制側との対立の果てに裁判沙汰にまでもつれ込み、そんなアメリカにうんざりしたのか、すべてを捨ててパリに逃げ出したジム・モリソン27歳。でも彼に安らかな眠りは訪れません。墓は落書きで汚された上に、こんな伝記映画まで作られてしまうのですから。

スターであるほど、商業主義やセンセーショナリズムからは逃げられません。多くの有名人たちは死後にそっくりさんが主演する伝記映画が作られます。そこには複雑な権利関係やビジネスが絡んでいます。そのような映画は多くのファンの来場を目当てとした商業映画であり芸術ではありません。そういう欺瞞や枠組みをもっとも嫌った男がジム・モリソンであり「ジム・モリソンの伝記映画」という企画自体がもはや笑えない冗談です。「Touch me」と歌いながら誰にも触れられない高みを目指して行くという矛盾と孤立がジム・モリソンの真骨頂です。誰にも掴まりたくなかった男を伝記映画に閉じ込めること自体、そもそも無理な話です。

本作の中ではバンドvsマスコミ、バンドvs警官たちなどの対立構造が描かれますが、本作自体も、バンド側というよりはマスコミ側、警官たち側の視点に立っているように見えてしまいます。代表的な出来事を年代順にさらーっとなぞった形の映画であり、ドアーズというバンドの音楽や芸術の本質に迫ろうという気概は感じられません。ジム・モリソンの無軌道で堕落した面ばかりが描かれており、その裏に隠された創作の秘密には触れられません。どうやってあんな数々の強烈な曲ができあがったのか、詩を書いて、曲をつけて、みんなでセッションを繰り返して曲を作り上げていく、そんなバンドの裏側の作業はほぼ描かれません。陳腐で取ってつけたような幻想シーン(たとえば守護霊のようなネイティブ・アメリカンが一緒に舞台に立っているなど)もありきたりであり、映像がドアーズの曲のイマジネーションの拡がりを逆に狭めてしまっています。アンディ・ウォーホルとかニコとかの出会いのシーンを描くことに、一体何の意味があるのでしょうか。互いの創作に何らかの影響を及ぼしあったのでしょうか。

自分とバンドが生み出す言葉と歌とパフォーマンスと曲は芸術として唯一無二の価値を持つという自信。そしてそれが熱狂的に迎え入れられるという幸福。彼の生き様は自分に対して常に過激なほど誠実で異様なほど真剣であり、インタビューに答える際もほとんど笑顔を見せたりジョークで誤魔化したりすることはありません。その誠実さと真剣さの裏返しがドラッグとアルコールへの耽溺なのでしょう。だれよりも「真剣に生きる」ことにこだわったロックスターであり、人生の一瞬を過激に生きる密度の濃い生き様は彼に短命をもたらしました。

彼がドアの隙間から眺めた向こう側の景色は誰にも知りようがないし、ましてや映像化などできるはずもありません。本作は公開時にもうすでに古びていましたが、ドアーズの残した音楽は古びることはありません。それは創作者たちの創作に対する態度の問題だと思われます。この映画でいいのは音楽だけでした。

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jin-inu

2.0 ジム・モリソン

2024年12月8日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

ドアーズといえば「ハートに火をつけて」、イントロのキャッチーさと良いメロディが頭に残る。
リードボーカルのジム・モリソン(バル・キルマー)は狂気のアル中で、若くして亡くなった。
映画を見る限り、誰の責任でもないと思うが。

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いやよセブン

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