「クロサワの「ゴジラ」」生きものの記録 しゅうへいさんの映画レビュー(感想・評価)
クロサワの「ゴジラ」
Blu-rayで鑑賞。
本作が公開された1955年は、前年に第五福竜丸事件が起こり、米ソ軍拡競争の激化など、核の脅威が今よりももっと身近だったのではないかなと想像します。
核に怯える喜一の姿は周囲の目には過剰に映る。いつ核爆弾が落ちて来るか分からない状況にも拘わらず、何故普通に暮らせるのだろう。果たしてどちらが狂人なのか。
本作は黒澤明監督流の「ゴジラ」だと思いました。同作も第五福竜丸事件を受けて製作されており、両作は同じ親から産まれた兄弟みたいなもの。被爆国だからこそ産まれ得た作品たちであるとも言え、こめられた怒りと悲しみは今尚色褪せることなく、強く訴え掛けて来るものがありました。
そして本作のテーマは、福島第一原子力発電所の事故を経た現在の状況にも当て嵌まるのではないかと思いました。
原爆を原発に置き換えても成立してしまう。喜一老人の周囲みたく、知識はあるはずなのに直視しようとしない。
見て見ぬふりと云うか、普段は見えていない。頭の片隅にはあるけれど、常に意識しているわけではありません。
側にありながら、忘れてしまう存在(現地住民は別)。それがあの事故で関心が高められることになりました。
ですが私自身、当時も今も喜一老人のような心境には至ってはおりません。どこかまだ、他人事として捉えている部分があります。いつ自分に降り掛かって来るかも分からないと云うのに…。それくらい、意識を変えるのは容易ではないのかも。
※修正(2023/06/01)
そういえば、福島の事故のあと自主的に西日本や海外に避難した人たちへのバッシングは物凄かったです。
この同調圧力や横並び強要は、いったい何なんでしょうね。
「死なばもろとも」ということなのか・・