ザ・ファン

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解説

人気野球選手への過剰な思い入れのあまり、次々と異常な行動を重ねていく男の犯罪を描いたサイコ・スリラー。売れっ子サスペンス作家、ピーター・エイブラハムズ初の映画化で、彼の同名長編小説(邦訳・早川書房)を、米NBCの人気TVドラマシリース『チアーズ』のフォフ・サットンが脚色。監督には「クリムゾン・タイド」のトニー・スコットがあたり、撮影のダリウス・ウォルスキー、音楽のハンス・ジマーも同作に続いての参加。製作は「フォレスト・ガンプ 一期一会」のウェンディ・ファイナーマン、エグゼクティヴ・プロデューサーはビル・アンガー、ジェームズ・W・スコッチドポール、バリー・M・オズボーンの共同。美術はアイダ・ランダム、編集はクリスチャン・ワグナーとクレール・シンプソンの共同。服装の変化が犯人の心理の移り変わりを表しているという衣裳デザインは、「カジノ」に続いてデ・ニーロの衣裳を担当するリタ・ライアックと、ダニエル・オルランディ。また、連続出場の世界記録を達成した大リーガーのカル・リプケン・ジュニアがテクニカル・アドバイザーを務めたほか、95年までフィリーズで活躍したジョン・クラックが5番打者役で出場しているのをはじめ、プロ選手が多数出演しているのも話題に。主演は「カジノ」「ヒート」のロバート・デ・ニーロと「マネートレイン」のウェズリー・スナイプス。共演は「ボーイズ・ライフ」に続いてデ・ニーロと共演となるエレン・バーキン、「3人のエンジェル」のジョン・レグイザモ、「ユージュアル・サスペクツ」のベニチオ・デル・トロほか。

1996年製作/118分/アメリカ
原題:The Fan
配給:日本ヘラルド映画配給(日本ヘラルド映画=ポニーキャニオン提供)

ストーリー

サンフランシスコ、4月。中年のナイフのセールスマン、ギル(ロバート・デ・ニーロ)が熱狂的に応援する地元ジャイアンツの開幕試合の日が来た。今年はブレーブスから4千万ドルで獲得した大物スラッガー、ボビー(ウェズリー・スナイプス)がホームタウンに戻ってきた。ラジオの女性スポーツ・キャスター、ジュエル(エレン・バーキン)は番組中、ボビーにインタビューを試みた。前年は故障者リストに入り春のキャンプにも参加していないボビーに、彼女が「本当に4千万ドルに値するか」と辛辣な質問をしたところ、番組に参加した視聴者代表のギルはボビーの偉大さをまくし立て、ファンとしてエールを送った。一方、ラッキーナンバーが11番のボビーは、背番号が33番と知って激怒する。その背番号は彼のライバル、プリモ(ベニチオ・デル・トロ)が付けていた。ボビーは背番号を譲るようにエージェントのマニー(ジョン・レグイザモ)に交渉させるが、50万ドルという値をつけて断ってきた。一方、生活が荒れていたギルは、別れた妻エレンの元にいる幼い息子リッチーを開幕戦に誘った。エレンはギルの素行に注意し、彼から遠ざけようとしていた。試合が始まったが、ギルは客と面会の予定を入れてしまい、試合に集中できない。ボビーは前日、重病の少年に約束したとおり、満塁でホームランを打った。ギルは球場を後に車を飛ばして客の元へ急ぐが、相手は予定を変更して球場に行ったと聞かされて激怒した。球場に戻ると、息子は親切な老夫婦が家に連れ帰った後だった。ギルは上司からクビを言い渡され、エレンからも今後は息子に近づかないという、裁判所からの拘束令状を受け取る。全てを失ったギルは、人生の拠り所をボビーに向けた。そのボビーはスランプに陥っていた。ギルは試合後、ロッカールームに電話をかけてみたところ、ボビーが簡単に電話に出たことに驚く。ボビーは望めば手の届くところにいる。ギルは野球選手のたまり場のバーで例の背番号問題を聞きつけ、それがスランプの原因と思い込んだ彼は、密かにプリモに接近してナイフで刺殺する。ボビーはライバルが消えたことを契機に、スランプから脱出した。ボビーをつけ回していたギルは、ボビーの海辺の家で、溺れていた彼の息子ショーンを助ける。ボビーは命の恩人のギルを家に招くが、彼の言動にはおかしなことが目立つ。その異常性に気づいた時、既にショーンはギルに誘拐されていた。ギルはボビーにショーンの解放の条件として「俺のためにホームランを打ってくれ。さもなくば息子は殺す」と言う。だが、打席に立つボビーの心は千々に乱れて打てない。だが、ついに長打を飛ばしたボビーはランニングホームランを狙って本塁に滑り込む。タイミングはセーフだったが、審判の判定はアウト。だが、その審判は何とギルだった。ギルは警官隊に射殺され、ショーンも無事に救出された。

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オソレゾーン

映画レビュー

3.0粘着

津次郎さん
2022年2月26日
PCから投稿

もはや、だれひとり、それを話さなくなったが、テラスハウスという人気番組があった。

個人的に、日本映画/ドラマをけなすことが多いが、テラスハウスがあった当時、ネットフリックスで、もっとも面白いプログラムはテラスハウスだった。

わたしは、じぶんとしては、わかっているつもりで映画のレビューを書いている。

えらそうに「リテラシー」とか言ったりもする。

そんなわたしだが、ぶっちゃけ、ネットフリックス全体でいちばん楽しかったのはテラスハウスだった。

ええ、わたしはテラスハウスがだいすきでした。

また、本編配信後にネットフリックスのYouTubeにあがる「山チャンネル」が、ときとして本編以上に楽しい。

はい、わたしは山チャンネルもだいすきでした。

懺悔にしたのは、テラスハウスを好んで見ることは、恥ずかしい嗜好だから。

いまさら言うまでもないが、テラスハウスの面白さは、人の行動/言動を品評するところにある。人の行動/言動をあげつらって、面白いのは、とりもなおさず、わたしが卑俗なにんげんだから──に他ならない。

じぶんの下卑た性根をみとめつつ「なぜこんなに面白いのだろうか」と思いながらテラスハウスを見ていた。わけである。

が、わたしだけではなかった。

外国のコラムニストが「テラスハウスは、リアリティ番組が嫌いな人のためのNetflixリアリティ番組です」と評したように、米英のリアリティーショーはテラスハウスより何倍も露悪的でエゲつない。
まとめサイトや、住人個別のファンサイトも無数あり、山里亮太の海外での知名度が奥さんよりも高いのは、ひとえにテラスハウス人気による。
テラスハウスは国内だけでなく世界的な人気を獲得したプログラムだった。

映画のレビューでも、貶しているレビューのほうが面白く感じる。ことがある。

自分が書いたのでも、褒めているより、貶しているやつのほうが、なんとなく勢いを感じるし、書いているときの「筆の進み具合」も貶しているときのほうが積極的な気がする。

むろん自分で書いたのを自分で読んで──だから、それなりだが、にんげんとは卑しいもので、しばしば負の蠱惑に引き寄せられてしまう。
それは万人にある気分であって、シャーデンフロイデとかのご大層な心象のことじゃない。いつも耳元で囁く天使と悪魔──みたいなもん、である。

負の蠱惑で代表的なものは「嫌い」だ。
「好き」なんて、ちっともパワーを増強できない。
「嫌い」は蓄積される。人を扇動する。

朝ドラを見たことがないが、エンタメのニュースで、しばしば『胸糞な展開に視聴者から悲鳴!』との「悲報」が挙がる。

朝ドラだけではないだろうが、日本ではドラマにでてくる憎まれ役や、希望にそぐわない展開にたいして、それに関わった俳優が非難をあびてしまう──という誠に理不尽な事態がたびたびある。

この現象の素因には、NHKの朝ドラの視聴率の高さがあるだろうし、また、感情移入しなければ役者をを恨むことができないゆえ、概して朝ドラが野局の一般的なドラマよりも、多少なりとも巧くつくられている──ことがある、とも思われる。

とはいえ、あまりにも毎度のエンタメニュースなので、日本人はドラマと現実を切り離して考えるのが苦手な人種──と見ることも、できなくはない。

まいじつのエンタメニュースにこんなのがあった。

『(中略)朝ドラヒロインといえば、〝国民的女優〟になるための第一歩。これによって福原はさらなる活躍が約束されたようなものだが、実はある心配もあるそうだ。
「実は最近、朝ドラヒロインを演じたことによって〝悪いイメージ〟がついてしまうパターンが結構出ているのです。例えば、2018年上半期の朝ドラ『半分、青い。』はとにかくヒロインの好感度が低く、これによって演じていた永野芽郁自身が嫌われてしまうことに…。他にも、広瀬すずの『なつぞら』、杉咲花の『おちょやん』、清原果耶の『おかえりモネ』なんかも、好感度が最悪でしたね」(同・記者)
実際、ネット上でも
《杉咲花を嫌いになりたくなかったから「おちょやん」は早々に離脱した》
《半分青いは完走した、でも弊害で永野芽郁ちゃんがちょっと無理になった》
《「半分、青い」見てから永野芽郁のこと嫌いになったんだけど同士いる?》
《清原果耶はべつに好きでも嫌いでもなかったけど、おかえりモネのせいでスーパー苦手になってしまった》
《モネ嫌いすぎてやばい(笑)清原果耶まで嫌いになりそう(笑)》
《広瀬すずはなつぞらで嫌いになったんだよね。それまでは好きな方だったのに》
《なつぞらで広瀬すずを嫌いになった人はいても、好きになった人はいないのではないか》
といった声があがっている。(後略)』(まいじつ2021/12/06付のニュースより)

ドラマ上のことに過ぎないのに、視聴者から恨みを買ってしまう──役者にとって、こんなけったいな話はない。

が、朝ドラを見て誰某を嫌いになった──などというお門違いの屁理屈を堂々と多数の視聴者が公言しており「なんなんだおまえら(ばかか)」と言いたいところだが、役者は、たとえ役を演じたことで嫌いになられちゃっても、耐えなきゃならない。

たいへんなごしょうばいだと思う。

とはいえ人には好きや嫌いがある。

このとき「好き」は穏当に浸透するのだが「嫌い」は、共感を得るごとに雪だるま式に負のパワーをつけていく。
「嫌い」に共感を得たことで並々ならぬ自負心を把持し、ついでに、なにやら侠気のような勘違いをした者が、当人へ突撃する。

不幸な事件もそれでおこったわけだが、突撃してしまう人とそうでない人との違いは「対象者と自分は、まったく何の関係もない」という認識の有無、その一点に尽きる。

テラスハウスがやらせか、やらせでないか、重要じゃない。

重要なのは、スクリーンやテレビにうつっている人と、わたし/あなたは、まず、なんの関係もない。っていう分別だ。

視聴者を煽っている演出に煽られてはいけない。コンテンツの企図に釣られないことを「リテラシー」と言うのだ。

おりしも北京で冬季オリンピックをやっていて、日本の選手の活躍/入賞に「おめでとうございます」との祝福がヤフコメやSNSで飛び交っている。

勝利にたいして「おめでとうございます」は日本語としてなんの不思議もない。自然な反応だ。

が、個人的には思う。
なぜ知り合いでもない選手に「おめでとうございます」なのか。
匿名で。相手が読むはずのないSNSや掲示板に。
が、コメントは相手が読むことを想定しているかのような「おめでとうございます」になっている。

コロナ禍以前の話だが、老いた母をとあるコンサートに送り迎えした。
地元の文化会館の近代琴の演奏会。
あまり有名じゃない演奏者。
帰り、車中でスマホをいじっていた母が、奏者のアカウントを見つけ「コンサート素敵でしたってコメントしようかしら」と言ったので、わたしは「やめろよ、知り合いじゃあるまいし」と制した。

いまどき有名人のSNSに「やめろよ、知り合いじゃあるまいし」という顧慮によってコメントを差し控えるひとはいない。

一般庶民が有名人のアカウントにコメントするのは、きょうび完全に普通なことだ。が、わたしは「やめろよ、知り合いじゃあるまいし」と思う。

そう思うのは古いにんげんだから──じゃない。
スター/アイドル/ヒーロー/ヒロイン/アスリート/炎上中の某/インフルエンサー/コメンテーター/加害者/被害者/政治家/ユーチューバー。・・・。
目下の、時事の寵児らは、それが誰であろうと、わたし/あなたとは何の関係もない。常識である。

有名になる──とは、無関係のにんげんに、関係がある、と錯覚させることだ。それに錯覚させられないこともわたし/あなたの「リテラシー」だと思う。

劇場で見た記憶はないが、トニースコットは売れっ子で兄(リドリー)よりも商業的な路線を走っていた。
トニースコットのウィキペディアに、
『細かいカットの切り返しや大仰ともいえる映像装飾が特徴。』
──とあるが、その通り。
興行成績も品質も高い映画づくりをする監督だったが、
『2012年8月19日、カリフォルニア州サンペドロのヴィンセント・トーマス橋から飛び降りて死亡した。』(同ウィキより)

大リーガーにストーカー行為をするファンの話。当時異色の映画だったと記憶している。が、今見ると大味でお気楽。ちょい役でジャックブラックをみつけた。

スマホやSNSがない時代のストーカー。その執心がよくわかる展開。誰も幸せにならないが、いい時代に見えてしまうし、デニーロ演じる「ファン」の気分は、解らないものじゃない。現代はもっと偏執、卑劣で不可解だ。

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津次郎

4.0意外なところでジャック・ブラックがチョイ役・・・

kossyさん
2020年9月6日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル、TV地上波
ネタバレ! クリックして本文を読む
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kossy

3.5全てを失った男が暇を持て余して暴走するが、怖さは平凡

Cape Godさん
2016年9月4日
PCから投稿
鑑賞方法:TV地上波

総合70点 ( ストーリー:75点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )

 元々自己中心的で攻撃性が強くて独りよがりの男が、その性格ゆえに家族を失う。こんな男でも普通に社会人でいるうちならば職場のちょっと困ったやつくらいで済んだのかもしれないが、職を失ってしまえば自分勝手な思い込みを制御できず持て余す時間を使って暴走を開始する。主人公の人物設定とその暴走の過程はまずまずうまく描かれていた。
 だが異常心理からくる異常な行動がじわじわと迫ってくる怖さという点において、過去のデニーロの『ケープ・フィアー』ほどのものはない。たとえ静かな場面でも次の一瞬に何が起きるのだろうかと思わせてしまう迫り来るものはやや弱い。それほど悪いわけではなかったが、けっこうあっさりと話が進んでいったのに物足りなさもあった。

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Cape God
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