「イギリス版『砂の器』『飢餓海峡』土曜サスペンス劇場」テス マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
イギリス版『砂の器』『飢餓海峡』土曜サスペンス劇場
美少女の贅沢な悩み。
イギリス人特有の武士は食わねど高楊枝ってやつだ。
僕はその芸術に個人の志向は関係ないと考えている。従って、演出家の考え方もその作品が完成した段階で、淘汰されていると思って鑑賞している。この作品もそう思って見てみた。しかし、どうしてもそうは思えない。言うまでもなく、この映画はナスターシャ・キンスキーの為だけの映画である。キンスキーもそれを充分に理解して演じている。まるで、個人的な暗室で家族で見る運動会か結婚式の8ミリ映画のようだ。
エンジェル・クレアがどう見てもブ男。僕は男性なので、片りんしか分からないが、我が近親者がこの映画が好きで、見に行ったが『キンスキーには、不釣り合いな男ね』と話してくれた。推測するに、演出家本人にどことなく似ている様な気がする。まぁ、そのくらいキンスキーがきれいなのは認める。
さて、キンスキーのオヤジはあの『殺しが静かやって来る』キンスキーだ。この俳優が地を丸だしにした適役。キンスキーを診ると手塚治虫先生のスカンクを思い出す。勿論、プライベートな事は知っているが、個人的志向は芸術とは無関係だ。
マサシさんのレビューを拝見して思いついたことがあります。
ポランスキー作品は、「水の中のナイフ」「反発」「吸血鬼」「ローズマリーの赤ちゃん」「マクベス」「チャイナタウン」「テス」「赤い航路」「ナインスゲート」「オリバー・ツイスト」と観ていますが、この「テス」の映画化だけは公開当時不思議に思いました。北欧の神秘性と恐怖感を得意とするポランスキーの演出個性からは、トーマス・ハーディ文学は、かけ離れています。それでタランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で、シャロン・テートがこのハーディの原作本をポランスキーにプレゼントするために購入するシーンがありました。アメリカで性的事件を起こしイギリスに逃げたあとに、その贖罪と監督としての再起を掛けて妻の想いに応えたかったと想像します。つまりこの映画は、テートとポランスキーのための映画化だった。エンジェル・クレア役のピーター・ファースは、当時のイギリス映画界の有望新人でした。シドニー・ルメットの「エクウス」に抜擢されています。(私はトニー・リチャードソンの「ジョセフ・アンドリュースの華麗な冒険」が大好きです)ポランスキーに何処となく似ていると思われたマサシさんの推測も、むべなるかなですね。ナターシャ・キンスキーの美しさにテートを投影し、相手役に若き自分を重ねる。シャロン・テートの面影に捧げた、極めて個人的な制作動機です。そう捉えると、更にこの悲恋ドラマが、複雑にして悲しく思われます。