殺人狂時代のレビュー・感想・評価
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【”一人殺せば悪党で、100万人殺せば英雄です。”チャップリンが殺人紳士を演じたスタイリッシュブラックコメディ。現代社会でも十二分に通用する、戦争に対する怒りを練り込んだ脚本が見事な作品です。】
ー 不況により、30年真面目に務めた銀行を首になった男ヴェルドゥ(チャップリン)が足が不自由な妻と幼い息子のために、金持ちの未亡人を次々と殺す”事業”を始め、金を株に継ぎ込み生活を維持する。-
◆感想
・改めて観ても、凄い作品である。
・内容が連続殺人であるにも関わらず、チャップリン演じるヴェルドゥが悪人には見えないのである。殺人シーンが間接的にしか描かれていない事と、ヴェルドゥが金持ちの未亡人を殺そうとする過程が、可笑しいからである。
・シニカル且つヒューマニズムを感じるのは、刑務所から出て来た女を毒の効き目を試すために毒殺しようとするヴェルドゥが、彼女の身の上を聞き毒殺を止め大金を持たせて、人生の再出発をさせるシーンから、彼が経済破綻により妻も子も財産も全て失った時に、運転手付きの車でその女が彼を見つけ、車内に招き入れるシーンである。
彼女は、ヴェルドゥに助けられた後に、”軍需産業の社長”と結婚し金持ちになっていたのである。
<そして、有名なヴェルドゥが死刑執行される前に言った”一人殺せば悪党で、100万人殺せば英雄です。”という台詞には、矢張り唸らされるのである。
今作は、優れた脚本と、チャップリンの演じる殺人鬼の一見紳士的な風貌と、コミカルな演技が優れたる作品なのである。>
相当な傑作です
他に名作が多すぎるので、影に隠れた感が否めませんが、CCらしさが希薄であるのにこの水準はさすがです。
モダンタイムスでスラップに一区切りつけて、独裁者でアメリカ中を敵にまわし、次作ライムライトはついにアメリカを離れて、なのでこれがアメリカで撮った最後の作品です。
今でこそCCのメッセージ云々という褒め方をしますが、あの時代にこの内容では激しい非難に晒されたのはやむを得ないでしょう。
しかし、CCを離れて一本の映画作品として評価すれば、全体の構成やテンポ、各人に対する確かな演出、映画らしさにあふれた傑作です。
最後のラム酒一気飲み!
この歳になって初めて見た名作…
有名な台詞
「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ」
は知っていたが終盤の決め台詞だったんですね
テンポのあるコケティッシュな場面が秀逸
そんな時の表情と、人間性を取り戻す瞬間の表情
チャップリンが称賛されるわけです…
”100万人に殺せば英雄”
真面目な銀行員(チャールズ・チャップリン)が不景気によりクビになり、妻子を食べさせるために選んだビジネスは有閑マダムのお金を奪って殺すことだった。
最後の演説、「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄」が言いたいことなんだろう。
笑いは少ない。
チャップリンがチャップリンであることの難しさ
チャップリンらしくギャグを全編に散りばめてありますが、物語はタイトル通りシリアスな殺人狂の物語です
ギャグそのものもさすがチャップリンというべきレベルの高いものです
それなのに邪魔でうるさく感じてしまいました
むしろギャグは減らすべき、無くしても良かったかも知れないとまで思いました
チャップリンのシリアスな表情の演技も見事なものがあります
そして終盤の大量殺人への反戦メッセージのシーンは素晴らしい印象深いものです
もしこのプロットを使ってヒッチコックが撮ったならどうでしょう
当然ギャグは一部のみ残してほとんど排除されます
サスペンスはもちろん強調されるでしょう
ところが終盤はそうかわらないシーンになっていると思います
チャップリンという名前がギャグをどうしても求めてしまうのです
私達観客も、監督かつ主演俳優であるチャップリン自身も
チャップリンがチャップリンであることから脱皮出来ず苦闘している、そんな映画に感じました
プライドなんていらない
さて、チャップリンです。
たぶん皆さんが思い浮かべる彼とは全く違うイメージではないでしょうか
チャップリンと言えば、見返りを求めない『愛』でありどんなに貧しくても人の道は外さない(多少の盗みはするけど)紳士であり誰からも愛されるチャーリーのイメージですよね
チャップリンが何を伝えたかったのか
世の中の人の心が変わってきたからでしょうね
戦争とは殆どが被害者である、仕掛けた国も仕掛けられた国も、勝った国も負けた国もそこに住む人々の大半は被害者でしょ、とても心穏やかに生活するなんて無理な話
何かに腹を立て何かを非難し、より安全なところから弱い物を遠ざける、そんな人々に贈るメッセージ
1人で戦い神から与えられた善の心を捨て去り完全に自分の仕事として生活する事に徹した男の物語
動物と違い人にはやってはいけないルールがある、シナイ山で頂いた十戒にも記されている
自然界では全く通用しませんけどね
人は服を着て生活するようになったので仕方がないのです
だからルールが必要なのです、少しのお金も必要なのです
彼には彼の理屈があり、それが彼の仕事になった
とは言え最初からでは無かったと思いますけどね
彼の言葉を借りるなら
「絶望は麻薬に似ている 人の心をマヒさせる」
チャップリンはこの映画に女神を2人用意しました
1人は妻でしょうね
もう1人は雨の日女、彼女には3度会い2度救われている
最初にあった時に己の愚行に気が付いていたら妻子ともっと長い時間いっしょに生活出来たでしょうに
悪も女神にはなす術がないのですね
見ている前ではだけですがね
一言一言が重くのしかかる
前半はダラダラ進んで正直あんま面白くなかった。
でも後半からがすごい。
急に重くなり社会派としての作品に変化する。
逮捕されたチャップリンの発する言葉がひどく重くのしかかる。
チャップリン作品の中でも一番考えさせられる。
イギリス人チャップリンの作家証明のブラックユーモア
サイレント映画で極上のユーモアと心に染み入るペーソスで人間愛を謳ったチャールズ・チャップリンは、前作「独裁者」で戦争と戦争を誘導する人間を痛烈に批判したが、第二次世界大戦後の米ソ冷戦の軍拡に対しても義憤を感じていたと思う。「キッド」「黄金狂時代」「街の灯」によって、人間愛を理想とするチャップリン芸術は頂点を極め世界的な評価と信頼を得た。その自信と表現者の使命感から、文明に潜む非人間性の警告「モダン・タイムス」を、戦争の愚かさを「独裁者」で表現した。批判は正論でも発言者の資質が問われる点において、チャールズ・チャップリンは最も適した映画作家であった。大量殺人兵器に技術革新が利用される文明は人間の進化とは言えない。これを伝えるために作られた「殺人狂時代」は、浮浪者チャーリーのスタイルを捨てた普段着のイギリス紳士(映画のアンリ・ヴェルドゥはフランス人)の辛辣なシニカルさが特徴となる。愛を謳ったチャップリンが連続殺人者を演じることの必要性は、ラストの有名な台詞にある。ただ、理論的にも物語としても飛躍した発言であるものの、言葉の意味する単純で明確な事実を指摘した意味合いが勝り、私たちに強烈な印象を残す。
ブラック・ユーモアに特化したコメディだが、マーサ・レイの快演によりチャップリン映画らしさは充分ある。また、アンリ・ヴェルドゥの言動から感じるのは、善良な個人主義者が全体主義の社会では簡単に利己主義に転化することだ。世界恐慌から戦争に至る政治・社会状況は、全体主義で利益を得ようとする人間の仕業と見れるからだ。ヨーロッパ文化の権化ともいえる個人主義は、常にその危険性を持っているのではないだろうか。チャップリン自ら殺人者として問うた捨て身のメッセージは、色んな思考のヒントを与えてくれる。だが、この映画の真意が理解されず、チャップリンは”赤狩り”によりアメリカを追放されることになる。
普遍的なテーマ
スリルとサスペンス、コメディと風刺、愛と哀しみのこめられたエンターテインメント。
時代に翻弄される中で、ささやかな幸せを守ろうとした憐れな人の姿。そしてこの作品の背景となった経済危機、右傾化、戦争。現在の世界情勢と重なり、様々に感情を揺さぶられる。
稀有な才能のある人が、激動の時代の中で、情熱と創造性を武器に世に遺した作品。
やるせないからこそ笑いを
チャップリンの見ているところが、こんなにも多様だったなんて、ある種の驚きでした。私が好きな『キッド』『ライムライト』『モダンタイムス』などで見られた、かなり純粋な愛のテーマとは異なり、より愛の悲哀、人間の悲哀を描いていると思います。
笑えるんです、相変わらず楽しくて、面白くて、笑えるんですけど、やるせないんです。これらを映像として実現するのは、案外、難しいんだと思います。
このラストシーン、やっぱり死ぬまでに観ておかなくてはいけないシーンだと感じましたよ。この構図は忘れがたいものでした。
殺人者にも身勝手な一分の理
総合70点 ( ストーリー:70点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:60点|音楽:60点 )
殺人は犯罪だが大量殺人は国家的英雄。戦争で大量に人殺しをして勝利を収めて利益を得た国家。そんな矛盾をはらんだ社会への風刺や皮肉がこめられているが、こんな主張は今となっては青臭い。困ったことに自分は時代と社会の被害者だから何をやっても許されると叫んで犯罪を犯すものは現代にも多いが、そのような自分勝手な意見は社会から排除されるのは当然のこと。チャップリンがこの後に共産主義的だとして迫害を受けたのは当然いきすぎだが、この内容では当時の赤狩りの吹き荒れたアメリカでは目を引いてしまうだろう。その主張に特に共感する部分はない。
だけど殺人狂でありながら家族思いで、自分は自分の仕事をしていただけという身勝手ぶりが、殺人者の浅はかな理論づけとしては面白い。結局殺人者は殺人者なりの理屈がある。それが社会から見れば異常であっても、彼らにとっては立派な理由なのだ。殺人を楽しむ根っからの異常者ではなく、知性を持った社会人が自分を正当化する理由を勝手に作り出していくのは気分が悪いが、それが殺人者の姿の一つなのだと思えば興味深い。そして殺人をとりあげた作品ながら、女を縄をかけてもなかなか邪魔が入り沈められないとかといった軽快な演出が、作品を深刻になりすぎずあっさりとしたものにしてくれている。
チャップリンの視点、彼らしさの詰まった作品
チャップリンがこれ程偉大な存在に成り得た理由の1つには、創る作品ごと-特にこの作品の時期-に映画という枠を越えて議論されるという点。
また、どれだけ大スター、名監督になろうともその地位に甘んじることなく作家としてのアイデンティティー、"チャップリンらしさ"を見失わないところだろう。
批判の精神に満ち、真っ直ぐに意見を述べる"らしさ"溢れる作品だからこそ時代を越えて愛されるのだろう。
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