一瞬の夢

劇場公開日:1999年12月

解説・あらすじ

政府の犯罪追放キャンペーンが厳しさを増すにもかかわらず、いまだスリで生計を立てる青年・シャオウー。友人の結婚式にも呼ばれずショックを受けた彼は、カラオケ・バーでメイメイという娘に出会う。彼女の歌声が心の琴線に触れ、シャオウーは将来への“夢”に目覚めるが、二人が抱える“現実”は容赦なく二人を引き裂く事に……。世界の三大映画祭をわずか31歳の若さで制した、中国映画界のカリスマ、ジャー・ジャック監督の長編デビュー作品。

1997年製作/108分/中国・香港合作
原題または英題:小武
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:1999年12月

スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.0 素人感はあるが完成度は高い

2026年8月13日
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かつて旅行をした頃の中国。私の年代では経験したことのないレベルのローカル感。その頃中国の(いい加減な)若者の生活はかくやという感じです。最初に学生制作の映画と出たので役者はみんな友達とか素人かと思ったらやっぱりそうでした。
話の筋や演出的には同じような境遇の若者を描いた刁亦男の『制服』の方がスマートで素敵と思います。にしても監督が作中に歌を散りばめるのは最初からだったんですね。

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FormosaMyu

4.0 小武

2026年8月11日
iPhoneアプリから投稿

『長江哀歌』『山河ノスタルジア』のジャ・ジャンクーが初めて手がけた作品。一世代上のチャン・イーモウやチェン・カイコーが、中国の知られざる農村風景を提示することで先進諸国からのオリエンタル消費をある意味策略的に呼び込んだのとは対照的に、ジャ・ジャンクーはそういったものを隠しもしなければ誇張もしない。未舗装の農道もボロ屋のような実家も、アメリカに対する憧憬でさえ、山西省のごく平凡な日常として素朴にスケッチしていく。

当然、山西省の暮らしぶりなどつゆも知らない我々にとっては、それらは未知なるものとして立ち現れるわけだが、そこを褒めたところで何にもならない。着目すべきはジャ・ジャンクーの作家性が国の外側ではなく内側に向いているという点だ。

主人公のウーがスリをして暮らす街は、何らかの行政的強制力によって激動の時を迎えている。路面に立ち並ぶ老舗が容赦なく立ち退きを迫られ、警察官たちは店の中に入り込んでは勝手に区画の寸法を測っている。しかし不思議なのは、そうした理不尽を街全体がある種の自然災害のように諦めている節があるという点だ。「激動」という形容はおそらく言いすぎで、誰もが街の変化に淡々と対応している。

思えば冒頭の乗合バスのシーンには、毛沢東の写真入りキーホルダーが揺らめく印象的なショットがあった。毛沢東が去ってもなお、中国共産党という巨大組織は中国社会の中心に坐臥している。そういう国民精神の様相を、よくできた寓話ではなく不恰好なドキュメンタリーを通じて「発見」することにこそジャ・ジャンクーの作家性は賭けられている。

思えば『長江哀歌』でも、長江デルタの街がダムに沈む過程が描出されるが、そのことが過度に主題化されることはない。むしろその「天災」に直面した人々の気怠げな表情にこそ映画の焦点が絞られる。重要なのは、中国国民が強権に対してそれほどまでに馴致されてしまっているという現状を、日常の描画によってむしろアクチュアルに暴くことだ。

本作が素晴らしいのは、街じゅうを縦横無尽に飛び回るという動性によって我々の網膜に印象づけられるウーが、警察官に手錠を嵌められ物理的に動きを封じられるという静性に転化するという単純な視覚描写を通じて中国社会の閉塞を示しているという点だ。会話主体のイデオロギー講演会に陥っていないだけで映画としては非常に秀逸だ。

あとはウーが腹痛に悶えるキャバ嬢を口説くワンシーンワンショットが本当によかった。「目を瞑って」と言って耳元でブッダマシーンのようなチープな音で「歓喜の歌」を流すという鮮烈さ。あんなのされたら絶対に堕ちちゃうよ〜と思った。

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因果

3.0 素人臭さ

2019年3月2日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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kossy

3.0 強烈なロケーション

2018年4月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

悲しい

 この映画の最大の魅力は、中国のどこにでもありそうな地方都市のロケーションであろう。
 恋人ができたばかりの主人公が行く公衆浴場は、廃墟のように荒廃した雰囲気から、現役の浴場とは思えない。そんな中、被写体は全裸となり、浴槽に浸かるのだ。これを見て驚倒しないという観客は珍しいのではなかろうか。浴槽近くに並ぶ汚れた小便器がなかったとしても、この風呂を使いたいと思う者はいないはずだ。失礼ながら、映画の舞台である中国でも、観客の反応は同じであろう。
 ジャ・ジャンクーの演出が上手いのは、そうした不衛生で、沸いているのか水風呂なのか分からない描写のあと、高い天井へと視線を上げたカメラが湯気をとらえるところだ。このショットで観客の疑問の一部が氷解する。
 しかも、この人物は三つの浴槽にそれぞれ手を入れて湯温を確認する。この描写は犯罪を生業とする主人公の、臆病さや神経の細やかさを表している。
 なんとも強烈な印象を残し、映画全体の性格に影響を与えるロケーションは、後年の「青の稲妻」においても出てくる。
 「青の稲妻」では、この浴場にあたるのが、映画の冒頭に謎のアリアを男が歌う建物だ。この体育館のような広い空間の端に、列車の中のように向かい合ったシートが並んでいる。いったい何に使用される建物なのであろうか。中国によくある駅の広い待合室のように見えなくもない。
 この場所は、北京の学校への進学が決まった恋人と別れるシーンにも使われている。
 この大広間に続いてビリヤード台が並ぶ部屋があり、同じ年代の若者たちが集うところを見ると、大学のようにも見えなくはない。
 なんとも不思議な空間である。ジャ・ジャンクーのスクリーンに現れる不思議な空間は、中国の人々の眼にはどのように映るのであろうか。

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佐分 利信