狩人の夜のレビュー・感想・評価
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LOVE & HATE‼️
この作品はおとぎ話‼️幼い子供たちを狙って悪いオオカミがやって来る。そんなオオカミを退治したのは、子供たち自身と彼らに優しく寄り添う老婆だった‼️いつの世も絶対悪を打ち倒すのは、屈強なヒーローではなく、社会的に弱い立場の人間たち‼️そんな現在のおとぎ話をダークファンタジー風にスリルとサスペンスたっぷりに描いた超傑作で、ホントに大好きな映画‼️右手に「LOVE」、左手に「HATE」の刺青をして、愛とか憎しみについて説教する冷酷非情なニセ伝道師ロバート・ミッチャムの演技が超サイコで怖過ぎる‼️金を隠したまま死刑になった刑務所仲間の未亡人シェリー・ウィンタースに言葉巧みに近づいて、結婚して殺し、金を持って逃げ出した幼い兄妹をじわじわとうすら笑いを浮かべつつ追いつめ、さらに子供たちをかくまった老女リリアン・ギッシュと対決する‼️昔話を語り始める老婆のような冒頭のリリアン・ギッシュのモノローグ‼️子供たちに近づくミッチャムの影の演出‼️水の中を水草とゆらゆら揺れるシェリー・ウィンタースの死体の髪の毛の美しさ‼️カエル、ウサギ、キツネ、フクロウ、蜘蛛の巣の中を子供たちが小船で必死に逃げるシーンの寓話性‼️ミッチャムが夜な夜な「頼れ、頼れ」と反復歌唱する不気味なシーン‼️ミッチャムとリリアン・ギッシュが聖歌を唱和するシーンなど、印象的なシーンの連続で、チャールズ・ロートンは俳優としてだけではなく、監督としても超一流だったと痛感させられました‼️ホントに監督作がこの一作で終わったのが惜しまれる‼️願わくばあと数作、ロートン監督作を観てみたかったです‼️
よくできた風刺映画
スパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』に出てきた左手にHATE、右手にLOVEの刺青が入った黒人がいたが、あれの元ネタが本作らしい。兎にも角にもキャラクタービジュアルという点においてロバート・ミッチャム演じるパウエルほどビビッドで記名性のある登場人物にはなかなかお目にかかれない。HATEて…LOVEて…最初に思いついた奴天才すぎるだろ…紳士的な慇懃さの中に生来の暴力性がふと出来する情緒不安定な感じも印象的だった。
物語はフィルム・ノワール的なサスペンスに始まったかと思えば、徐々にファンタジックで教訓的な御伽噺へと軟化していく。
しかしパウエルだけはそのグラデーションに一切従属することがない。野山を駆ける可愛らしい動物たちや嘘くさいほどに美しい星空や孤児をかくまう優しい老婆との交流などが生み出す心地よい調和の中にも絶えずその怪しい影をちらつかせ、終いには剥き出しの暴力でもって兄妹から強引に遺産を奪い取ろうとする。御伽噺のようにうららかな空間に唐突な暴力が閃く露悪的な構成は、言うなればハリウッドのヤン・シュヴァンクマイエルといった具合だ。
その後、パウエルは意外にもあっさりと警察に捕まる。しかしパウエルが作中にばら撒いた悪意はそこで途絶することがなく、今度は彼の死刑を望む街の人々へと決定的に伝播してしまう。しかし映画はそうした負の連鎖に意図的に背を向け「家族みんなでクリスマスパーティー」というカリカチュアライズされた平和と団欒の中でほとんど強引に幕を閉じる。
本作を当時のハリウッドが認めなかったのもよくわかる。本作は黄金期のハリウッドが豊かな物語によって隠匿してきた死や悪意や不条理といったものごとを、不可解で軽薄な物語を敷設することによって故意に滲出させているからだ。老婆が明らかにカメラ(=我々)の方を見つめながら「子供の忍耐力はすごいんです」などと頓珍漢な作品総括を述べるラストシーンなんかはものすごく策略的だ。
もう一つ印象的だったのは、父との誓いに従って遺産を守り続けてきた兄が、警察に押さえつけられ喘ぎ苦しむパウエルを見て「もういいよ!お金なら全部あげるから!」と泣き出すシーンだ。「父との誓いの死守」という映画的カタルシスを手放してまで眼前の暴力を否定しようとする彼の姿勢は、美しい物語のためであればどんな犠牲も厭わないハリウッドの精神性のまさに対極にあるものだといえる。
再評価モノは評価高めだね
ロートン、「情婦」名演技前の唯一の監督作品
羊の皮を被った狼
羊の皮を被った狼を体現するように、
女性に嫌悪があり、金に執着し、子供も虐待するが、良い牧師を演じる、
ハリー役のロバート・ミッチャムが良かった。
夜の川をジョンとパールが舟で下って行くシーンが影絵のようだった。
ハリーが逮捕されるとき、なぜ息子のジョンは憐れむように寄って行ったのだろうか?
草創のクライムドラマ
かつて著名文化人たちが映画ベスト自選をすると、かならず筆頭にあがるのが市民ケーンだった。天井桟敷の人々やジャンルノアールなど仏古典映画がそれに続いた。まぼろしの市街戦も文化人御用達の人気作だった。いまはどうなるのだろう。多様になって、昔みたいな統一感はなくなると思う。
文化人の選評には気取りが入る──と思う。完全主観では選ばない。気位の高い文化人は「え!こんなの好きなの?」と思われてしまわないために、大なり小なり客観性を差し挟むわけだ。それゆえ、市民ケーンに罪はないが、昔は誰でも市民ケーンだった。
この映画も文化人の選でときどき挙がった。選に順位をつけるなら、私だったらこれを市民ケーンよりも上に挙げたい。
昔初めて見たとき、高校時代読んだマークトウェインのハドリバーグの町を腐敗させた男を彷彿とさせた。因果応報のドラマで、民族や習慣を超える普遍性がある。
また、その後に見た数々の映画がこの映画を彷彿とさせた。
時代を超え、黒澤明に比肩する影響力があると思う。
監督はチャールズロートン。
私は古い映画で、繁くこの俳優を見た。
肥満体型で腹黒そうな顔つき。
狭量な代官みたいな役が多かったが、のち善玉を演るようになった。スパルタカスや情婦をよく憶えている。出演作多数で、こっちで言えば殿山泰司みたいな印象的なバイプレーヤーだった。
驚いたことに監督作はこの一作のみ。もっと驚いたことに当時、興行も批評もぜんぜんだめだったらしい。オーソンウェルズのTouch of Evil(1958)みたいな感じだろうか。世の中には、時間の経過、または慧眼によってしか見いだされないホンモノがある──と思う。
この映画でもっとも象徴的なのは、えせ伝道者ロバートミッチャムの手。
親指を除く、示中薬小、4本の拳に書かれた文字。
左がHATE、右がLOVE。
後にパンク系ファッションで定番化したタトゥはここが出典である。
今では一般的なサイコキラーが跋扈するクライムドラマもこの映画が創始である。
ロバート『スリーピーアイ』ミッチャムの飄々とした殺人鬼は映画の古さをまったく感じない──これにはいささかの誇張もない。
マイケルケインのアルフィーに出ていたシェリーウィンタースをよく憶えている。よく見た女優だが、たいていどこで見ても肥えていて、春川ますみあるいは高瀬春奈のようなキャラクター。この映画では生真面目な未亡人役で、のちのバンプな路線を想像できない。
リリアンギッシュに始まるこの映画はリリアンギッシュで終わる。
暴力と無知から子供たちを救う里親役で、賢く、慈愛に満ち、勇敢。
1916年(!)のイントレランスに出演した世紀の女優の有終を飾った。
美しい撮影とドラマツルギーのお手本。
魅力は底なし、つねに新しい発見がある必携の映画だと思います。
とても面白かった
子どもだから追い込まれると簡単に白状しちゃうところが切なかった。それでも最後の最後は口を割らないところがえらい。
ロバート・ミッチャムがうちに来て、お母さんまで殺されるなんてつら過ぎる。しかもお母さんは体を求めて拒否されてしまう。ロバート・ミッチャムはインポだったのだろうか。歌が怖かった。納屋で休んでいるときに現れてシルエットで歌っていた。お兄ちゃんが「あいつは夜寝ないのか」と言っていたのが面白かった。妹が再会した時に駆け寄って抱きつくところが、あちゃーと思うのだけど実に子どもらしい。
子どもも母親も、お父さんが犯罪者なのに街ではそれほど差別されていなくてよかった。
グループホームを運営しているおばさんが素晴らしくかっこよかった。里親映画だった。ロバート・ミッチャムを銃で撃った後、叫び声がふざけているようだったのだが、弾が当たった悲鳴だった。
宗教色が強くて、詳しい人はいろいろともっと楽しいのかもしれない。
(追記)
DVDを買って2回目。クライマックスで、グループホームのおばさんと、ミッチャムが同じ歌を違う歌詞で合わせて歌っているのが面白い。おばさんはミッチャムのことをすぐに偽者と見抜いていただから歌詞が正しいのはおばさんなのかな。
孤独な狩人
愛と憎しみ
演出が古くて全く迫力がない
総合:30点 ( ストーリー:30点|キャスト:40点|演出:30点|ビジュアル:55点|音楽:60点 )
男はいとも簡単に家庭に入り込んで、未亡人と再婚出来る。殺しがどのように行われたかも描写されない。これでは犯人の怖さも背景も殺人鬼としての能力も伝わらない。喜劇でもないのに、これだけ緩い連続殺人犯もなかなかお目にかかれない。1950年代という時代のせいだろうが、どのようにそうしたかをはっきりと描写しない演出は全く迫力がなく、物語を相当につまらなくしている。むしろもっと古い40年代か30年代くらいの作品にすら思える。悪に直面した非力な幼い兄妹の逃避行が童話のようでちょっと幻想的だが、全体としてただただ古い演出に魅力がない。
急に少年が男を許すような態度をとるのもわけがわからない。物語の都合上、金の在りかをばらすためだけのために挿入された場面のように思えて仕方ない。そして過去の男の25件の殺しが結末では説明もなくいきなり裁判になっているのにも手抜きだし、それに突然出てくる孤児の愛情の話も話の本筋から外れているように思える。
スティーヴン・キングが愛した一本
キングだけではなく、多くの作家や映画監督がこの作品に魅せられたのではないか。
「ケープ・フィアー」「処刑人」など部分的に本作を真似ている映画もたくさんある。個人的にはゼメキス「ホワット・ライズ・ビニース」を観た時も映像的に似てるシーンがあるなあと思った。
私の好きなシャブロル監督の遺作にも「狩人の夜」に関するセリフが出てくる。公開から50年以上経って尚、愛され続ける作品なんだろうと思う。
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ダークサスペンスの傑作と謳われているけれど
ストーリーはお伽噺的、映像は幻想的、結末も牧歌的。
リアリズム溢れるサスペンスとは対極にあると思う。
それでも、底冷えするようなダークさがこの作品にはある。
主人公(恐らくチャールズ・ロートン監督の投影)が、徹底した子供嫌い・女性嫌い・人間嫌いだからだろうか。
そこには理由もなければ言い訳もなく、ただ憎んでいるという怖さ。
人間への純粋な憎しみを、こんなにも可笑しく美しく描いた作品が他にあるだろうか。
言い換えれば、憎むことでしか他人と交われない男の悲しさを掬い上げている。
人間を憎んでいる代わりに、動物(ふくろうや亀)を愛おしそうに撮っているのも何だか悲しいんだか可笑しいんだかわからないけれど、心に染みる。
憎しみを肯定も否定もしないアンモラルな映画だが、最後に愛が勝つという牧歌的な結末が用意されていて、アンモラルを直視できない私のような凡人はそのラストに少しほっとする。
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前述のシャブロル監督も寓意的なストーリーの奥底に頑な冷たさを忍ばせる名手だった。やはり「狩人の夜」が好きだったんだろうと思う。
とっても恐ろしいおとぎ話
名優チャールズ・ロートンの唯一の監督作品として、映画ファンの中ではカルト的人気を得ている幻の映画。本作をカルトたらしめているのは、内容がホラーばりのサイコ・サスペンスにもかかわらず、作品全体が御伽噺のようなファンタジー然としたところ。紙芝居のような画像と、全体にゆったりとしたロマンティックな味わいが何とも良い。この作品をカルト的にしているもう1つの要因として、主演のミッチャムの怪演がある。とにかく怖い・・・。牧師になりすまし(もしかした本当の牧師かも、そうだとしたらなおさら怖い)、神の制裁を名目に、堕落した女を殺す猟奇殺人者。ミッチャムの一見紳士然とした穏やかな顔つきの中にある無表情が本当に不気味だ。その表情のまま、幼い子供を襲うシーンは、並みのホラー映画より背筋が寒くなる。
軽犯罪で服役中(殺人容疑で捕まっていないところが、またまたコワイ)、同室(?)となった強盗殺人の死刑囚から、盗んだ金がまだ家族の元にあることを知った牧師は、死刑囚の妻(被害者をやらせれば天下一品のシャーリー・ウィンタース、いつもながらの名演。)に近づく。彼の穏やかな物腰に大人たちはコロリと騙されるが、幼い息子は彼の正体をいち早く見抜く。少年の妹はあまりに幼すぎて、大人たち同様牧師になついてしまうので、少年は孤軍奮闘することになるのだ。ここで浮き彫りになる大人たちの愚かさ。まんまと死刑囚の妻と再婚した彼は、新婚の妻に、夫の愛を求めることは罪悪であると信じさせてしまう。妻は毎夜神に祈り、しだいに熱狂的な信者として平成を見失っていく。悪いのは全て自分だと信じる彼女は、夫が金目当てであり、自分や子供たちの命をも狙っていることを知りつつ、穏やかな気持ちで彼の刃を受けてしまうのだ。車ごと河に沈められた彼女の死体は、蒼き水の中に漂う水草とともに髪を揺らし、静かに静かに眠っている。この衝撃の映像のあまりの美しさにしばし見とれてしまう。この死体の第一発見者である老漁師が、ここでとてつもない間違いを犯してしまう。自分が犯人にされると思い込み、警察に知らせず、自宅で酒びたりになり震えているのだ。彼がいち早く通報していたら、子供たちが危険にされされることはなかったはずだ。冷静に考えると老人が疑われるはずがないのだが、教養も自信もない老いたひとり身を考えると、その愚かな行為も判らなくもないのだが、いくら愚かでも大人としての分別を持ってもらいたいものだと、見ている私としては非常にヤキモキしてしまった。
母が殺されたことを直感した兄は妹をつれて逃亡の旅に出る(周囲の大人は誰一人あてにならない)。ボートで河を下る幼い兄妹の画は、たゆたう河、満天の星によって限りなく平静で美しい・・・。大きな月の出る地平線に現れる、馬に乗った人の影・・・。絵本の世界を写し取ったようなロマンティックなこの画が、実は子供を狙う殺人鬼の影であることを忘れてはならない・・・。
さて、前半愚かな大人ばかりが登場したが、ここでようやく兄妹を救う、賢い大人が登場してホッとさせられる。大女優ギッシュの登場だ。厳しい口調とは裏腹に身寄りのない子供たちをひきとっている彼女は、兄妹を何も聞かず自宅へ連れ帰る。兄の賢さを見て取った彼女は、周囲の大人たちの意見よりも彼の意見を重視してくれる。追ってきた牧師を、一番年長の少女が、彼の見た目に騙され恋心を抱く中、少年の行動から悪人であることを見抜く。勇敢にもライフルを手に彼と対決するのである。人間の善悪を見抜き、罪を嫌うが、小さな罪(ことに経験不足から来る愚かな罪)を許す寛大な心を持っている彼女も、親不孝な息子からの連絡を持つ寂しい大人の一人。それでも彼女には、血のつながりこそはないが、かわいい子供たちが沢山いる。子供たちは彼女の元、元気にスクスク育つことであろう、クリスマスに母親がわりの彼女に子供らしいプレゼントをするほほえましいラストシーンが、彼女らの暖かい幸せを描いている。メデタシ、メデタシ・・・。
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