アイズ ワイド シャットのレビュー・感想・評価
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ムラムラしちゃって街に出てもイイことはない
今ではこりゃ面白い、もっというと、初見時よりも年を食ってみるとなお面白い!と改めて自分の中で評価が高いのが本作。
大学生のころ
「出来の悪いエロ映画。見どころはキッドマンのヌード」
社会人のころ
「エロ映画じゃないかも。見どころはキッドマンのヌード」
結婚したてのころ
「(偉そうに)エロ映画ではないですね。(心の中で)見どころはキッドマンのヌード」
そして今。
「アイズ ワイド シャット」
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世紀の傑作。
クルーズ演じるビルは、若くイケメンでドクター。それゆえ鼻につく感はあるが、真面目な男。キッドマン演じる妻アリスから旅行で見かけた男に抱かれたいと思ったことを告白され、愛と性欲は別ものだと、浮気は絶対しないと言い張るビルをアリスは笑う。すべてを失ってもいいから、抱かれたい、と思ったと。
アリスの告白で怒り、イライラ、嫉妬からのムラムラ解消への「不思議な国」の冒険が始まる。
その晩死んだ患者の娘マリオンに死者の前で性欲たっぷりに迫られる。街を歩いていると、ガキどもにホモ野郎、と言われ、イライラからのムラムラへ。そんな時、街女ドミノに誘われ、慣れない買春をしようとしたり、ピアニストのニックから、秘密の集会のことを聞き、貸し衣装屋の少女の乱交を目撃したことを経て、いよいよ秘密結社の乱交パーティにたどり着く。
ところが上から目線で見物していたところ、外野であることがバレて、追い出され、ムラムラを無理やり抑えられる。
へし曲げられた欲望は翌日へ持ち越す。
翌日マリオンに電話したり、街女ドミノに会いに行って、同居人とヤッてしまおうかと思いきやの、ギョッとする展開にあい、貸し衣装屋の少女と父親は、少女の売春を仄めかす。詮索するなと言われているのに、再び乱交パーティの現場に行き、あらゆる方面から、股間が縮みあがる警告を受ける。
ムラムラはヘナヘナと。後の祭りである。
まあ、そういうもので、逆にいずれの局面でもムラムラを解消することになったら、エライことになっていたので、ヤレなくて喜ぶべきではある。
言ってみれば、単なるラリッての、互いに強がりの夫婦喧嘩のせいで、肉親の死体の前だろうが、売春だろうが、少女だろうが、みんなが見ている前でヤるのだろうとか、世の中の女は皆セックスが大好きなのだ、とそのルックスと生真面目さのせいで、偶然かあるいは妄想か、そんな風に思ってしまう男の怖い怖いお話。
アリスは、パーティでねっちょり迫ってくるグレイヘアの男にちょっと火遊びをするムードを出しつつも、関係を持つことを拒絶する。一方でビルの前では、ラリッて、一目みた男に抱かれたい妄想があったと語り、愛と性欲は違うと、上から目線で言う。
しかし、抱かれたいと思っていた男に抱かれ、いろんな男に抱かれる夢を見て、本気で恐怖したことを聞かされる。アリスの夢とビルの見てきたことがここで重なる。
そうした二人はつまる所自他(自はアリスが気づく。他はビルが思い知る)共に「模範的な夫婦」というわけで、だけど妄想したり、火遊びしたくなるよね、と。ムラムラするよね、と。だからそうなったときは、ただ「F*CK」すればいいのよ、とアリスは締める。言い出しっぺはお前だろ、と言いたくなるような気もするが、まあ、夫婦喧嘩とはそういうものか。
ムラムラしたら、ただ奥さんとF*CK。すっきりすれば「賢者」。家族円満。知らなくていい世界は知らなくていい。
それができたら、困りゃしねえ!!てな。
うーん、人間だねえ。
追記
「F*CK」
「MAKE LOVE」とかじゃなく、乱暴な「F*CK」である理由を考えてみた。
これは完全のオレの妄想だが、ベースは「時計じかけのオレンジ」にあると思っている。
あれも行って帰っての冒険のお話ではある。
「暴力」は本能的で、いかに矯正しようが、そのラストは貴婦人たちが見守る中、「MAKE LOVE」とは決して言えない「F*CK」を繰り広げて、「治った」と言って締める。
「貴婦人」は取り繕った知性、気品、人間の知性。その見守る中、欲に塗れた、ほぼ「暴力的」なセックスを繰り広げる。
人間の営みとして、「F*CK」のほうが正しい、ということか。
仮面を剥ぎ取る
キューブリックは真面目な変態なんだと改めて思った。
ビルは、妻・アリスが旅先で偶然あった男に欲情したことにショックを受け、その事を空想しながら、一夜の「逃避行」をする。
ビルは、その「逃避行」で患者の娘や商売女らとファックしそうになる。けれどやらない。なぜか。それは結局ビルがアリス以外の女を愛していないからだ。
ここに本作の真面目さが現れていると思う。本作は裸体が頻繁に現れ、後述する儀式シーンやセクシュアルな主題のために、性的に奔放な世界観と思いがちである。だがラストシーンのアリスの象徴的なセリフのように、「あなたを愛している。だからファックする」という原理が本作の根本にはある。つまり「好きな人としかセックスをしない」という極めて正常で真面目な世界観なのである。
ビルが迷い込むあの儀式とは何だろう。参加者は仮面で顔を隠し、「愛」ーキスの素振りが儀礼行為化しているのを確認できるーを儀式化し、ファックするあの儀式は。きっとあの儀式は「ファックするためにファックする」世界なのだ。ファックできれば誰でもいいから、仮面で顔を失い、誰でもない他者とファックする意味を儀式化した「愛」で偽る。
仮面を被った女が「戻ってこれない」といい、身代わりになるのは、この儀式の際限なさと空虚さゆえだろう。参加者は性的欲求に従ってファックをするが、そこには他者も愛もない。事後には欲求の解消はあるが、再び欲求は現れてしまう。だから悲しい。参加者は「ヤり過ごす」ことしかできない。
すると「あなたを愛している。だからファックする」というのは大事なことであり普通のことではあるが、実際に行うのは難しい。ビルとアリスもなんとか夫婦生活を「やり過ごす」ことはできていたが、それは夫婦という仮面を被った状態でもある。序盤の知り合いがほとんどいないパーティーシーンで夫婦の体裁を繕っているのがその象徴だ。だからパーティー後のビルとアリスのセックスは、「愛しているからファックする」のではなく、「夫婦だからファックする」故にルーティン化されたものなのだろう。
「あなたを愛している。だからファックする」ためには、どうすればいいのだろうか。それは「おっぱいをみるのではなく、顔をみること」なんだと思う。ラストシーンが儀式シーンのようなスペクタル性に富んだものではなく、ビルとアリスの顔にクローズアップしたショットで構成されているのはそのためだろう。夫と妻という仮面をクローズアップによって剥ぎ取り、顔をみる。顔をみれば会話が始まり、「あなたを愛する」ことも始められる。そうすれば大事な「ファックする」ことができる。
ビルとアリスはあのあとファックするのだから、私たちはまず仮面を剥ぎ取ることから始めなければならない。
こわっ!
ほんとに裏社会ではこんな秘密結社があるのか?だとしたらこわっ!そして、あったとしてもあんま興味なし!
怖すぎて、恐る恐る観進めた。
この映画を撮ったためにキューブリックが直後に死んだかもしれんとか、尚更こわっ!
あと、独身の自分には、夫婦の心情みたいなものは正直全然響かず!残念!
今の自分には解読できないが、キューブリック監督による重要なメッセージが隠されている様に感じた
スタンリー・キューブリック 監督による1999年製作(159分)のアメリカ映画。原題:Eyes Wide Shut、配給:ワーナー・ブラザース映画。
表面的には、倦怠期の夫婦の再生を描いていたのはまあ理解できたが、キューブリック監督作品である。本当のところ、何を描いた映画か大きな謎が、自分には残ったままである。
夫婦で行ったパーティにおいて、八芒星(五芒星も一箇所あった)が、バック映像でやたらと強調されていた。妻を誘惑しようとしてたのがハンガリー人であったことを含めて、分かる方には分かるある秘密の組織?の関与を暗示しようとしている様にも思えた。
女性2人(ヌアラ)に連れて行かれそうになった場所、「虹のふもと」(where the rainbow ends)とは?やばそうなイメージだが、何を表現してしているのか?NUALAというスペルも強調されている様に感じた。アイルランド系の名前の様だが、何かを伝えたい様に感じた。
トム・クルーズが仮面等を借りた貸衣装屋Rainbow、あの経営者と幼く見える娘(リーリー・ソビエスキー)、前日のまともな言動とは異なり、翌日には売春業に手を染めてしまった様に思えたが、これは何を象徴しているのか?
妄想的なイメージとしては、「Over the rainbow」 に出演しスターとして大人たちから搾取されたジュディ・ガーランド の姿、即ち金になると分かった途端少女をハードに稼がせるハリウッド映画界そのもののアコギな姿を糾弾している様に思えてしまった。
カラフルなクリスマスツリーが、クルーズ宅だけでなく、招かれたパーティ会場や娼婦(ビネッサ・ショウ)宅を含めてあちこちで登場する。翌日の娼婦宅(彼女の友人がいた)では、ツリーは半分しか写っていなかったが、何かの象徴なのか。そして、秘密の儀式が行われていたお屋敷にはクリスマス・ツリーは全く無し。これは、非キリスト教の宗教的集まりを示している?
クルーズが家に帰った時、ベッド上で妻ニコール・キッドマンの横に置かれた仮面、それは誰が置いたのか?自分には全く謎なのだが、出だしに行方不明の夫の財布のありかを妻がきちんと分かっていたことや、娼婦宅での電話のタイミングの良さもあり、隠したつもりの場所からキッドマンが仮面だけを抜き出して置いたのか?
そして、最後、クルーズ家の一人娘ヘレナはおもちゃ売り場で、老紳士2人に連れ去られてしまった様に、どうしても見えてしまう。驚かされたのだが、あの儀式を行なっていた組織の関与を暗示している様に見えてしまう。
キューブリック監督は医者の家庭に生まれたと聞く。自分には三度見でも解読不能だけれど、感覚的には、キューブリック監督が自身の体験に基づき、この映画を通して幼児誘拐も行う様な危険な組織の存在に警告を発している様に感じられた。
家の中の多くの絵や家具類等、隠れたメッセージが多くありそうで、また、数年経ったら、是非もう一度見直して見たい。
監督スタンリー・キューブリック、製作スタンリー・キューブリック、製作総指揮ヤン・ハーラン、原作アルトゥール・シュニッツラー、脚本スタンリー・キューブリック、 フレデリック・ラファエル、撮影ラリー・スミス、美術レスリー・トムキンス 、ロイ・ウォーカー、衣装マリ・アレン、編集ナイジェル・ゴルト、音楽ジョスリン・プーク。
出演
トム・クルーズ: ウィリアム・ハートフォード、ニコール・キッドマン: アリス・ハートフォー、シドニー・ポラック、マリー・リチャードソン、ラデ・シェルベッジア、トッド・フィールド、ビネッサ・ショウ:ドミノ、アラン・カミング、スカイ・ダモント、フェイ・マスターソン、リーリー・ソビエスキー、トーマス・ギブソン、マディソン・エジントン。
スチュワート・ソーンダイク:Nuala
個人的に好き
必要以上にエロいと思うからマイナス★したけどオチへの繋がり、登場人物の連なりはなかなかの気持ちよさ。
仮面で隠される素顔、曝け出される体、秘密の大切さと言わないことで起こる軋轢。暗喩が散りばめられてて見終わった後じっくり噛み締める楽しさがあった。
主人公を窮地に陥れたのは妻の暴露への対抗心から生じた衝動で、妻に素直に嫉妬を告げず悶々とした結果慣れない火遊びをして命の危険に。でもその妻が自らの本心を曝け出しすぎた発言から繋がってるから曝け出すことが一概に良いとも言えないし、、、
彼を様々な危機から救ったのが劇的な偉業とかじゃなく、当たり前だったり何気ない判断の連なりから来てるのが何だか個人的にすごく良かった。
その小さな判断を謝らないでこれるかが真っ当かそうじゃないかの分かれ道と思われて何か救われるものがありました。
結局最後、必要なのは肉体言語ですわ〜!との結論にええー?!ってなるけど、まあ、そうね、うん。と納得して見終わりました。
面白かったし、トムクルーズがめちゃくちゃカッコよかった。顔がいいは強い。
キューブリック唯一の失敗作
スタンリー・キューブリックは、私の一番好きな監督であり、「2001年宇宙の旅」と「バリー・リンドン」は満点の評価を付けたが、この遺作については、彼の唯一の失敗作であるとしか言いようがない。
まず、相変わらず映像は綺麗で、特にこの映画では室内のライティングと構図及びカメラワークが絶妙に素晴らしく、ストーリーもミステリータッチで展開していき、中盤まではかなり映画の中に引き込まれてしまった。
だが、どうなるのかとゾクゾクして期待に胸が膨らんだのに、結局何も起こらず・・・とは言い過ぎかもしれないが、何か肩透かしを食らったような感じで終わってしまう。
音楽もミステリーの音楽としては向いているかもしれないが、B級ミステリー映画の音楽のようでもあり、不協和音のようにも聞こえるピアノの音が、個人的にはあまり心地よくなかった。 前述の2作品と「時計仕掛けのオレンジ」の音楽が最高に良かったので、何かこの映画では手を抜いたような気さえする。
ツッコミどころもいくつかある。一番疑問に思うのは、同級生だったピアニストが、秘密の屋敷へ入るためのパスワードを、ナプキンにメモするところだ。フィデリオだったと思うが、その程度のパスワードだったらメモをする必要はないんじゃないかな。ひとりでいる時だったらまだしも、大事なパスワードをトム・クルーズが見てる前で書くのはあり得ないと思う。暗に、トム・クルーズを誘っているようなもの(もしかして実際に誘っていたのかもしれない?)。あと、相手が医者であっても、カフェのウェイトレスがお客(例のピアニスト)の泊まってるホテルを教えたり、ホテルの受付係が宿泊客が何時にチェックアウトしたとかどんな様子だったとかベラベラ喋るのは、この時代であっても、個人情報の秘守義務から言ってありえないと思う。
そもそも意味深なタイトル(原題:大きく閉じた目)は何を言いたかったのか?映画評論家の町山智浩氏によると、結婚式のときの名文句として言われている言葉(以下のとおり)をもじったものらしい、
Keep your eyes wide open before marriage,and half shut afterwards.
イルミナティの乱交儀式再現映像
ロスチャイルド家の家でこんなことが行われてるとか言われる。
確かに金持ちで遊び尽くした場合、暇というかやることないし、こういうオカルト+エロチズムに熱中するのもわからなくもない。儀式のときの音楽が怖くて好き。評論家が実際の秘密結社とは無関係のような感想をいってたらしいけど、西洋のオカルト儀式でこういうのを真面目にやってる人は多い。西洋のオカルティズムを知らずにこういった感想を陰謀論者と未だに言う人がいるのが驚き。あまりにも無知すぎる。
常に何か嫌なことが起こりそうな予感がして良かった
・魅力的な美女の全裸シーンが多くてわくわくした。何となく時計仕掛けのオレンジにサスペンスのストーリーにのせたらこうなったみたいに思った。
・クスリで意識を喪失した女や、屋敷での乱交とかいきなり全裸女性のシーンを随所に放り込んできてキューブリックのセンスに感嘆した。
・主人公のトム・クルーズが関心が薄くなった妻が誰かと寝たいと思ったと知った途端に嫉妬なのか妄想に囚われてからコールガール?の誘いに乗ったり、謎の屋敷に行ったりと踏み込んだ行動をしていくのが凄く良かった。
・ニコール・キッドマンが最初に誘惑されていたのでトム・クルーズが妻を取り戻すみたいな話になるのかなぁって思ったら全然違ってて面白かった。想像の三つくらい上だった。
・前半は嫁が誰かに取られるんじゃないかっていう不安があって、後半は殺されるんじゃないかっていう不安がずっとあってとても面白かった。謎の屋敷以後に起こる様々な事件、組織の秘密が解明されずに家族が殺されるかもしれないからと手を放して妻に事情を説明して、最後に大事なことをするのよ…からファックの一言で終わりっていう衝撃の終わり方で凄く面白かった。
わずか3日間の出来事だったが、ミステリアスなストーリーにメリハリが...
わずか3日間の出来事だったが、ミステリアスなストーリーにメリハリがない。どんな夫婦にもそれぞれ秘密がある!てなことをトムちんの妄想によって、色んなことが見えてくるといった内容だ。しかし、映画ではトムちんは他の女性とセックスしてない(やろうとしてたけど)。最後に妻にあやまるのだけど、「どうすればいい?」と聞くと、「FUCK」と答える妻。まぁ、それが円満な夫婦生活のコツなんだろうけど・・・このラストはかなり記憶に残る。
キューブリック作品は冗長なようで奥が深い。遺作となった今作においても、深読みすればキリがない部分がいっぱい。貸衣装屋の娘(リーリー・ソビエスキー)が男と乱交してたけど、あれは親父がさせていたものだろうとか、死んだ女はどこまで命令で動いていたのか?とか、ヴィクターの怪しげな部分も隠されている。自分で「身代わりになる」と言ったのは死を確信していたからなのか・・・それもわからん。
ファック
キューブリックの確立した世界観の素晴らしさ。
難しいという評価多いようですがあれこれ考えずに感じたままが良いですね。
美しい。
仮面。
怖い。
面白い。
ファック。
あの団体の謎、あれなんでしょうかね、やはりフリーメイソンですかね。あの辺りから、一気に引き込まれました。
そして、気味の悪いピアノの旋律がたまりません。
最後のセリフ、男と女の全てかもしれないですね。
面白かったです。
念願かなって
自分にとっては念願の鑑賞でした。何故なら、キューブリック監督の遺作となった本作の公開時、私はまだ中学生でした。洋画好きな両親の影響で、洋画にはまりまくっていた映画少年にとっては、クルーズ、キッドマン、キューブリックという名前は強烈。とはいえ、R指定の壁は厚く、母親にパンフレットを購入してもらうことで溜飲を下げていました。
ようやく自分もこの映画が見れるようになり、念願かなって見た本作は想像していたものとはちょっと違っていました。直接的な性描写は所々あるものの、それよりも印象的なのはピアノの旋律やショスタコービチのジャズ組曲に乗せて描かれるトム・クルーズの彷徨&妄想シーン。そして、ラストのニコール・キッドマンの強烈な決め台詞。役者の顔はどれもシリアスなんだけど、随所でクスッと笑えてくるのは、キューブリックのセンスなんでしょうね。いい意味で期待を裏切られました。夫婦といっても所詮は他人で、心の中まではのぞけないまさに“仮面”の映画でした。
私には難しかった...
(ほとんど仮です。また書きかえるかもしれません。)
見終わったあとは
あれこれ考えてはいけないのだろうけど
考えてしまう癖があって
答えを求めてしまって
結局煮詰まっているという状態でした。
とにかくR指定なので激しかったです。
ぼかしがはんぱない。
トム・クルーズはかっこよかったし
ニコール・キッドマンもきれいだった。
(予定はないのですが、将来的に)
結婚するかもしれない自分としては
恐ろしい映画でした。
愛って、結婚だけじゃなく
何が本当かわかりませんもんね。
「愛してる」とかせっくすとか。
あれば"本当の"愛なのか、ということを
そういう確信をついてくる映画だと思います。
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