「光と影を知り尽くした演出」第三の男 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
光と影を知り尽くした演出
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映画冒頭よりその存在が謎だった主人公の友人が姿を現すのが、映画も中盤に入った頃。暗闇に浮かぶ人影。いきなり顔が照らし出され、その人物の容貌がはっきりと闇に浮かぶ。ここでようやくオーソン・ウェルズが登場するのである。
この暗闇と光に照らされたウェルズの顔のコントラストはこの作品の中でも、最も印象に残るシーンであろう。
しかし、このような小憎らしい演出は随所に見られ、例えば、ラスト近くの地下下水道の追跡劇など、光と影のみで状況と緊迫感を観客に伝えている。
夜を舞台にした光と影のサスペンスを挟んでいる前半とラストの昼間の部分は、逆に主人公の戸惑う表情がスクリーンを彷徨う。
そう、この映画には、光と影のコントラストを強調した緊迫の夜の部分と、それに対比される戸惑いの昼の部分とのコントラストという、二重の意味での光と影が存在するのだ。
であればこそ、ほのかな期待を持っている主人公の目の前を、女が黙って通り過ぎていくラストの並木道が、映画史上の名シーンとして語り継がれることになるのだ。
主人公が自分の凡庸さを噛みしめることになるこのシーンは、消えた友人を探しているときの凡庸さへの回帰である。
ひと時のサスペンスを経験したものの、彼はやはり世間知らずなアメリカ人であり、余所者に過ぎなかった。冷戦下のウィーンという、多言語空間、政治的多重都市に彼は似つかわしくなかった。これらのことを映画は饒舌に物語っている。
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