セブン・イヤーズ・イン・チベットのレビュー・感想・評価
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悲しい映画
チベットの、世界の国々の中でもとりわけ神秘的な文化に惹かれて、数年以内に訪れたいと思っている者です。
映画を通じて少しでもその文化や歴史を知ることが出来れば、と鑑賞してみました。
凄い映画ですね。
主人公がブラッド・ピッド...ということに、話題性重視で商業的な意図が強いんじゃないかとか、西洋的な描写が多いんじゃないかと心配していましたが、
心配していたほどではなく、チベットの建築や自然、民族、宗教などをたっぷりと観察することが出来て、映像美が素晴らしかったです。
ただ、明らかに英語では話さないだろうというシチュエーションでも英語で話している点だけがマイナスだった。
外国映画なら、言語は徹底してほしい。
物語が後半に差し掛かるにつれて、中国の支配が始まります。
チベットを考える上で外せない事情です。
あの素晴らしい宗教や文化が、大国の土地が欲しいという思惑だけで脅かされることに歯がゆい思いをしました。
なぜ、他国の文化や宗教を破壊できるのだろう。
本当に恐ろしい。
きっとチベットはどんどん変わってしまいます。
できるだけ早いうちに訪れたい。
平和な世とは
いざチベットへ!
見たことはある
そんな程度の記憶だった
私はまだ若く、他国の重大な事件などなんとも思わずただ流れる映像を見ていただけなのだろう
今なら理解できる、なぜ彼があそこで涙を流したのかも
映画『F1』を見てあらためてブラット・ピットの魅力にしてやられたことは言うまでもないのです
『フューリー』で見た彼も心をえぐってきた
なので彼の若い頃の作品をもう一度見たくなったのだった
運がいいのか偶然なのかテレビで放送していたので録画して見て見ました
見始めるまではなかなか再生ボタンを押せなかった
なんだか長そうだし重いテーマのようだしそもそも覚えていない
しかし見始めるとグイグイと引き込まれる
そして知るのだ
大国は大国なりの理由があるのだろうけどどうして土地を欲しがるのだ
もうたくさん持っているではないか
武力で捩じ伏せて乗っ取っていく、今もそれは続いている
日本は太平洋戦争で大敗しなかったらどうなっていたのだろう、今は国民自体が軟弱化してきていると言われているがもう戦争はしないのでそれでいい
ドイツも日本も戦争はもう懲り懲りなのだ
立てる腹があったら寝転んで横にするくらいでいいのだ
私も行ってみたい、チベットへ
若き日のダライラマ14世が・・。
まず言いたいのは、今現在、チベットでダライ・ラマ15世を発見する動きがある事。そのことに中国が関与しようとしていること。これらを考えると、この映画を放送したのは、タイムリーだと感じた。
オーストリア人の登山家のブラピが主役だが、陰の主役は若き日のダライ・ラマ14世だと思った。
オーストリア人の登山家のブラピが、ドイツの登山隊に参加し1939年にエベレスト登頂を目指すが、同年、ドイツがイギリスなどに宣戦布告したため、インド国内でイギリス軍・インド軍の捕虜になる。
脱出に成功し、チベットに入る。そこで、若きダライ・ラマ14世の家庭教師のような役をする。世界の色々な物事を教えるのだ。
1945年に終戦するが、今度は中国がチベットを支配するべくやってくる。これが、今に通じる中国のチベット支配の始まり。
で、冒頭に言ったダライ・ラマ15世を中国がコントロールしてチベットを軍事だけではなく、政治的にも支配しようとしているのだろう。
これからのニュース・報道から目が離せない。
映画はブラピが出てたわりには、ロマンスもほとんど無く史実を淡々と放映した感じ。
皮肉なのは、ポーランドなど欧州各国を占領したドイツの登山隊が、エベレスト付近で捕らえられ、チベットが中国に占領される様子を見ていること。この映画を観たら、やはりある程度の武力が無いと大国に占領されると感じた。トランプが防衛費を引き上げろ、と言うこととは別に。
まぁ、2025年の夏の参院選で自公政権が惨敗しているのを見ると、とてもじゃないが外交を任せるのは無理だな、と思った。裏金とかバカなことをやってる自公政権や野党の政治屋は、さっさと退場して欲しい。
チベットの情勢について深く考えさせられる
最初はブラピ主演というミーハーな理由での鑑賞だったけれど、チベットや中国の情勢、ダライ・ラマの境遇等々、非常に考えさせられた。また物語が進むにつれ、傲慢だったハラーの性格が柔らかくなり、周囲の人間に愛情深くなっていく変化も見ていて面白かった。
幼いダライ・ラマ、親友であるハラーが旅立つだけでも辛いのに、その彼に自身の宝物でもあったオルゴールを持たせるなんて、残された自身は何で心を安めればいいのか。あの笑顔に涙が出た。(ダライ・ラマ役の子、すごすぎる!)
ラスト、息子とはどこの山を登ったことになってるんだろう。子連れとは思えないくらい高い山に思えたけど。
雄大で険しい自然、日本にはない壮大な景色も素晴らしかった。
今のチベットは?
チベットの人たちの温かさや優しさを感じる映画やった。あの政務大臣もチベットを守るためではあったんやよね。兵力に差がありすぎるし、あそこで降伏せな完全にチベット崩壊してたもんね…責められるのはわかるんやけど切ない。
やはり中国は最悪
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第二次大戦中にドイツ人?のブラピが登山家としてヒマラヤへ。
天候不順で諦めて下山したら、戦争開始しててイギリス軍に拘束される。
捕虜生活の後、脱走して現地の人らに紛れてチベットの聖地・ラサへ。
本来外国人は入れないが、そこで受け入れられ長らく滞在する。
しかもダライラマに家庭教師のような形で迎え入れられる。
やがて戦争は終結したが、今度は中国がチベットを占領する。
ブラピはダライラマを逃がそうとするが、断られる。
逆に、まだ会ったことのない息子に会うため国へ戻るよう指示される。
国に戻ったブラピは子供と会って受け入れられ、登山を教える。
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今なお続く、中国とチベットの確執のもととなった実話ベースの話。
ダライラマ役の少年の神々しいばかりの雰囲気に圧倒された。
吹き替えで見たけど、どれだけ演技力があったのか気になる。
しかし中国って最悪やな。っていうか戦争が最悪なんやけど。
そして当時は日本だって似たようなことをやったわけやけど。
ブラピとチベット役者陣の熱演
内容が内容だけに中国はもちろん、中国を刺激したくないインドでも撮影を拒否され、アルゼンチンにラサを再現して芝居部分を撮影したそう。諦めないで撮るのがすごい。
そしてその執念が、役者陣の熱演と共に、文化、冒険記録としてのノンフィクションプラス年齢、人種、宗教の違いを超えた友情の、見応えのある作品を作ったと言えそう。
ブラピの登山シーンも相当凄かったが、チベット人役のキャストがほとんど素人というのが信じられない。品のあるクイーンズイングリッシュを話す法王の母親役が本当のダライ・ラマの姉というのには納得だが、あっさり完全降伏してしまった大臣役の人もダライ・ラマ役の少年もエモい演技だった。
それにしても、宗教や文化には限りなく狭量なのに限りなく強大な軍事力を持った国があそこもここも我がものとして支配を広めて行く時、平和主義の国はなすがままになるより他ないのかな…そうすると地球上はそういう人達しか生き残らないってことかな…?それでいいのかな…?考えたってしょうがないのかな…w。はてさて、どうしたらいいのか、今も答えは見つからない。
冒頭の登山シーンだけでもすごい。
オーストラリア人だし、戦争は反対だ!などと言っても容赦なく逮捕するイギリス軍。4度も脱走を試みたハラーだが、すぐに捕まり有名人になってしまう。やがて妻イングリットからは離婚を承諾依頼の手紙が届く。ヒマラヤに向かう途中、息子も生まれた。
やがてチベットのラサに辿りついたハインリヒとピーター。親切な男(マコ・岩松)の家に滞在し、チベットに居ついてしまう。やがてピーターは現地人と結婚。一人残されたハラーはダライ・ラマじきじきに映画館を作って欲しいと依頼されるが、平和な滞在もそれほど長くは続かなかった。
中国軍の侵攻。民が殺され、幼きダライ・ラマは平和的に解決することを望む。ハラーも平和愛好家。自分が冒した過ちも反省する。中国という国も日中戦争では被害者であったのに、いつのまにか帝国主義化している現実。世の中、なぜ平和にならないのかと悲しくなってしまう。
悔しさを噛みしめる
公開当時に映画館で見たはず。子どもの時からチベットやチベット文化圏に異様に惹かれて興味があったが、この映画を見たときは本で読んだチベットの不幸な現代史の具体的イメージを得ようと楽しみというか、大変興味があった。チベットでこんな映画作れないのにどうやってどこで撮影したのかと不思議だったが本で読んだことがわかりやすく映像となっていて感動した。当時はまだチベット亡命政府にもダライ・ラマにも今より希望がわずかでも残っていた。
後日南米アンデス山脈で撮影ときいた。なるほどと思った。
時を経て、2022年、チベットが奪われた時よりも、この映画ができた時よりも、はるかに中国は強大となり容赦なき弾圧抑圧文化歴史抹殺民族浄化的なことも行われているだろうしこの映画の侵攻シーンや中国の軍人が砂曼荼羅を靴で踏み破壊するシーンからだけでも、疑う余地はない。
アンデス、エンドロールにアルゼンチンとあるが、撮影地を知りこの間数々の本を読みチベット映画も見てきた今、再度鑑賞するとやはり南米インディオのエキストラさんたちが気になる。
それにしても、若いブラッドビットがやんちゃな風貌で身勝手な男を演じ彼の子を捨て子に捨てられ性格と素直でないから孤独に悩む、子どもであるダライ・ラマとの対話の中で漠然と想い思い出す息子のこと、その話の方はたいして興味ないけど、行きがかり上、涙脆い自分はうるっとくるシーンもある、それはハリウッド映画でありブラッドビットの若さ、よさによるものなのだろうけど、チベット、チベットの人々に起こった数々の悲劇は憤慨こそすれ涙が出るなんてレベルは軽々と超えているのだ。
昨日起こったことは今日に鳴れば過去であり、歴史である。
起こってしまったこと、歴史に対する身も蓋もない、すがるものもなく取り付く島もない、行き場のない後悔とでもいうようなものにとらわれる。今なお、というより今はさらにひどく、それに対してチベットの人も世界の人もほとんど実効的なことはなにもできない。
ロケ地以外の、チベット的なものはかなり正確、誠実、精巧に作られたり撮られていて、多くのリンポチエたちが出演や監修をしており、取り返しが付かない後悔に対し、フィクションとはいえこのような映像作品が残っていることは有り難いと思う。
幼児時代、少年時代のダライ・ラマがとてもよいしツァロンもそのような方であったのではないかと思う、とてもよい。
登山家であるブラピは家族を顧みずプライドは高くて自己中心的、協調性...
事実に基づいた名作
チベット文化に触れる展開
本作は警鐘だったのだ また見て見ぬふりを世界はするのだろうか? 本作のチベットの運命は、明日の日本の運命だけでなく世界の運命なのだ
1997年公開
この年チベット問題の映画が2本も突如として公開された
なぜなのだろうか?
この年を時系列にするとこうなる
7月1日 香港返還
10月8日 本作公開
12月25日 クンドゥン公開
香港返還がキッカケだったのだと思う
香港の運命はチベットのようになってしまうのではないのか?
その不安がこの2本の映画を作らせたのだ
つまり警鐘だったのだ
それから24年が過ぎ去った
2021年の私達は知っている
その不安は的中したことを
香港はチベットのようになっていくのだ
それは明日の台湾であり、沖縄であり、日本なのだ
本作はクンドゥンの外伝的な映画になっている
本作と合わせてクンドゥンも鑑賞すべきだ
できれば本作は後に観た方が、よりダライ・ラマとチベットについて良く理解した上で本作を観ることができるはずだ
もはや見て見ぬふりはしていられない
遠い遠い国のことではないのだ
日本に直接降りかかろうとしているのだ
チベット問題を世界は結局見て見ぬふりをした
ウイグルジェノサイドもそうだ
その結果、香港の民主主義は失われてしまった
世界はまた見て見ぬふりをしたのだ
チベットで何が起きたのか?
それを私達は知らねばならないのだ
本作の劇中で嘘を並べる北京放送に、私達は憤り怒るだろう
しかし香港のこと
台湾のこと
尖閣のこと、沖縄のこと
そして日本についてのことであっても
私達は中国の主張に惑わされているのではないのか
本作を観て、事実はなんなのか
ご自分自身で確かめるキッカケになるはずだ
主人公はヒトラーと同じオーストリアの出身
ハラーは山を征服しようとし、ヒトラーは世界を征服しようとした
人間性を見失って他者に攻撃的になっている
そのような人物が、チベットに流れ着いて浄化されていったのだ
ところが、チベットを侵略する中国はナチスドイツそのままなのだ
毛沢東はヒトラーの後継者だ
そして21世紀
今年2021年は中国共産党創立100周年の年
毛沢東の後継者として、習近平はその式典に毛沢東のようにただ一人だけ人民服を着て現れたのだ
つまり毛沢東の後継者だと宣言したのだ
そういうことならば習近平はヒトラーの尻尾だ
また見て見ぬふりを世界はするのだろうか?
本作のチベットの運命は明日の日本の運命だけでなく、世界の運命なのだ
空恐ろしいことだ
私達は一体どうするべきなのだろうか?
1986年の、エディ・マーフィーのコメディアクション映画「ゴールデンチャイルド」を観るべきだ
これもチベット問題を取り上げている
その作品こそ答えだとおもう
悪魔とは戦うほかないのだ
てんこ盛り映画
【”我が心を解放させてくれた友、幼きダライ・ラマ14世・・。”チベット仏教の精神的に豊饒な思想に依拠した、他者に寛容な教えに従い生きるチベットの人々の姿も印象的な、精神浄化映画である。】
ー 傲慢で、虚栄心に満ちたドイツ人登山家ハインリヒ。
彼が、チベット仏教の寛容で、相手を尊重する思想や若きダライ・ラマ14世に出会い、感化され、徐々に穏やかな表情になって行く青年を演じる、若きブラッド・ピットが良い・・。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・1939年、ハインリヒが、家庭を顧みず、チベットの難峰、ナンガパルパットに挑む姿。
ー 当時の登山装備も興味深いし、ハインリヒが戦時下”何も考えずに、只、山を登りたい・・”という気持ちは分かる気がする。
妻の家庭の安定”子を持って・・”と言う気持ち。
ハインリヒが妻の妊娠を知っても、チベットに出掛ける姿。
エクストリーム登山家とは、深い業を背負う覚悟がないと、山に呑み込まれるのである。ー
・妻から届いた”息子が出来た・・”と言う手紙。それ以来、ハインリヒの心には、未だ見ぬ息子、ロルフの存在が徐々に大きくなっていく。ブラッド・ピットがその心情の変化を絶妙に演じている。
・1940年、連合国の捕虜になってしまう、ハインリヒと相棒のペーター(デヴィッド・シューリス)。それまで、彼らの関係性は良くなかったが(主にハインリヒが原因である)、徐々に距離を縮めていく姿。
・1942年、何度もの脱走失敗の果て、二人はチベットへ向かう。
ー ”困難であればある程、魂は浄められる”
そして、ハインリヒは未だ見ぬ息子との心の旅に出るのである・・。ー
・漸く辿り着いたラサ。
そこには、英語に精通した魅力的な女性ベマ・ラキ。先進的な考えを持つ政治家ンガワン・ジグメ。
そして、幼いが好奇心の塊で、聡明で、利発で、白い歯も印象的なダライ・ラマ14世が居た。
ダライ・ラマは、望遠鏡でハインリヒ達の姿を興味深げに観察し・・。
ー ダライ・ラマを演じた少年の微笑みが良いのである。好奇心に満ち溢れつつ、優しさが滲み出る姿。稀有な子役である。ー
・ハインリヒは、幼きダライ・ラマに未だ見ぬ息子ロルフを重ねつつ、親交を深めていく。映画館作り、動かない車に二人で乗ってのカーチェイスごっこ。
ー 背景には、息子ロルフから来た手紙に書かれていた”もう手紙は要らない・・”と言う文字を見た寂しさがあったのは、当然であろう・・。ー
・一方、ペーターはベマ・ラキと結ばれ、穏やかな表情になり・・。
ー 幸せとは、物質にあるのではなく、精神に依拠することが良く分かるのである。ー
・だが、毛沢東が建国した中華人民共和国の、愚かしき3人の将軍がやって来て・・。
ー ダライ・ラマとの面会シーンも印象的である。礼を尽くすチベットの人々に対し、礼節無き振る舞いをする将軍たちとの対比。
”宗教は悪だ!”と言い捨て、去る将軍たち。
現代まで続く、中国とチベットとの関係性の端緒である。ー
・ンガワン・ジグメの苦渋の決断による、降伏。
ー 彼なりの、チベットの今後を鑑みての決断であろう。ー
・ダライ・ラマとハインリヒの別れのシーン。
ー 彼が大切にしていたドビュッシーの”月の光”を奏でるオルゴール。それを従者にハインリヒへ、別れの品として贈るダライ・ラマの心遣い。ー
・ペーターとベマ・ラキとハインリヒの別れのシーンも良い。
ー ペーターが、バター茶が苦手なハインリヒに一杯飲ませ、二杯目を断るハインリヒに言った言葉。”これは、大切な友人が戻った際に飲むから、飲まなくて良い・・。”ー
<1951年 オーストリアに戻ったハインリヒが元妻イングリットと再婚相手が住む家を訪れ、“会いたくない・・”と言い、箪笥に隠れた息子に贈ったモノ。流れる、ドビュッシーの”月の光”。
ダライ・ラマからの”別れの贈り物”が、ハインリヒと息子ロルフの”心を通わす贈り物”になったというシーンは、実に沁みる。
そして、ハインリヒと息子ロルフがザイルでお互いの身を結び合い、冬山に登る姿。
佳い、映画である。>
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