奇跡の人(1962)

劇場公開日:1963年10月26日

解説

三重苦のヘレン・ケラー女史がサリバン教師によって人生に光明を見い出すまでの苦闘を描いたウィリアム・ギブソンの戯曲を彼自身がシナリオ化し、ブロードウェイの演出者アーサー・ペンが監督したもの。撮影はアーネスト・カバロス、音楽はローレンス・ローゼンタール、製作はペンと度々コンビを組むフレッド・コーである。出演者は「シャロンの屠殺者」などの舞台女優アン・バンクロフト、「明日に泣く」の子役パティ・デューク、舞台のヴィクター・ジョリー、インガ・スウェンスンなど。バンクロフトは63年度アカデミー主演女優賞、デュークは助演女優賞をそれぞれ受賞しているがゴルーデン・グローブ最優秀新人女優賞(デューク)、イギリス・アカデミー外国主演女優賞(バンクロフト)ほか各種の賞も受賞。

1962年製作/アメリカ
原題または英題:The Miracle Worker
配給:東和
劇場公開日:1963年10月26日

あらすじ

1880年代の後半、ケラー家では7歳のヘレン(パティ・デューク)の色も音もない、感触だけを頼りに生きている姿に、大きな悩みを持っていた。盲学校に依頼してその卒業生アニー(アン・バンクロフト)が少女の教育に来てくれた。彼女の苦闘が始まる。手でアルファベットを綴る方法、行儀の躾け、だがヘレンのそれは強制の結果でしかないことに気づき、深刻な懐疑に包まれた。ただ、何かを求めて成長しようとするヘレンの気持ちに支えられ、夫妻に自分とヘレンの2人だけにしてくれるよう頼み、肉親の同情と燐憫の生涯を説いた。2週間、アニーは与えられた猶予に全力を尽くした。森の中の小屋。アニーを嫌うヘレンもやがて慣れ、食事、散歩、手の綴りも上手くなった。2週間は過ぎ、あと1週間をケラー氏(ヴィクター・ジョリー)に頼んだが、家に連れ帰ってしまった。家に帰った少女を再び甘やかすに違いない肉親たちを前に、アニーは自分の無力感をかみしめた。夕食の帰宅祝の席、家に帰ったことを知ったヘレンは2人だけの生活の時とは逆にあえて手掴みで食べ、水差しを倒す。家族たちの反応を探ろうとする少女の本能的な計算がそこに感じられ、今日は特別とひきとめる母親(インガ・スウェンスン)をふりきってヘレンを井戸に引きずり出し、こぼした水を水差しに汲ませた。井戸の冷たい水、それがヘレンをとりまくカベを破った。生後6ヵ月で<水>を知り、まわらぬ舌で発音さえしたヘレンの記憶がいまここで甦ったのである。理性の光が“理解”するという形で少女に初めてさし込んだ。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第20回 ゴールデングローブ賞(1963年)

ノミネート

最優秀作品賞(ドラマ)  
最優秀主演女優賞(ドラマ) アン・バンクロフト
最優秀助演女優賞 パティ・デューク
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映画レビュー

4.0 教育、躾とは

2025年11月1日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

興奮

知的

難しい

こうあるべきだと思う。

ガラスの仮面で読んでたけど、激しい演技がとてもすばらしい。
ただ最後のwaterからpapaへ繋がりは、尺の関係もあるかと思うがいつも早すぎと思う。
美内すずえ先生の、月影先生の、解釈もそんな感じやったが、子どもを持った今でも理解できん。

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four7777

4.0 【”The Miracle Workerはあの子は光を待っていると言った。”今作は光と聴覚を失った少女ヘレンに、自らも視覚障碍者であるサリヴァン先生が愛と厳しい躾により起きた奇跡を描いた作品である。】

2025年10月30日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

知的

幸せ

<Caution!内容に触れています。>

ー 幼い頃、いわゆる偉人伝でヘレン・ケラーの生涯を綴った子供向けの本を読んだ事がある。勿論、その本の主人公はヘレン・ケラーで、アニー・サリヴァン先生は彼女を支える優しい教師として描かれていたと思う。

  だが、今作の主人公は、ヘレン・ケラー(パティ・デューク)ではなく、自身も盲目を克服した女教師アニー・サリヴァン先生(アン・バンクロフト)である。
  そこが、画期的な着眼点であるし、彼女がヘレン・ケラーに対し、常に優しい訳ではなく、出会った時には取っ組み合いをし、引っ叩かれたら引っ叩き返す姿にビックリする。
  だが、アニー・サリヴァン先生は自らが盲目になった時に覚えた手文字で、ヘレン・ケラーにそれを触らせ、実際にそのもの(最初は人形である。)を触らせて、言葉を教えていく姿は印象的である。

  更には高圧的な父、ケラー大尉(ヴィクター・ジョリイ)には一歩も引かず、優しい母ケイティ(インガー・スヴェンソン)に対しても、”貴方達の愛と甘やかしが原因。”と言いきるのである。

  夫婦から2週間だけ、離れで暮らす許可を得たアニー・サリヴァン先生は、自らが弟ジミーと暮らした孤児院の生活を朧げな視野の中で視た記憶を時折思い出しながら、根気よく、辛抱強くヘレン・ケラーに文字を教えて行くのである。

<そして、2週間が過ぎ、ヘレンは両親の下に戻る。並べられた御馳走を前に、再び行儀の悪い行いをするヘレン。それに対しアニー・サリヴァン先生は厳しく躾をする。ケラー大尉が先生を叱責すると、それまで静観していた兄ジェームズが初めて父に”貴方はいつも一番自分が偉いと思っているんですか!”と問い、その間にアニー・サリヴァン先生は庭にヘレンを連れ出し、ポンプで汲んだ水を触らせると、ヘレンはサリヴァン先生の手に”water"と書くのである。
 それを観たヘレンの両親は彼女を強く抱きしめ、ヘレンも二人に抱き着くのである。
 今作は光と聴覚を失った少女ヘレンに、自らも視覚障碍者であるサリヴァン先生が愛と厳しい躾により起きた奇跡を描いた作品なのである。>

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共感した! 7件)
NOBU

5.0 昔の吹き替えTV放映版での己の理解の至らなさに気付かされ…

2025年6月30日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

かつての吹き替えのTV放映版の鑑賞で
何が印象に残っているかと言えば、
ラストの井戸のシーンでの
“water”を“水”とする吹き替えでは
ヘレン・ケラーの口の動きとが
余りにも違い過ぎるところ、
“お水”として違和感を無くするという、
吹き替えスタッフの機転に感心したこと
だった。

そんな影響もあって今回の放映は、
“water”をどう字幕スーパー化するのかとの
つまらないことにこだわっての再鑑賞に。

しかし、そんな思いなどは吹き飛ぶような、
しつけのシーンを中心とする
凄絶な二人の葛藤の世界に
引き込まれ圧倒された。
多分に、昔観た吹き替え版は短縮版だった
ように感じさせられるばかりであると共に、
幾つかのミスリードもあってか、
当時の己の理解レベルの低さを
思い知らされるばかりの再鑑賞ともなった。

その一つが、原題が“The Miracle Worker”とは
私は認識していなく、
冒頭のタイトルバックに驚かされた。
えっ、Worker?
聞き及んでいたヘレン・ケラーの人生から、
私は、“奇跡の人=ヘレン・ケラー”のことと
思っていたので、今回の鑑賞で原題を見て
ビックリしてしまうとのお粗末さ。

また、問題の井戸での“水”のシーン。
今回の字幕スーパー版では
何の表記もされなかった。
それはそうだろう、
そもそもが“water”と発音出来ていない
のだから。
かつてのTV放映版では、
劇的性を強調したいがためか、
あえて“お水”と吹き替えして、
あたかも、その瞬間にヘレン・ケラーの
全ての目覚めがあったかのように、
私は錯覚させられていた。

サリヴァン先生の指文字は、
“物を区別する単なる記号”ではなく、
“物には名前があるという
         重要なメッセージ”で、
それに向かっての進展が
決して劇的ではなく、
今回の字幕スーパー版での再鑑賞では、
二人の葛藤の末に培われた
サリヴァンとヘレンの信頼関係こそが、
ラストの奇跡のシーンを生む土壌であった
ことを知ることが出来た。
そんな演出の上手さにも気付いていなかった
以前の鑑賞であったことを
痛感させられると共に、
その後のヘレン・ケラーの
並外れた努力があって偉人のレベルに達した
彼女の人生への理解にも今回は繋がった。

そして、この作品は、
そんなヘレン・ケラーを高みに導いた
正に、“Miracle Worker”サリヴァンの物語
であることが腑に落ちると同時に、
この作品がいかに名作であったかを
認識出来る、
私にとっての貴重な映画の時間となった。

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KENZO一級建築士事務所

4.5 凄みのある演技に圧倒された

2025年6月14日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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共感した! 9件)
こころ