タクシードライバーのレビュー・感想・評価
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絶妙に生理的に無理
タクシードライバーとして働くベトナム帰還兵のトラビスが徐々に危険なテロを計画していく様子を描いた話。
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『ジョーカー』がこの話を原型に作られたと聞いて、やはり比較して見ずにはいられなかった。社会の隅で生きる男が徐々に人の道を外れていくが、『タクシードライバー』は結果的にーローになって、『ジョーカー』は悪のカリスマになる。
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見た目の残念さも狂気もアーサー(ジョーカー)の方が遥かに上回るのに、私はトラビスの方が無理(笑)見た目もそこまで悪くなくて、割と普通の人に見えるのに、話が通じないのが絶妙に気持ち悪い。
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女性関係については、トラビスはデートにポルノ映画見に行ったり、何回も電話かけたり普通に気持ち悪い行動を取る。明らかトラビスが悪いのに全くなぜ上手くいかないのか理解出来てないのが狂気。でも、アーサーは妄想の中でしかデートしてないので失敗がないので生理的に無理さを掻き立てられなかったの大きい。
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あとはやっぱり映画の世界では妄想だったとしてもヒーローになるよりヴィランになる方が惹かれてしまうんだろうな。
駆け巡る、走馬灯のような
オープニングからラストまで
駆け巡る、走馬灯のような映画。
よく議論になるラストシーンは、
私の見解ですが、トラビスの死に際に見た幻なのでしょうね。
皮肉な形であれ、どうあれ、
彼の潜在的な理想が形になることなど、あり得ない
叶えてしまったら、あの映画のテーマに背くことになってしまう気がしますね。
首を撃たれた時点で彼はもう死んでいて
そのあとはすべて、幻だと思います。
下手をすれば撃たれたあとは、すべて幻なのかも
そうなれば、彼はただの押し入り強盗、殺人を犯した犯罪者ですよね。
店を襲い、そのまま何事もなかったかのように処理された
あの強盗のように、なにも残さずに終わるだけのこと
仮に指のピストルで自殺まで出来たとしたら、彼にしたら上出来なのではないでしょうかね。
それ以降の栄光や名声など、臨むべくもなく
それすらも、トラビスにはうまく想像できなかったような気がしますね。
新聞に取り上げられるが、それ以上のイメージが彼の中にないから、形になってこない。
アイリスの両親の顔が出てこないこと(見たことがないから)も含め
彼の髪型含め、表情も肉体も精神も「あの頃」のままで
彼女に振り向かないというのが、彼の死に際にまで見た理想だったのでしょう。
最近はこのような、結末や展開を観客に委ねる作品が少なくなりましたね。
わかりやすい答えを求める観客が増えた所為と
商業主義的に結末まで編集できるようになってしまったからでしょう。
こういった名画に類する作品は貴重だし、今後更に稀少になってゆくのでしょう。
美しい映画です。
事実と作り話が半分半分の歩く矛盾。この映画は預言者か、はたまた麻薬の売人か。
ベトナム帰還兵の青年トラヴィスが抱える孤独と苦悩、そしてそれにより引き起こされる暴走を描くクライム・サスペンス。
監督は『ミーン・ストリート』『アリスの恋』の、後の巨匠マーティン・スコセッシ。
ニューヨークでタクシードライバーとして働くベトナム帰還兵、トラヴィス・ビックルを演じるのは『ミーン・ストリート』『ゴッドファーザーPART Ⅱ』の、レジェンド俳優ロバート・デ・ニーロ。
12歳の娼婦アイリスを演じるのは『アリスの恋』の、後のレジェンド女優ジョディ・フォスター。
アイリスを商品として扱うポン引きの男、スポーツを演じるのは『ミーン・ストリート』『アリスの恋』のハーヴェイ・カイテル。
なお、スコセッシ監督本人もタクシーの乗客としてカメオ出演している。
👑受賞歴👑
第29回 カンヌ国際映画祭…パルム・ドール!
第2回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…作曲賞!
第19回 ブルーリボン賞…外国映画賞!
人間の内面に迫ろうとする、芸術的かつ純文学的映画。いわゆるアメリカン・ニューシネマに属する作品であり、他の作品同様に暗くて残酷で娯楽的ではない。トラヴィスは最終的に英雄として迎え入れるものの、その勝利はどんよりとした澱みの中から彼を拾い上げてはくれない。
余談だが本作が公開された1976年には、アンチ・アメリカン・ニューシネマとも言える映画『ロッキー』もまたスクリーンに登場している。
アメリカン・ドリームの象徴として今なお燦然と輝く『ロッキー』が、アメリカン・ニューシネマの到達点とも言える本作と同年に公開されているというのはなんとも興味深い。80年代に向かうにつれてアメリカン・ニューシネマはだんだんと下火になっていくのだが、1976年というのはそのちょうど転換期であると言えるのかもしれない。
作中でトラヴィスに向けて放たれるセリフ「事実と作り話が半分半分の歩く矛盾」というのは本作の本質を非常によく捉えている。
彼は欺瞞と悪徳の満ちるニューヨークに嫌気が差しており、この街を出て行きたいという欲求を持っているが、実際にはタクシードライバーとして、彼が悪と断ずる人々のために従事している。
政治には無関心でありながら惚れた女が支持している議員には賛同を示しているし、また、ふられた腹いせにテロを画策する凶暴さを持っている一方で、売春に身を落とす少女のことを本気で救い出そうとする清き心も併せ持っている。そしてポルノ映画を好み暴力に関心を示す一方で、銃器を鏡の前で構えて喜ぶという幼児性も持ち合わせている。
このように、トラヴィスという人物の心理と行動は整合性がないようにも見える。しかし、矛盾している様にも思える多面性こそが、我々の人間の本質。
この映画が描き出しているのはトラヴィスという異常者の姿ではなく、普遍的な人間の姿なのだ。
また、この「事実と作り話が半分半分」という部分にこそ、本作の核心があるように思う。これは映画の構成そのものの説明なのではないだろうか?
終盤になると物語は大きく動き出すが、果たしてモヒカンにしてからの彼の行動は本当に真実か?鏡の前で銃を取り出し子供の様に戯れる彼が、あれだけのことを為し得るのか?
仮にそこが真実だとして、売春宿での銃撃戦とその後のエピローグはどうも繋がっていない様に思える。あの部分は真実か?それとも死の淵で彼が見た走馬灯か?
全ての解釈は観客に委ねられている。
この映画は人間の本質を鋭く貫いた託宣とも言えるし、レーガン大統領暗殺未遂事件を引き起こした様に、観るものを狂わせんとする麻薬の如き毒物とも言える…。あなたは果たして本作をどう捉えるのだろう?
※2024年11月、BS松竹東急にてノーカット版放送を鑑賞。
今回再鑑賞して思ったのは、やはり物を書く人間が主人公の作品は、映し出された事をそのまま鵜呑みにしてはならないという事である。
冒頭、トラヴィスの目のクローズアップから映画が始まっていることに気づく。本作のエンディングで描かれた意味深な視線の意味がわからなかったのだが、なるほどあれは冒頭のシーンに繋がるものだったのだ。つまりこの冒頭と最後のトラヴィスの目線は、終わりと始まりがグルグルと回り続ける、灰色の日常という無間地獄を意味する描写なのだ。
それを示すように、本作では“レコード“が象徴的に扱われている。特に気になるのは、アイリスとスポーツのラブシーンでのレコードの使われ方だ。スポーツがレコードをかけると、そこから流れるのはあの“テ〜テ〜テ〜テレレ〜ン“という本作のメインテーマなのである。
冒頭から何度も何度も使われるこの楽曲。これがトラヴィスの脳内で流れているミュージックなのだとしたら…。
彼はアイリスのいる娼館でこの音楽を既に聴いていたのだろう。彼女に惹かれた彼は、自分がヒーローになるような物語を自作し、それを日記形式で書き表した。本作で描かれているのは最初から最後まで、全てがトラヴィスの考え出した嘘であったのだ。
この考えが正しいのかどうかはわからないが、この様に考えると、何処にも行き場のない男の虚しさ、都会で孤独に生きる人間の悲しみがより痛切に迫って来はしないだろうか。
※※改めて観直すと以前よりも面白く感じられたので評価を上方修正。
皮肉さとミラー
ミラー越しの顔ってなんであんなセクシーなんでしょう。
途中からとんでもない厨二病だし、内気で自惚れ屋のくせにリアルはタクシードライバーだし…
ブルーワーカー。アメリカ社会のリアリティとしての一面は私は好きでした。厨二病描写も共感できます。誰だってヒーローになりたいものです。何かを変えるためにマグナムを買うというところもぶっ飛んでて好きです。
気になった少女を助け出すと弱いものには見栄を張るけど、候補者の暗殺は断念する決意の弱さ。そんな自分を突きつけられて闇雲に振るった拳が、誰かの正義にたまたま拾われた。彼は表面的には望んだヒーローになれたわけですが、本心はどうなんでしょうか…
休日の昼間に、ホームパーティーとかで流し見したい作品ですね
時代を超えた作品。圧巻
ジョーカーみたらタクシードライバーを思い出して
何十年ぶりの鑑賞。
荒廃した街で、戦争のPTSDにに苦しみながら生活するトラヴィスは娼婦や売人、黒人を馬鹿にしながらも彼らを客として日銭を稼ぐタクシードライバーの生活をしている。
その矛盾の中で、自分は彼らより上だと思いたいけれど
選挙事務所で働くベッツィからはあっさりと振られてしまう。
開き直って落ちることも這い上がることもできないトラヴィス。
ひょんな事から強盗を撃ち殺したり、麻薬捜査官に間違えられて『正義』でいる事の快感を覚える。
モヒカンにアーミー系のジャケットを羽織りナチのような出で立ちになりベッツィの応援する政治家を撃ち殺すことで
ベッツィへの恨みをはらし、彼の政治を反対する事の正義を貫こうとするが失敗。
そのまま、12歳で娼婦のアイリスを救いにいく。
結果、少女を救った英雄として扱われるが
万が一、政治家を撃ち殺すほうが成功していたら
彼は異常者、犯罪者の扱いだった。
英雄と犯罪者は紙一重
娼婦と真面目な学生も紙一重
大統領になるだろう男は一歩間違えたら撃ち殺されていた
しがないタクシードライバーが英雄になる事もある。
そんな、社会の価値観を根底から揺さぶる映画
トラヴィスは一時的に英雄になり
満足そうだけれどまたいつか『何か』を起こし
今度は英雄か犯罪者か。わからぬ不適な笑みを浮かべるラスト。
すごいなー。
ようやく見れたデニーロとスコセッシの出世作
名作には違いないが問題作だった。
昔の友人は本作を、大変気に入っていたなあ。
1976 ニューヨーク公開
ベトナム帰りの元海兵隊トラビス・ビックルについての映画。ただし戦争についての描写は入社面談の時の上司との会話以外、全くない。回想もない。不眠症で、夜、頭と目が冴えてしまうのかもしれない。客に頼まれればどこへでも行くと言う。
しかしアイリスとの会話で、ヒッピーたちの集まるコミューンに行くのは嫌だと言ったので、彼らと付き合うのは苦手なのだろう。
ハーベイ・カイテル演じるスポーツとは、そりが合わない設定。街中でトラビスのタクシーに乗り込んできたアイリスを外へ強引に引き戻した男。二度目の出会いで、彼と会話する。しかしいくら気に食わないとはいえ、たった三度目で撃ち殺してしまうというのは、狂気の沙汰だ。普段から目にしていたのかもしれないが。ある日、モヒカン刈りになった彼は、この哀れな小さな売春宿の三人を次々と撃ち殺す。そして自分も傷つく。元海兵隊がたった一人で民間人と闘う。この少女を彼らの手から救い出すために。
映画のラストではアイリスの両親から感謝状をもらう。仕事に復帰したトラビスを訪ねて、ベッツィがタクシーに乗り込んでくるが、話はしない。
トラビスは、殺人罪や銃の不法所持で裁かれなかったのか。アイリスは、数年後どうなったか。事件後トラビスの不眠症は治ったのか、トラビス自体は、タクシードライバーを続けていったのかなど色々考えてしまう。
ロバートデニーロ
若い。そしてかっこいい。俺はこんなんじゃないはずっていう厨二病な感じから狂気への移行。jokerと通じるものあるしjokerにデニーロが出演していたのも何かを感じさせます。
まず気になるのが、オープニングで映し出される、主人公の目。ネオンが...
まず気になるのが、オープニングで映し出される、主人公の目。ネオンが美しい雨に濡れたニューヨークの街並みが瞳に映っているのだが、儚げでまるで泣いているかのようでもあり、赤く映し出され狂気でもある。ベトナム戦争帰りの不眠の男が職にタクシードライバーという職につき、腐れきったニューヨークの街や人々を見、何を思ったのであろうか?戦地で何のために身と精神を捧げて戦ったのであろうか?自問自答するであろう。次第に精神のアンバランスさに拍車がかかり狂気の限りを尽くすが、最後にまたタクシードライバーという仕事に戻った時、彼の心は既に何も感じなくなってしまったのではないかと思った。
わけのわからないことをしたい時もある
ロバートデニーロが若かりし頃、まだ人をバッドで殴ったりする前の頃の話。
一方的にしか話を進められないところとか、理解力が足りなくて会話の中で適当に誤魔化すところとかが、自分と共通している気がしてドキッとした。
何か目立つことがしたいと、鏡の前で1人銃を構える練習をしているシーンは、アドリブの名シーンとして名高いそう。
結局、殺された人は気の毒なんじゃないかという気もするが、淡々と日々を過ごしていくタクシードライバーに代表される、社会の貧しく名もなき人々に焦点を当てた映画としては真を突いたものだと思う。
なんとも言いようのない虚しさが全体に漂っていて、じっと見入っていると、なんだか病気になりそうな雰囲気がある。
苦悩
ベトナム戦争から戻った男の日常と心情を描く。
偶然見かけた女性に猛アタックし最後には嫌われる。
売春婦をマフィアから救う…正義なのかエゴなのか。マフィアは悪。そこから少女を救うのは善?
マスコミにヒーロー扱いにされ。女性が戻ってきて満足気。
んー、男の苦悩が伝わってきます。
社会の閉塞感は
現代社会にも通じており、トラビスのような精神的に不安定な人間が“狂う”様は横で見たならかかわり合いになりたくない。
カッコいいと言うよりは、社会的逸脱行為に走ってしまう様は何処かの患者様そのもので措置入院待ったなしな様子。
だが、そうなるまでに時間があるはずなのに、ベトナム帰還兵はそれほどのストレスを抱えたのだろう。
今もどこかで狂いかけている人がいると思ってしまう。
しかもちょっぴりの手助けではどうにもならないほどに、人生を狂わせてる人が。
厨二ストーカーが輝く名作!
・たまたますれ違った女に一目惚れし、女の職場を外から長時間に渡り監視→ストーカーです
・初デートで、ポルノ映画をチョイス→セクハラです
・当然女に絶交され、何度も謝罪の電話をするが取り合ってもらえず、何度も花を送りつける→ストーカーです。
・それに対し逆ギレし、女の職場に押しかけ罵倒する→ストーカーです
・鍛えた体で銃を構える姿を、鏡越しに見て自分に酔う→厨二です
・自宅ででかい独り言を延々と続ける→私です
・その独り言の内容は、いつか言おうと思ってる自分が考えたカッコイイセリフ→厨二です
・自分は国に仕える仕事をしてる設定にして妄想に耽る→私です
・その設定を親宛の手紙に書いてみたり、実際に10代の売春婦に言っちゃったりする→厨二です
・「君がこれを読んだ時には、たぶん僕は生きてはいない」みたいな映画なんかでよく見るフレーズを手紙に書いちゃう→厨二です
最後は売春宿を襲撃して、助けを頼みもしてない売春婦を救いヒーローとなった主人公は、絶交女からも声をかけられるようになりめでたし〜
作中に何度も流れるオシャレなジャズが、主人公の痛さをより引き立てる名アシスト。
終始気持ち悪い主人公なんですけど、その気持ち悪さを見ていて胸にグサッと刺さるところもあるので、完全には否定できない笑
帰還兵の孤独と闇
率直に、最初見た時は狂人が犯罪に手を染めてゆくだけの映画だと思っていた。だが時代背景を知って改めて見た時に全く別の感想となった。当時ベトナム戦争から戻った彼は居場所を失い大都会の中で孤独と闇を抱えただ日々を過ごすだけの存在となっていた。自らが命を賭け守ったモノが矛盾や不正にまみれた社会だった事、友人や恋人も無く誰とも心通わせられぬ孤独感それらに虚しさを感じながら、それでも正義は存在すると信じ自らが変えなければならないと歪んだ使命感のもと狂気に駆られた行動をおこしてゆく。結果社会から礼賛される姿はそれでも根本的に何一つ救われておらずそれはベトナム戦争そのものを表すかの様だ。ラスト夜の街に消えてゆくタクシーとバックミラーを睨みつける彼の目線は米国の抱える問題とその闇の深さを物語る様だ。若き日のデニーロもだが13歳のジョディーフォスターの風格たるや素晴らしかった。
価値観の評価
ベトナム戦争後、価値観が揺らいだ時代をよく表していると思います。タクシー同様、限られた範囲を行ったり来たりするような、思考の殻を破ろうと模索するTravis。彼の抱く極端な発想や閉塞感が犯罪の引き金となるのは、この時代に限ったことではないでしょう。
選挙もそうですが、多数決で善悪・正誤を決めていいのか。大勢の意見→世論が必ず正しいのか。Travisは、被害者の素性によってその行動を判断されています。彼自身をあらゆる角度から評価した訳ではありません。Travisに対する社会の受け止め方は、普遍的な問いを投げかけているようでした。
大きいことはしたけれど、ぐるぐる廻って辿り着いた所は同じなのか…バックミラー越しに睨んだ先には何があったのか。
よくわからなかった
なんで絶賛されてるんだろうか。
トラビスの行動は自分が見ると厨二病的だった。アイリスもそれで幸せなんだろうかという感じがしたし…
「こうあるべきだ」って固定観念にゴリゴリにハマってる人が好きな映画?
狂気から生まれる正義
主人公のトラビスは孤独で街を徘徊するヤクの売人や売春婦を汚水物ように考えている男だ。
トラビスはある日このままではいけないと思い一念発起して美女を口説き落としてデートに誘う事に成功する。しかしデートに連れて行った場所がポルノ映画館、女は怒りだしトラビスはフラれてしまう。女の冷たい態度を受けて怒りを感じ益々、孤独感を深めトラビスは次第に妄想を抱き狂気に駈られた行動を起こす。
この映画の怖い所は狂気に囚われた人間は自分の事を狂人とは思っていない、そして人の持っている狂気性からも正義が生まれてくるかも知れないという事だ。
殺戮に走るトラビスを見ていると人を殺すことへのやるせなさや戸惑いはおろか人を殺すことへの罪悪感を全く見せない。有るのは少女を食い物にする極悪人どもは皆殺しにするという狂気に駈られた正義感だのみだ。
トラビスはメディアに少女を悪の巣窟から救い出したヒーローとして祭り挙げられる。
この映画は人の狂気性からも正義が生まれてくるかもしれない事を教えてくれる。
本当に怖い映画だと思う。
荒んだ都会の雰囲気がたまらなくかっこいい
ベトナム帰還兵の主人公は自分の境遇や犯罪だらけの町に苛立ちを覚え、
眠れない日々を夜な夜なタクシーで流して紛らわせる。
社会に対する漠然とした不満はあるが、無知な彼に政治はわからない。
彼の世界観は狭く、スラム街の住人がそうするようにベッツィをポルノ映画に誘い、
偶然客が口走っただけの44マグナムにこだわり、聞きかじった知識だけで銃談義をしてご満悦。
愛銃を手に鏡の前でポーズを決めるそぶりは、TVヒーローの真似をする子どもと変わらない。
漠然とした苛立ちは、彼が感じるところの腐った社会に向けられ、
ついには、家出少女を売春婦としてこき使う悪党一味を皆殺しにする。
彼の行為は犯罪で、しかも浅はかであり、決して褒められない。
しかし結果的に彼の行動は悪人を消滅させ、少女を救い、彼自身も苛立ちから解き放たれる。
…つまり狂った人間の許しがたい行動が、ベストな結末を導いた?
犯罪も場合によっては許されるとかそういうことではなく、
もっと大きな意味で既存の価値観の再考を迫り、行為の意味を探求する作風が衝撃的。
雰囲気、音楽、ストーリー、演技、ラストシーンまで、稀にみる傑作。
トラビス(ロバート・デニーロ)は議員を殺そうとする一方で、アイリス...
トラビス(ロバート・デニーロ)は議員を殺そうとする一方で、アイリス(ジョディ・ホスター)を助けようとして「英雄」として新聞に載る。
物語の冒頭、トラビスはタクシードライバーに応募する。そして「自分の殻だけに閉じこもり一生過ごすのはバカげている。人並みに生きるべきだ」と考え、選挙事務所で働くベティに声をかけるが振られる。議員をタクシーに乗せたときには、「悪を町から無くしてほしい」と訴える。ベッツィに冷たくされたトラビスは議員を殺そうと計画し、一方でアイリスに売春婦をやめて両親のもとに帰るように説得する。
トラビスがベッツィと初めてお茶したとき、彼女は言った。「預言者で麻薬の売人、事実と作り話が半々の歩く矛盾」。言ってることは預言者のようでありながら、やっていることは麻薬の売人。悪をなくしてほしい、と心に思いながら、拳銃を買い、体を鍛え、モヒカンにして、自分で決めた「悪」を殺そうと計画する。
ラスト、世間がトラビスが「悪」を殺したことを賞賛して終わる。議員を殺した場合、世間はトラビスを非難しただろうし、アイリスを助けたことはたまたまトラビスと世間の「悪」が一致したことになる。
重い映画だけど、トラビスの心情を考えさせられる映画。マーティン・スコセッシ監督が出演しているシーンも見所。
なんでモヒカン?
物語はすごくおもしろかったし
ハラハラしてずっと見てましたが、
ムキムキになった主人公(モヒカン)が気になって仕方なかった。
映画が作られた時代に斬新な髪型だったのでしょうか?
気になって仕方なかったー…
デニーロの最高傑作
主人公の偏った正義感にある種の共感をおぼえる。デニーロの演技はもちろんだが、子役のジョディ・フォスターの演技も素晴らしい。当時、子役としては、アカデミー賞を受賞したテータムオニールとどっちがうまいっかって比較されたけど、結局残ったのは彼女のほうだった。トム・スコットのサックスが心憎いまでに雰囲気を盛り上げてくれる。最後、主人公が生き残ってくれた点に救われる。日本人が作ったら、殉職?でしょうけど。
全43件中、21~40件目を表示