風が吹くときのレビュー・感想・評価
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ピンク・フロイドとDボウイ 意外にも
デジタルリマスター版上映中ですが時間合わず、レンタルで見ることになってしまいました😞 実際のガイドラインprotect and surviveに基づいてるそうですが...地下室の方が安全ではなくて? まるで絵本のような老夫婦は仲睦まじく2人の日常を描く_一見のどかな雰囲気 奥さんがあくまでも家事をこなそうとする旦那さんも献身的で大丈夫か?とても心配になる 時々挟まれる実写?や核ミサイルの破壊画も恐怖だった 待てど暮せど助けが来ない、水や電気もダメまるで兵糧攻めのようである 放射能浴びても元気なのはネズミのみ 風ってそういう風のことか こんな”死が二人を分かつまで”は辛すぎる けど、核の脅威を伝える題材として平和教育にも使われてるのかな?
放射能って目に見えるの?
イギリスの田舎町でのんびり暮らす初老の夫婦。そこへ近々核戦争が始まるというニュースが飛び込んでくる。政府発行の参考書に従って家の中にシェルターなるものをせっせと作る夫。そして遂に激しい閃光と爆風が家を破壊し二人に襲いかかる。 核兵器に対する知識も、自分達が被爆してしまったという認識もないまま、二人寄り添いながら救助を待ち続ける。本当に残酷な話です。これが戦争なのです。今は子供に戦争に関連する作品を見せないようですが、むしろ子供の頃からしっかりと見せるべきだと個人的には思います。 海外で核兵器は「でっかいミサイル」という位置付けで、もし核攻撃を受けても地下シェルターに避難すれば大丈夫と思っている人が多いと以前ニュースで見て衝撃を受けた。 1発の核爆弾がもたらすこの世の地獄を知っている国がこの地球上にたったひとつある。私達は発信を止めてはいけないし、核兵器は未来永劫絶対に使ってはならない。鑑賞は8月6日。あえてこの日に観ました。
チェルノブイリの事故のあと、 次に事故を起こすならフランスか日本だ...
チェルノブイリの事故のあと、 次に事故を起こすならフランスか日本だろうという文献を読み、 居ても立っても居られないくらい怖くて、 その怖さが少し和らいできた頃に見た映画 当時は洋楽を聴き始めて数年の頃で、 『デビッドボウイとかがアニメの曲やるの?』 なんて思いながら母に連れて行ってもらった 無知とか純粋さとか、 日常とか非日常とか、 たくさん詰まった映画だった 今回リバイバルということで、また見るきっかけになった 懐かしい気持ちから見ただけと言えばだけなんだけど、 あの時見たのより何十倍かずっしり来た えええ? ここまでがんがん攻めてくる映画だったっけ? 前はもっと穏やかながらもじわじわ怖かった気がした 大人になったから? 日本の原発事故を体験したから? (この作品は事故じゃないんだけど) 何十年か経ってまた見る機会があったら、 その時はまた少し違う感想を持つんだろうか? いつもは字幕版しか見ないけど、 選択肢がなかったから吹替になった でも、あの二人の吹き替え、すっごく良かった
戦争の深刻さとどこか緩い夫婦のギャップ
原爆が落とされる前の、夫によるシェルターなどの
周到な準備と、原爆が落とされてからの
緩く前向きな夫婦の言動・行動のギャップに
本作の恐ろしさを感じました。
おそらく夫は周到に準備をしていたからこそ
絶対大丈夫的な思いがあったのでしょうが、
周囲の状況や原爆がもたらす放射能汚染などの影響の
知識はなかったようで、
死に向かってひたすら映画が進行する辛さがありました。
実際、世界では戦争が起きていますし、
地震などの災害も発生しています。
日頃から準備しておくことの大切さを
あらためて学ばせていただきました。
老夫婦がわけがわからないまま死んでゆく。戦慄。
◯冷戦時代末期の恐怖感を思い出す
以前からタイトルは知っていたが観る機会がなく、今回(2024年8月)のリバイバル上映に合わせて観てきた。
本作が制作された1982年頃は冷戦末期、米ソの核開発競争で人類を何回も滅亡させるほどの核弾頭が生産され、一歩間違えれば即人類滅亡という、今の若い人たちだと想像がつかないだろう得体の知れない絶望感・恐怖感が世界に漂っていたのを思い出した。
◯一個人の視点からみた戦争
戦争映画だと、激戦地や軍内部の生活における兵士達や将校など軍関係者の姿が出てくることが多い(地獄の黙示録など)が、本作は、アレクシェーヴィッチ『戦争は女の顔をしていない』にも通じる『一個人の視点からみた戦争』というストーリーになっている。
これが『地獄の黙示録』や『トップガン』など米国の戦争映画の影響が強かった1980年代に世に出たこと、そして『スノーマン』の作者であるレイモンド・ブリッグスの作品ということはもっと注目されるべきだろう。
◯真骨頂
本作の真骨頂は、『一個人』として核戦争の危機にあっても長閑に生きてきたジム・ヒルダの老夫婦が核攻撃を受け、ある程度の知識はあったものの結果として情報も完全に途絶し孤立無援の絶望的な状況下、ゆっくりと訳がわからないまま(と解釈するのが素直か)死んでゆく過程が本作の真骨頂だといえる。
※『わけがわからないまま死んでゆく』という表現は、一色登希彦さん版『日本沈没』3巻にあった中田一成のセリフを借用した。
◯戦慄
私達は広島・長崎やチョルノーブィリ(チェルノブイリ)やJCO臨界事故などから
・放射線障害がどのようなものか
・核爆発で死の灰や黒い雨が降ること
・ふたりの元にあるマニュアルでは不十分
ということは分かるが、
・救援やインフラ復旧の状況が分からない
・メディアも軍も行政も政治も医療機関も残っているのか、そして国、いや、人類が生きてきた世界がどうなっているのかが情報途絶で全く分からない
・世界から他人が完全に消えてしまったのではないか
という底知れぬ恐怖に戦慄するだろう。
あの頃何かの間違いが連鎖していたら、2024年の地球はまさに本作で描かれたような放射能に汚染された核の冬が永遠に続くかのようなディストピアが一面に広がっていたかもしれない。
正しい情報があれば…正しく恐れられていたら…
イギリスで作成された1986年の作品。 お盆の帰省中だけど実家を抜け出し鑑賞。 8月15日と言う日にこの作品を見たのはホントたまたまだけど、今日見るには相応しいとも言える作品でした。 「愚かな夫婦…?」 現代で特に戦争被爆国の日本で生まれて教育を受けてきた人が見たらこの夫婦はなんて哀れなんだ、愚かだと映るのではないだろうか? だけど知識のない中だったらきっと作中の夫のように政府という信頼の出来そうなところからの情報源を鵜呑みにするしかないのは今でも変わらない気がする。 現代ではいろんなところからの情報が飛び交うけど、どれが正しいか判断が出来なくなったら自分も「政府が言ってるから…」という事で政府の言う通りにするだろう… 妻の危機感の無さも同様に知識がないからこその呑気な考えだろう(人によっては知識が無いからこそめちゃくちゃ怖がりそうだけど) これを見てこの夫婦の行動に違和感や愚かさを感じられるのはある意味多少なりとも正しい知識を身につけていられているのかなとも思う。 この作品をみて「政府の言う事聞いていたのになぜ夫婦は救われないのか?」 なんなら「夫婦は最後どうなったのか?」と思ってしまう状態の方がまずいだろう。 「政府からの情報」 作中で政府から発せられている情報は多少正しい部分もあるけど、それじゃとてもじゃないが身を守るなんて…という感じだった。 時代的に政府などの放射能などへの科学的な知識不足もありそうだけど、政府としても国民に発信できる各個人で出来そうなレベルの事というとあんな感じの事を言うしかなかったのかなと… 「未知の脅威への向き合い方」 コロナによる緊急事態を経て、戦争とは訳が違うにしても、未知の脅威だとしても正しく恐れ、行動することが大事だと身をもって学んだ現代。 あのときも散々いろいろな情報が飛び交ったりした事を思い出した。 日本は自然災害も多い国でもある、戦争に限らず正しく恐れて対策していきたいものですね。 優しい雰囲気のアニメーションに対して徐々に不穏になり続ける感じ、もうどうにもならないとわかるぶん、後半ほど見ていて苦しい気持ちもある作品でした。 アニメーションとしては実写の風景やジオラマの部屋を撮影して2Dアニメーションを重ねた映像で魅力的な映像でした。 優しい雰囲気で描かれるからこそ恐ろしさなど伝わってくるものが多かった気がした作品でした。
世界中でなるべく多くの人に観て知ってもらいたい
核爆弾の怖さを描き、1986年イギリスで製作されたアニメ作品。 イギリスの田舎で定年後平穏に暮らすジムとヒルダの老夫婦は、二度の世界大戦を経験し、子どもも育て二人での生活を送っていた。そんなある日、ラジオから3度目の世界大戦で起こり核爆弾が落とされると放送が有った。ジムは政府が配布したパンフレットに従って戸を壁に立て掛けシェルターを作った。しばらくすると、凄まじい爆風に襲われた。瓦礫の中で生き延びた2人は、シェルターでの生活を始めたが・・・さてどうなる、という話。 ほとんどが、ジムとヒルダの2人の会話劇なんだけど、声優が森繁久彌と加藤治子と、なかなか味が有った。 水が無くなり、トイレが流せなくなり、冷蔵庫が使えず、放射能の影響が体に出てくるところまでなんだけど、充分原子爆弾の恐ろしさは感じることが出来た。 広島に住んでて、身内に被爆者が居た者としては、こんなに軽いか?あんなのがシェルター?なんて思ったけど、これくらいでもまず知ってもらうことが大切なんだろうと思った。 公開された時期的に東西冷戦の頃だから、ソ連にやられた事になっていたが、途中からロシアって言ってたのはなぜなんだろう? 翻訳のミスかな? 現在、ロシアがウクライナへ侵略戦争を行ってるタイミングであり、核爆弾が使用される危険性が高まってる今こそ、世界中で可能な限り多くの人に観てもらい、核爆弾の、放射能の、恐ろしさを知ってもらいたい、そんな作品でした。
核兵器と日常
第二次世界大戦後、もしその後の戦争で核が使われ、イギリスが標的にされたら? そんな重い架空のお話 アニメーションだけかと思ったら、所々の背景に実写が使われ、なんとも言えない現実感が漂う演出。 ある日、核戦争の危険が高まってると自宅にシェルターを作る一方、登場する夫婦の会話は危機感が全くない。ちょっとイライラするレベルに。 でもこれが一般人にとって普通なんだと思う。 今も世界中で紛争・戦争は絶えないけど、私たちは自分の国が次の瞬間に攻めてこられるなんて思ってない。 「そんなバカな?本当にミサイルを打ったのか」 そう理解したときには、もう爆弾は落ちている。 そして、死とともに風が吹く やるせない気持ちしか残らない、重たい内容の映画だけど、『サウンド・オブ・ミュージック』とか『アンネの日記』みたく一度は観てほしい映画だった
ずっとズレてる会話で嫌な気持ちになる
2024年劇場鑑賞207本目。 中学の副読本で英語で読まされた話ですが映画は未見だったので鑑賞。吹替版上映なのでマイナス0.5。 往年の名優森繁久彌に、大島渚監督監修なので文句言うのも恐れ多いのですがモゴモゴ言ってて聞きづらい・・・。 原爆の放射能で弱っていく老夫婦の話というのは知っていたのですが、広島長崎に原爆がもう落ちているという歴史が存在する割に放射能に対して無知すぎるのが聞いていてキツい。それとも被爆国でない国はこんなもんなのでしょうか。
ほのぼの感満載のキャラクターだけど、ストーリーは怖い
37年も前のモノとは思えないリアル性の高い作品だ。 ジムとゼルダの穏やかな会話がメインだけど、その内容は重い。今も地球のどこかの地域では同じような恐怖と遭遇しているのではないか。 「平穏な日常」と言う存在の有り難みを強く思う。
「さむがりやのさんた」が好きだったのを思い出した
何て可愛らしい絵で、エグい題材を扱うのかしら。 勿論一般市民が何故このような目に、という気持ちもある。 ただこの痴呆気味の英国人夫婦も決して非の打ち所がない善人ではない。 先の大戦を良い思い出にされると、この国にも腹が立ちますね。こうして火種が生まれるのか。 被爆国の人間であるため、この際なので現実で被爆したことない国が恐怖のどん底に落ちるところをもっともっと深く見せて貰いたかった。 ジャガイモ袋の最後は最高。 レビューの皆さん、性格が良いのですね。
「ほのぼのと フェイクと放射線に殺されてゆく 悲しみと恐ろしさ」
老夫婦の最期を直視させる永遠の名作。 「スノーマン」の絵本画家が作ったアニメーションです。 もう少し緊迫感のある「核戦争当日の光景」を疑似体験したいなら、タルコフスキーの「サクリファイス」をどうぞオススメします。 このアニメーション映画「風が吹くとき」は、 のんびりとゆっくりと、引退した老夫婦が田舎暮らしを楽しみ、二人で仲睦まじくお喋りをしながら、お茶を頂きながら、 そして死んでいく悲劇を描きました。 「この世界の片隅に」のコンセプトに近いかもしれません。ごくごくありふれた日常を生きる庶民は、どのようにして戦争に巻き込まれ、そして死んでいくのかを 淡々と見せてくれます。 それだけに画面が残酷です。 国家への 信従と もう従。 緩慢な死。 倦怠、頭痛、嘔吐、下血、紫斑。 そして、じゃがいも袋の中の2つの遺体・・ シェルターの作り方や、非常食準備の指南は、夫ジムが手にしていた「小冊子」=あの頃イギリス政府が実際にパンフレットとして国民に配布していた「現物」が、脚本にそのまま使われているそうです。 + + 「戸板を立てかけたシェルターで核戦争を生き延びましょう!」とイギリス政府が宣伝した「あのパンフ」を見て 僕が思い出したのが、 【長崎で8月10日に撮られた一枚の写真】でした。 その写真は、当時、日本軍西部軍報道部カメラマンであった山端庸介(やまはた・ようすけ)氏によって、長崎の原爆の翌日、1945年8月10日(金曜日)朝に撮られたものです。 アメリカの雑誌「ライフ」にも、「ラッキー・ガール」というキャプション付きで掲載されました。 これで検索してみて下さい ― 【被爆直後に撮られた、防空壕の「ラッキー・ガール」は、まったくの創作写真だった】 日本軍のお抱えカメラマンが撮ったフェイク写真。 日本政府もアメリカ政府も、国民の核戦争への恐怖感情と拒絶反応を鎮めるために、こんなに「ほのぼのとした笑顔の写真」を使う。 戸板をかぶせた地面の穴に入れば、ほれ、この通り、美人のお嬢さんは無傷ですよ! だから原子爆弾も、原爆の製造も、核実験も、そんなには怖くないのだよ!とフェイクします。 「ライフ誌」の効用としては、この写真は、米国内での原爆投下への批判を抑え、原爆の残虐イメージの低減に組みすることになったでしょう。 けれどこのラッキーガール=園田早苗さんは、被爆から15年後、昭和35年に白血病を発症し、離婚し、その数年後51歳でひっそりと亡くなっています。 『熊本日日新聞』昭和54年1月に「ラッキーガール」の死亡記事。 「風が吹くとき」は、ほのぼのしていますが、このアニメーション映画の公開のあと、英国政府はこのパンフレットの配布を止めたとWikipediaは伝えています。 国が殺すのは敵だけではない。 + + 館内はお客さんはたくさん入っていましたが、明かりが点いてもなかなかみんな立たなくて、 押し黙って、一人ずつ、映画館から、重い足で外へと出ました。 + + 《追記》 岸田総理が引退するけれど、 あの人が各国の首脳たちを広島の「原爆記念資料館」に連れて行ったのは世紀の大事業。 最大の功労だったと思います。 よくやった。
30年越しの初鑑賞
まだレンタルがVHSだった高校生の頃、手に取ったことはあったけど戦争モノって事で踏ん切りがつかず、この機会にやっと観れた。 今やどの国が仕掛けてもおかしくない世界情勢の中でのリバイバル上映というのは意味があるなと思う。 現代ではあらゆる情報を知ることができるけど当時、しかも田舎町の老夫婦はあの手引きが全て。 あんなんじゃどうにもならんのだけど、実際どれほどのものかは誰も分からないから。 投下の映像は、アニメーションといえどもやはり恐ろしいものがあったが、無知ゆえの呑気さがほのぼのした画風と、森繁久彌さんと加藤治子さんの声も相まって少しだけ和らげてはくれる。 やっちゃいけないことばかりで少しずつ蝕まれていく2人は観ていてかなりしんどかった。 想像していたよりヘビーな映画だったけれど、観てよかったと思う。 そして高校生の時に借りなくてよかった。
1980年代、英国サセックスの郊外の一軒家。 リタイアし、ロンドン...
1980年代、英国サセックスの郊外の一軒家。
リタイアし、ロンドンから引っ越してきたジム(声:森繁久彌)とヒルダ(声:加藤治子)の夫婦。
ジムは社会情勢に関心を寄せている。
なにせ米ソ冷戦下、いつ戦争が起こっても不思議でない。
今日も図書館で新聞を読み、「室内核シェルターの作り方と過ごし方」なる小冊子を入手し、室内シェルターの製作にとりかかった。
ドアを外し、そのドアを壁に立てかけ固定する。
中には非常食やクッションを用意して。
そんなある日、核戦争が起こってしまう。
街に核爆弾が落とされたのだ。
シェルターへ逃げ込んだジムとヒルダだったが・・・
といった物語で、やわらかいタッチの画と裏腹に、どんどんと悲惨な状況に陥っていく夫婦。
画で見るとかなりの老夫婦のように感じられるが、時代を考慮すると、60代半ばぐらいの夫婦。
若い時分に第二次大戦を経験したが、英国は戦勝国。
戦争に対しては、悪い印象を抱いていない。
戦火にまみえたが、若かったジムはそれなり活躍した。
連合国側のリーダーは、いい人物だった。
今度、戦争が起こっても、我々が勝つだろう。
いわば、能天気と言ってもいいくらいなのだ。
放射能の危険などについても無知であり、それゆえ、政府の言うことを聞いていれば、そのうち助けてくれる、と信じて疑わない。
狭い家の中で、地獄になっていくことなど、信じられないのだ。
初公開にも観ており、そのときは「ああ、英国人は放射能については無知なんだなぁ」という感想が第一だったが、今回は夫婦の(特にジムの)戦争に対する考え、政府に対する盲信のほうが恐ろしく感じられました。
核の恐怖以上に恐ろしいものがある・・・
その観点からいえば、今まさに観るべき映画といえるでしょう。
救いがない
デデデデ後章を観てからずっとこの映画のことが思い出されていた。奇遇にも映画館で見られるという。TV録画で何度も見たが、劇場では初めて。
戦争に向かう世界、それをどこかノスタルジックに受け止める老夫婦。そしてデストラクション。
過去の印象は(素敵な回想シーンのせいか)ファンタジックで観念的という記憶だったのだが、見返すと著しくリアリティに寄っていた。特に生活描写、細やかな家事の仕草や家の中の動線が丁寧に描かれることで被爆の前と後が対比され、異常事態にも平常を維持しようとする努力のいじらしさと虚しさ、そしてじわじわと迫り来る終末への道の悲惨さが浮き彫りになる。後段はストーリーの起伏もないが、それは(前の大戦のような)命を賭けた戦いのスリルや高揚のない、ただ物理法則に基づく科学的な死があるのみ、という被爆の性質を表していると思える。
もうひとつ、昔は、純朴な民衆が国民保護プログラム(『防護と生存』)を盲目的に信じて騙される、という構図を見いだしていた。彗星大接近で呼吸チューブを売りつけるのにも似た、政府の欺瞞的な態度を戯画化して批判しているのだと。
大災害やパンデミックを経た今なら理解できるが、屋内シェルターの角度も何のためかよく分からない備蓄物資も紙袋さえも、国民が生き残れる可能性を少しでも高めるために科学者や官僚が真剣に考えてマニュアル化したのだろうし、その内容にも意図にも嘘はないのだと思う。
欺瞞はそこではなくて、相互確証破壊の名の下に、数千万の国民の命を危険に晒してでも守るべき国益があるという政府のテーゼに対し、テーブルに載せられた側の人々が異論を表明できない、あるいは自分がそういう状態にあることを人々に気づかせないという国のあり方にあると思い至った。(夫が防衛態勢の頭文字語を羅列するが中身は理解していなさそうだったのが示唆的である)
エコーチェンバーに陥らずに、いかに情報を咀嚼して自分で判断し行動するかが重要だと気づかせてくれる。
核の使用可能性が高まっていると言われる中でタイムリーな再映。冷戦を知らない世代の人たちにもっと観てほしい。
コメントを頂き追記:
手製シェルターの効果は、爆心から一定程度離れていれば、熱線や爆風、放射性降下物の影響の軽減が期待できるといったもので、直撃に近ければ意味がないだろう。本来は(英国がどれだけ整備していたか分からないが)地下シェルターや地下鉄駅などへの避難が優先で、そこにアクセスできない場合の代替手段なのだと思う。
生死を分ける最大の要素は被攻撃目標(政経中枢、生産基盤、人口稠密地、軍事拠点…)との距離と風向きであるという前提で(だからそこに幻想を持たない都会住みの息子はとりあわなかった)、初期の爆発を逃れた場合は救援が来るまでの間を自力で生き延びられるよう備えてくれ、というのがマニュアルの趣旨で、だからこそ一つひとつの記述には意味があるだろうと想像した。
ただしマニュアルも政府の対応手順も実地で試されてはいない。救助隊を組織できるだけの国家機構が残っているという想定は甘かったのだろう。
24-080
核戦争の恐怖を描くアニメを鑑賞。 牧歌的でユーモラスなデザインとは裏腹に 描かれているのは死へのカウントダウン。 なんでも肯定的に捉える知ったかぶりの夫と、心配症で鋭く的を射る妻。 2人ともよく喋る。 その穏やかな会話が恐怖を増長する。 核は無くならないのでしょうか❓
はだしのゲンに比べると
何とまぁ、のどかな事!二人の会話で「 ヒロシマ」の四文字が語られていたから、原爆がどれだけ怖いかは知っているだろうに、ドアを立て掛けただけのシェルターじゃねぇ...。
原作が絵本だから、はだしのゲンのように「 ギギギ... 」 と唸る事も無く綺麗な身体のまま死んでいく夫婦は絵空事のようにしか思えない。原爆って、無茶苦茶恐ろしいんですよ?
被爆地ナガサキに生まれ育った者なら、必ず行く原爆資料館で黒焦げになった遺体、爆風で飛んできたガラスが全身に刺さっても行きている人、山のように積まれた遺体などを、小学生低学年なのに見学させられて、その晩も、次の晩も怖くて怖くて眠れなかった事を思い出します。
だから、アメリカのヤンキーどもが映画で軽々しく原爆を落として被害が雹が降る程度の被害で済ましているのを見ると、
「 原爆舐めんじゃねーぞ!」 と言いたくなります。
まぁ、子どもには「 はだしのゲン」はトラウマになるくらい怖いから、放射能の怖さを知る教材としては良い作品かも。
子どもに核の恐ろしさを知ってもらうには「コーマック・マッカーシー原作のザ・ロード」を見せるのが良いでしょう。怖がるがいい、ふはははははは。
じわっと来る怖さ。当時のイギリスの事情を理解しているとよいかも。
今年285本目(合計1,377本目/今月(2024年8月度)10本目)。 ※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。 (前の作品 「コンセント 同意」→この作品「風が吹くとき」→次の作品「???」) この映画が参照する当時のイギリスは、映画内に登場するようなパンフレットが配られていたのは事実だし、それこそラジオ・テレビが当たり前になってきた時期には、ラジオ・テレビを使った「核攻撃がきた、すぐに適切な対応をとって~」というような番組は放映されていました。これはアメリカほかの国においても同じです。事実上これらの番組がほぼなくなるのはソ連崩壊後になります(現在でも状況によってはテスト放映がある模様)。 そしてリアル世界では第三次世界大戦は始まっていませんが、映画内では核ミサイルが飛んできてあたりはむちゃくちゃ。パンフレットや番組がいうように「外に出てはいけない」や「水は大切にしましょう」などを(一部)無視してしまった老夫婦がたどる道のりは…といった趣旨の映画です。よって、「相手方」が出てくるわけではないし(核ミサイルらしきものが落ちるだけ)、「広義な意味での戦争もの」といえますが、明確な意味での「敵」というものは観念できません(まぁ、ソ連なんでしょうけど)。 平和の大切さを描く映画は数が多いものですが、アニメタッチのものは数が少なく、しかもその中から、「相手が明確に示されない」といったタイプの作品は珍しく良いなと思った一作です。大阪市では来週(8月2週)にも放映があるのでもう一度見てもよいかなと思ったくらいです。 採点にあたっては特に採点上気になる点までないのでフルスコアにしています。 -------------------------------------------------------------------------------------- (減点なし/参考/日本での実情) ・ 日本ではJ-alert が運用されてはいるものの、実際に日本各地に核シェルターが色々あるわけではなく(都会部ではせいぜい地下鉄駅くらいにしか逃げられない)、その日本のJ-alertはその「想定する国」が実質的に一つだけであり、しかもその「想定する国」は突拍子もなく飛ばすので(そしてそれに対して、首相等が「遺憾に思う」というところまでセットで「(日本が発する)遺憾"砲"」などと揶揄される)、一応そういうものがある程度で、日本ではアラートがあるだけで、じゃどこに逃げたらいいのかとか水を用意しろだのということになっておらず(せいぜい、時々の「本物」と、いわゆる「テスト放送」とで時々見ることができる程度)、日本ではとりあえず「あるだけ」になってしまっているのは、日本国憲法のいわゆる「戦争の放棄」との関係でもあるし、実際に「どこにでもシェルターを作る実際のお金がない」といった問題にも依存してきます。 --------------------------------------------------------------------------------------
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