真実の行方のレビュー・感想・評価
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随分前に観た様なと、思って観たら、やっぱり観てた😅 そういう物語で...
随分前に観た様なと、思って観たら、やっぱり観てた😅
そういう物語でした。
リチャード・ギアは演技上手いよね。
さもありなん
オープニングからスリリング!あっさり犯人が捕まるのに、これを弁護するって、いくらなんでも無理でしょってところから、意外な展開の連続でした。そして、真実の行方に唖然とする仕掛けがなかなかよいですね。鍵を握るのが、犯人を演じるエドワード・ノートンであることは、衆目が一致するところかと思います。今作がデビュー作だったんですね!度々こんな役をやっているかのような印象がありますが(苦笑)。検察と弁護の闘いは、真実を導き出し、正しく罪を裁くためと思いますが、その難しさが十分に伝わってきました。真実を知ったとき…、鳩が豆鉄砲を食らったようなリチャード・ギアの顔が印象に残りました。
周到な計画
ロイは逃げたとき、捕まった時の対応から心神喪失の計画をもっていたことが推察される。最後に明かしたのはマーティンが自己保身のためそれを公にしないことを理解しての発言か。法廷、マーティン、ジャネット全員ロイに任される結果となった。
結局人格いくつ?
この手のどんでん返しは最近の海外ドラマでもよく見るがこの作品が元祖だったということか。しかし冷静に考えると犯人は二重人格を認めてもらう以外に救われる手段は無く、とんでもなく危険な賭け。これだけ狡猾なのだからもっと捕まらない犯行計画を練っても良さそうなのに。いや確信犯ではなく悪い方の人格がいつのまにかオリジナルを奪い取ったということで納得しよう。それにしてもエドワード・ノートンの演技は文字通り憑依型で凄かった!
ギアvsノートン
今となっては、そこまでゾッとするオチにはなってないのかもしれないけど、
演技の事とか全く分からないけど、
これはリチャードギアvsエドワードノートンの
演技合戦を楽しむ映画かなと思います。
ハリウッドスターとして地位もあるリチャードギアが
新人のエドワードノートンに飲み込まれてしまうかもしれないと言う関係性は映画の内容にも反映されてて、
だからこその名作なのだろうと思います。
リチャードギア演じる名が売れれば何でもやるマーティンの
真実とはと言う台詞が、自分に返って来るラストは
振りが効いててとても良かったです。
弁護士は難しいのがよくわかった
手に汗握ると言うことはなかったが淡々と進む法廷闘争。最後まで予想通りのような展開。ただ、最後の最後に意外な結末。またまたやられてしまった感。この手の映画は油断ができないなあ。ハッピーエンドのようでハッピーエンドではない。その後のマーティンの弁護士活動を知りたいと思ったのは私だけだろうか?そして、アーロンのリンダ殺しの罪はどうなったのか?うやむやが残ってスカッとしない余韻が残った。それはそうと、その後、アーリントン女医はどこまで真実を知ったのだろうか?知ったら最後、職業替え?アーロン、やるなあ
エドワード・ノートンの映画
リチャード・ギアは弁護士、大司教殺人事件で捕らえられた若者(エドワード・ノートン)を弁護することに。
話は二転三転、面白いのだが、エドワード・ノートンの迫力にみんなタジタジ。
エドワードノートンを観るための映画
展開としては、最後のドンデン返しも含めて予想の範囲内。リチャードギアやローラリニーの安定感ある演技も、期待通り。
この映画を見応えあるものにしているのは、なんといってもエドワードノートンの演技!!!
今となっては演技派で知られている彼なので、今この作品を観ても「やっぱ上手やな〜」と普通に思うだけだが、当時初めてエドワードノートンのこの演技を観た人たちは度肝を抜かれたやろうな。
アーロンからロイに変身するときの背筋がゾワゾワッとするかんじ。まるで別人、なんて表現では生やさしすぎる。それほどの、表情の変化の気味悪さ。
正直途中から、ロイが本物の人格だなと気づいてしまったので、二重人格を演技している演技(ややこし)とわかりつつ観ても、十分気味悪かった。いや〜後味悪い。
あと個人的に「25時」や「アメリカンヒストリーX」の口悪いエドワードノートンが大好きで、こっちに見慣れているので、ロイの方が本物やなってなんとなく気づいてしまった。笑
そして余談ですが、今じゃムッキムキの彼にもあんな華奢だった頃があったんやね…
エドワードノートン、好き!!!
えっまだこの映画観てない?
じゃあこの文章読むのやめて
できるだけ前知識ない状態でこの物語を観る事を勧めます
リチャードギア演じるマーティンのエゴイスティックなありさま
エドワードノートンの助演男優賞を取った演技
それによって作られる物語は印象的
かなり時間経ったけどエドワードノートンって言ったらこの映画って感じがする
そして何気にフランシスマクドーマンドが出てたり
古い映画ながら今観ても面白かった
視点は教会の性犯罪にある‼️
映画の焦点は殺人犯の二重人格や性格異常にあるようですが、月並みで、退屈です。
それよりは大司教が異常性欲の持ち主で信者を食い物にしていることに興味があります、とゆうか、アメリカで映画化する勇気をほめてあげたい。
バチカンが法皇、大司教をはじめ、数千年にわたり腐敗していることを自明の理として表現することに驚愕した。
どうしてカソリツクが腐敗しているのに信心を持てるのか、不思議で、憐憫を感じます、イエスも草葉の陰で泣いていることでしょう。
当時の社会では衝撃なんでしょう、時代を知る意味では、オススメです。
被告人が二重人格だから裁判が中止になるとかは通常はほとんど考えられ...
被告人が二重人格だから裁判が中止になるとかは通常はほとんど考えられないが、映画としてはおもしろかった。
そして、実際は被告人が二重人格を演じていただけだったという真実が明らかになったラストは衝撃的。
味方の弁護士だけでなく、裁判官や精神科医まで完全に騙し切った被告人の勝利。
こんなことが現実にあったら恐ろしいが。
エドワード・ノートンの飛び抜けた演技力で成立した法廷劇の主張の弱さ
リチャード・ギアが切れ者の弁護士を演じる法廷劇。容疑者を演じたエドワード・ノートンの巧妙な演技力が鍵になり、その19歳の青年の実像を謎かけにした推理劇の面白さがある。ただ、被告人を信じて真実を追求する弁護士の曖昧さが、互角の対決や火花を散らす会話劇にはならず、結果騙された弁護士の哀れさを描き切れずに終わる。原作の良さや脚本の狙いは分かるのだが、その上で映画としての主張が演出に感じられない。もっといい映画に出来る題材と思った。
マーティンの名声、自信、エゴ、過信が、有罪を無罪にしたと思う。
このレビューはあくまで私感であるのでご了承を。メディアなどで注目の的になりたがる自信満々な弁護士マーティン(リチャード・ギア)が名声のため無償で受けた弁護人にしっぺ返しを受けた。こんなケースはあるかもしれない。無罪でも有罪になるから、有罪でも無罪になってもおかしくない。しかし、最初、マーチンは弁護人、アーロン(エドワード ノートン)に自分が弁護士だから無罪になって当たり前だよと自信満々の態度で、郡の独房で言
う。恐れ入った!
その後、アーロンが『なにも覚えていない、記憶がない』と訴えてる行動に不審を抱きながらも、マーチンの弁護士チームの2人に伝えるが、大笑いされる。ここが傑作だよね。はっきいってこれじゃあ弁護にならないからね。でも、その後、アーロンと会話をしていくうちに、精神科医も含めてアーロンの両極端の二重人格(解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい、英: Dissociative Identity Disorder ; DID))を認めてくる。
私はこの映画を何年の前に見たことがあるが、そのとき気づかなかったんだが、この弁護の過程にブラインドスポットがあったのではないかと?(あくまでも私感)19歳で、ケンタッキーの田舎出身で南部のアクセントを持ち、貧困育ち、どもりで、父親からDVを受け、母親もどこかわからない(ちょっと忘れた)。シカゴに来てからカトリックの司祭ラシュマンに拾われ、孤児院に19歳までいさせてもらい、セント マシュー教会でオルターボーイをしていたと。マーティンはいくつかの虚言も含めてだが、完全に信じ切っていたのではないか??アーロンからの一方的な話を信じていたのではないのか。ここには時々、自信がある人間から起こる同情心があったのではないか?それに、絶対に勝てるという過信が。
映画では、カトリックの孤児院でのアーロンの生活を探ろうともしていないし、もちろんケンタッキーなどに足を運んでいないようだし。それに、マーチンの焦点が土地売買の汚職問題で州の弁護士ジョン.Sが司祭ラシュマンを殺す動機を持っていたようだと裁判所で発言する(?)。それに、司祭ラシュマンが監督して撮影させた、ポルノもアーロンに対する同情になったのではないか。マーティン本人は、これを殺人動機と見做されるのを恐れ、ポルノヴィデオを検察側(DA)のジャネットに渡して検察側からの証拠にさせようと企んだ。検察側(DA)のジャネットを利用することもこころがけている野心のある弁護士だ。法廷では、最後に、他にもセクハラを受けていた少年を見つけ出し、アーロンの持っている凶暴性を(ロイ)を出させるようににマーティンはジャネットをし向け、アーロンは無罪になった。
マーティンの名声、自信、エゴ、過信、ジェネットの利用などが、有罪を無罪にしたと思う。
賛否両論があろうが、この映画は真実の行方がどうなろうと問題には見えなかった。ただ、エンターテイメント性を持たせるためにこういう映画にしたと思った。
問題は英題のPrimal Fear といって人間が持っている恐れなんだけど、蛇とかゴキブリの物質の恐れではなく、感情の根本的な恐れである、有能な弁護士が経験した、恥、屈辱なんだとおもう。
私個人もある分野のプロフェッショナルで働いているが、この映画はテーマ『屈辱』がジーンと伝わってきて、後味の悪い映画になった。
予想はつくかも・・
どんでん返し系の作品と名が出過ぎて、
若干ラストは想像がついてしまうかも‥
ラストに期待しすぎて、
途中ちょっと長いな、、
とすら思ってしまいました(笑)
なにも前情報なしで見たら、
もっと驚けたかもしれない〜
しかし
このエドワードノートンを見るだけでも価値がある!!
ってくらいすごかった。。
(ので、星+0.5!!)
産まれつきの善と悪
記者のインタビューシーンが3回あった。「人間は産まれつきに善良であることを信じ、誰でも最高な弁護を受ける権利がある」とカッコよく語ったR・ギアに、思い知らせるかのようにこの犯人に出会った。そして最後の結末を引き立てるポイントともなった。
たしかに過去のつらい経験で非道に走る少年が多いが、本心に少しでも善の部分が残っていれば、つかまって弁護してもらう間多少なり反省があるはず。映画中のE・ノートンは明らかに違うため、彼が産まれつきの悪魔だと感じた。こんな悪魔の正体がわかっていれば、大司教は絶対変なプレイなんかさせないだろうなと思った。
一点だけ分からないのは、こんなずる賢い強い子なら、なぜ路頭に迷うほど困窮していたか…主人格のアーロンはやはり存在していたのではないかと…
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