スペシャリスト 自覚なき殺戮者

劇場公開日:

スペシャリスト 自覚なき殺戮者

解説

ホロコーストに加担した元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンの裁判をとらえたドキュメンタリー。1961年4月11日、ユダヤ人国家イスラエルの法廷で開始されたアイヒマン裁判は、イスラエル政府の意向により一部始終が撮影・録音され、全世界37カ国で放映されたと言われている。ハンナ・アーレントによる同裁判の傍聴記「イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」に感銘を受けたイスラエルの反体制派映像作家エイアル・シバンと「国境なき医師団」元総裁のロニー・ブローマンが、約350時間にも及ぶ記録素材をもとに再構成。アイヒマンの“専門家”としての顔を明らかにすると共に、「自分は上司の命令に従っただけ」と主張する小役人の肖像を徹底したリアリズムで描き切ることで、アーレントが説いた“悪の凡庸さ”の実像を浮かび上がらせていく。

1999年製作/123分/イスラエル・フランス・ドイツ・オーストリア・ベルギー合作
原題または英題:Un specialiste, portrait d'un criminel moderne
配給:コピアポア・フィルム
劇場公開日:2017年4月29日

その他の公開日:2000年2月5日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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映画レビュー

4.0映画「アンナ・アーレント」で知った彼女の哲学を裏付けるようなアイヒマンの言動も、果たして…

2024年11月6日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

以前、映画「ハンナ・アーレント」の鑑賞
からアドルフ・アイヒマンのことを知り、
このドキュメンタリー作品に誘われた。

この映画、ハンナの著書に基づき、
膨大な既存のフィルムから構成したもの
とのことだが、
何かハンナの哲学を裏付けるような
アイヒマンの裁判時の言動のように見えた。

このドキュメンタリーで印象的だったのは、
アイヒマンが終始、
「移送の技術的管理を行っていただけ」とか
「命令通りに任務を実行しただけ」との
発言に終始していることと、
ユダヤ人絶滅のための協力者として
ユダヤ評議会という組織が形成されていて、
より広い責任構図にこだわる裁判官がいた
ことだった。

映画「ハンナ・アーレント」では、
アイヒマン等の犯罪は、
“思考停止の結果、
平凡な人間が残虐行為に走る”
とのハンナの哲学的視点が印象的だったが、
このドキュメンタリーでは
ナチスによる絶滅政策に、
組織だった抵抗を行わなかったユダヤ人にも
責任の一端が、との観点も充分にうかがえる
作品だったのではないだろうか。

ただ、このドキュメンタリー映画だけでは
上記の裁判官の対応もあり、
アイヒマンは問われている事件に
どこまで主体性を持ち得ていたのか、
また、アイヒマンが絞首刑になった経緯が
明らかではなく、
ハンナ・アーレントと共に
この裁判を傍聴したという松村剛さんの
「ナチズムとユダヤ人」を読んでみた。

この本によると、
アイヒマンは、移送の管理だけどころか、
むしろ、
アウシュビッツ収容所所長のルドルフ・ヘス
にガスによる大量殺害を指示するなど、
虐殺全般をリードする立場
だったとのことで、
私はオーム真理教でサリンの精製に携わった
エリート信者が重なった。
能力はあっても善悪の判断に欠けている
という点では同じような人間像に感じる。
また、ユダヤ民族だけの土地を求める
シオニズムに驚異を感じていたアイヒマンの
ユダヤ人への行為は確信犯だったように
読み取れた。

戦争はこのような残虐な人間を生む、
人類として最悪の行為なのだろうと
つくづく思い知らされる映画鑑賞であり、
読書体験となった。

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KENZO一級建築士事務所

5.0歴史は繰り返し、終わりません。

2022年4月18日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

ドキュメンタリー映画なので、ストーリーも、エンディングもありません。
事実を伝えているだけです。

原題は「UN SPECIALISTE」です。
邦題は「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」です。
スペシャリストとは、アドルフ・アイヒマンのことです。
アドルフ・アイヒマンに、殺戮者としての自覚はあったと感じたので、原題の方が良いです。

日本では、人気のない裁判映画ですが、ドキュメンタリーです。
裁判について知らないと何も理解できません。
裁判では、裁判長、検察官、被告人と弁護士が法廷に集まり、冒頭陳述に始まり、証人尋問、証拠に関する質問、被告人に対する質問、被告者への警察の尋問に対する質問を通して、被告人の有罪か、無罪か、量刑を決めます。
この映画も時系列に従って進みますので、裁判の進め方を知っていると、理解しやすいです。

ユダヤ人虐殺に関与した人物の唯一の肉声でもあります。
アドルフ・アイヒマンは課長で、責任を上司や部下に押し付け、自分には責任はなく、やり過ごそうとする姿は、日本の組織の課長と変わらない印象です。

馴染みのない東欧諸国の地名がたくさん出てくるので、メモをして、鑑賞後に調べる必要があります。
ナチス・ドイツの組織と役職者についての知識についても必要なので、メモをして、鑑賞後に調べる必要があります。
一度鑑賞しただけでは、理解することはできないでしょう。

今でも、ウクライナとロシアで戦争をしていて、殺戮をしているので、このような映画を理解する必要はあります。
日本中いたるところで行われているいじめ、パワハラ、セクハラも同じような感じなので、この映画を理解する必要はあります。
私もパワハラは、ずいぶん受けてきたので、よく理解できます。
いじめ、パワハラ、セクハラをしている人に何を言っても無駄というのは、アドルフ・アイヒマンが「抵抗しても無駄」、「焼け石に水、蒸発して終わり」と言っているのに同感できます。
今の日本でも、命令に従わないと言うのは大変難しい時代のままですし、日本政府によって、犯罪が隠蔽され、正当化されている時代です。
この映画を理解する必要はあります。
今は私は、早期退職したので、パワハラの心配はしなくて良いです。

ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺に関する映画は数多く制作され、公開されているので、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の理解を深めたいなら、以下の映画をお勧めします。
ナチス・ドイツから米国に亡命し、ユダヤ系米国人で政治哲学者であるハンナ・アーレントがこの公判を傍聴し、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを発表する実話映画「ハンナ・アーレント」です。
ナチス・ドイツの国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルが、撮影当時103歳にして初めてインタビューに応じたドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」です。
ユダヤ人虐殺の有無を現代の英国裁判所で問う裁判映画「否定と肯定」です。
絶滅収容所について描かれた映画なら「シンドラーのリスト」、「サウルの息子」、「アウシュヴィッツ・レポート」、「ヒトラーと戦った22日間」、「ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命」です。
ノルウェー人がユダヤ人虐殺に関与した映画「ホロコーストの罪人」です。
この映画が理解できないようであるならば、上記の映画の鑑賞をお勧めします。

今になっても、同じようなことが繰り返されている今、鑑賞するべき映画です。

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ノリック007

4.0個人と国家

2020年11月30日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

従順で、命令に従うことが好きな人
収容所の所長に同情を漏らす所もあったが、終始自分が手を下したのではないと言う。

こういう人は組織の中では重宝される。
個人として、生きている?

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Momoko

3.0軍事法廷は「裁判」ではない

2020年8月31日
iPhoneアプリから投稿

海外(アルゼンチン)で被疑者の身柄を拘束し秘密裏にイスラエルに護送し、国際裁判にかけるのではなくイスラエル国内で裁判にかける。それだけで「公平」な裁判とはいえない。

アルゼンチンにおいて「暗殺」という選択肢もあったであろうなかで、あえて裁判というかたちにしたのは、「市中引き回しの上、打ち首獄門」の効果を狙ってのことか。

アイヒマンに非がないとは決して言わない。彼の犯した罪は重く、「指示を受けただけ」「自分には責任がなかった」との意見で彼個人の罪を逃れることはできない。最終的には極刑もやむなしと思う。

しかし、裁判の運営自体はとてもいただけない内容だ。結論ありきで、彼が直接関与していないことも全て彼の責任として罪を挙げ続ける。裁判官は公平なスタンスをとっておらず、まるで検察官がふたりいるような姿勢。弁護人は沈黙し全く機能せず。

殺人の被告人もきちんと公平な裁判を受ける権利があることをあらためて考えさせられる内容。
また、アイヒマン裁判の状況を知るための貴重な記録映画。

1961年5月31日に死刑制度の無い国イスラエルでの死刑が執行された。

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atsushi

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