劇場公開日 1955年11月22日

「21世紀だからこそ、当時以上に評価されるべき」生きものの記録 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.021世紀だからこそ、当時以上に評価されるべき

2019年12月4日
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鑑賞方法:DVD/BD

1954年に発生した第五福竜丸被爆事件の恐怖は、日本人の心に深く刻み付けられて二つの映画を生み出した
一つは同年秋にあの「ゴジラ」として
もう一つはそのさらに一年後の本作として

原水爆は怖い
しかし劇中にあるようにどこへ逃げたって同じだ
ヨーロッパはもっと怖がった筈だ
核爆弾を互いに身のそばに置いて24時間365日何時でも即時にぶつけあえるようにして冷戦の全期間を過ごしていたのだから
日本の比ではない

21世紀の日本はどうか
その後当時は平和勢力と呼称していた隣の大国が核兵器を作り、大気圏内核実験を行い死の雨を日本に降らせた
今は軍事大国化して周辺国を圧迫しているだけでなく、我が国の島を奪おうと日々チンピラ的な行動をしているのも目撃している
さらに目の前の半島には、核爆弾が完成したといいそれをもって日常的に汚い言葉で恫喝を繰り返している国がある
それを日本に向けて打ち込む位の中距離射程のミサイルならば既に無数に持ってもいる

つまり
もしかしたら冷戦時代のヨーロッパより核戦争が起こりうる情勢なのだ

そして、私達はもうすでにフクシマの危機を体験している
経験済みなのだ

原発事故の被災地の人々が避難で全国各地に散って未だに故郷に帰還もできないでいることは誰もが忘れてはならないことだ

また東京は原発事故の被災地と比べれば遥に軽微な放射線だったにもかかわらず、あの時慌てふためいて仕事もなにも投げ出して、西日本や海外まで逃げた人もいたことも知っている
だがそれはごくごく例外的な人だ
本作の中島老人みたいな人物だ

大多数の人々は浄水場の放射線レベルがどうとかのニュースを尻目に毎日目の前の仕事に打ち込んで、復興を続けたのだ

つまり本作から半世紀以上を経過して我々は既に答えを知っている

立ち向かわないから怖いのだ
逃げるから怖いのだと

夢想的に平和は他力本願で祈るだけで達成できるものだと思い込んでいるから怖いのだ

ゴジラでは立ち向かったから未来があった
本作は狂気に逃避したのだ
果たしてどちらが尊い態度なのか?
それを考えされられた

あき240