ティファニーで朝食をのレビュー・感想・評価
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名刺の住所は旅行中
小説家、トルーマン・カポーティの
中編小説。
『Breakfast at Tiffany’s)
(ティファニーで朝食を)
映画では、自由奔放に生きるヒロイン
ホリー・ゴライトリー
大都会のお洒落な妖精♪
オードリー・ヘップバーンが
名演技を魅せてくれました。
名シーンも人気ですね。
ティファニーの
ショーウインドウを眺めながら
パンをかじってみたいと
思った方も多い事でしょう(≧▽≦)
飼っている猫も
名無しの猫ちゃん(=^・^=)
でも、タイトルロールに
しっかりと表記されていますよ。
劇中、オードリーがギターを弾き語る
ヘンリー・マンシーニの
『ムーン・リヴァー』
小説には出てこないのですが
ステキなメロディで大好き
永遠の映画音楽ですね。
2008年に村上春樹さんの
新訳(翻訳)版が出ていて
ティファニーブルーの装幀がステキです。
共感&コメント下さいました
レビューアーの皆様
ありがとうございました。
追記投稿でご迷惑でしたら
コメント削除願います。
追記
2024年 虎ノ門ヒルズで開催中の
「ティファニーワンダー」
世界初となる
作品が展示されています。
「ティファニーで朝食を」で
オードリーが来ていた衣裳も
展示され 台本や
オスカー像も見ることができます。
6/23迄開催
原作と全く違うお話。これじゃ、原作者怒ると思いました。ヘップバーン...
原作と全く違うお話。これじゃ、原作者怒ると思いました。ヘップバーンが綺麗なのは分かるけど、ホリー・ゴライトリー役は出来ないでしょうね。原作のホリー・ゴライトリーの方がはるかに魅力的な女性だと思いました。コケティッシュって死語でしょうが、オードリーヘプバーンにはそれが無い。もっとも、マリリン・モンローって原作者は言ってるけど、それもね。
男を振り回すだけで良ければ、バトンの石原さんの方がオードリーヘプバーンよりも良いと思いますね。勿論、半分はジョークですが
日本人差別と薄っぺらい脚本
他の方のレビューにもあるように、日本人差別が露骨すぎて不愉快。「当時はそういう時代だった」と言われればそれまでだが、この作品を観て面白いと言っている日本人は自分たちが侮辱されているという自覚がないのだろうか。
脚本も薄っぺらくて人物に感情移入ができない。何が名作なのだろうか。
ミスキャスト
冒頭、ティファニーのお店の前でタクシーを降りて、ロングドレスのファッショナブルな服装を着たオードリー・ヘップバーンがティファニーの店内を外から覗きこみ、紙袋から出したクロワッサンっぽいパンをかじってコーヒー?を飲むシーン、バックには有名はムーンリバーの曲が流れる、何かこれからワクワクさせてくれるような展開を期待させる感じで、この映画の好きなシーンの一つだ。
ところが、次第にこの女性がしっちゃかめっちゃかな性格ということが分かってくると、彼(ジョージ・ペパード)も見ている我々も振り回されることになってくる。はっきり言って、オードリー・ヘップバーンはこの女性役はミスキャストだと思う。というか、たとえマリリン・モンローがやったとしても、作品としては駄作になっていたと思う。主人公の生き方にまったく共感できないからだ。感動的なのはラストの雨のシーンだけで、猫を抱いて、やっと彼の愛を受け入れることになったが、余りにもそれまでの紆余曲折が金持ちの男だけを相手にしていたくせに、デタラメすぎないか。
前述の冒頭のシーン、人懐っこい猫、オードリー・ヘップバーンのファッション、また主題歌のムーンリバーをオードリー・ヘップバーン自身が歌っているシーン等、見どころ満載なのであるが、いかんせん、脚本が貧弱だったのが残念である。
あと気になったのが、彼女の住んでいるアパートの管理人?が日本人であるが、当時のアメリカ人にとっての日本人像なのか?かなりの偏見で、日本人としてはちょっと嫌な感じである。日本での公開は全く意識していなかったのかと疑いたくなる。
何度席を立とうと思ったことか
午前10時の映画祭で鑑賞。
ヘプバーンの主演作品を映画館で観たことが無かったので、心ウキウキで映画館へ行きました。
が、途中で何度席を立とうと思ったことか。
理由は2つ。
まずはヘプバーンの演技。
脚本が悪かったのか、演技が悪かったのか。
全然ヘプバーンの魅力を感じられない。
次に日本人役のユニオシ。
これが一番の最悪。画面に登場する度に、ムカムカして来ました。
まあ、冷静に考えると、公開当時の日本人は、こんな感じに見られていたんだな・・と。
逆に公開当時の日本人は、この映画を観てどう感じたのでしょうか。
永遠なるファッションアイコン
朝ぼらけ。朝日が昇る直前の、空は夜の暗さと日の光が織り交じる頃、
その光を受けて、ゴージャスな衣装を身に包んだ女性が、コーヒー片手にクロワッサンをかじりながら、サングラス越しにショーウィンドウを見ている。
そのショットの美しさ。
オードリーさん、パトリシアさん達女性のファッション。
生活感の全くないインテリア。
日常生活では絶対にやらない悪戯・行動の数々…。
ー今でこそどこでも見られる食べ歩きも、この当時は品のなさの筆頭だろう。
眉しかめたくなるような行為のキュートさ!!!
NYの街並み。
様々な年齢の方々が集まる乱痴気パーティ…。
ストリップショー。
一つ間違えば、ダサくもなるシーンなのに、なんと軽やかで、砂糖菓子にも似たシーンなのだろう。
オードリーさんの魅力もさることながら、一つ一つのシーンをポップで豪奢にでキュートに仕上げたスタッフの力。これこそがこの映画の魅力。
日本なら、銀座・和光界隈、もしくは原宿から表参道が舞台で、地方から都会の華やかさに憧れて出てきた女の子の話。
と考えれば、この映画が、いかに、PVかMVかと言いたくなるように、憧れだけを詰め込んで憧れを壊さずに仕上げた映画として成功しているかが一目瞭然。
コールガール、愛人、子捨て、裏切りというネガティブな要素がたくさんあるのに、泥臭さも、悲惨さも、卑屈さもまったくない映画。
そのために、もっと人間ドラマとして深められたろうに、軽い雰囲気の映画になってしまった。
原作未読。原作者が怒ったと聞くが、さもありなん…。
原作者はモンローさんのイメージで執筆したとか。『紳士は金髪がお好き』とかのモンローさんの演技で観たかった気がする。きっと、コミカルで、ほろっともくるような、ぞくぞく来るものになったと思う。
『ローマの休日』の次の次位に、オードリーさんを売り出すために、あえてこのような映画・PVに仕上げたのだと思った。
実際は、『ローマの休日』から8年後、その間に何本も出演していらして、女優としての地位は確立していらしたろうに、なぜこんなふうに仕上げた?ジバンシーのアイコンをやっていたから、汚れ役にできなかった?
オードリーさんの出演作を全部見ていないので、このような評価は失礼なのかもしれないが、
「永遠の妖精」と評された如く、『ローマの休日』が一番の代表作であることからも、
イメージ先行から逃れられなかったのだろうか。
ちょっともったいない。
とはいえ、この映画の雰囲気に憧れ、真似したくなることは間違いない。
ージバンシーやサングラスをあんな風には着こなせないけれど。
窓辺のレースのカーテンや、アイマスクくらいなら…。
迷路のような、美男美女のラブロマンス
午前十時の映画祭11にて。
2021年5月5日に観賞したのだが、昨日(5月4日)はオードリー・ヘプバーンの誕生日だった。
原作小説の主人公ホリーは、セレブ男たちの間を渡り歩いて生活する様子から「娼婦」だと一部で捉えられ、作者のカポーティは「ゲイシャ」だと説明したという。
“社交界の娼婦”的な設定を当時の女性たちがどのように受け止めたのかは知らないが、一部からは自由奔放な生きざまが支持され、作者の近くにいる女性たちが「自分こそがホリーのモデル」だと主張しあった、とか。
そもそも、カポーティはマリリン・モンローの主演を希望したが、全くタイプが異なるヘプバーンがキャスティングされた(経緯は諸説あるものの)…というのは有名な話。
ヘプバーンは当初、娼婦の役はできないと難色を示したとされ、ヘプバーンに合うように原作とは異なるラブロマンスに脚色された…らしい。
だからというわけではないが、ストーリー展開には無理がある。
作家ポール(ジョージ・ペパード)がホリー(オードリー・ヘプバーン)に魅かれていくのは解らないでもないが、ホリーの心理の移り変わりが理解しづらい。
つかみどころのない不思議な女性としての魅力が、反って惹き立っているとはいえるが。
ポールのキャラクターも、パトロンと愛人関係にあって実力以上の生活をしていながら若い女に気移りしているあたり、今見るととても共感できるものではない。
そんな脚本はさておき、ブレイク・エドワーズ監督の演出は、お洒落なファッションやニューヨークの街並みを背景にした名場面のオンパレードで、ヘプバーンの画的な魅力を最大限に引き出している。
本作が彼女の代表作の一つに上げられているのは、ヘプバーン自身のコメディエンヌとしての才能によるのは当然かだが、監督の画づくりの成果だと思う。
ヘンリー・マンシーニの音楽も然りで、「ムーン・リバー」はヘプバーン自身に唄わせることにこだわって、彼女の声域に合わせて1オクターブで書いたという。その結果、スタンダードの名曲となったのだから、名作曲家とヘプバーンがもたらしたシナジー効果は高かったのだ。
茶トラ猫ちゃんの忍耐
TOKYO MXの吹き替え版を録画で。
ヘプバーンは好きで、何作か見てるのに、これだけなぜか未見だった。気まぐれな猫っぽい女性に、外見は確かに合っているけど、別の女優でも良かった気がする。ヘプバーンがもったいない。たぶん、私はこのヒロインが気に入らないんだと思う。
この時代、動物に対して気を使うことはなかっただろうが、猫が気の毒で見るに耐えなかった。部屋でパーティの最中、棚の上で立ち往生する猫。ずぶ濡れにされる猫。大きい音に驚いたり、イラついたしっぽの振り方してるシーンもあった。おそらく複数の猫を使っていると思うが、茶トラちゃん、本当にお疲れ様でした。
名作として有名だけど、すごく気分の悪い映画だった。音楽とファッションは素敵だけどね。
午前十時の映画祭に感謝。
ゆらゆらと水草のように漂って毎日を生きる二人の物語
決して二人ともこのままでいいとは思ってはいない
ただ今はこのままもう少しだけ漂いたい
そんな時って私にもあったように思う
昔々の若い頃のことだ
仕事はちゃんとしていたけどプライベートはいつも集まる仲間達と飲んで騒いでフラフラしてた
熱く未来を語ることもなく夢に向かって努力もしない
ただ仲間といる時が楽しくてダラダラと毎日を過ごしていたように思う
あれはあれで良かったのだろう、少しもったいないようにも思うが自由気ままに過ごしていたな
ホーリーには夢がある
ティファニーという夢がある、ふわふわっとした夢かもしれないが憧れのために少なからず進んでいたのではないだろうか
それが叶えば部屋には家具も入れて落ち着きたいと思っている
猫にも名前を贈るつもりでいる
彼女も今は名無しの猫なのだろう
ただ毎日怠けて生きているのではないように思う
もしもこの役をモンローがやっていたらどんなものになっていたのだろうか
たぶんタイトルがティファニーではなくアレになっていたかもしれたいな
となるともう少し作品自体もビビットになるのだろうか
とにかく全然違う映画に仕上がる事は間違いないでしょうね
『ローマの休日』でヘプバーンを知った人はこの作品でかなりの衝撃を受ける事でしょう
私も驚きました
この作品を今でも映画館で観られる幸せに感謝します。
冒頭のオープニングに惹きつけられる。なんですか、このお美しい女性は...
冒頭のオープニングに惹きつけられる。なんですか、このお美しい女性は!!キュートで美人で非の打ち所がないとはこのことだな。ティファニーが世界的なジュエリーブランドになったのは、この映画の功績が大きいのだろう。日本のドラマでヒットした「やまとなでしこ」はこの作品のコピーだと思ってしまった。
お金<愛
3回目の鑑賞は、午前10時の映画祭で。
やはりオードリーヘップバーンは、映画館で映える。
秀逸な名場面は、
・オープニングのティファニーでクロワッサン
・ポールに起こされ、木曜日と気づいてからのメイク(お茶目すぎる)
・パーティでおばさんの髪の毛から発火~消化
・ベランダでのムーンリバー弾き語り
・普段やらないことをやる日(お面)
・図書館でのポール告白
・名前の無いネコを置き去りにしたが、ポールの言葉で愛を取り戻すラスト
以前に見たときは、つまらない作品だなぁと思っていたが、
年を重ねて見直すと、何故か良くなってきた。
不遇の男女が最後の最後で、お金<愛で大団円だからかな。
オードリーの美しさとムーンリバー
ニューヨークのアパートで猫と暮らしているホリーは、宝石店ティファニーの前に立ち、パンとコーヒーで朝食をとるのが好きだった。
ある日、彼女のアパートに作家のポールが引っ越してきて、彼女の周りのさまざまな人達を翻弄するホリーは・・・という話。
みなさんレビューされているように、オードリー・ヘプバーンの美しさ、可愛さを観るための映画だと思う。
あんなに自由奔放だと彼女にしたら疲れそうだし、階上の日本人は出っ歯でキモいし、タバコ吸い過ぎで道にポイ捨てしまくりだし、気になる事は多いが、絶世の美女を大スクリーンのカラーで観れる幸せを感じる事が出来た。
名曲ムーンリバーをたくさん聴けるのも良かった。
一気に観られなかった
・オードリー綺麗
・ムーンリバーの色々なverが聴ける
・ユニヨシのシーンはあまり気分良くない
・今までしたことないことをしようという日のシーンは好き
・ホリーと親密になると疲れそう
・全体的にわかりづらい
ゴシップガールから
ゴシップガールでブレアがティファニーで朝食をを一番好きな映画と言ってネコのシーンを再現していて気になって観ました!
オードリーヘップバーンが素敵な女性でおちゃめでかわいい!
2人でやりたいことをやっていくシーンが楽しい。
結局はお金よりも愛が勝ったという映画
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