O嬢の物語

劇場公開日:

解説

性文学として著名なポーリーヌ・レアージュの「O嬢の物語」の映画化。製作はエリク・ロシャ、監督は「エマニエル夫人」のジュスト・ジャカン、脚本はセバスチャン・ジャプリゾ、撮影はロベール・フレス、音楽はピエール・バシュレが各々担当。出演はコリンヌ・クレリー、ウド・キア、アンソニー・スティール、ジャン・ガヴァン、クリスチアーヌ・ミナッツォリ、マルティーヌ・ケリー、リ・セルグリーンなど。

1975年製作/フランス
原題または英題:Histoire d'O
配給:東宝東和
劇場公開日:1976年3月13日

ストーリー

O(コリンヌ・クレリー)は恋人のルネ(ウド・キア)に命じられて、ロワシーの館に入った。Oの前に二人の女が現われ、Oの衣服を脱がせ、丹念に体を化粧し、ヌードのまま首輪と腕輪をかけた。そして後手にして四人の男たちの前に連れ出した。その中の一人はルネだった。男たちはしなやかなムチを持っていた。一人がライトを持ち、みなでOの体をながめまわし、その中の一人がいきなり後から彼女のなかに押し入ってきた。四人が交互にOを犯すと、ついでOに腕輸をかけ、ムチがしなった。Oは自分の部屋に戻され、一人になると、暗闇の中で感じた。恐怖のなかにこんな甘美な思いがあり、甘美がなぜ恐怖なのかと。その夜、暗闇の中で、Oはピエール(ジャン・ガヴァン)という召使にムチで打たれた。何週間が過ぎたろうか。ルネが迎えにきて、Oが館から出る日がきた。ファッション・カメラマンとしての生活が始まった。ジャクリーヌ(リ・セルグリーン)というモデルが、Oを悩ましい眼でみつめていた。ルネとの逢瀬も以前のように続き、ある日、ルネは彼女をステファン卿(アンソニー・スティール)に引き合わせた。ルネと彼は幼いときにルネの母に一緒に育てられ、血はつながっていないが兄弟同然だといった。“ぼくたちは何でもわかち合うのです”といい、Oさえも共有できるのだといった。Oがステファン卿のもとで体験したものは、それまで彼女がロワシーで得たものとはまた別の世界のことのようでもあった。つまりOは、共有という言葉を通して彼女自身の意志によってルネとステファン卿にある権利があることを認めたのだ。その権利とは、彼らが思いのままにOを自由にすることであり、Oを鎖につなぐ権利だった。そしてやがて、Oは真の主人が誰であるかを悟るようになった。徐々にステファン卿は、ルネがOに対してもっていた権利を行使し始め、ルネは次第に二人の前から姿を消し始める。Oはいつの間にか、ステファン卿がいとおしく、彼に愛され、彼によってめちゃくちゃに傷つけられることを望むようになっていった。ある日彼は、愛の証拠のためのマークをつけることを要求してきた。ステファン卿は、その前にモデルのジャクリーヌをロワシーの館に連れていってほしいと注文した。こうしてOは、ステファン卿のための永遠のテーマを、アンヌ・マリーの館でうけることを承諾した。あるときOはブルターニュへ行った。ステファン卿はここでOを友人の船長に一夜のたのしみにとゆずり渡した。船長の開いたパーティで、Oはふくろうのマスクをかぶり、犬のように鎖でひかれて人々の前にさらされた。Oは堂々としてなおかつ神々しくさえあった。ステファン卿は、群衆の後からOを見ながら、自分の命令にかくも従順に従うOに、一種の感動と同時に深い悔恨を感じていた。パリに戻ったOとステファン卿はふたたび二人の生活に戻った。“わたしが耐えたような試練に、あなたは耐えられると思う?”。Oはステファンのシガレット・ホールダーの火を消すと、それを彼の手の甲の上に押しあてた。彼の肉体にもくっきり“O”の字の永遠のマークがつけられていたのである。

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映画レビュー

3.0小説読んでから映画を見た感想

2021年10月13日
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セツ

2.0u-next で鑑賞せいごくんありがとう

2021年2月23日
Androidアプリから投稿

20210222
1.8倍速で鑑賞。
内容はよく理解できなかったがヌードやファッションが綺麗だった。
男にとっては楽園だか、フランス人女性は人権やらなんやらで問題にならないのだろうか。セックス観や恋愛観がよく理解できない。

愛と復讐は違う
今後は愛ぬきで私に従うんだ

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chicago80

1.5愛と服従は違う・・・?

2020年5月18日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 まだ18歳にならなかった頃、『エマニエル夫人』(1974)やこの『O嬢の物語』を観に行きたかった。その後に『ビリティス』(1977)というレズビアンの映画も日本で公開されるに至って、成人映画とレイティングなしの2通りだったものが、R15というジャンルが出来てしまいました。よーし、これなら観れるぞ!と意気込んだものの、結局観に行かなかった高校時代。女子たちが『ビリティス』の話題で盛り上がってたのに行けなかった・・・

 そんな映画だったのに地上波深夜枠でも放映されたO嬢。カットされまくりでわけわからんストーリー。自分の恋人を他の男に抱かせて楽しむだけの異常愛の内容かと思えば、おっさん(しかも貴族で異父兄弟)に譲るような形となる。しかも、自慰、SM、レズビアンと色んな調教をするという男尊女卑の世界そのもの。従属と嫉妬、それが愛?さすがに後半はだれてきてしまうし、単なるソフトポルノの域を越えていない。あぁ、これが昔見たかった映画なんだと割り切りながらも、やはりストーリーがしっかりしていないと映画が成り立たないものだと悟りました。結局はわけわからん・・・

 普通の人が見ると、こんな世界があるんだという驚き。しかし、恋人を他の男に抱かれるのを愉しむ男がいることもたしか。共感したくない世界だ。

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kossy

1.5何度観ても意味不明

2020年5月16日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

WOWOWの放送で観賞。

主演のコリンヌ・クレリーは綺麗ではある。惜し気もなく全裸を曝した熱演。たしか、元モデルだった。
彼女がどの程度のモデルだったかは知らないが、'70年代の日本では「フランスのモデル」というだけでステータスだった。フランスのモデルが『エマニエル夫人』の監督の新作で脱いだ…というだけでパブリシティは充分。
『エマニエル夫人』は、「ソフトポルノ』(ポルノではなく一般映画に分類)という言葉を産み出し、女性が映画館に殺到した成人映画だった。
だが、女性の性の解放を描いた『エマニエル夫人』とは違い、本作は完全に男目線のスケベ映画だ。

原作はSM文学(という文学ジャンルがあるのかは知らないが)として評価されている小説だ。
その小説をベースに、ジュスト・ジャカンが撮りたいスケベな画を撮り綴っただけで、ナレーションがあるのに何の説明にもなっていない、意味不明の物語がダラダラと続く退屈な映画だ。
ストーリーを理解したけりゃ原作読めってことか。
『エマニエル夫人』が筋が通っていたという訳ではないが、本作よりはマシ。

しかし、WOWOWは飽きもせずこの映画を繰り返し放送している。
それなりに視聴されているのだろうか。

本作以降、「O嬢」はSMプレイを通して開発されていく女のアイコンとなり、様々なメディアで便利に使われているのだから、エポックメイキングな作品ではあったのだろう。

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kazz

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