大地のうた

劇場公開日:

解説

一九五六年第九回カンヌ映画祭に出品され、特別賞(人間的記録映画賞)を受賞したサタジット・レイの処女作。原作はビフティブシャーン・バナールジの自伝的小説で脚色は監督のサタジット・レイが担当。撮影はスブラタ・ミットラ、音楽はラヴィ・シャンカール。出演はインド映画界を代表するカヌ・バナールジ、コルナ・バナールジほか。

1955年製作/インド
原題または英題:Pather Panchali
配給:東和=ATG
劇場公開日:1966年10月11日

ストーリー

一九二〇年頃、インド・ベンガル地方にある小さな村での話。あれはてた家に住む一家は、主人のハリ(K・バナールジ)、妻のサルバジャヤ(K・バナールジ)、息子のオプ(S・バナールジ)、娘のドガ(U・D・グプタ)の四人暮し。ハリは給料の低い無力な官史で、僧侶兼学者としての教育をうけながら、詩や創作劇を書くことを夢みていた。彼の無力のため、今や代々受けついできた立派な果樹園も、借金のかたにとられてしまっていた。妻のサルバジャヤは、こんな夫によく仕え貧しさに耐え、自分たちの子に一日に二度の食事と、一年に二枚のサリーがあったらと望んでいるがその願いも、みじめな現実のために破られてしまった。そんな一家に、ハリの親戚である老婆がころがりこみ、生活はますます苦しくなるばかりだった。老婆を好きだったドガは、食べるだけが楽しみの老婆のために、果樹園から果物を盗んでは与えていた。祭りが近づいたある日、ハリが三ヵ月分のたまっていた給料をもらって帰ってきた。苦しかった一家にもやっと笑顔が生じた。親子は何日ぶりかで幸せをあじわった。しかし年老いた老婆は、それから間もなく、枯木が倒れるように死んでいった。オプとドガが遠くまで汽車を見に行った日だ。ハリはまとまった金が入るからと、妻がとめるのもきかずに、成人式をとり行うために旅立っていった。しかし目的地へ着いたら成人式は中止だったので、家の修理に必要な金をかせいでから帰る--という便りがあったきり五ヵ月がたってしまった。サルバジャヤは、その五ヵ月の間、じっとハリの帰りを待っていなければならなかった。飢えということは哀しいことだった。サルバジャヤはそんなことを思いながら、お金になりそうな物を売っては飢えをしのぐのだった。だが、もう売る物も売りつくし、サルバジャヤは息もたえだえだった。その上、雨にあたったのが原因でドガは死んでしまった。そんなある日、ハリは新しいサリーを買って帰ってきた。しかしすべては後の祭だった。ハリは新しい土地で人生を出直そうと決心し、親子は夜明けの道を進んでいった。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第9回 カンヌ国際映画祭(1956年)

受賞

ヒューマン・ドキュメンタリー賞 サタジット・レイ

出品

出品作品 サタジット・レイ
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映画レビュー

5.0テーマは人間の避けられない運命。つまり、死かなぁ。

2022年5月28日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

淀川長治さんの解説は聞かない方が良かったです。
僕もレビューには気をつけようと反省しましました。人の振り見て我が振り直せで反省しましました。
と言いながら、勝手な表題をあげてしまいました。
母親が泣く瞬間、実際の泣き声でなく、インドの弦楽器で泣き声の代用をしていたのが、心に染みました。
オプー三部作さぁ始まり始まり。

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マサシ

3.5惜しみなく大地は奪う

2022年3月4日
iPhoneアプリから投稿

インド映画といえば歌に踊りの底抜けにハッピーな印象が強いが、サタジット・レイの映画は暗く苦しい。

貧しい家の少女は日頃から隣家の果実を盗み食いしており、友人のネックレスが無くなったときも真っ先に疑念をかけられた。少女は「盗んでいない」としきりに主張し、少女の母親も「うちの子がそんな高いものを盗むはずがない」と少女を庇う。

それからしばらく後、少女は高熱にうなされる。外では車軸を流すような大雨が吹き荒れ、母親は少女を必死で介抱する。そのさまを戸棚の上のガネーシャ像が事もなげに眺めている。

翌日、少女は天に召される。家は風雨によってバラバラに破壊され、母親は糸の切れた人形のように呆然と座り込む。そこへ運良く、いや、運悪く出稼ぎに出ていた父親が帰ってくる。父親は都会で手に入れた数々の金品を母親に自慢するが、失われた命は二度と帰ってこなかった。

父親は教養に通じており、文学で生計を立てようと画策していたこともあったが、娘の死を受けて「こんなもよが何になる」とノートの束を破り捨てる。教養があろうがなかろうが、惜しみなく人の命を奪っていくのが大地であり自然であり神である。

少女の死後、一家は別の街へ引っ越すことになった。彼女の弟のオプーが戸棚を漁っていると、とあるボウルが見つかった。そこにはネックレスが入っていた。それは少女が友人から盗み出したものだった。

弟はネックレスを掴み取るや否やすぐさま近くの池にそれを捨て去る。そうすることで家族を襲う不幸の連鎖を断ち切ろうとした。少なくとも彼はそう信じて行動した。彼の行動が後にいかなる未来を招来することになるのかは、残る2作品を見るまではわからない。

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因果

3.0サタジット・レイ監督は悲しい死別の連続の先になにを…

2021年7月24日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

若い頃、この作品を観たのは、
製作から30年近くも経った
岩波ホールでの三部作上映企画だったが、
ATGによる日本初上映も製作から
10年以上も後で、
いきなりのキネマ旬報ベストワン
選出だった。
いかにATGが果たした役割が大きかった
かが想像出来る。

内容は、
勉学は男、家事は女、
など男尊女卑も甚だしいかつての日本
を見ているようでもあったが、
親の老婆を演じたの女優には驚かされた。
果たしてどんな経歴の方なのだろうか。
これが地でなく、
演技だとしたら恐ろしいばかりだ。
世界中の映画祭の全ての助演女優賞を
差し上げても良いのではないかと思う程の
とてつもない演技だった。

さて、このシリーズ、
死による別れが頻繁に描かれた。
1部では近親の老婆と姉、2部では父と母、
そして3部では妻。

私も若くして父を亡くした時は、
人生とはこのような別れの悲しみを
繰り返していかなければならないのかと
暗たんたる気持になったものだったが、
この主人公がその辺りをどう乗り越えて
いったのか、もう2部・3部の詳細も
覚えていないし、観る機会の無い現在、
確かめるすべも無いが、
あるいはインドの死生観そのものが
このシリーズのテーマだったなのかも
知れない。

この後、なかなかインド映画には出会うこと
も無く、私が次に目にしたのは、
サタジット・レイ監督作品とは異質な、
娯楽映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」だった。
当時は、インド各地で言葉が異なる影響も
あって、インドは世界一の映画製作国
との話を聞いていたが、ネット社会になった
現代でも変わっていないのだろうか。

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KENZO一級建築士事務所

4.5温かくも冷徹に"家族"を見つめる

2012年6月17日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

描くべきところでありながらもそれまであまり目を向けられることの無かった"家族"を描きカンヌでセンセーショナルを巻き起こした名作。
貧しいながらも懸命に生きる三世代の家族にサタジット・レイは冷徹ながらもどこまでも温かい眼差しを向ける。
そして、私たちはその家族の歴史を見つめる。

どうしてだろうか?普通の家族を捉えたストーリーであるのにものすごく壮大な叙情詩のようだ。
それこそが彼の狙いか。 生死の尊厳や輪廻の精神、神秘に満ちた体験は"日常"の中に潜んでいるのだと言わんばかりだ。
少年オプーは無垢の心で全てを受け入れ成長していく。
「大地のうた」、"オプー三部作"は始まったばかりだ。
残り2作でサタジット・レイはどんな映画体験をさせてくれるのか楽しみでならない。

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keita

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