この映画の最大の魅力は、中国のどこにでもありそうな地方都市のロケーションであろう。
恋人ができたばかりの主人公が行く公衆浴場は、廃墟のように荒廃した雰囲気から、現役の浴場とは思えない。そんな中、被写体は全裸となり、浴槽に浸かるのだ。これを見て驚倒しないという観客は珍しいのではなかろうか。浴槽近くに並ぶ汚れた小便器がなかったとしても、この風呂を使いたいと思う者はいないはずだ。失礼ながら、映画の舞台である中国でも、観客の反応は同じであろう。
ジャ・ジャンクーの演出が上手いのは、そうした不衛生で、沸いているのか水風呂なのか分からない描写のあと、高い天井へと視線を上げたカメラが湯気をとらえるところだ。このショットで観客の疑問の一部が氷解する。
しかも、この人物は三つの浴槽にそれぞれ手を入れて湯温を確認する。この描写は犯罪を生業とする主人公の、臆病さや神経の細やかさを表している。
なんとも強烈な印象を残し、映画全体の性格に影響を与えるロケーションは、後年の「青の稲妻」においても出てくる。
「青の稲妻」では、この浴場にあたるのが、映画の冒頭に謎のアリアを男が歌う建物だ。この体育館のような広い空間の端に、列車の中のように向かい合ったシートが並んでいる。いったい何に使用される建物なのであろうか。中国によくある駅の広い待合室のように見えなくもない。
この場所は、北京の学校への進学が決まった恋人と別れるシーンにも使われている。
この大広間に続いてビリヤード台が並ぶ部屋があり、同じ年代の若者たちが集うところを見ると、大学のようにも見えなくはない。
なんとも不思議な空間である。ジャ・ジャンクーのスクリーンに現れる不思議な空間は、中国の人々の眼にはどのように映るのであろうか。