「今にこそ観るべきサイコサスペンス」ザ・ファン つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
今にこそ観るべきサイコサスペンス
四半世紀も前の映画だが、超一級のサイコサスペンス。一歩間違えればシリアル・キラーになってもおかしくないサイコパス野球ファンをロバート・デ=ニーロが、彼の妄執を受ける強打者をウェズリー・スナイプスが演じる。
この映画の白眉は2点。ひとつはトニー・スコットのカットを多用した緊迫感のある絵作り。なんてことない冒頭のラジオを挟んだやり取りを、人物のアップや疾走する車、サンフランシスコらしい坂道の光景などを目まぐるしく切り替え、テンポの早さと情報量の確保を同時にやりきってしまう手腕はお見事の一言に尽きる。
後々効いてくる車載電話やジャイアンツ・ウォッチを然り気無く配置し、演者は喋りっぱなし。
シーズン開幕の高揚に押し上げられるように、狂気を孕んだ熱気が高まっていく。
もうひとつはサイコパスのセールスマン・ギルがどうして強打者のレイバーンに固執するのか、徐々に明かされていく綿密な精神的伏線。
一介のジャイアンツ・ファンなら、レイバーンがスランプでも生え抜きのプリモが絶好調なら問題ないはずなのだ。
「4000万も出したけど、ありゃダメだな。2、3シーズンくらいで元が取れれば御の字だよ」みたいな、そんな切り替えも可能である。
でもギルはそうならない。レイバーンでなくてはダメなのだ。それは何故か?
その答えを導くための伏線が、少しずつ少しずつ明かされて、最後に決定的になる。この脚本には唸るしかない。
ギルはナイフメーカーのセールスマンである。この会社の創業者は父親で、いわば父から子へと受け継がれるべき絆だ。
しかし既に経営権は他人に渡り、ギル自身は成績不良のセールスマンで、既に権利はない。父の残した絆を奪われた。そういう無力感がある。
一方で自分が息子に託す絆の方はというと、これまた離婚により一緒にいられる時間は少ない。別れた妻はギルが息子と過ごすことを快く思っていないし、息子には新しい父親が出来そうな気配である。
なんとか二つの絆を維持しようとするものの、仕事と子供と過ごす時間のダブルブッキングは決定的な失敗に終わり、ギルはすべて失ってしまう。
このストレス要因がギルを凶行へと駆り立てる。
ギルの固執する信条は、「チームの為の勝利、その美しさ」である。リトルリーグで優勝したとき、ギルのホームランがチームを救い、勝利を呼び込んだ。人生の一番良い思い出は、ゆっくりと形を変えてギルの心に巣食う妄想の元となった。
肩を壊してプロの道を断念した後も、リトルリーグ時代の思い出と、野球少年たちの姿は常にギルの心に繋がりを持って燻り続けた。
82年、と言うからには多分リトルリーグの試合だろう。自分と同じように、満塁ホームランで劇的にチームを救ったレイバーンの事を、「メジャーリーガーになりたい」という夢を絶たれなかった「もう一人の自分」として重ね合わせ、なるはずだった自分として応援する。
彼の地元球団入りは、果たせなかった自分の夢そのものだ。だからレイバーンに固執する。
そんな歪んだファン心理がギルの歯止めを効かなくしていく。
安モーテルで虫を仕留めたとき、ギルは思う。「そうだ、チームに犠牲を払えないヤツは害虫だ。害虫は排除すれば良い」。
プリモにレイバーンの為に背番号を譲れ、と迫ったとき、プリモに拒絶されてギルの心は固まる。「こいつは害虫だ」と。
見守り続けた末にレイバーンの息子を助け、彼と直接話す機会を得たギルはレイバーンの感謝と理解を欲していた。自分と同じ、完璧主義者のレイバーン。自分と同じ犠牲の美しさを知るレイバーン。彼なら自分の行動に共感し、感謝し、讃えてくれると、そう信じたから。
ギルのキャラクター構成が恐ろしいほど緻密で、サイコパスがあまり認知されていなかった時代にここまでの造形が既に完成されていたことが衝撃的である。
そこに前述のスリリングな演出も加わり、娯楽性を損なわずにどんどん物語に引き込まれていく。
当時より、今観た方がよりその恐ろしさを堪能できる、そんな傑作だ。