徳川女刑罰史
劇場公開日:1968年9月28日
解説
「徳川女系図」の石井輝男と、新人の荒井美三雄がシナリオを共同執筆し、石井輝男が監督した風俗もの。撮影は「帰って来た極道」のわし尾元也が担当した。
1968年製作/96分/日本
原題または英題:The Joy of Torture
配給:東映
劇場公開日:1968年9月28日
ストーリー
寛文五年。みつは、兄新三の殺害容疑および近親相姦の罪で捕われたが、与力南原一之進の残酷な拷問に口を割ろうとはしなかった。その拷問に不信を持ったのは与力吉岡頼母だった。やがてみつは、事の一部始終を吉岡に自白して、水礫の刑に処せられた。みつの生涯は暗く短かかった。小町娘と評判が高かったみつを、呉服屋の巳之吉は妾にしようと日頃から執心していた。新三は、その話を断ったが、大工の仕事中に重傷を負い、治療代に苦しんだ。巳之助と権造は兄妹の援助に乗り出したが、みつの払った代償はあまりに大きかった。哀しみに暮れる兄妹は、狂ったようにお互を求めあった。やがてこの事実が巳之助に知れ、みつは新三の目前で犯された。新三はこれを苦にして自殺をはかったが死にきれず、みつが兄の苦痛を見かねてノミを打ち下したのだった。寛文八年。珠光院の院主代玲宝は、夜な夜な裸身を、付き役尼僧の燐徳に笞うたせ、歓喜に身をゆだねていた。ある日玲宝は、尼僧妙心が本寺の僧春海と密会しているのを発見した。玲宝は、春海を女犯の罰として滝にうたせ、妙心には、苛酷な拷問を加えた。やがて、妙心は残虐な私刑に耐えきれず、春海の名を呼びながら世を去った。一方、春海は玲宝の心を受け入れなかったため、玲宝の鉈で首をかき落された。そして、玲宝自身も春海の首を愛撫しながら自害して果てた。寛文十一年。柳橋の芸者君蝶の背に彫られた地獄絵図が、評判をよんでいた。この刺青を彫ったのは彫丁だったが、彼は南原を尋ね、女が苦悶する表情について教えを請うた。ちょうどその頃、漂流船で流れ着いた白人女たちが、キリシタン宣教の疑いで、拷問を受けることになっていた。彫丁は一代の彫りものにしようと、土台になる処女探しにかかった。その哀れな犠牲者になったのは、町娘の花だった。南原らによる拷問はすさまじかった。そして花の体には、着々と拷問地獄の模様がその輪郭を現わしはじめた。だが、その図には地獄の邏卒の顔が未完成のままだった。彫丁は、非情に笞うつ南原を刺し、断末魔の表情を花の背に写し取った。吉岡らが牢に踏み込んだのは、その直後だった。だが、その時すでに牢は炎に包まれていた。