第三の男のレビュー・感想・評価
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映像と音楽で有名だが、実は超文学的?な映画
キャロル・リード監督による1949年製作のイギリス映画。
あまりに有名で、既に見た様な気分になっていたが、初見だった。
戦争の後がまだそのまま残っているウイーンの街が舞台。映像的には多分、公開時見たら素晴らしいだろうとは思うのだが、夜の人影の描写や地下下水道の追跡劇、斜めの構図など徹底的に真似をされており、そちらの方を沢山見ており、インパクトは少ない。とは言え、夜のウイーンを走る人間の影の大きさには驚き、有名なハリー(オーソン・ウエルズ)の薄笑い顔が窓の灯りがついた中で浮かび上がるシーンには、どきりとさせられた。その前のハリーが大好きな猫が誰かの靴に戯れる映像が、ハリーの存在を予見させて実に上手い。
昔ながらのテンポのせいか、ホリー(ジョセフ・コットン)が魅力に欠ける(英語しか理解出来ず、芸術・文学を理解出来ない米国人の無教養を皮肉っている?)せいか、前半は少し退屈に感じた。オーソン・ウエルズ登場から俄然話は面白くなるが、ミステリーを通して何を描いているかは俄かには判然としない。
宗教画でオウムが聖母子とセットで描かれるものを目にする。そのオームに噛まれるホリーは、反キリストのユダ=裏切り者を暗示なのか?
名前からして、善人ホリーと悪人ハリーは類似の存在。人間の裏と表の側面を象徴か。ただ、その善い人のはずのホリーが猫にもオウムにも子供にも嫌われる。そして助けたはずのヒロイン・アンナ(アリダ・バリ)にも無視されたのは何故なのだろう?彼は偽善、裏切り者、米国的?建前だけの正義、嘘つきを象徴か。一方で、ハリーはとんでもない悪人だが、子供の様な心を持った正直者で、ホリーに誘き出される友人思いで、動物たちにもアンナ(聖母マリアの母の名前)にも好かれ、仲間からも庇われる存在。観覧車でアンナの名前を書いていて言葉とは裏腹に、実は大切に思っている様でもある。そして、悪玉だが映画を見ている人間も魅了する存在。
原作・脚本のグレアム・グリーンは、オックスフォード大卒のカトリック信者で米国嫌い、共産党員でタイムズの記者経験も有り、MI6でキム・フィルビー(ソ連に寝返る英スパイ)直属の部下だったらしい。ミステリーの外観ながら、彼の人生観(善悪は簡単に決められない、悲しいが善人も友を裏切る、愛は理屈でない根源的なもの、悪人は魅力的、等)が詰め込まれた超文学的な映画の様に感じた。
原題:The Third Man、配給:モービー・ディック、日本初公開:1952年9月16日
製作キャロル・リード 、アレクサンダー・コルダ 、デビッド・O・セルズニック、原作グレアム・グリーン、脚本グレアム・グリーン、撮影ロバート・クラスカー(夏の嵐等)、
オズワルド・ハーフェンリクター、音楽アントン・カラス。
出演は、ジョセフ・コットン(ホリー・マーチンス)、オーソン・ウェルズ(ハリー・ライム)、アリダ・バリ(アンナ・シュミット)、トレバー・ハワード、バーナード・リー、ジェフリー・キーン、エルンスト・ドイッチュ。
鵞鳥湖の夜は多分この映画リスペクトしてるね
影の使い方とか 去年見た鵞鳥湖の夜 に似ていた。まぁ、鵞鳥湖の夜がこの映画リスペクトしてるだろうけど。 ネタバレになるから言えないけど、似ている所探すのも面白いね。自分の解釈だけど、絶対に似ている。最後のチターの曲がいいなぁーー。
ウィーンのBurg Kino
2024年8/24
16時20分より18時08分くらいかなぁ。で何回目かの鑑賞。
この映画館は世界最古の商
業主義的映画館と聞いて来てみたら、なんとまぁ!『第三の男』を上映する日だった。
午前中に観覧車に乗って、ドナウ川で泳いだ。
さて、映画は地味な三角関係とクライムサスペンスだが、音楽がやっぱり良いね。
その後『美しき青きドナウ』を聞きにコンサートへ出かけた。今日は我が人生で一番楽しい時であった♥
エビス🍺
親友に呼ばれてウィーンにやってきたハリーが会う前に交通事故で死亡。事件の真相を暴こうと、その現場を目撃していた「第三の男」を探す話。
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名作サスペンスということで、私は結構怖い感じだと思っていたんですが、今ではエビスビールで知られてる音楽が流れるなか割と緩い雰囲気で話が進む。
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やっぱり古典の映画って当時革命的でそこから今の流れに繋がっていくっていう出発点なので、色んなエンタメが溢れる現代の私たちが見ても正直そこまでなところもある。特に、「第三の男」のツメの甘さが気になって気になって。
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自分の正体バレてないって自信満々にハリーに話してるけど、もうその前にハリーは警察と行動共にしちゃってるから色々バレてるし。囮に引っかからなさそうに見えてちゃんと引っかかってたり。凶悪なシリアルキラーを見てきてる今の人間としてはなんとも間抜けに見えた。
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あとはやっぱりテーマ曲がもうエビスのイメージでしかなくなっちゃってるから、あの曲が流れる度に鼻歌歌ってビール持ってる幻影が頭の中に出てきて全く緊張感が保てない(笑).
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でも戦後のウィーンはアメリカソ連イギリスとか色んな国の人がいたから、意味のわからない言語をずーっと話してる人の不気味さ、言葉がわからないことへの恐怖がよく出てたと思うし、やっぱり「第三の男」が正体を表すところのうつし方は今見てもすごい。
格調高き光と影
Amazon Prime Videoで鑑賞(吹替)。
モノクロならではの味わいが素晴らしかったです。
ビールのCM音楽だと思っていたテーマ曲。明暗のコントラストが織り成す芸術性。スリリングな展開とサスペンス。…
それらが渾然一体となっている極上の映画でした。
映像表現としての「光と影」。登場人物たちの関係性としての「光と影」。ハリー・ライムというひとりの男が抱える「光と影」。いくつもの「光と影」が物語を彩っていました。
ストーリーに既視感を覚えたものの、「本作がパイオニアなのかも」と考えたら、全て納得出来ました。トリックにしろ、下水道での捕り物にしろ、もしかしたら本作が元祖かも、と思いました。当時、それらの要素がすでにありふれたものだったとしたら、本作は名作と言われていないのではないかと云う気がしたからです。間違っていたらごめんなさい(笑)。
※修正(2024/03/13)
何故彼はウィーンに呼ばれたのか
総合70点 ( ストーリー:60点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:65点|音楽:70点 )
何故ホリー・マーチンスは当時としては現在とは比較にならないほど相当に高価であった航空券までわざわざ与えられて、アメリカからウィーンにまでやってきたのだろう。逆にハリー・ライムはホリーに何をさせたかったのだろう。
そこまでして呼んだのならば何かの意思があったはずだが、結局2人が会うのは随分日数がたってからで、しかもそれだけひっぱっておいてその際に言ったのは普通に「仲間にならないか」だけ。その仕事には売れない作家が必要なのか? 呼んだ目的も会わない目的もそれにどんな理由があったのかはわからずすっきりしない。ホリーが到着した直前に呼んだホリー本人が殺される事件があるなんてのも偶然とは思えないが、その背景も謎のまま残される。
そのあたりのことがわからないと、謎解き作品としては出鱈目すぎる。結局手間暇かけて呼びつけたホリーをほったらかしにすることで彼は親友の死んだ謎の捜査に着手、それでハリーは自らの首を絞めることになった。作品の中で犯罪捜査をする役が必要でそれがホリーになるという、脚本上の都合だけで呼ばれただけじゃないのかと疑ってしまう。最初はどんな謎があるのかと盛り上げておいてそれなりに興味をかきたてられたが、観終わってみるとほったらかしにされて納得出来ない。これでは世間で言われているような名作とは自分の中では認められない。
後半はホリーの生存と悪の正体がわかり、それに対してどうするのかという人間模様を描く話になる。こちらの部分のほうが楽しめたが、ホリーがあまり出てこないし彼の人間性をわからせる演出が不足している。アンナを何の躊躇も無く捨てた悪人の割にホリーは何故最後に姿を現したのかも不思議。とりあえずハリーとアンナの行動と関係の描き方に面白みはあった。
ホリーを演じたオーソン・ウェルズはそもそも作品にあまり出てこないこともあってたいした存在感はなく、物語の展開はハリーとアンナの2人に頼る。そんな物語の展開に違和感を感じた初めての視聴をして、それから少なくとも何年も経過してから撮影の裏話を知ったのだが、どこで遊んでいたのかウェルズは撮影開始日になっても撮影現場に長い間さっぱりやってこなかったために、仕方なく彼無しで撮影が進められたらしい。もしかするとそれが影響して脚本が書き換えられて出演場面が大幅に削られたのかと思う。
それから母国に戻る列車に乗るとき、アンナの飼っていた子猫がどうなったのかも気になった。ホリーに捨てられたアンナ同様に、猫もアンナに捨てられたのか。この猫もホリーの生存を知らせるためだけに登場しただけかな。
有名な音楽は、犯罪の行われる戦後の荒廃したオーストリアの首都というより、地中海の保養地が似合うようなのんびりとしたもの。だから恵比寿ビールの広告にだって使っている。嫌いではないが、これが本当にこの作品に合っているのかはわからない。
光と影を知り尽くした演出
映画冒頭よりその存在が謎だった主人公の友人が姿を現すのが、映画も中盤に入った頃。暗闇に浮かぶ人影。いきなり顔が照らし出され、その人物の容貌がはっきりと闇に浮かぶ。ここでようやくオーソン・ウェルズが登場するのである。
この暗闇と光に照らされたウェルズの顔のコントラストはこの作品の中でも、最も印象に残るシーンであろう。
しかし、このような小憎らしい演出は随所に見られ、例えば、ラスト近くの地下下水道の追跡劇など、光と影のみで状況と緊迫感を観客に伝えている。
夜を舞台にした光と影のサスペンスを挟んでいる前半とラストの昼間の部分は、逆に主人公の戸惑う表情がスクリーンを彷徨う。
そう、この映画には、光と影のコントラストを強調した緊迫の夜の部分と、それに対比される戸惑いの昼の部分とのコントラストという、二重の意味での光と影が存在するのだ。
であればこそ、ほのかな期待を持っている主人公の目の前を、女が黙って通り過ぎていくラストの並木道が、映画史上の名シーンとして語り継がれることになるのだ。
主人公が自分の凡庸さを噛みしめることになるこのシーンは、消えた友人を探しているときの凡庸さへの回帰である。
ひと時のサスペンスを経験したものの、彼はやはり世間知らずなアメリカ人であり、余所者に過ぎなかった。冷戦下のウィーンという、多言語空間、政治的多重都市に彼は似つかわしくなかった。これらのことを映画は饒舌に物語っている。
音楽が・・・
第二次世界大戦直後、オーストリアのウィーンに友人ハリーを伝ってやって来たアメリカ人ホリー。しかしハリーは車にはねられ死亡していた。ホリーは彼の死の真相を調べ始める…。
陰と光の使い方が絶妙。戦後のウィーンの街の閑散とした感じや歴史を感じる彫刻や建物は美しくもあり、爆撃で瓦礫化した様は寂しい。しかし音楽が始終軽々しく、映画のテーマと合っていない感じがしてならない。話は第三の男が誰かというのに焦点があたり、種明かしには驚くが、細かい点で疑問が残る事が多い。女性の描かれ方(フィルムルノワールって確か女が男の邪魔をするって要素が入ってるんだったっけ?)がイラッとするので、私にはあまりすっきりしない映画だった。
音楽がもう少し違えば、印象も違ったのだろう。
因みに、女性キャラでよくあるのが、最初に女が仕事で何かやっている(女優でもダンサーでもなんでもいいけど)というシーンがあって、その後女は仕事をしているシーンはゼロで、ただフラフラしているというのが結構ある。頻繁に出てくるのは、パジャマを着ているか風呂に入っているシーンである。この映画では、唯一の女性キャラアンナが、パジャマを着ていて上からローブを羽織るという全く同じシーンが二回出てくる。
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