ある日どこかでのレビュー・感想・評価
全40件中、21~40件目を表示
もう40年前の映画になるんだね。 当時劇場では、あまり話題にならな...
もう40年前の映画になるんだね。
当時劇場では、あまり話題にならなかったと思う。
後に、レンタルビデオが出て徐々に評価がひろがった。
私も当時、ビデオ店のオヤジに薦められて見て、大好きな映画の一本となった。
今の若い人にも是非観てもらいたい映画だと思います。
夢うつつ
愛をテーマにしているのだとしたら、物語が乏し過ぎて物足りなかった。
男はホテルの壁に飾ってある昔の女優の写真を見て虜になった。女は突然近くに歩み寄って来た見ず知らずの男のことを予言されていた運命の人と思い込み、心を許した。
いずれも妄想が駆り立てた恋で、愛情関係に至るプロセスが描かれないため、夢うつつの夢にお付き合いした感が拭えない。
スーパーマンのようなファンタジーなら十分足りているのだが…。
女優は美しく、音楽は確かに良かったから星1つは付けたい。
こころの片隅に残る純愛物語の、クラシックな趣に染まった映画の佳編
クリストファー・リーブ、ジェーン・シーモア、テレサ・ライト、クリストファー・プラマーと全て品の良い演技でこのラブ・ファンタジーを本物の愛情物語として完結させている。意識を集中させることでタイムスリップする単純明快なシーンの丁寧な描き方が、映画技巧上初歩的だがこれがいい。テーマも演出タッチもクラシックだが、主演の二人の個性で魅せる映画の美点に溢れた佳作。
1998年 1月18日
夢でもし会えたら
「夢でもし会えたら
素敵なことね
あなたに会えるまで眠り続けたい」
(大瀧詠一)
多くの歌手がカバーするこの名曲、
なぜだろうな、聴いていても自分で歌っていてもいつもそうなのだ、鼻の奥がツーンとして胸がいっぱいになる。
映画のストーリーもこの歌も話は循環して いつ終わるとも知れず繰り返す。
昼間の忙しい自分が疲れて床に入る時、あのまどろみの中ふと誘いの声をかけて来る思い出。
― それを誰しも思い当たるものだから大瀧詠一はスタンダードになったのだろう。
佳作でした。観て良かった。
大人の「君の名は。」です。
現実離れしている
ストーリーに付いて行けなかった。無理があるし、2人がそこまで惹かれあった理由も見つからない。ゴーストは泣けたし感動するのに、こちらは駄目。何故だろう? 音楽はどこかで聞いたことがあり懐かしい感じがした。
タイムトラベルにも色々ある。この映画では、物理的、科学的なものは存...
タイムトラベルにも色々ある。この映画では、物理的、科学的なものは存在せず、哲学的、自己催眠を利用して過去を旅するのだ。どちらにしても現実ではあり得ないのだから、どんな手段でもいいのですが、このオリジナリティが素敵なファンタジーを創り上げています。観ているときよりも観終わってから涙が流れるほどの感動作だ。
ストーリー展開は、冒頭から淡々と静かに進み、とてもSFを感じさせるものではないし、エリーズへの一途な想いだけが二人をめぐり合わせるラブストーリー的展開なのです。爺ちゃんアーサーとアーサー坊やもキーパーソンとなっています。ラフマニノフの曲も効果的に使われて気持ちいい。そして、1912年という時代設定の雰囲気も見事に描かれ、キスシーンにも恥じらいと躊躇いがあり純愛を表現しています。何だか懐かしいような・・・
時を超えた恋愛、あなたにも起こりえるかも
SFでも、ファンタジーでもなく現実にあるかも知れない
年の差婚どころか世代を超えた恋愛だって世の中にはあるのだから
決してお金ではなく、心が震えるような恋愛で
その恋人達は時を超えて、お互いがもし年代が同じであったならと妄想する事もきっとあるはず
時を超えて肉体は衰え、白髪になり果てても、結局互いに結ばれる事が無くとも心は通いあったその瞬間を永遠に忘れない
時を超えて結ばれる日が訪れるのをエリーザのように死ぬその日まで胸に秘めて
アーサーを登場人物に加えることで手際よく話を進行させる脚本の巧さにはうなった
7才の彼の可愛いこと!
ホテルのレストランのシーンでベニスに死すのパロディがあり大笑いしました
パガニーニの主題による狂詩曲
総合70点 ( ストーリー:65点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:75点 )
ピアノの独奏による美しい透明な旋律から始まり、弦楽器が入り急速に広がって壮大に盛り上がり、そして最後に静かにゆっくりと消えていく。誰が作曲した何ていう名前かも知らないけれど美しい曲があって、十数年もたってからようやくその曲の題名がわかった。ラフマニノフ作曲、パガニーニの主題による狂詩曲。
そしてその曲が使われその曲をクラシック好き以外の人にも有名にした有名な映画があるとその後知って、それからずっと見たかった作品がこれ。
時代的に恋愛が時間をかけて自由にするものではないのかもしれないが、会って幾ばくもないのに恋ではなく思いつめた純愛になっているのは違和感があった。マッケナはロビンソンに束縛され苦労もしただろうし、だから自分を変えてくれる予言の人が現れる瞬間を長い間待ち望んでいたのだろう。コリアーも最初の学生時代の不思議な出会いからホテルの写真へと繋がる過程で彼女に興味を持っていた。二人は出会う前から互いの存在を待っていた。だがその後の純愛に発展するのが早急すぎて重みがなかった。
その後の彼女がどうやって現代に生きる彼を知りたどり着いたのか、時計は結局誰が手に入れてどこから現れたのかもわからない。
だけど物語上での矛盾や説明不足な部分があっても、作品の中にはそれ以上に二人の相手に対する想いがあった。時を越えて出会った二人が、時の狭間に阻まれた哀しさが伝わってきた。パガニーニの主題による狂詩曲がそんな二人を象徴していた。
現代と過去では過去の場面のほうが赤色が強くて懐古的な色合いになっている。わざと着色するように撮影していると思ったら、現代はコダック、過去は富士と感光材を変えたことによる効果だそうで、微妙な違いだが過去の場面は古い映画の色合いのようだった。
許されない恋愛は死
始まりから凝っていると思った。おしゃべりだけが先に始まる。観ながら書くスタイルなので、どうなるのかわからないが、運命というか、縁というほうが近いのか、時空を超えてもそういう人がいるのかなと思わせるようなファンタジーなのだろうか。タイムトラベルものと恋愛ものとを合わせているのだが、恋愛のために命がけで時空を超えてしまうのは恋愛という視点から見れば壮大なファンタジーではあるが、そのために現世から子孫を残さずに、後追いのように死んでしまうのがハッピーエンドでは、こんなカップルばかりでは現世が続かなくなってしまう。やはり現世に適齢期としてある異性とのタイミングは必須なのだ。時空を超えて愛してしまうと後が続かないのである。空想として恋愛の一途さを感じようとするには気分に浸れるかも知れないが。ウィキで調べたら、現代のシーンと過去のシーンでフィルムを変えて色の印象を変えているとの事だが、言われてみれば過去の映像になるとなんだか赤っぽくなっているような気もする。調べないと気付かなかった。知らないと気付かないが出現しているという事は何事にももっとあるのかも知れない。空気も重力も言われてみればだろう。運命とか成功などもそうなんだろうか。映画音楽にしても、出典を知っているのといないのとで違うことがあるのだろう。またその進展にしても。その後の活用にしても。意地悪な面を書くのが私の個性だが、というより、現代は自由すぎて混乱するので、こうして時空を超えてまで恋愛してしまいたいような感情を持つと、男女雇用機会均等でお金が入って、世界を幾つも旅してしまいながら、独身が長くなってしまう女のような気もした。世界のどこかにはその世界のどこかでの人の生活があるのだから、旅する異邦人はひと時の幻想までで、生活には至らないのではないだろうか。過去も未来も巡っているようなフィクションなのだからだと思いたいが、出会ってすぐのストリートナンパのように二人は惹かれあってしまうのだが、女優のほうのマネージャーがそれを阻もうとするのは、むしろ幻想的出会いを戒めるモチーフという視点で私は観たくなってしまう。出会ってすぐにふたりきりの部屋で濃厚なキスの最中にドアを叩くマネージャーに止められていなかったら、二人は最後まで行ってしまっただろう。ホテルに週4回も密会を重ねた政治家と弁護士にはマネージャーの静止は無かったのである。この映画のマネージャーは悪役ではないのである。悪役に感じてしまう現代人の感覚が世界を壊してきたのであろう。そこまで恋愛主義の洗脳は強いのだ。二人を引き離したマネージャーのドアを開けて出ていったすぐあとの不憫そうな表情は相手思いのモラルだったのだ。ただ、この映画にしても時空を超えていなければ、似合いの男女で済んだとは思うが、生活のためには、子孫のためには、許されない恋愛はあるのではないか。だからこそ、現実には出来ない、そういう面でこうしたファンタジーや旅行というのは傍観者的な憧れとしては存在するのかも知れない。そして帰ってきたところに、生活や現実がまた待っているのだろう。そうでなければ、この主人公の脚本家のように死まで追いかけてしまうのだから。それに結婚してから性行為というキリスト教に対する冒涜のように、この1980年上映という時代の自由さは、映像は直接的ではないにせよ、平気で起こしている。二人が楽しく愛し合っていれば罪はないじゃないかというのが、それから40年近くも経過した今の日本人の大勢のセンスかどうかはわからないが、しかしこの映画に関しては結局は悲劇的である。楽しく愛する相性なら悲劇には終わらないだろう。1979年のコイン。これは何かを象徴しているような気さえする。許されない恋愛は死に通じなければならないというのは、夏目漱石にしても、太宰治にしても、離れられない側面だった。現在はもう神仏というような得たいの知れないところからかけ離れてしまい、世間への風当たりからだけの隠し事にはしているが、平気でやっているのだろう。そこには愛欲と肉欲と性欲が優先した、みさかいない物体が二つ重なっているだけである。かろうじて梅毒などの性病が死を思い起こさせるが、HIVウイルスにしても、不治と言われたエイズの手前で、生きるだけの克服はできたような噂が医学の進歩だと言われるが、そこまでしてまで薄いゴムを売りたいのか、いったい子供という宝に対する意識はどこにあるのか、配偶者への裏切りを辛いと思わないかなど、得たいの知れない、モラルを逸脱するとひどい事になる何かは無いと思わせておいて実は有るのではないか。そうでなければ文学の優秀頭脳たちが許されない恋愛を死に向かう悲劇だとあれほどまで残してこなかったのではないのか。そして許されない事のない愛情はその二人の子供たちとともに、現世で祝福されて続くのであるから。
時計
音楽同様にロマンティックな印象を持ってたんですけど、最初の老婦人が客席にいるシーンからあらまぁ実は結構ホラーだったw タイムトラベルの手法とか安直ではありますが、クラシカルな雰囲気は素敵。ラフマニノフとジョン・バリーの音楽最高。
penny...
タイムスリップして恋を成就させるという物語。
大掛かりなタイムマシーンが登場する訳でもなく、潜在意識に行きたい時代を信じ込ませるという方法。
運命的な出逢いと夢のような奇跡。
愛する人と一緒に歳を取れない切なさ。
Eliseは最期にRichardに会えて良かった…。
美男美女がRenoirの絵画に現れたかのような美しい舞台@the Grand Hotel Mackinac Island, Michigan.
C. Plummerも渋くてかっこ良かったです。
300作目はこれと決めていました。世界的にファンを持つ隠れた超名作...
300作目はこれと決めていました。世界的にファンを持つ隠れた超名作。
一目惚れってありますよね。
それが運命の人だったら。
そしてそれが時を超越したものであったとしたら。
SFであり、ファンタジーであり、そして壮大な恋愛映画でもあります。こんな素敵な作品は他にありません。
ヒロイン、ジェーン・シーモアが抜群に美しい。学生時代の我が女神に似ているという私的事情もあり、主人公リチャードと共に私も恋に落ちてしまいました。そして彼女に時代を越えて会いに行くなんて、なんてロマンチック。さあ二人の恋の行方は。
ラフマニノフの音楽もこの映画にぴたりと調和してなんと心地よく響くことか。
個人的な偏愛もありますが、この隠れた名作、世界的ファンクラブがあったり、ロケ地では毎年のようにイベントが開かれたりと今に至るまで色褪せぬ作品。
なんと5月10日にBS放送される予定。それより先に何としてもこのレビューを書きたかった。なんとか、間に合いました。
どうかこの名作、ぜひご覧ください。
これが本当の愛なんですかね?
愛は理屈を超えたところにあるはず…ということで、
恋愛映画は理屈がぶっ飛んでてもあまり気にならない。
というわけでこの映画の主人公は、
50年以上前の肖像画の女性に一目ぼれし、
タイムスリップして会いに行く、と。
本当の愛というものがあるとして、
何が一番の敵かと言われれば多分、時間なのだろうから
表現方法としてタイムスリップを選んだのは上手い。
素晴らしい音楽、演出、雰囲気、演技があわさってかなり引き込まれる。
話が面白いというよりは、その瞬間瞬間にグっとくる映画。
ラフマニノフのラプソディ♬
静かな感動を運んでくれた作品です。時空を旅したりタイムスリップしてしまったりと、同じようなテーマのラブストーリーは数あれど、自分の意志で四苦八苦して、過去へと時空を飛び越えた主人公はそう、いないはず。一途な彼の想いはどこまでも果てしなく、それに答える美しき過去の舞台女優も清らかで恋する喜びに輝いていた。
「贅沢な愛」という言葉がぴったり来る。ストーリーに添えられた音楽も景色も贅沢。心満たされたい時におすすめの作品です!
せつない
『スーパーマン』のクリストファー・リーヴ主演です。
彼は今、天国にいます。一人の人間として、誠実に生きた人だからこそ、現実にはありえないお話の主人公として、その真摯さに心を打たれるのでしょう。
若い人に、観て欲しいですね。
運命の人との出会い…この世で巡り会えたことをもっともっと大切にしなくてはと思える映画です。
全40件中、21~40件目を表示